人はなぜ歌うのだろう ???
合唱コンクールの思い出
皆さん、おはようございます。
文化祭間近となり、合唱にも熱がこもってきました。校内に生徒たちの合唱の声が響くこの時期、私は1年で一番、学校らしい時期だと感じています。
今回は、まず、私の合唱コンクールの思い出話から・・・
沖縄戦で看護要員として戦場に動員され亡くなっていったひめゆり学徒隊のことを歌った「ひめゆりの塔」(作詞:山本和夫、作曲:岩河三郎)
これまで中学校で担任した20クラス中、5クラスでこの歌を合唱コンクールで歌ってきました。
最初に歌ったのは、O中学校の合唱コンクールでした。3年生のクラスが「ひめゆりの塔」を自由曲に選び、歌いました。
赤いハイビスカスの花に囲まれ、屋上のシーサーが謎を投げ掛ける。
結果は優良賞、2位でした。当時、3年生は3クラスしかなかったのですが、どのクラスも高レベルの合唱を披露し、甲乙つけがたい状態でした。2位という結果を聞いて、私のクラスの生徒たちは、全員が「悔しい」と言って泣くのです。教室に戻ってからも、涙、涙で、その日のホームルームはできませんでした。
屋上のシーサーよ。日本のスフィンクスよ。
人間は、なぜ、幸せの証人として生きたいのに・・・。
解けぬ永久の謎を、君は投げかかる。
次に勤めたK中学校では、音楽科の先生の意向で、合唱コンクールにはポップ系の軽いノリの感じの曲ばかりが指導されていました。当然、合唱コンクールのレベルは低く、結果を聞いて涙する生徒なんて一人もいませんでした。
世を火に次ぐ激戦だった。
痛ましい、痛ましい沖縄戦。
天は揺らいだ。大地は裂けた。
その底で、乙女たちは、いまわの絶叫を
この世に残して、自らの命を絶った。
1年かけて、音楽科の先生を説得し、翌年の合唱コンクールで、私のクラスは「ひめゆりの塔」を歌いました。この年は、市内の文化ホールを借り切り、全校生で合唱コンクールを実施したのですが、2年生の私のクラスが圧倒的な評価を得て優勝しました。
しかし、3年生を差しおいて2年生のクラスが優勝したということが反省にあがり、その翌年の合唱コンクールは、なんと実施しないということになってしまったのです。
なぜ,なぜか?
そこにスフィンクスの謎の鍵穴が秘められているというのか。
その次の年、やはり合唱コンクールは学級経営においても必要な行事だということで復活しましたが、学年単位で実施し、順位をつけないということで開催しました。しかも、戦争をテーマにした曲は雰囲気が重くなるという理由で、音楽科の選んだポップ系の曲ばかりで実施されました。当然、感動の涙なんて一滴も出ない合唱コンクールでした。
可憐な乙女たちは、悲しみの証人となって、
ひめゆりの塔の中に、今も生きている。
次に勤めたT中学校では、「ひめゆりの塔」を合唱コンクールで3回歌い、2回優勝。最後のクラスでは優勝できませんでしたが、歌った生徒たちも聞いていた生徒や保護者、先生たちも感動で涙を流すコンクールになりました。
最後のクラスの時の合唱コンクールでは、生徒採点を×1倍、学年副担任の先生の採点を×2倍、音楽科教師の採点を×10倍という採点方式でした。生徒や音楽科以外の先生の合計点では優勝していたのに、音楽科教師の採点だけで逆転したということで、悔しい思いをしました。
乙女たちのあの日の絶叫は、この世の悲劇の終りではなかったか。
ああ、悲劇とは、永久に続けられるものであろうか。
合唱コンクールで、クラスに順位をつけることが目的ではないでしょう。順位をつけるのは、競争によって生徒たちがより高いレベルを目指すようにするための一手段です。また、音楽の素人が評価するのと、プロの音楽科が評価するのが違うこともよくある話なので、順位をつけることに、さほど価値があるわけではないと思います。
しかしながら、順位をつけるかつけないかなどということに関係なく、感動のない音楽コンクールなんてのは、全くやる価値がないと思います。
五色に光る、珊瑚の海を後ろして、屋上のシーサーが人間を探している。
無限の謎を投げる人間を探している。
さて、修学旅行などでも訪れる機会の多いひめゆり平和祈念資料館が、2021年6月、新型コロナ感染症による影響の長期化で、経営の危機に直面し、寄付を呼びかけていました。2019年度には49万1345人が訪れたが、2020年度は前年比86%の減少で6万6532人となったそうです。
ひめゆり平和祈念資料館は、ひめゆり部隊に所属していた沖縄師範学校女子部と県立第一女学校の同窓会「ひめゆり同窓会」が設立した博物館で、公的な資金を得ず、入場料で経営費用を賄っていたのだそうです。
私の合唱の思い出
私は小学校3年生の時、音楽指導に熱心な担任にあたり、「逃げた小鳥」という歌を音楽発表会で歌いました。
その歌声が素晴らしかったので、市の連合音楽祭にそのクラスだけ出演することになったのですが、どういうわけか、クラスで私を含む5人だけ、「歌が下手だ」という理由で連れていってもらえませんでした。それ以来、私は歌が大嫌いになり、合唱では口をあけることができませんでした。(よほど、担任の先生に嫌われていたんでしょうね・・・今じゃ、あり得ない話です。)
ところが、小学6年生の時、音楽専科の先生と出会い、その先生から、「小麦色の娘」など、たくさんの素晴らしい歌を教えていただきました。中でも映画「はるかかなたに」の主題歌「心さわぐ青春の歌」は忘れることが出来ません。先生の口癖は、『くちびるに歌を!』でした。
心さわぐ青春の歌 アレクサンドラ・パフムートワによる楽曲
僕らにゃ ひとつの 仕事があるだけ 自由の国ひらく仕事がひとつ
雪と風 星のとぶ夜も 心ひとつ かなたを目指す
君と僕ふたり 励まし合いながら 結んだ友情 どこまで続く
雪と風 星のとぶ夜も 心ひとつ かなたを目指す
歩ける限りを 見通す限りを 自由がある限り 僕らはいこう
雪と風 星のとぶ夜も 心ひとつ かなたを目指す
時には君も 恋をするだろう 恋人も一緒に 君は進むだろう
雪と風 星のとぶ夜も 心ひとつ かなたを目指す
静かな夜にも 心許すなよ 仕事なし遂げた 栄えある日まで
雪と風 星のとぶ夜も 心ひとつ かなたを目指す
そのお陰で、私は歌が好きになり、中学3年生の時はなんとコーラス部に所属し、文化祭で30分間の13組曲「おかあさんのばか」を熱唱。念願の市の連合音楽祭にも出演しました。
※13組曲「おかあさんのばか」 作詞:吉田 幸
幸ちゃんのおかあさんは、幸ちゃんが6年生の夏、東京杉並区の水泳大会に出場しようとして、シャワーを浴びたとき、脳出血で倒れました。
おかあさんへ。
幸は、おかあさんが死んでも、正しいいい人になって、おとうさんを助けてあげます。いつもわたしやおにいちゃんの事をはげましてくれたおかあさん、いい神様に会ってください。そしていつまでも私を天から見ていてください。
わたしの事は、豊子おばちゃんが見てくれるそうです。おばあちゃんやおじいちゃんは、私やお兄ちゃんのことを考えると、かわいそうでむねがいっぱいになってなみだが出てくるそうです。
私は、おかあさんと三つの約束をします。
一つは、どんなことがあってもくじけたりしません。それから、なんでも最後までやって、やり始めたらやりとげます。だれにも迷わくをかけないで、親せきのおじさんやおばさんにいろいろこれからの事を教えていただきます。
おかあさん、私はりっぱないい人になりますから、おかあさんは私を見ていてください。やさしくて理かいのあるおかあさん、わたしのそばにずっといてください。それから、おかあさんから特に注意されていたことばづかいを、いいことばづかいにします。
どうか、神様、おかあさんをいい天国に連れていってください。いつまでも幸せにくらせますように。 神様
声姿顕心
ところで、走姿顕心(そうしけんしん)という言葉があります。「走る姿に心が顕れる」という意味ですが、スポーツ選手への戒めの言葉であり、東都大学の野球部がこの言葉を大切にしているそうです。
同じような言葉で、「声姿顕心(せいしけんしん)」というのがあります。「その声に、言葉に、あなたの心が顕れる」という意味です。
つらい時、悲しい時、苦しい時、歌で救われることだってたくさんあると思います。
「くちびるに歌を!」・・・時に歌は、あなたを救う武器のひとつにもなります。
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