石鎚神社
皆さん、おはようございます。
愛媛県にある西日本最高峰の石鎚山は、日本七霊山にもあげられています。石鎚山の麓から山頂までに、「口之宮 本社」「中宮 成就社」「土小屋遥拝殿」「奥の宮 頂上社」の四社があり、総称して石鎚神社と呼んでいます。
石鎚山は真言密教の開祖・弘法大師(空海)が修行した山で、山伏の山籠もり修行の霊山としても知られています。石鎚山の山伏に身体の不調を伝えると、石鎚の薬草を煎じて飲むように言われ、数日で体の調子が治ったという不思議な経験をした人が多数いるそうです。

ある年の初夏、石鎚神社に行ってみました。麓にある「口之宮 本社」でも、小高い丘の上にあるので、西条市の町並みや瀬戸内海、しまなみ海道の展望が十分に楽しめます。

中腹七合目あたりには、「中宮 成就社」があります。ロープウェイに乗れば、幼い子どもや高齢者だって行けるというので、参拝することにしました。

成就社から少し歩くことになりますが、標高千五百メートルのところには「土小屋遥拝殿」があります。どうせ行くなら、足を延ばそうと行ってみようと参拝しました。すると、石鎚山の頂上や愛媛県東部の町並みなど、素晴らしい眺望が楽しめます。

もうここまで来たら、標高一九八二メートルの石鎚山山頂にある「奥の宮 頂上社」に行くしかありません。ここには「仁」「智」「勇」の三つのご神徳を表す三体の御神像が祀られています。目の前に天狗岳を望み、そこに広がる三六〇度の絶景は、口で言い表すことができません。四国山地の山々や瀬戸内海、太平洋、九州の地まで見渡すことができました。
不可能を可能にする人
さて、ある学校で教育相談をした時のことです。
A君に、「君は国語ができさえすれば、もっと他の教科の成績も伸びると思うよ」と言うと、「でも、僕には国語の成績をあげるなんて無理です」と答えます。
次にBさんに、「2学期から毎日、家で数学の計算問題を30分ほどやってみたら?」と言うと、「だって、私は、計算はあまり好きじゃないんです」という返事が返ってきました。
そして、Cさんにに、「君は一度、学級委員にチャレンジしてみてはどうかな?」と言うと、「どうせ、私には委員なんて無理です」と答えるのです。
私は思わず、(心の中で)「バカ野郎!」とどなってしまいました。
人間は空を舞う鳥を見て飛びたいと願い、飛行機を発明して空を飛んだのです。美しい月を見て月に行きたいと思い、それを可能にしてきました。不可能を可能にしてきたのが人間の歴史であり、進歩だと思います。それを、最初から、『無理』と言うようでは、『私はもう成長したくない』と言っているのと同じではないでしょうか。親は誰もが子どもの成長を願っています。「その思いを自分から踏みにじるな!」とどなってしまいました。
最近、すぐに「そんな事は私には無理」とか「僕には出来ない」と言い子どもが多くなってきたように感じます。「でも」「だって」「どうせ」という3Dを言う子どもの殆どは、一度や二度、失敗した経験があるからでしょう。いつもより多く勉強してみたけれど、思うように成績が伸びないとか、ちょっと練習を真面目にやってみたけれど、試合に出してもらえないということで、「もう私は駄目だ」と落ち込んでしまっている人がいます。
しかし、これは見方をかえれば、ずいぶん高慢なことだと思います。私たち凡人は、一度や二度の失敗で「もう駄目だ」と言えるほどの人物ではないでしょう。
アメリカ16代大統領アブラハム・リンカーンは、残念ながら、最期、銃に倒れましたが、奴隷解放宣言をはじめ、彼の残した功績は、アメリカの歴史上、忘れることはできません。リンカーンは、様々な職業を転々とした後、弁護士になり、下院議員、上院議員を経て大統領になりましたが、それまでに、失職,ビジネスでの失敗,選挙での落選と、様々な失敗を繰り返しています。選挙だけでも、1832年の敗北に始まり、1938年の議長選挙,1954年と1958年の上院議員選挙で破れています。大統領になるまで、なんと30年近くに渡って、失敗の経験をしているのです。
中国歴史書「史書」の中に、「前事の忘れざるは後事の師」という言葉が出てきます。失敗から何を学ぶかということが、成功の分かれ目だということでしょう。
「古い悲しみに、新しい涙をそそぐな。」とは、古代ギリシア詩人、エウリピデスの残した言葉です。
また、アメリカの教育者マーフィーは、
「失敗は成功の第一歩です。失敗したことを喜びなさい」
と述べています。一度や二度の失敗を恐れずに、不可能を可能にしようとする人に育てなければなりません。
3D言葉
私はこれまで多くの学生と接し、たくさんの「ヘンシン」する姿を見守ってきました。
中には、中学1年生の時にオール2の成績だった子が中学3年生ではオール5になったり、スポーツの苦手だった子が全国大会に出場したり、大きく伸びた生徒たちを思い出してみると、共通点があります。
それは、『人の話を素直な心で最後まで聞ける』ということです。砂に水をまきますと、さぁーと染み込みますが、粘土に水をまいても中まで染み通りません。同じように、素直な心の持ち主にアドバイスをするとどんどん伸びるのですが、すぐに「でも」「だって」「どうせ」という「3D」を言う子には、どんないいアドバイスをしても効果が少ないのです。
また、「○○してはいけない」「●●はやめよ」と注意を受けた時もそうです。すぐにカーッとなってしまうタイプの人、売り言葉に買い言葉で不用意な発言をしてしまったり、中には暴力にはしって人生を棒にふるうような人もいます。人から何か言われると、すぐに、「でも」,「だって」,「どうせ」と『3D』の言葉を発する人は、同じミスを繰り返すことが多く、何をしてもなかなか伸びないものです。
ところが、同じことを聞いても、「この人はなんでこういうことを言うのだろう」,「なぜ、私はこういうことを言われたのだろう」と考えることのできる人は、「辛辣な言葉だけど、言う人も辛いだろうな。これからは慎もう」と、感謝の気持ちで聞くことができます。こういう人は、どんどん伸びていくことが出来るのです。
マラソンの高橋尚子選手に代表されるように、スポーツの世界で一流の選手に共通していることは、優れた指導者がいて、その言葉を素直な心で聞く姿勢がみられることです。素直な心をもった人は、砂に水をまくとさぁーとしみ込むのと同じで、指導がよく入ります。決して同じミスを繰り返すこともなく、すくすくと伸びていきます。
しかし、私も鎚神社を麓から頂上まで巡りながら、自分自身が「でも」「だって」「どうせ」という3D言葉を言いながら登っていました。
3D言葉を言っているうちは、素直な心で人の話を聞くことができません。「ヘンシン」するチャンスを自ら逃しているということなのです。
今後は、「でも」「だって」「どうせ」の3D言葉は禁句として生きていきたいと思いました。
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まとめ
中学時代に大きく伸びた生徒たちを思い出してみると、『人の話を素直な心で最後まで聞ける』という共通点があります。
「でも」「だって」「どうせ」という3D言葉を発する人は、同じミスを繰り返すことが多く、何をしてもなかなか伸びないものです。3D言葉を言っているうちは、素直な心で人の話を聞くことができません。「ヘンシン」するチャンスを自ら逃しているということなのです。
愛媛県にある石鎚山には麓から山頂までに「口之宮 本社」「中宮 成就社」「土小屋遥拝殿」「奥の宮 頂上社」の四社があり、総称して石鎚神社と呼んでいます。これら石鎚神社を参拝しながら、自分自身が「でも」「だって」「どうせ」という3D言葉を言いながら登っていました。
今後は、3D言葉は禁句として生きていきたいと思いました。
