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体育授業の「なぜ?」-子どもと保護者からの疑問に答えて-

写真 エジソン
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「問い」は「志」

子どもの学習意欲を高めるには、幼い頃から、「知的好奇心」を育てなさいと言われています。物事に接した時、「なぜだろう」とか「何か変だな」と感じる感性を育てることが重要だというのです。

世界の発明王と言われたエジソンが、幼い頃、いつも「なぜ」という問いを発し、「なぜなぜアル」と呼ばれていたのは有名な話です。

昭和の財政官界の多くのリーダーたちが師と仰いだ陽明学者の安岡 正篤氏は、

絶えず人生に対して、あるいは物事に対して『問い』を持っておれば、必ず人生の師に出会う。問いは志と言ってもいい。すべてに好奇心を持ち、普段より多くのことに関心を持ち、新鮮な疑問を持ち続けておれば、どんなことでも必ず解ける。

と語っています。

「なぜ」という問いに答える。

ある生徒が、生徒指導のベテランの先生に、こんな質問をしに来ていました。

「先生、うちの学校の制服は、なんでネクタイをつけなくてはいけないのですか?」

⇒「さあ・・・? ようわからん。ガクランの学校もあるからなあ・・・。

「じゃ、うちの学校もガクランでもOKにしてくださいよ。」

⇒「うちの学校はネクタイと生徒手帳に書いているだろ! 守らな、あかんのや。

「でも、ベルトは黒色とは生徒手帳に書いていませんよ。」

⇒「うるさいな。もう。つべこべ言わんと、ルールを守れ!

「・・・」

これでは指導とは言わないでしょう。生徒に対して「なぜ」という疑問に対して、理由や原因を答えるのではなく、その意味を教えなければなりません。

制服に関して、ひとつの見解を述べましょう。

大人でも制服を着用しなければならない場合がたくさんあるでしょう。警察官が私服でいいとなったら、誰が警察官の取り締まりに従うでしょうか? デパートでは、店の人なのか買い物客なのか識別しなければなりません。子どもたちにも、TPOに応じた服装をするということを教えておく必要があります。

結婚式や披露宴に呼ばれたら、それにあった服装をしなければならないし、スポーツをする時にはスポーツをしやすい服装にするべきです。

中学生は、朝、制服に着替えて、中学校に行く。制服に着替えることで、今から中学生になり、学校に行って勉強するのだという気持ちにならなければなりません。制服はそのための「ヘンシンスーツ」みたいなものです。ですから、制服をきちんと着用しないというのは、「僕は中学生にはなりきれない」,「学校に行って勉強するつもりはない」と宣誓しているようなものだと説明しなければなりません。

思考する子どもを育てる。

ホームルームで「なぜ、君たちは中学校に来ているのだ?」と問うたところ、何人かの生徒たちから、「成績をあげるため」,「規則を守るため」というような答えがかえってきました。

しかし、「成績をあげるため」だけなら、別に中学校に来なくても、塾や家庭教師をつければいいでしょうし、「規則を守るため」というなら、「間違った規則でも守るのですか?」と聞き返したいところです。第一、中学校は規則を単に守るだけのロボット人間を育てる場ではありません。学校は、子どもたちが、様々な学習と経験を通して、大人に変身する場だと思います。

そのために、「思考する」子どもを育てなければなりません。ただし、同じ「考える」といっても、悪事を考える子どももいますから、「正しく」考えさせることが大切です。考えるということを拒否していたり、フィーリングだけで判断したりする子どもは、進歩がみられず、いつも同じミスを繰り返すことが多いものです。

・・・世界の発明王、エジソンの残した言葉です。

体育授業の「なぜ?」

では、本題です。

体育授業に疑問を持つ子どもと保護者からの質問12です。

体育の授業を受け持っておられる方は、ぜひ、次の疑問に答えてみてください。

1.体育授業で整列する時、なぜ、「前にならえ」と言って手をあげるのですか?

2.なぜ、苦手は鉄棒運動(逆上がり)をしなければいけないのですか?

3.学校で水泳の授業があるのはなぜですか?

4.サッカーのオフサイドのルールはなぜできたのですか?

5.バレーボールはなぜラリーポイント制に変更されたのですか?

6.太っていても、逆上がりや開脚跳びはできるようになりますか?

7.水泳で呼吸がうまくできず目もあけられないのですが・・・?

8.足の遅い私がなぜ短距離走の学習をしなければならないのですか?

9.なぜ、男子もダンスをやらなければならないのですか?

10.ゲームをやりたいのに、なぜ、パスやドリブルの練習に時間をかけるのですか?

11.学力低下が問題になっているのに、なぜ運動会やマラソン大会をするのですか?12.「体操座り」ではなく、あぐらをかいて話を聞いてはいけませんか?

1.体育授業で整列する時、なぜ、「前にならえ」と言って手をあげるのですか?

海外の体育授業をいろいろと調べてみたところ、先進国の中で、平均的に一番きちんと並べないのは、なんと日本の小学生です。集団で動かなければならない時は、秩序正しくきちんと整列した状態でないと、いろいろと無駄が出てきます。災害時や緊急時であった時、集団行動のできない集団は、命を落とすことだってあるでしょう。芸能人にファンが殺到して将棋倒しになって人が死んだりするのも日本に多い事件です。2001年7月21日、明石の歩道橋で花火見学に来ていたたくさんの人たちが亡くなった事件も記憶に新しいと思います。

自由の国アメリカでは、州にもよるでしょうが、日本の生徒よりはるかにきちんと集団行動ができています。軍隊のもっている国では、やはり集団行動にも力を入れています。したがって、きちんと整列するという教育をやっているのです。小中学校で、整列をきちんと教えておくことは、危険回避の観点からいうと、非常に大切な教育だと思います。

しかし、小学校できちんと整列することを教えてもらってこなかった生徒たちに対して、中学校で整列を学ばせるとすると、やはり、そこに理由を添えてやることが大切でしょう。頭ごなしに、「きちんと並べ!」と指導(命令?)しても、反発をくらうだけです。

「前にならえ」は、前の人との距離をとり、次の動作、たとえば、座ったり、走り出したりすることが一斉に行えるようにするためです。ですから、「前にならえ」の次に一斉に座れなかったら、前にならう指導ができていないことになります。時々、「前にならえ」の次に「前の人から順番に座りなさい。」などという指導をしている先生がいますが、邪道だと思います。 「前にならえ」は別に前に手をあげる必要はありません。距離感がわかるようになれば、目測で十分です。しかし、縦だけでなく、横もそろえ、全体を意識して整列できるようになるには、かなりの訓練が必要ですし、多くの人数の場合は手をあげなければ整列することは不可能に近いと思います。

2.なぜ、苦手は鉄棒運動(逆上がり)をしなければいけないのですか?

平成10年の学習指導要領内容3割カットが試案された時、体育部会である女性官僚が、ご自分の小学校時の体育授業で鉄棒の逆上がりができず、悔しい思いをしたという体験談を涙ながらに語り、そのために小学校の学習指導要領から鉄棒運動が削除されたということがありました。その部会に出席されていた誰もが逆上がりが必要だという見識を持っていなかったことが非常に残念でした。

鉄棒運動は「克服型スポーツ」とよばれていたこともあり、覚えるのに多少の苦労が伴います。「できた」という喜びを体験させる教材として非常に有効でしょう。しかし、残念ながら、全員が克服することのできる運動ではありません。肥満の子どもにとっては、なかなかシビアな運動です。また、一度できたからといって、いつまでもできる技ではありません。体型が変わったり、体重が増えたりするとできなくなることもあります。

では、なぜ、逆上がりが必要かというと、それは、「逆さ感覚」という身体操作を身につけることができるからです。逆さ感覚は、倒立運動の基本になります。倒立運動はいうまでもなく、あらゆる器械運動の基本です。数学を学習するのに九九を知っていないと困るのと同じで、逆さ感覚を身につけておくことは、今後の体育学習を行うにあたって、非常に重要な要素だということです。

ここで確認しておかなければいけないのは、逆上がりが重要なのではなく、鉄棒にぶら下がって逆さになることが重要だということです。ですから、逆上がりができる、できないではなく、鉄棒にぶら下がって、足をあげる動作が大切なのです。逆さ感覚という身体操作を身につけることで、身体安全能力が高まり、もしかすると、ものごとを一方的に見るのではなく、反対方面からみることのできる幅の広い考えをすることのできる人間を育てることに一役を担うかもしれません。

ちなみに、逆上がりはやはり幼いころからやっておいた方が覚えも早いです。幼児期の親子のスキンシップの中で、親の手を持たせ、くるりんパッをやっていれば、大丈夫です。

3.学校で水泳の授業があるのはなぜですか?

日本人は国土の四方を海に囲まれ、川も多いので、昔から水に親しんできた民族です。水難事故を少なくするためにも、泳げるようになっておくことは大切でしょう。ひと昔は、臨海実習なども盛んに行われていました。

しかし、現代の子どもに、海や川で泳いだり、マリンスポーツを楽しんだりするために、水泳を覚えておきなさいといっても、あまり学習意欲を喚起するにつながらないでのはないでしょうか。

水泳は全身運動であり、生涯スポーツとして楽しむことができます。リハビリにも利用されていますし、健康維持やストレス解消の一方法としても、非常に有効な運動です。水に親しむということは、自分の人生を豊かにすることができるのです。

なお、「泳げない」と言う人がいますが、鉄棒の逆上がりはどうやってもできないケースがあるのに対し、水泳は浮力を使うのでどんな人でもできます。きちんと順序を追って指導すれば、必ず、泳げるようになります。昔は、誰でもお母さんのおなかのなかで泳いでいたのですから・・・。

4.サッカーのオフサイドのルールはなぜできたのですか?

サッカーが球技として生まれた頃は、たった14ヵ条のルールしかありませんでした。なぜなら、サッカーはイギリス紳士のスポーツであり、たくさんの細かいルールなんかを作らなくても、フェアにプレーするのが当たり前とされていたからです。

オフサイドのルールは、その14条に書いてあり、古くからあるルールです。相手キーパーと1対1の状況にあっては、シュートする側が有利になることから、最初からボールを追わずにゴール前にいるような行為をUnfairなプレーとして反則としたのです。

ところで、1863年、世界フットボール協会ができ、世界統一ルールが決まられた時に「ペナルティーキック」のルールが採用されました。しかし、イギリスでは、名門のオックスフォード大学とケンブリッジ大学の定期戦において、世界統一ルールが決められてからも、長い間、このペナルティーキックというルールを採用しませんでした。

その理由は、「私たちは紳士であり、ゴールエリア内外を問わず、シュート態勢に入ったプレーヤーに対して、反則を犯してまで邪魔をするようなFairでないプレーは絶対にしない。従って、ペナルティーキックなどというルールは必要がない。」というものでした。

イギリスでは、バスの中で、5歳くらいの幼児でも、「僕は紳士だ」と言って、椅子に座らずに頑張って立っているのだそうです。イギリスでは不文法も多く存在します。そういうイギリス文化を学ぶ機会にしたいものです。

5.バレーボールはなぜラリーポイント制に変更されたのですか?

6人制バレーボールは、長い間、サイド・アウト制の15点マッチで行われていました。サーブ権のある時にポイントしないと点数にならないので、接戦しているように見えても、サーブ権をとるだけで点数が入らないなんてこともよくありました。

サイド・アウト制からラリー・ポイント制に変更した理由は、次の4つが考えられます。

 (1)従来のラリー・ポイント制では、試合時間が長引き、連戦になると選手の疲れが激しく、健康管理上の問題がある。

 (2)試合時間の長短に幅がありすぎ、第2試合以降の開始時間が不明瞭になってしまって、試合の運営面で問題があった。

 (3)試合時間に長短の幅があると、テレビ放映上、放映枠が取りにくいため、90~120分で1試合が終わるように工夫して欲しいとの強い要請がマスコミ関係者からあった。

 (4)ルールを知らない人にとっては、サーブ権にサーブ権によって得点が入ったり、入らなかったりするのが分かりづらかった。

 (3)(4)は、メディアや見る人の利益のために行われたもので、どちらかというと(1)(2)より強かったと言われています。スポーツにメディアの存在を無視しては考えられないのです。

6.太っていても、逆上がりや開脚跳びはできるようになりますか?

太り過ぎではできません。逆上がりや開脚跳びを始めるのは、小学生の時期までです。

この頃に太っているというのは、病気でもない限り、食生活の改善を優先しなければなりません。

7.水泳で呼吸がうまくできず目もあけられないのですが・・・?

呼吸について・・・・人間は水中で呼吸をすることは不可能ですから、鼻・口を水面に出している間に呼吸することになります。その時のコツは口から空気を「パッ」と言って吐き出すことです。空気を吸おうとすると水を一緒に飲んだりすることになり、危険です。

目をあけること・・・水中で目を無理にあける必要はありません。ゴーグルを使いましょう。

最近のプールは塩素も強く、水中で目をあけると充血するなど、トラブルも多くあります。オリンピック級の競泳の選手でも、水中で目をあけることができない選手もたくさんいます。

8.足の遅い私がなぜ短距離走の学習をしなければならないのですか?

足が遅いか速いかは、比較の問題なので、何も気にすることはありません。ある集団の中では短距離走のタイムが遅いと思っていても、別の集団では速い方に入る場合もあるでしょう。

短距離走の学習は、人と比べることではなく、いかに現在の自分の走力を伸ばすかに焦点があてられています。

9.なぜ、男子もダンスをやらなければならないのですか?

我が国では、長い間、ダンスは女子の教材とされてきましたが、男女参画共同社会にあって、それは無意味なことです。

ダンスには高い教材価値があります。特に創作ダンスは、自己表現力を高まることに、有効です。

競技の世界では、男女差を考慮して別々に競技を行いますが、男女が一緒にできるものについては、互いの違いを認めながら一緒にしようというのが、今後の考え方です。

10.ゲームをやりたいのに、なぜ、パスやドリブルの練習に時間をかけるのですか?

サッカー・バスケットボール・バレーボールなど、チームで行うボールゲームの基礎技術は「パス」です。

パスには、①ボールを運ぶ,②ズレを作る,③相手の裏をつく,という3つの機能があります。これらの機能を生かしてゲームが楽しめるわけです。

ちなみにドリブルは自分へのパス,シュートはゴールへのパスと考えることができます。

バレーボールの場合ですと、トスはアタッカーへのパス,サーブやスパイクは相手コートへのシュート(パス)と考えることもできます。

このように、チームで行うボールゲームは、全て「パス」でなりたっているのです。

もっとも、パスやドリブルを身につけるのに、単調な練習を行うのではなく、ゲームを取り入れながら、楽しくできるように工夫したいと思います。

11.学力低下が問題になっているのに、なぜ運動会やマラソン大会をするのですか?

まず、学校は人格の完成を目指して教育活動の行われる場であり、そのために学校行事を欠くことはできないということです。

また、全人的な教育を推進するためにも、学力は5教科のペーパーテストの得点だけで評価されてはなりません。学校行事を通しても評価されなければならないのです。

学校行事の中には、体育・スポーツに関連する行事がたくさんあります。義務教育段階で全ての子どもたちに保障しなければならないのは、「スポーツをする力」でしょう。そして、それは、「わかる」ことを土台にして、身につけさせる必要があると思います。また、技術が「わかる」,「できる」に加えて、スポーツの文化的・歴史的な認識が欠かせません。

したがって、「体育の学力」は、「スポーツをする力(スポーツ実践の学力)」,「スポーツを見る力(スポーツ批評の学力)」,「スポーツを変える力(スポーツ改革の学力)」の3つの視点から捉えることが重要です。特に「スポーツを変える学力」は、スポーツ教育が最も大切にしなければならない学力と考えます。

そのために、子どもたちが企画・運営しながら、運動会やマラソン大会を成功させるようにします。

12.「体操座り」ではなく、あぐらをかいて話を聞いてはいけませんか?

ダメです。

腰をおろして休む姿勢、すわなち「体操座り」は、立って指示をする人を顔をあげて聞く姿勢をとるということです。あぐらをかいて座っている生徒は、「僕(私)は今、立って話をしている人の聞く気がありません。」ということを身体表現しているのです。当然、注意を受ける行為です。

東アジアの国内紛争の絶えないある国では、子どもたちを座らせると、膝を立てて、いつでも逃げる格好で話を聞いています。体操座りは、平和な国で、人の話をきちんと聞く姿勢なのです。

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