すべて忘れてしまって残ったもの
皆さん、おはようございます。
アメリカの思想家、エマーソンは、「すべて忘れてしまって残ったものが教育である」と述べています。
私たちは、義務教育で9年間、さらに高校や大学も合わせると、10数年間も学校で学んできました。その全てを覚えているわけでなく、ちょっと復習しないと、どんどん忘れていってしまいます。たとえば、中学校で習った因数分解、高校で習った微分、積分・・・、漢字や英単語も普段から使っていないと、なかなか思い出せません。
しかし、いろいろと忘れていっても、最後に残っているものが本物の教養であるといえます。教師や親は、そういうものをしっかりと教えなければならないと思います。
教養として残っていることとは・・・
私自身のことを少し・・・。
私は小学校3年生の時、音楽指導に熱心な担任にあたり、「僕の白い小鳥」という歌を音楽発表会で歌いました。その歌声があまりにも素晴らしかったので、市の連合音楽祭にそのクラスだけ出演することになったのですが、どういうわけかクラスで私を含む5人だけ、「歌が下手だ」という理由で連れていってもらえませんでした。
それ以来、私は歌が大嫌いになり、合唱では口をあけることができませんでした。
ところが、小学6年生になって、音楽専科のY先生から、たくさんの素晴らしい歌を教えていただきました。
Y先生の口癖は、『くちびるに歌を!』でした。
文化発表会で、映画「はるかかなたに」の主題歌「心さわぐ青春の歌」を歌ったことは今でも忘れることが出来ません。
僕らにゃ ひとつの 仕事があるだけ 自由の国ひらく仕事がひとつ
雪と(や)風 星の飛ぶ夜も 心いつも 彼方を目指す
君と僕ふたり 励まし合いながら 結んだ友情 いつまで続く
雪と(や)風 星の飛ぶ夜も 心いつも 彼方を目指す
歩ける限りを 見通す限りを 力ある限り 僕らは行こう
雪と(や)風 星の飛ぶ夜も 心いつも 彼方を目指す
時には君も 恋をするだろう 恋人も一緒に 君は進むだろう
雪と(や)風 星の飛ぶ夜も 心いつも 彼方を目指す
静かな夜にも 心許すなよ 仕事なし遂げた 栄えある日まで
雪と(や)風 星の飛ぶ夜も 心いつも 彼方を目指す
文化発表会でこの歌を歌いながら、「明日を夢みて頑張ろう」という思いで、体が震えたことを覚えています。
その後、私は歌が好きになり、中学3年生の時はコーラス部に所属し、文化祭で30分間の13組曲「お母さんのバカ」を熱唱しました。さらに、念願だった市の連合音楽祭にも出演できたのでした。
つらい時、悲しい時、苦しい時、歌で救われることだってあると思います。音楽専科のY先生に教えていただいた「くちびるに歌を!」は、今も私の教養となっています。
もちろん、これまでの小学校・中学校・高校・大学の中で、涙を流すほど感動した体験はたくさんあります。そのいずれもはっきりと覚えています。
考えてみると、教養として残っていることは、すべて感動した体験なのです。
「感動の数だけ幸せがある。」
「感動」は人を変え、「笑い」は人を潤し、「夢」は人を豊かにします。
感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人間だけでしょう。
精神科医で随筆家の斎藤茂太氏は、「感動こそがストレスに負けない最大の秘訣。そして、長生きのコツでもある」と述べています。
また、悪性新生物(癌)、心疾患、脳血管疾患の三大「成人病」を「生活習慣病」という言葉に提言された、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生は、「いまの社会は『運動不足』より『感動不足』のほうが深刻」と述べておられます。
一日1回でも、感動的な場面に出会えるようにするには、いつも心に“カメラ”を持っておいて、フォトジェニック(インスタ映え)にする場面を見つけようと心掛けることです。
外に出たら、ちょっと立ち止まって空を眺めてごらんなさい。
雲が何かの形をして、語りかけてくれるかもしれません。
月や一番星を見つけることだったあるでしょう。
道を歩けば、道端の草花や生き物に感動することがあるかもしれません。
また、人に会ったら、目の奥を見てみてはどうでしょうか。新しい何かの発見があるかもしれません。
そういう感動の積み重ねが、自分を幸せに変えていくのです。
感動体験
大阪府交野市に位置する星田妙見宮、正式な名前を小松神社といいます。日本に残る文献の中で、2番目に古い隕石の落下地点として有名です。
816年7月23日、弘法大師が交野地方を訪れ、秘法を唱えた際に七曜の星(北斗七星)が降り、神社のご神体となったと伝わっています。北斗七星はその位置で自分のいる場所がわかるところから、行き先を示してくれる星なので、小松神社の神様は道開きの神様です。
隕石は星田妙見宮の存在する山の多くを削り取ってしまいました。妙見山は馬蹄型になっており、そのすさまじい衝撃を物語っています。
星が落ちた場所と推測されている「登龍の滝」に立つと、
「すべて破壊されても残るものは何だろうか」
「物事の芯にあるものは何だろうか」
「本当に大切にしなければならない核心は何か」
など、深く考えさせられます。
はじめに、エマーソンが「すべて忘れてしまって残ったものが教育である」という言葉を残したと述べましたが、同じようなことを、ドイツの理論物理学者、アインシュタインも述べています。
「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。」
また、日本の小説家、太宰 治は、小説「正義と微笑」の中で、
「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。」と書いています。
子どもを教育するのに、単に学校に行かせればいいのではありません。
東洋思想家で「昭和の時代の宰相の知恵袋」といわれた安岡 正篤は、
「新しい時代を創造するような人物はどうして生まれるかというと、これは知識の学問や技術の学問からは生まれない。やはり、智慧の学問、徳の学問、そういう教育の中から出てくる」と述べています。
学校の教育活動は、子どもに感動を与えるものでなければなりません。
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