皆さん、おはようございます。
福井県を旅してきました。
永平寺で精進料理を頂戴し、県立恐竜博物館や一乗谷朝倉氏遺跡を訪れ、芝政ワールドで遊んで、東尋坊まで足を延ばしました。福井県には観光スポットがたくさんあります。
そして、辰年にあやかって黒龍神に参ったところ、不思議な声が聞こえてきました。
毛谷黒龍神社
福井県福井市に「くろたつさん」と親しまれている毛谷黒龍神社という神社があります。
地の初めに日本の国土を守る神として、国の東西南北の四方位に神が祀られましたが、北を守る神として毛谷黒龍神社の越前黒龍大明神が四大明神の一つとされています。
ちなみに、日本四大明神とは、次の四神です。
北:越前の黒龍大明神(毛谷黒龍神社)
南:紀伊の熊野大明神(熊野三山)
東:常陸の鹿島大明神(鹿島神宮)
西:安芸の厳島大明神(厳島神社)
黒龍大神様は、人間生活の根源である水を司られ、九頭竜川の守護神として創建されました。降魔調伏のパワーを授けてくれる神様で、黒龍の絵には、邪気を祓い、寄せ付けない効果があるそうです。スマホの待ち受けにしたり、絵を飾ったりすると、運気がアップすると言われています。
また、厄除けや生命力の向上、子授け・安産祈願や商売繁盛にもご利益のある神社とされています
境内にある「願かけ石」は願いが叶い、神様の使いとされる蛇が彫られた幸運の「撫で石」を撫でると無病息災や幸運のご利益があり、「厄割り石」は邪気を払ってくれるそうです。
人間が人間として存在し得るには、生命力が大切です。その生命力には、人間にとって欠かせない「体力」「気力」「識力」があります。「力守り」は、そんな力を授けてくれるお守りです。
舟橋黒龍神社
舟橋黒龍神社は毛谷黒龍神社から6キロほど離れた九頭竜川沿い位置する神社で、毛谷黒龍神社の元宮です。
九頭竜川は「黒龍川」とも言われていますが、別名「くずれ川」と言われるほど、水害の多い川でした。今は、治水工事が完了し、氾濫することはほとんどありませんが、川の蛇行が激しい川であることには違いありません。
さて、黒龍神社に祭っている黒龍大神を眺めていると、「国民教育の師父」と言われた教育哲学者の森 信三氏の唱えた「最善観」と、天風会の創始者で、「心身統一法」を普及した思想家の中村 天風氏の「三忽三行」の教えが、もくもくと心の中に浮かんできました。
「最善観」
これは、「わが身に降りかかる一切のこと、それは自分にとって絶対必然であり、また実に絶対最善である」ということです。
自分にとって許せない人であっても、その人との出会いや交流があったから、今の自分があるということもあるでしょう。
自分の身の回りで起こることは全て、一見、不幸な出来事と思っても、別の角度から見つめ直すと「最高」なのです。
インドの昔話を一つ紹介しましょう。
ジャナカ王という王様に、アシュタバクラという家来がいました。
アシュタバクラは、王様から「これをどう思うか?」と尋ねられると、いつも、「起こることは全て最高です。」と答えます。王様は、そんなアシュタバクラを信頼し、そばにおいていました。しかし、この二人の関係に嫉妬する家来がいたのです。
王様が手にけがを負った時のことです。アシュタバクラに嫉妬する家来は、彼に「王様のけがをどう思うかと」と尋ねました。すると、アシュタバクラはいつものように、「起こることは全て最高です。」と答えます。そこで、その家来が「アシュタバクラは王様のけがを最高だと言っていました。」と告げ口をすると、王様は怒って、アシュタバクラを牢屋に入れてしまいました。
その後、王様は、他の家来を連れて、狩りに出かけました。狩りに夢中になっていた王様は、一人で森の奥深くまで入り、別の部族に捕らえられてしまいまます。そして、その部族の儀式で、神様に捧げる「いけにえ」にされそうになったのです。
ところが、王様を捕らえた人たちは、今まさに「王様を火あぶりにしようとした時、王様の手のけがに気づきました。傷があっては「いけにえ」としての価値はないということで、王様は放免されました。
王様は城に帰ると、アシュタバクラのもとに行き、「おまえの言う通り、このけがは私にとって最高だった。」と言って、アシュタバクラを牢屋に入れたことを謝りました。
アシュタバクラはこう言いました。 「王様、常々申しあげているではありませんか。起こることは全て最高だと。もし、私が牢屋に入っていなかったら、狩りの間も王様のそばを離れずにいて、一緒に捕まっていたことでしょう。そうしたら、けがをしていない私は火あぶりになるところでした。ですから、牢屋に入れられたことが最高だったのです。
私たちの生活の中で起こる様々な出来事は、自分にとって都合のよいことばかりではありません。中には、無意識のうちに招いてしまった事態も、直接的には自分の責任ではないものもあるでしょう。そうして直面した事態に悩み苦しむとき、人は視野が狭くなって、「どうして私だけが?」とか「あの人のせいでこうなったんだ」などという被害者意識に陥ることがあります。
そんな時は、ひと呼吸置いて、周りをゆっくりと眺めてみることです。
物事は別の角度から見つめ直すと、必ずプラスの側面を見つけることができます。そうした小さな気づきから、「ありがたい」という感謝の気持ちが芽生えた時、心の中に余裕が生まれ、元気が出てくるのです。
プラスの面に気づくことが多くなればなるほど、「嫌だ」とか「なんで私だけが?」という思いが少なくなり、楽しみや喜びを感じる時間が増えていくことでしょう。そうした心の習慣が、納得できない出来事に遭遇した際も、事実を冷静に受け止めたうえで前向きに対処していける強さをもたらしてくれるのです。
円柱は側面から見ると長方形に見えますが、真上から見ると円に見えます。物事はある面だけで眺めてはいけません。見方を変えれば違うように見えるものです。
これは、人も同じでしょう。ある面からしか見るのではなく、いろいろな角度から見れば、100%いい人間はいないのと同じで、100%悪い人間もいないことに気づきます。
「三忽三行」
中村 天風の誦句の一つで、日々の誓いの唱句で次のようなものがあります。
「誓いの詞」
今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず
正直、親切、愉快に、
力と勇気と信念をもって
自己の人生に対する責務を果たし、
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として生きることを
厳かに誓います。
この「怒らず」「恐れず」「悲しまず」を「三忽」といい、感情に溺れるなということです。一方、「三行」とは、積極的であるために行うべきことで、奨励すべきこととして、「正直」「親切」「愉快」の3つがあげられています。「三忽三行」こそ、積極的な人生を歩む術だというわけです。
しかし、いくら感情に溺れるなといっても、悲しい時や苦しい時もあるでしょう。感情のない人間は、死人も同然です。大切なことは、悲しんだ後は二の念を継がないことです。怒る時は怒り、すぐにその怒りを消し去る,悲しむやいなや、たちまち悲しさを消し去る、このような心機一転の素早さが大切だと思います。
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