皆さん、おはようございます。
「三学戒」
江戸時代の儒学者、佐藤一斎の著書「言志四録」のうち『言志晩録』に、「三学戒」という教えが載っています。
若くして学べば、すなわち壮にして成すところにあり。
壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。
老いて学べば、すなわち死して朽ちず。
青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。
壮年時代に学べば、老年に なって気力が衰えない。
老年時代に学べば、死んでもその人望は朽ちない。
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東洋思想家で「昭和の時代の宰相の知恵袋」と称された安岡正篤も「三学戒」の教えを広めています。
佐藤一斎の著書「言志四録」のうち、「言志録」は42歳~53歳までの11年間、「言志後録」は57歳~67歳までの10年間、「言志晩録」は67歳~78歳までの11年間、そして、「言志耋録(てつろく)」は80歳~82歳までの3年間で書いています。
平均寿命50歳前後のこの時代にあって、すさまじいパワーだと感心せざるを得ません。
湯島聖堂
1690(元禄3)年、5代将軍、徳川綱吉が神田の湯島に聖廟を建てました。これが「湯島聖堂」で、孔子の生地である「昌平郷」に因んで、「昌平坂聖堂」とも称されました。
それからちょうど100年後の1790(寛政2)年、老中松平定信による寛政の改革で「寛政異学の禁」が布かれ、幕府の教学政策として「朱子学」が奨励されます。その一環として、幕府の直轄機関として「昌平坂学問所」(昌平黌)が誕生したのです。
因みに、儒学(儒教)は、孔子や孟子といった賢人の教えから生まれた学問で、朱子学は儒学の一種で、大義名分論という考え方を重視した南宋の時代の朱熹(しゅき)が始めた学問です。
佐藤一斎は、幕府の直轄機関であった「昌平坂学問所」の主宰者で、
「この人物が居なかったら、日本の夜明けは無かったかも知れない。」
と言われるほどの人物でした。
また、昌平坂学問所の儒官となったのは、70歳の時でした。
門下生には、佐久間象山、渡辺崋山、山田方谷らがおり、彼の著書「言志四録」は、その後、幕末の西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬らにも大きな影響を与えたと言われています。
そして、明治維新後、昌平坂学問所は、大学校として存続し、東京大学の母体となり、今は「日本の学校教育発祥の地」とされています。
なお、湯島聖堂には、高さ4.57メートル、重量約1.5トンの世界一大きな孔子の銅像があり、屋根には「鬼龍子」と呼ばれる体に鱗を持つ聖獣の彫刻がおかれています。
(孔子は、身長が9尺6寸、216cmもあり、世に「長人」と呼ばれたたそうです。)
孔子像
鬼龍子
発想硬化症
血管が詰まって血液が流れなくなる脳梗塞や心筋梗塞,もろくなった血管が破れて出血する脳溢血などは、動脈硬化症が原因であることが多いそうですが、「昔はよかった」ばかり言っていると、「発想硬化症」という困った状態になりかねません。
前向きな人と話をしていると、話の内容に未来形が多いことに気付かされます。
反対に、「あの頃はよかった」と昔話ばかり言う人の話からは、新しい発想は生まれてきません。
時代は常に変化しているのであり、過去形の話をしている人は、「よかった時代」の懐古をしているだけであり、「変化する時代」を軽視しているのです。そういう人から、創造的な改善案は生まれないでしょう。
佐藤一斎の言葉を今一度噛みしめたいものです。
若くして学べば、すなわち壮にして成すところにあり。
壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。
老いて学べば、すなわち死して朽ちず。
学ぼうという情熱と意思さえあれば、年齢など何の障害にもなりません。
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