「教育」の意味
皆さん、おはようございます。
教育・子育ての難しさとともに、面白さを感じます。
「教育」とは教え、育てると書きます。文字通り、「教え、育てる」という意味です。英語のeducationという言葉を、初代文部大臣の森 有礼が翻訳したとされています。
当時、このeducationの翻訳には、この他に2つの翻訳語が考案されていたそうです。その一つは、大久保 利通が訳した「教化」,もう一つは、福沢 諭吉が訳した「開発」でした。
「教化」とは、教え導くことですが、上からの目線という感じがします。これに対して、「開発」には、子どもの自主性を尊重する視線を感じます。教え込ませるのか、自ら学ばせるのかの違いといっていいでしょう。本来、educationの元になったラテン語には、内にあるものを「引き出す」という意味がありますから、諭吉の翻訳の方が近いように思います。
多くの先人たちが「教育」について、その意味を端的に述べています。
アメリカ・思想家 エマーソン
「教育の秘訣は、生徒を尊敬することにある。」
イギリス・政治家 ディズレリー
「いかなる教育も、逆境に及ぶことなし。」
日本・思想家 福沢 諭吉
「教育は、すなわち人に独立自尊を教えて、これを躬行(きゅうこう)、実践するの工夫をひらくものなり。」
フランス・詩人 ルイ・アラゴン
「学ぶとは、誠実を胸に刻むこと。教えるとは、ともに希望を語ること。」
日本・軍人 乃木 希典
「人を教ゆるに行を以てし、言を以てせず、事を以てせず。」
イギリス・詩人 スコット
「完全なる教育を子女に残すは最良の遺産。」
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること」
第二次世界大戦中の1943年11月、ストラスブール大学で多くの教授や学生たちが銃殺され、数百名が逮捕されました。大学はドイツによる戦火と弾圧を避けるため、疎開します。
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること」という言葉は、この事実をフランスの詩人、ルイ・アラゴンが「ストラスブール大学の歌」で歌った詩の一節にあります。この日本語訳は日本の詩人でフランス文学者・翻訳家だった大島博光氏のものです。
原文は、” Enseigner c’est dire esperance etudier fidelite”で、「誠実」を「真実」、「希望」を「未来」と和訳している方もおられます。
すなわち、
「学ぶとは真実を胸に刻むこと。教えるとはともに未来を語ること」
です。
原文の単語の意味通りの訳をすれば、「教えること、それは希望・期待を述べること、学ぶこと、それは忠実・誠実を述べること」ということになります。
いずれにしても、教育に携わる教師や子育てをする親にとって、大変意義ある言葉だと思います。
さて、ストラスブール大学というのは、大変、歴史のある大学で、ゲーテやシュバイツァー、最近ではノーベル医学生理学賞のジュール・ホフマン教授らを輩出しています。フランス人は、ストラスブール大学が戦火の中にあっても暴力や強制力に屈することなく、ぶれずに自分たちの教育方針を貫き通したことに、今でも誇りをもっているのだそうです。
また、『ストラスブールの歌』の「教えるとは…」の後には次のような言葉が続きます。
古今の学に通じた教授たち
審判者のまなざしをもった若者たち
君たちはそのかくれ家で
大洪水の明けの日にそなえた
再びストラスブールに帰る日に
苦難の中でこそ、「希望を語ること」、つまり「教える」ことが必要となるのであり、苦難を乗り越えて次の時代を作っていくために、「誠実を胸に刻むこと」、つまり「学ぶ」ことが必要になってくるのです。
日本では、『独立自尊』の教えを広めた福沢諭吉が、
「どんなに世間が騒がしくても、慶応義塾は一日も業を休まず、洋学の命脈を絶やしたことがない。義塾ある限り、日本は世界の文明国である。」
と言って、彰義隊と官軍との合戦の時にも、砲声を聞きながら平然と講義を続けていたといわれています。日本にも、このような気概をもった時代があったのですね。
『子』から『大人』へ
子どもが成長し、大人になるということは、「自立」することです。
「自立」のために、子どもは、次の8つの人間力を身に着つける必要があるでしょう。
「明」: 人の心を楽しくさせる力
「暖」: 相手の身になって考える力
「誠」: 真心を貫く力
「行」: 有言実行の理想に近付く力
「体」: 元気のもととなる力, からだの健康
「心」: 人生をたくましく生き抜く力, こころの健康
「智恵」: 判断力, 創造力, 推理力, 分析力, 感受性etc.右脳に関する本当の学力
「知識」: 記憶力, 理解力etc.左脳に関するいわゆる試験学力
「よく学び、共に生きよう。」
その1.正しく考える。 その2.愛する。 その3.尊ぶ。
「よく学ぶ」
「学ぶ」ことの本来の意味は、①真を習うこと,②慎み深いこと,です。
つまり、「学ぶ」と姿勢には、Modesty (慎み深さ)が必要であり、そのためには、人の話を慎み深く最後まで聞く姿勢を身につけさせることが大切です。
「論語」に、孔子が弟子の子路に「六言六蔽(りくげんりくへい)」という言葉を述べたことが記されています。
これは、人が持つ「六言」という六つの徳(仁・知・信・直・勇・剛)は、学問や人格修養を怠れば、「六蔽」という六つの弊害を生むということです。
すなわち、
思いやりを好んでも、学問を好まないと、愚か者になる。
知識を好んでも学問を好まないと、ただの雑学になる。
誠実を好んでも学問を好まないと、盲信してしまう事になる。
正直さを好んでも学問を好まないと、偏屈になる。
勇気を好んでも学問を好まないと、乱暴者になる。
剛毅を好んでも学問を好まないと、狂乱に陥ってしまう。
と説いています。 原文は次の通りです。
好仁不好學、其蔽也愚
好知不好學、其蔽也蕩
好信不好學、其蔽也賊
好直不好學、其蔽也絞
好勇不好學、其蔽也亂
好剛不好學、其蔽也狂
「共に生きる」
「人」は一人で生きていけません。「共学」「共創」「共育」を通して、「共生」することを教えないといけません。
そのためには、人とどのようにうまくやっていくかという「人間関係処理能力」を身につける必要があるでしょう。
いい人間関係を築くコツは、次の4つです。
①ゆとりのある心を持つ。
②他人と比較しない。
③お互いに距離をおいて接する。
④他を先にする心を持つ。
「正しく考える」
大塚グループの育ての親、大塚 正士さんが「人生は正しい判断が全てです」と述べています。世の中、「殆ど正しい判断をする人」と「しばしば判断を誤る人」とに二分化しています。
「殆ど正しい判断をする人」に共通しているのは、豊富な情報をもち、「正考」する人であることです。
「正考」する人間は、「正考」する人を求め、そういう人からいろいろと学ぶので、「成功」する確率も高くなります。したがって、「正考」する人を自分の師として持てるかどうかが、人生の成否の分かれ道といっても過言ではないでしょう。
ただし、「師」と仰げる人というのは、必ずしも有名な人や年輩者であるとは限りません。
「賢者は愚者にも学ぶが、愚者は賢者にも学ぼうとしない」といわれます。いろんな人から、学ぶ姿勢を持たなければならないのです。
「愛する」
イギリス美術評論家で、社会思想家のジョン・ラスキンは、「宗教はたくさんあるが、道徳はひとつのみである」There are many religions, but there is only one morality.と述べています。
自分自身を愛する気持ちがあってこそ、人として生きる意味が生まれます。自分の生の尊さを自覚できないで人が他人を大切にすることはできないでしょう。勇気も克己心も、慈しみも感謝の気持ちも、自分を愛しているからこそ生じることです。
「愛する」ということは、そのものの「存在」を認め、「思いやり」と「優しさ」の心を持つというでもあります。
「尊ぶ」=プライド
『限りなく透明に近いブルー』の著者、小説家であり、映画監督・脚本家の村上 龍が、「絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、『プライド』である」と述べています。
「尊ぶ」というのはカタカナでいうと「プライド」です。しかし、英語の“pride”とは、少しニュアンスが違います。Pride goes before a fall.(驕る者、久しからず)という諺にあるように、英語のprideには、「自負」や「誇り」という意味もありますが、「高慢」,「うぬぼれ」という意味が強いのです。
「プライド」とは、「自分は値打ちのある、すぐれた人間だと思う気持ち」であり、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」である『思考力』と、「自ら律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性」である『愛』の要素の融合体であると考えられます。自尊心を持っていない人は、自分を粗末にし、結局、自分を不自由にしてしまうでしょう。
教育は「人」なり
子どもをeducationするには、忘れてはならない大切なことが2つあります。
その一つは、「手本になる」ということです。教育学者の斎藤 孝氏は、「教育という営みは、『憧れの伝染』である」と述べています。先生と生徒に限らず、親と子も,先輩と後輩も,上司と部下も,感化されて見習うものなのです。人を教育する立場にある人は、常に自ら学び続けるということが大前提です。スポーツの世界には、監督やコーチを戒める「人は学ぶことをやめたとき、教える資格を失う。」という言葉がありますが、学ぶ手本を示してこそ、本当に学ぶ意欲を引き出せるのです。
そして、もう一つ、教育の根幹に不可欠なものは、「愛」です。愛に欠けた教育は、共感を持って受け入れられることはありません。ただし、身勝手で盲目的な愛情の押しつけでは、マイナス効果です。自制的で調和のとれた愛情、すなわち「愛和」の心が大切です。
アルバート・アインシュタイン(ドイツ理論物理学者)
「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。」
ラルフ・ウォルドー・エマーソン(アメリカ思想家・哲学者)
「すべて忘れてしまって残ったものが教育である。」
オスカー・ワイルド(アイルランド詩人)
「教育は結構なものである。
しかしいつも忘れてはならない。
知る価値のあるものは、すべて教えられないものだということを。」
太宰治(小説家)「正義と微笑」
「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。
勉強しなければいかん。」
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