【AI版】教養を高める
※これは、筆者の著書「『皆さん、こんにちは』パワースポットが語ってくれた〝人生の生き方〟 」をAIに校正し直して作成したものです。
- 【善光寺】学ぶとは心に誠実を刻むこと、教えるとは・・・
- 【伊勢神宮】太陽は夜が明けるのを待って 昇るのではない。
- 【皇大神宮別宮 瀧原宮】歴史の真実を伝える教育を!
- 【明石歩道橋】よい姿勢―「前にならえ」をするのはなぜ?―
- 【天空の城「竹田城跡」】くちびるに歌を、心に太陽を。
- 【綱敷天満宮・須磨天神】学問の神様? 菅原道真の母君に想う。
- 【橿原神宮・長山稲荷社】日本精神・武士道精神で生きる。
- 【三輪大社(大神神社)】学は一生の大事
- 【熊野本宮大社】フェアプレイ
- 【出雲大社】聖地巡礼(レイライン)「親切な青鬼くん」
- 【倉敷美観地区・大山記念館】勝負は日常心にある。
- 【広島・原爆慰霊碑】背中で語る。
- 【善通寺】どんな数字もリスペクト
- 【高知市・桂浜】日本人なら「ソーラン」で元気に!
- 【幣立神宮(日の宮)】平和の祭典「オリンピック」
【善光寺】学ぶとは心に誠実を刻むこと、教えるとは・・・
学ぶとは心に誠実を刻むこと。
教えるとはともに希望を語ること。

「遠くとも一度は詣れ善光寺」「一生に一度は善光寺参り」
そう言われる善光寺は、長野県長野市に位置し、約1400年の歴史を誇る名刹です。仏教が日本に伝来し、宗派に分かれる以前から存在していたため、宗派を問わず、無宗派の寺として広く信仰されています。
本堂正面を入ると、「びんずる尊者像」があります。自分の患部と同じ場所を撫でると治るとされ、参拝者が撫で続けたため、像はつるつるに光っています。
私が初めて善光寺を訪れたのは、中学時代の恩師・W先生と一緒でした。
私は中学時代、バレーボール部に所属し、その顧問がW先生でした。先生は長野市のご出身で、私が中学3年生の時に実家へ戻り、幼稚園の園長先生になられました。
その後、私は先生の影響で同じ大学に進学し、教師の道を選びました。大学時代、スキーで長野を訪れるたびに先生の家に立ち寄り、よくお世話になりました。その頃から、善光寺にも何度か連れて行っていただいたのです。
教師を目指してから、W先生はいつも同じ言葉を教えてくださいました。
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること。」
学生時代は、この言葉の意味がよくわかりませんでした。
しかし、教師となり、経験を重ねる中で、幾度となくこの言葉を噛みしめ、今では私の教育モットーになっています。
この言葉は、第二次世界大戦中、フランスのストラスブール大学で生まれました。戦火と弾圧を避けるため大学が疎開する中、詩人ルイ・アラゴンが「ストラスブール大学の歌」で詠んだ一節です。
日本語訳は詩人でフランス文学者の大島博光氏によるものです。
原文はこうです。
Enseigner c’est dire espérance, étudier fidélité
直訳すれば、
「教えること、それは希望を語ること。学ぶこと、それは誠実を胸に刻むこと。」
「誠実」を「真実」、「希望」を「未来」と訳す方もいます。
つまり、
「学ぶとは真実を胸に刻むこと。教えるとはともに未来を語ること。」
どちらにしても、教育に携わる者、子育てをする親にとって、深い意味を持つ言葉です。
日本にも、この精神を体現した人がいます。
『独立自尊』を掲げた福沢諭吉は、こう語りました。
「どんなに世間が騒がしくても、慶応義塾は一日も業を休まず、洋学の命脈を絶やしたことがない。義塾ある限り、日本は世界の文明国である。」
彰義隊と官軍が戦う中、砲声を聞きながら平然と講義を続けたという逸話も残っています。
日本にも、こうした気概を持った時代があったのです。
学ぶことは誠実を刻むこと。教えることは希望を語ること。
この言葉を胸に、私たちは未来を紡いでいきたいと思います。
【伊勢神宮】太陽は夜が明けるのを待って 昇るのではない。
太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない」
「正義は自分を犠牲にしなくてはできない」「本当の正義のためにはまず、飢えた人をなくすことが何よりも肝心」というメッセージが込めらたアンパンマンは、①自分の限界(弱さ)を知って、②困るとSOSを出し、③気分転換が上手な生き方をしている。これは、ストレス社会を生き抜く術である。
「もし、自信をなくしてくじけそうになったら、いいことだけ思い出せ!」

三重県伊勢市にある伊勢神宮は、125の宮社の総称で、正式には「神宮」と呼ばれます。
皇大神宮(内宮)には皇室の御祖先である天照大御神が、豊受大神宮(外宮)には衣食住と産業を守る豊受大御神が祀られています。
二見浦で禊をして身を清め、まず外宮を参拝し、次に内宮へ。
そのとき、小雨の中から太陽の光が差し込み、まるで天照大御神に歓迎されているようでした。思わず、手のひらを太陽にかざしました。
この光景に、やなせたかしさん作詞の「手のひらを太陽に」が浮かびます。
小学校の音楽教科書にも載っていたこの歌は、「生きていること」を実感させ、元気をくれる歌です。
やなせたかしさんといえば、漫画『アンパンマン』の作者として有名です。
アンパンマンが絵本として出版されたのは、やなせさんが54歳のとき。
パンでできたヒーローが、自分の顔をちぎって人に食べさせる物語には、深いメッセージがあります。
「正義は自分を犠牲にしなくてはできない」
「本当の正義とは、まず飢えた人をなくすこと」
しかし、アンパンマンは決して万能ではありません。
顔が濡れると「力が出ない」と弱り、困ったときは仲間に助けてもらいます。
ジャムおじさんが新しい顔を作り、バタコさんが正確に投げると「元気百倍!」になり、再び立ち上がるのです。
この姿こそ、「生きる力」そのものです。
アンパンマンは、
- 自分の弱さを知っている
- 困ったらSOSを出せる
- 気分転換が上手
これは、ストレス社会を生き抜くための大切な力です。
一方、ばいきんまんは本当に悪いのでしょうか?
彼は「俺は天才」と言い、発明や工夫を重ねます。問題は「考え方」にあります。
アンパンマンは「やめるんだ、ばいきんまん!」と言って戦いますが、決して彼の存在そのものを否定しません。
この背景には、やなせさんの戦争体験が影響しているといわれています。
そして、アニメで流れる「アンパンマンたいそう」。
やなせさんと魚住勉さんが作詞したこの歌には、
「自信をなくしてくじけそうになったら、いいことだけ思い出せ」
という前向きなメッセージが込められています。
伊勢神宮で太陽に手をかざしたとき、私は思いました。
「生きる力」とは、完璧であることではなく、弱さを認め、助けを求め、前を向く力だ。
そして、夢を持ち、希望を語り続けることだと。
【皇大神宮別宮 瀧原宮】歴史の真実を伝える教育を!
歴史を学ぶことは、同時に、これからの時代を予測することでもある。
教育者は、時の為政者や国家権力によって捻じ曲げられた歴史ではなく、THE FOUR-WAY TEST(四つのテスト)に照らし合わせ、真実を教える教育をしなければならない。
①真実かどうか ②みんなに公平か
③好意と友情を深めるか ④みんなのためになるかどうか

三重県度会郡大紀町に鎮座する瀧原宮は、伊勢神宮内宮の別宮で、内宮から約40キロ離れた場所にあります。内宮の雛形といわれ、長野県伊那市の分杭峠と同じ中央構造線上にあるため、「ゼロ磁場」としても知られています。ここで得られる御利益は、健康増進、安心感、進むべき道が開けること、そしてゼロ磁場による「気」の発生です。
ある年の12月8日、私は良い気を感じたいと思い、瀧原宮を訪れました。すると、不思議なことに耳に響いたのは戦闘機の音でした。
そう、1941年12月8日——旧日本軍が真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まった日です。アメリカは「Remember Pearl Harbor」を合言葉に戦争を遂行し、「日本は卑劣なだまし討ちをした悪い国だ」と宣伝しました。そして、日本の戦争を止めるためだと称して、主要都市の焼尽と二度の原子爆弾投下を正当化しました。戦後、私たちはその物語を繰り返し教えられてきました。
しかし、戦後75年以上が過ぎ、異なる解釈が次々と現れています。国際政治学者・藤井厳喜氏の著書『太平洋戦争の大嘘』には、1946年に東京で行われた、元米大統領フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーの対話記録が紹介されています。そこでは、「日本は追い詰められ、真珠湾攻撃をせざるを得なかった」という見方が示されています。
歴史は、時の権力者によって歪められることがあります。過去がそうであったように、今もそうかもしれません。
最近の歴史解釈の変化を挙げてみましょう。
- 江戸時代、日本は完全な鎖国をしていなかった
- 「士農工商」という身分制度は存在しなかった
- 鎌倉幕府の成立は「1192年」ではなく1185年
- 「大化の改新」は645年ではなく646年から
- 教科書から「聖徳太子」の名が消え、「厩戸王」に変更
- 明智光秀は「裏切り者」ではなく、信長を討った「討伐者」
歴史を学ぶことは、過去を知るだけでなく、未来を予測する力を養うことです。
だからこそ、子どもたちには、権力にねじ曲げられた歴史ではなく、真実を教えなければなりません。
国際ロータリー会長テイラーが提唱した THE FOUR-WAY TEST(四つのテスト) は、教育の指針にもなります。
- それは真実か?
- みんなに公平か?
- 好意と友情を深めるか?
- みんなのためになるか?
瀧原宮の静けさの中で、私は思いました。
「歴史を学ぶとは、真実を求めること。そして、未来をより良くするために語り継ぐこと。」
【明石歩道橋】よい姿勢―「前にならえ」をするのはなぜ?―
「将棋倒し」(「群衆雪崩」「群衆事故」)防止のために、に団体訓練を通して、「間合い」や正しい姿勢を学ばせよう。

2001年7月21日、兵庫県明石市の大蔵海岸で行われた花火大会。その帰路、朝霧駅近くの歩道橋で群衆事故が発生し、11名の尊い命が失われ、247名が重軽傷を負いました。忘れてはならない、深い悲しみを伴う出来事です。こんな悲劇を、二度と繰り返してはいけません。
(なお、「将棋倒し」という言葉は現在では使われず、「群衆雪崩」や「群衆事故」と呼ばれています。)
世界に目を向けると、同様の事故は後を絶ちません。
2010年、カンボジアの水祭りでは橋の上で転倒事故が起こり、375名が命を落としました。
2015年、サウジアラビアのメッカ巡礼で発生した群衆事故では、2411名もの死者が出ています。
そして記憶に新しいのは、2022年、ハロウィンの夜にソウル梨泰院で起きた雑踏事故。159名が亡くなりました。
こうした悲劇を防ぐために、私たちは何を学ぶべきでしょうか。
私は以前、アメリカで体育の授業を見学する機会がありました。自由の国らしく、髪の色も服装もさまざま。体操服はなく、ジーパン姿の生徒もいました。しかし、団体訓練を始めると、その動きは日本の子どもたちよりもはるかに整っていました。
軍隊を持つ国では、団体行動の訓練が日常的に行われ、緊急時にパニックに陥ることが少ないといいます。ある人はこう言いました。「コンサートや大規模集会で群衆事故が起きるのは、今や先進国では日本くらいだ」と。
「前にならえ」は、前の人との距離を保ち、次の動作を一斉に行うための基本です。車間距離を取らなければ追突するように、人の動きにも安全な間隔が必要です。団体で動くことを知らない集団は、緊急時に命を落とす危険があります。ですから、「前にならえ」の後に「前から順に座りましょう」という指導は、本来の意味を損なうものです。
コロナ禍で「ソーシャルディスタンス」という言葉が広まりましたが、日本には古くから「間合い」という美しい概念があります。
対話の間合いは畳半間(約90センチ)、説明は一間、報告は二間、連絡は三間――人と人の距離感を大切にする文化です。
団体訓練の基本は「気をつけ」の姿勢。アメリカでは「Present arms(捧げ銃)」と呼ばれていました。正しい立ち方を身につければ、長時間立っていても疲れません。逆に、まっすぐ立てない人は、肩こりや背中・胸の病気を招きやすく、老け顔になりやすいといいます。「一寸千貫」という言葉があるように、腰骨をしっかり立てることが大切です。
「体操座り」にも意味があります。それは、立って話す人の顔を見て、話を聞く姿勢です。胡坐は聞く姿勢として不適切です。椅子に座るときも、ソファに寝そべる「バギー姿勢」や背中を丸める「TVゲーム姿勢」、足組みなどはよくありません。
『姿勢のいい不良』を見たことがありますか? まずは形からです。
【天空の城「竹田城跡」】くちびるに歌を、心に太陽を。
くちびるに歌を、心に太陽を!
一日の始まりに、「ラジオ体操の歌」を!

兵庫県朝来市には、「天空の城」「日本のマチュピチュ」と称される竹田城(別名:虎臥城)があります。
九月から十一月にかけての雲海シーズンには、向かいの立雲峡から、霧に浮かぶ城跡の幻想的な姿を望むことができます。
ある秋の日、私は雲海を眺めながら、深澤義旻の詩「人間のうた」の一節を思い出しました。
雨が降っても 曇っていても
見ろ
雲の上には 太陽がある
この言葉は、どんな状況でも希望を見失わない強さを教えてくれます。
「女の一生」や「路傍の石」で知られる山本有三も、「心に太陽を持て」という題名の小説を書きました。
人生には悲しみや苦しみがつきものです。しかし、私たちは皆、懸命に毎日を生きています。どんな時も、心に赤々と燃える太陽を抱き、前を向いて歩まなければなりません。
ドイツの作家ツェーザル・フライシュレンは、こう語っています。
苦しんでいる人、悩んでいる人には、こう励ましてやろう……
勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。
この訳は、山本有三によるものです。
「心に太陽を」「くちびるに歌を」――この言葉には、人を支える力があります。
ところで、ジョーゼフ・ジョルダーニアの著書『人間はなぜ歌うのか?―人類の進化における「うた」の起源―』によると、人間は地上で歌う唯一の種だそうです。
鳥やクジラなど、鳴く生き物は五万四千種にも及びますが、地上で歌うのは人間だけ。捕食動物にとって歌うことは危険であり、鳥も地上に降りるときは歌をやめます。
それでも人間が歌ってきた理由は、
①弱い集団を強く見せるため、
②食料調達に役立てるため、
③戦いに不可欠だったため――と考えられています。
さらに、歌は人の誕生とともにありました。文字を持たない文化はあっても、歌を持たない文化はありません。
子守唄、遊び歌、恋歌、婚礼歌、宗教歌、狩猟の歌、農耕の歌、旅の歌、戦いの歌、癒しの歌、葬送の歌――人はいつも歌とともに生きてきたのです。
最後に、心に太陽を持ち、元気をくれる一曲を紹介します。
朝のラジオ体操で流れる「ラジオ体操の歌」(藤浦洸作詞、藤山一郎作曲)です。
新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
この香る風に 開けよ それ 一 二 三
一日の始まりに、こんなに爽やかで力強い歌はありません。
どうですか? 今日も心に太陽を、そしてくちびるに歌を――。
【綱敷天満宮・須磨天神】学問の神様? 菅原道真の母君に想う。
「飛梅伝説」や「怨霊伝説」の残る菅原道真は、今は「学問の神様」として親しまれている。
道真の母は、道真が元服の時に、
『久方の月の桂も折るばかり 家の風をも吹かせてしがな』
と詠んでいる。
世のため人のためになる勉強ができるようになることを願おう。

この写真は、兵庫県神戸市の須磨天神(綱敷天満宮)にある「菅原道真を抱く母君像」です。
道真が元服の際に詠んだ歌があります。
久方の月の桂も折るばかり
家の風をも吹かせてしがな
「月の桂を折るほどの強い風を起こし、我が家の名を高めてほしい」――そう願った母の心が、この歌に込められています。
道真の母君について詳しい記録は残っていません。しかし、この像の前に立つと、聡明で愛情深い人であったことが、静かに伝わってきます。
月の中に生えるとされる月桂樹は、古代ギリシャでは太陽神アポロンの木とされました。その枝を折るほどの力を持つ風――それは、立派に成長し、学問の家として一族の名を高めることを願う母の祈りでした。
菅原道真といえば、平安時代、宇多天皇に仕え右大臣となり、遣唐使の廃止など政治の中枢で活躍しました。しかし、藤原時平らの陰謀により醍醐天皇の命で大宰府に左遷され、二年後、失意のうちに亡くなります。
都を去る際、道真はこう詠みました。
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ
この歌を慕うように、庭の梅が大宰府まで飛んでいったという「飛梅伝説」が残っています。
道真の死後、都では疫病や飢饉が続き、時平の周囲には不幸が相次ぎました。清涼殿への落雷で藤原清貫が命を落とし、源光も狩りの最中に底なし沼に沈みます。やがて醍醐天皇や時平も病に倒れ、道真は「怨霊」と恐れられる存在となりました。
その祟りを鎮めるために建てられたのが、京都の北野天満宮です。一夜にして千本の松が生えたという伝説も残っています。
やがて道真は雷神として崇められ、「天神様」と呼ばれるようになりました。怨霊としての恐ろしさは時とともに薄れ、代わりに学問に秀でた生前の姿にあやかり、「学問の神様」として信仰されるようになったのです。
全国の天満宮は、今では受験合格祈願の名所として知られています。道真の命日は二月二十五日、丑の年・丑の日・丑の刻であったことから、天満宮の牛の頭を撫でると「頭が良くなる」と言われています。
道真の母君は、我が子の姿をどう見ていたのでしょうか。
勉強は、人と競い、勝って恨みを買うためにあるのではありません。受験は競争ですから、優劣はつきます。しかし、本来の願いはこうではないでしょうか――
「世のため、人のために役立つ学びを重ねること」。
合格祈願に込める思いも、そこにあるべきだと私は思います。
【橿原神宮・長山稲荷社】日本精神・武士道精神で生きる。
李登輝元台湾総統の述べたリップンチェンシンは、「プライド教育」と相通じるものがある。道徳心や倫理観の低下が私的されている現在の小中学生に、日本精神・武士道精神で生きることを教えたい。

奈良県橿原市にある橿原神宮には、日本建国の祖とされる初代天皇、神武天皇が祀られています。
境内の長山稲荷社は、健康延寿・開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛にご利益があるとされ、さらに「ゼロ磁場」のパワースポットとしても有名です。
奇しくも、私が橿原神宮を訪れた2020年7月30日、台湾の「民主化の父」「民主先生(ミスターデモクラシー)」と称された李登輝元総統が、97歳で亡くなられました。
李登輝氏は親日家として知られ、こう語っています。
「大切なことは武士道にある」
「日本人がリップンチェンシンを失わない限り、日本は世界のリーダーとして発展する」
台湾は、日清戦争後の約50年間、日本の統治下にありました。しかし、それは欧米流の搾取を前提とした植民地支配ではなく、日本の一部としての統治でした。
「リップンチェンシン」という言葉は「日本精神」と訳されますが、台湾では次のような意味を含んでいます。
勤勉・正直・約束を守る・礼儀正しい・合理的・まじめ・清潔・信義を守る――
しかも、この言葉は日本が押しつけたものではなく、台湾の人々の間から自然に生まれ、広まったものだといいます。
2011年の東日本大震災の際、台湾は200億円を超える世界最高額の民間義援金を日本に送ってくれました。
2016年の熊本地震では、当初1000万円の支援を申し出ていましたが、本震後には「少なすぎる」との声が台湾国内で上がり、6400万円に増額して義援金を送ってくれました。
台湾の人々は、日本に対して深い好意を抱いています。若い世代は日本のアニメに親しみ、日本製品の品質や日本人の勤勉さを尊敬しています。戦前の日本統治時代を知る人々は、その時代を懐かしく思っているといいます。
台湾人の実業家、蔡焜燦氏は著書『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ、胸をはりなさい』でこう述べています。
「日本が台湾に残したもののうち、もっとも偉大なものは、下水道や鉄道などの物質的なものではない。
『公』を顧みる道徳教育などの精神的遺産である」
ところが、現代の日本では、小中学校で道徳を教科化しなければならないほど、道徳心や倫理観の低下が指摘されています。
「リップンチェンシン」は、まさにプライド教育と通じるものがあります。
今の子どもたちに、人としての正しい生き方を、李登輝氏の功績とともに語り継ぎたい――そう強く思います。
【三輪大社(大神神社)】学は一生の大事
「若くして学べば、すなわち壮にして成す。
壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。
老いて学べば、すなわち死して朽ちず。」
「昔はよかった」ばかり言っていると、「発想硬化症」になりかねない。 前向きな人と話をすると、話の内容に未来形が多い。

日本最古の神社の一つとされる三輪大社(大神神社)。そのご神体は本殿ではなく、三輪山そのものです。拝殿から三ツ鳥居を通して、神が宿る山に向かって拝む――古代から続く神聖な祈りの形です。
三輪山は、大物主大神(大国様)が御魂を留めた霊山。昔から「神の宿る山」として崇められてきました。標高467メートルの穏やかな山ですが、登拝には往復で約3時間。社務所で入山の申し込みをし、たすきを掛け、形代で身の穢れを祓ってから山に入ります。
山頂で風に吹かれていると、木々がささやくように音を立てます。
その声がこう語りかけているように感じました。
「家運隆昌のためには、子どもに学をつけること。学は一生の大事だよ」
江戸時代の儒学者、佐藤一斎の『言志四録』のうち『言志晩録』には、こんな言葉があります。
少にして学べば、即ち壮にして為すところに有り。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
若いうちに学べば、壮年期に大きな働きができる。
壮年期に学べば、老いても衰えない。
老いて学べば、死してもその名は朽ちない――。
佐藤一斎は、平均寿命が50歳前後の時代に、80歳を超えてなお筆を執り続けました。
42歳から『言志録』を書き始め、80歳で『言志耋録』を完成させるまで、実に40年。
その情熱は、東京大学の母体「昌平坂学問所」の儒官に70歳で就任したことにも表れています。
「この人物がいなければ、日本の夜明けはなかった」と言われるほどの偉人でした。
門下生には佐久間象山、渡辺崋山、山田方谷らが名を連ね、さらに西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬ら幕末の志士にも大きな影響を与えました。
ところで、血管が詰まる脳梗塞や心筋梗塞、血管が破れる脳溢血――これらの原因は動脈硬化です。
そして、心にも「硬化症」があります。
「昔はよかった」ばかり言っていると、発想が硬直し、未来を閉ざしてしまうのです。
前向きな人の話には、未来形の言葉が多い。
反対に、過去ばかり語る人からは、新しい発想は生まれません。
時代は常に変化しています。過去にとらわれる人は、変化を軽視し、創造的な改善案を生み出せないのです。
だからこそ、佐藤一斎の言葉を今一度、心に刻みたい――
「学び続ける者は、死して朽ちず」。
未来を切り開く力は、学びと前向きな心にあります。
【熊野本宮大社】フェアプレイ
「ノーサイド」のスポーツ、サッカーは、イギリス紳士のスポーツであり、「オフサイド」(姑息なプレー)などを禁止してきた。
常にFairな生き方でありたい。

和歌山県田辺市にある熊野本宮大社は、熊野速玉大社、熊野那智大社とともに「熊野三山」を構成し、太陽の化身とされる三本足の八咫烏(やたがらす)を祀っています。
八咫烏は日本サッカー協会のシンボルでもあり、その三本の足は天・地・人を表すといわれています。
熊野本宮大社から約500メートル離れた旧社地・**大斎原(おおゆのはら)**には、高さ33.9メートルの日本一の大鳥居がそびえています。ここは「神が舞い降りた場所」とされるパワースポット。鳥居の前に立つと、八咫烏とサッカーのつながりに思いを馳せずにはいられません。
サッカーはイギリスで生まれたスポーツです。初期のルールはわずか14条。なぜなら、サッカーは紳士のスポーツであり、細かい規則がなくてもフェアプレーが当然とされていたからです。
その14条の中に「オフサイド」があります。オフサイドとは、相手キーパーを除く守備側選手よりゴールに近い位置でボールを受けること。ゴール前で待ち構えるような行為は、**不公平(Unfair)**として嫌われました。
日本にこのルールが紹介されたとき、Unfairは「姑息」と訳されました。つまり、オフサイドは「姑息なプレー」なのです。
1863年、ロンドンでフットボール・アソシエーションが設立され、世界統一ルールが決められた際、「ペナルティーキック」も採用されました。しかし、イギリスの名門オックスフォード大学とケンブリッジ大学の定期戦では、長い間このルールを採用しませんでした。
理由はこうです。
「私たちは紳士であり、反則を犯してまでシュートを妨げるようなフェアでないプレーは絶対にしない。だからペナルティーキックなど必要ない」
私たちは、目先の勝敗にこだわると、フェア精神を失いがちです。結果として、細かい規則を増やし、自分たちの生活を息苦しくしてしまうのです。
孔子の弟子・曾子が病床で息子に敷物を替えるよう頼んだとき、息子は「重態だから動かせない」と断りました。曾子はこう諭しました。
君子が人を愛するや、徳を以てする。
細人が人を愛するや、姑息を以てする。
人に対して姑息な振る舞いをするのは、真の愛情がないからです。
常にフェアで、誠実な生き方を――それが人としての道です。
【出雲大社】聖地巡礼(レイライン)「親切な青鬼くん」
春分の日か秋分の日に出雲大社を訪れると、太陽が北緯35度22分のレイライン(「地脈」「龍脈」)と呼ばれる「御来光の道」を通り、聖地のつながりを肌で感じる。
四国の中学校では、弘法大師の足跡を巡る聖地巡礼「お接待」学習に力を入れている。

十月は「神無月」と呼ばれますが、それは全国の神々が出雲に集まるからだといわれています。出雲では反対に「神有月」。縁結びの神・福の神として名高い出雲大社は、日本人の心のふるさとともいえる場所です。
天文学的に見ると、春分と秋分の日、太陽が同緯度で昇るとき、出雲大社から東へ――玉造湯神社、大山、下船岡神社、養父神社、元伊勢、竹生島、伊吹山、南宮大社、犬山城、七面山、富士山、寒川神社、玉前神社――これらが一直線に並びます。
これが北緯35度22分のレイライン(御来光の道)。古代から続く「地脈」「龍脈」と呼ばれる神秘の線です。私は春分や秋分の日に出雲を訪れることにしています。聖地のつながりを肌で感じるために。
日本には、これ以外にも不思議なレイラインがあります。
- 伊吹山―伊勢神宮―熊野本宮―伊弉諾神宮―元伊勢を結ぶ「近畿の五芒星」
- 鹿島神宮―皇居―富士山―伊勢神宮―吉野山―剣山―高千穂を結ぶ「夏至のレイライン」
- 金劔宮―新屋山神社―安房神社を結ぶ「日本三大金運神社のレイライン」
- 鹿島神宮―東京スカイツリー―皇居―富士山を結ぶ「東京スカイツリーのレイライン」
- さらに、平将門の首塚を結界で囲むために作られたという「北斗七星形の首塚レイライン」まで――。
測量技術のなかった時代に、これほど精緻に聖地が結ばれていることは、驚きと神秘に満ちています。
最近、「聖地巡礼」という言葉をよく耳にします。文学や漫画、アニメの舞台を訪ねる観光は「コンテンツツーリズム」、映画なら「ロケ地巡り」「フィルムツーリズム」と呼ばれます。
特に「アニメツーリズム」は、内閣府が訪日観光客増加の施策として推進し、地域資源への誘致や消費喚起を目的とした事業にもなっています。
しかし、本来の「聖地巡礼」は、宗教の創始者や聖人に関わる場所、神や精霊と結びつく場所を訪ねる旅です。
その代表が、弘法大師の足跡を辿る四国八十八ヶ所のお遍路。
お遍路には「十善戒」という心構えがあります。
不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見――行いによって、身・口・意の三つに分けられる教えです。
四国、特に香川県の中学校では、この文化を受け継ぐために「お接待」を学ぶ授業を行っています。
「お接待の心でもてなし」を合言葉に、挨拶運動や高齢者施設訪問、地域清掃、ボランティア活動などを実践。
マスコットキャラクター「親切な青鬼くん」とともに、地域に笑顔を広げています。
聖地を巡る旅は、ただの観光ではありません。
そこには、人と人を結び、心を清め、未来へ希望をつなぐ力があります。
出雲の空に昇る御来光を仰ぎながら、私は思います――
「この道は、神と人を結ぶ道であり、私たちの心を結ぶ道なのだ」と。
【倉敷美観地区・大山記念館】勝負は日常心にある。
人生は勝つか負けるかの勝負の連続、『忍』をモットーとし、『七転八起』を座右の銘として戦ってきた。
「勝負は日常心にある。」

岡山県の倉敷美観地区。文化財に指定された伝統的な建物や柳並木が続く街並みは、レトロモダンな風情に満ち、歩くだけで心が癒されます。時折、ふらりと訪れたくなる場所です。
倉敷が生んだ偉人といえば、将棋界の巨星 大山康晴名人でしょう。
大山名人は数多くの著書を残しましたが、その一冊『勝負のこころ』には、こんな言葉があります。
「いつも私は『忍』をモットーとし、『七転八起』を座右の銘として戦ってきた。
その結果が、優勝百十回という記録を作ることとなった。
記録は意識して作るものではなく、一つ一つの積み重ねが結果として大記録となったのだと私は思っている。」
さらに、こうも語っています。
「勝負は日常心にあると私は思う。
ふだんのトレーニングを怠って、いざ勝負の場に臨んで力を出そうとしても成功するものではない。
小さなことの積み重ねが、その人の実力となってあらわれる。
長い勝負の生活の体験から、私はそう信じている。」
名人を失ったとき、大山氏は一日100本吸っていた煙草を断ち、ゴルフもやめました。
「一瞬の決断を迫られる将棋に、ゴルフは不向き」と考えたからです。
毎日がトレーニングの連続。食事にも気を配り、常にコンディション作りに努めました。
人生は勝負の連続――白黒がはっきりするものも、そうでないものもあります。
しかし、勝負に勝つ秘訣は、日常心にあると彼は言います。
大山氏は、こんな言葉も残しています。
「同世代の仲間のうちで、私だけがずば抜けた才能に恵まれていたのではない。
むしろ逆であって、ずば抜けた天才でなかったから、長く名人の地位にとどまることができたのだと思う。」
弟子への指導についても、こう語ります。
「弟子には手をとって教えないが、疑問には答えてやる。
自分で学ぼうとする姿勢には、師匠として力を貸してやる。
…褒め方は、非難することより難しい。
褒めてやることが、その人の実力を過大評価するものなら、害こそあれ、益はない。
その人は力を過信して、いつかは化けの皮がはげる。
そういう褒め方なら、褒めない方がその人のためになるだろう。」
なお、日本の将棋界に最も貢献した棋士といえば、升田幸三氏でしょう。
戦後、GHQは日本の武道や歌舞伎、剣術映画、さらにははり灸までも「危険な文化」と見なし、禁止しようとしました。当然、将棋もその対象でした。
GHQに呼び出された升田氏は、こう答えます。
「チェスこそ、捕虜の虐待である。
将棋は常に全部の駒が生きている。
これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想だ。
しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせるのだ。」
缶ビール片手に、尋問どころか5時間以上も説教を垂れたといいます。
そして、将棋は生き残ったのです。
【広島・原爆慰霊碑】背中で語る。
広島平和記念公園慰霊碑「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」の言葉には主語がない。日本は「和」を大切にしてきた国である。
リーダーであるべき者は、「背中で語る」という姿勢を持たなければならない。

広島の平和記念公園にある慰霊碑には、こう刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから。」
初めてこの言葉を目にしたとき、私は「はっ」としました。
なぜなら、この言葉には主語がないからです。
「過ちは繰返さない」と誓っているのは誰なのか――それは、原爆を落としたアメリカだけでも、真珠湾を攻撃した日本だけでもありません。
誰の過ちかを問わず、静かに誓う。
それが、日本語の特徴であり、日本文化の深い発想なのです。
カナダ・モントリオール大学で長年日本語科の科長を務めた金谷武洋先生は、著書『日本語に主語はいらない』で、この慰霊碑についてこう述べています。
「犯人探しをするのではなく、誰を攻撃するのでもなく、『過ちは繰返さない』と共感して誓う――それが日本文化の心である。」
金谷先生は、これまで約300名の学生を日本に留学させてきました。
学生たちは、日本語を学ぶと、性格が穏やかになり、人との接し方が柔らかくなって帰ってくるといいます。
日本語には、人を優しくする力がある――これを「タタミゼ効果」と呼ぶ人もいます。
「タタミゼ(tatamiser)」とは、フランス語で「畳」を動詞化した造語で、「日本人っぽくなる」「日本びいきになる」という意味です。
卒業式が終わった学校には、在校生だけの静かな時間が訪れます。
上級生の教室が空っぽになり、少し寂しさを感じる校舎で、下級生たちはこう思います。
「さあ、僕たち、私たちも先輩になるんだ!」
直接言葉を交わさなくても、卒業した先輩たちの思いは、確かに残っています。
そう、先輩たちは**「背中で語って」**旅立ったのです。
この「背中で語る」という表現も、日本語ならではの美しい言葉です。
日本語は世界でも難しい言語といわれますが、日本語でしか表せない深い意味があります。
日本は、古くから「和」を大切にしてきた国です。
外国の人でさえ、日本語に触れると、自然に優しく穏やかになるといいます。
これから先輩になる在校生たちには、ぜひこう願います。
「背中で語れる先輩になってほしい。」
そして、この姿勢は、学校の先生、会社の上司、家庭の親――
すべてのリーダーに求められる資質です。
言葉よりも、行動で示す。
背中で語る――それが、人を導く本当の力なのです。
【善通寺】どんな数字もリスペクト
数字の好き・嫌いを言わない方がいい。
子育ての中で、食べ物の好き・嫌いを言う子供は、勉強の教科の好き・嫌いが出てくる。さらに、人の好き・嫌いも激しくなる。好き・嫌いを作ることで、人との出会いや自分の可能性を狭くしてしまう。

香川県善通寺市にある善通寺は、「お願い事が善く通る寺」として知られ、厄除け、家内安全、身体健康、交通安全、合格祈願など、さまざまなご利益があるといわれています。さらに、火のエネルギーが強いパワースポットとして、金運、縁結び、商売繁盛にもご利益があるそうです。
そして何より、ここは弘法大師・空海の御誕生所として名高い寺です。
空海は真言宗の開祖であり、書の名人、言語能力、土木建築の知識、ビジネス感覚――あらゆる分野で卓越した才能を発揮した、日本史上屈指の天才でした。
善通寺を訪れると、そんな空海がどのように育てられたのか、思わず想像を巡らせてしまいます。
ところで、日本では「四」という数字を「死」を連想して嫌う人が多く、西洋ではキリストが亡くなった日の「13」を忌み数とする人がいます。
しかし、数字には本来、それぞれ意味があります。
例えば「四」は、東西南北の四方、火・風・水・土の四元素、人の喜怒哀楽、文章の起承転結――あらゆる場面で使われる数字です。
直線で囲まれた安定した形を示すことから、「完全」「固定」「秩序」を象徴します。
「13」はどうでしょう。
「1」の持つ行動力や統率力と、「3」の持つ無邪気さや躍動感が合わさり、「強いパワー」「大きな権力」を示す数字だといわれます。
「18」は、日本では「十八番(おはこ)」として縁起の良い数字。
「1」のスタート、「8」の無限大、「9」の完結から、「力強いまとめ役」「すべてを統括する力」を意味します。
こう考えると、数字に好き嫌いを言うのは、もったいないことです。
子育てでも同じです。
食べ物の好き嫌いが多い子は、勉強の好き嫌いが出やすく、やがて人間関係にも影響します。
「嫌いだから仕方ない」と思うかもしれませんが、好き嫌いを作ることで、人との出会いや自分の可能性を狭めてしまうのです。
特に若い人には、好き嫌いを言わず、何事にも挑戦する姿勢を持ってほしいと思います。
空海は、仏教の発展に尽力しただけでなく、教育機関を設立し、四国に讃岐うどんを広めるなど、日本文化の発展に大きく貢献しました。
きっと空海には、好き嫌いという言葉はなかったでしょう。
幼い頃から、数字も食べ物も、人も――すべてを愛し、慈しむ心で育ったのだと思います。
【高知市・桂浜】日本人なら「ソーラン」で元気に!
1954年、高知でよさこい祭りから端を発したYOSAKOIが開催され、1992年、札幌でYOSAKOIソーラン祭りが開催されて以降、全国各地でYOSAKOIが開催されている。
今やニュージーランド人が「ハカ」を踊れるように、日本人なら「ソーラン」を踊れるという時代であり、YOSAKOIは日本文化である。

高知県高知市、太平洋に面した桂浜。
古くから月の名所として知られ、荒波を見つめる坂本龍馬の銅像が立つこの地は、訪れるたびに胸が熱くなり、なぜか武者震いがします。ここに立つと、不思議と力が湧いてくるのです。
そして、高知といえば「よさこい節」。
1954年、高知で始まったよさこい祭りから生まれたYOSAKOIは、1992年に札幌で「YOSAKOIソーラン祭り」が開催されて以来、毎年3月から11月にかけて全国各地で踊られています。
YOSAKOIが全国に広まった背景には、二つの出来事があります。
一つは、校内暴力で「日本一荒れた学校」と呼ばれた北海道・稚内南中学校。
学校再建のため、教師と生徒が一体となって考案したのが「ソーラン」でした。
1992年、歌手・伊藤多喜雄さんのソーラン節と舞踏家・春日壽升さんの協力で、現代風ロック調にアレンジされた**「南中ソーラン」**が誕生。翌年、全国民謡民舞大会で日本一に輝きます。
この実話は、斎藤耕一監督の映画『稚内発「学び座」―ソーランの歌が聞こえる』として世に知られました。
もう一つは、1979年から放映されたテレビドラマ**「三年B組 金八先生」**。
このドラマが、学校教育と踊りの結びつきを強く印象づけました。
当初、ソーランは「荒れた学校の踊り」「茶髪の不良」というイメージがあり、私は少し距離を置いていました。
しかし、中学校の体育大会で生徒たちが踊る姿を見て、娘が大学でよさこいサークルに入るのをきっかけに、全国のYOSAKOIを見に行くようになりました。
今では、すっかりYOSAKOIファン、追っかけ隊の一員です。
2002年、文部科学省の派遣でニュージーランドに教育視察に行ったときのこと。
ネーピア市の教育委員会との懇親会で、互いの国の文化を披露し合うことになりました。
ニュージーランド側は、先住民族マオリの戦闘の踊り**「ハカ」を披露。
日本側は何を踊るべきか――議論の末、私たちは「南中ソーラン」**を踊りました。
その瞬間、日本の踊りが世界に誇れる文化だと、心から感じました。
YOSAKOIには「総踊り」という時間があります。
出演者だけでなく、見学者も一緒になって踊る時間です。
かつては「南中ソーラン」が中心でしたが、今では各地のオリジナル曲が踊られ、ネット動画で事前に覚えて参加する人も増えています。
今やYOSAKOIは、日本文化の一部です。
ニュージーランド人が「ハカ」を踊れるように、日本人なら「ソーラン」を踊れる――そんな時代が来ています。
小さな子どもから大学生、社会人まで、幅広い世代が参加するYOSAKOI。
北海道大学のサークル「縁」の赤ふんどし姿の元気な踊り、
「にっぽんど真ん中祭り」を連覇した大阪の社会人チーム「嘉們-KAMON-」――
その迫力と笑顔は、見るだけで心が熱くなります。
コロナ禍で一時は下火になりましたが、これから再び、YOSAKOIは日本を元気にする力になるでしょう。
【幣立神宮(日の宮)】平和の祭典「オリンピック」
「参加することに意義がある」現在のオリンピックは、古代オリンピックの精神を引き継いだ、平和を願う人類の精神が体現されたイベントのひとつと捉えることができる。

九州のど真ん中、熊本県上益城郡山都町に鎮座する幣立神宮。
「日の宮」「剣神社」とも呼ばれ、日本最古の神社の一つと伝えられています。ここには、万物の親神である大宇宙大和神が日本で唯一祀られ、太古からのエネルギーと宇宙からのエネルギーを同時に受けられる聖地です。
境内には「ここに高天原があった」という伝承が残り、社宝として五色神面が奉納されています。
五色とは、赤・白・黄・黒・青。
赤人はユダヤ人やネイティブ・アメリカン、白人は欧州、黄人は日本や中国などのアジア系、黒人はアフリカやインド、青人は北欧やスラブ系――。
幣立神宮は、民族の起源に関わる場所とされ、古来、五色人を代表する神々が集まり、地球の安泰と人類の幸福、そして世界平和を祈ったと伝えられています。
「人類が仲良くならないと、宇宙全体にヒビが入る」――そんな神の心配から、世界の世直しの神として降臨したという言い伝えもあります。
五色といえば、オリンピックの五輪マークを思い出します。
このマークは「世界は一つ」という理念を込めて作られました。
五色の輪は、青・黄・黒・緑・赤――それぞれの色が大陸を象徴するといわれますが、本質は五大陸の団結を意味します。
近代オリンピックの創始者クーベルタンは、1894年、パリのソルボンヌ大学でこう語りました。
「参加することに意義がある」――スポーツマン精神の宣言です。
1896年、アテネで復興した近代オリンピックは、二度の世界大戦で五回中止され、冷戦時代にはボイコットもありました。
それでも今日まで続いているのは、クーベルタンの掲げたオリンピズムに、多くの人が共感し続けているからです。
フェアなルールで戦い、互いをリスペクトし、称え合う――その姿は、する人も見る人も一体感と連帯感で包みます。
それこそが、世界平和への道なのです。
オリンピックは、古代から続く「平和を願う人類の精神」を体現する祭典です。
幣立神宮で祈られた世界平和の願いと、五輪に込められた理念は、時を超えて響き合っています。
人類が心を一つにすること――それが、宇宙の調和を守る力になるのです。
