雨の日は雨を愛そう。

愛知県豊川市に豊川稲荷があります。京都市の伏見稲荷大社、茨城県笠間市の笠間稲荷神社とともに、日本三大稲荷にあげられているところです。しかし、豊川稲荷は神社ではなく、豊川閣妙厳寺というお寺です。御本尊は千手観世音菩薩です。
また、豊川稲荷は、分杭峠、伊勢神宮、高野山、石鎚山などと同じ中央構造ライン上にあることから、「ゼロ磁場」ともいわれています。特に、豊川稲荷奥の院や千体の狐の石像が並ぶ霊狐塚はパワースポットだそうです。
本来、稲荷神社は五穀豊穣や商売繁盛を願うところですが、相性のよくない人もおり、招かざる参拝者が行くと、思わぬ不幸に見舞われてしまったり、体調を崩したりする場合があるそうです。
これまで幾度か豊川稲荷を訪れましたが、私の場合はいつも雨が降ります。参拝のたびに「また雨か。運が悪いなあ」とぼやいていましたが、マラソンの高橋尚子選手が座右の銘にしているという言葉を知ってから、雨の日も感謝するようになりました。
高橋選手は恩師の中澤正仁先生から、「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」と教わったそうです。
『人間万事塞翁が馬』で、人生は山あり、谷あり、晴れる日もあれば、曇る日もあるのです。雨が降らないと困ることはたくさんあります。それから、私は「雨の日は雨を愛すればいい」と思うようにしました。
歌人の堀口 大学の詩にも、
「雨の日は雨を愛そう
風の日は風を愛そう
晴れた日は散歩をしよう
貧しくは心に富もう」
というのがあります。
また、国民文学作家の吉川 英治は、
「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」べきだと説いています。
さらに、日本青年起業家協会会長でメンターの福島 正伸氏も、
「晴れの日は枝が伸びる。雨の日は根が伸びる。」
と述べています。
「無常」とは・・・
さて、仏教における「無常」とは、この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、永遠不変のものはないという意味です。人生ははかないもので、すべての存在は因縁和合の一時的存在であり、生じたり変化したり滅したりして、常恒不変ではないということを説いています。
この教説を表現した「諸行無常」は、『涅槃経』の言葉で、仏教の根本主張である三法印のひとつです。「諸行」はこの世のものすべてのことで、「無常」とは、常がない、続かないということです。この「諸行無常」は、『平家物語』の最初にも記されています。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
日本には四季があることで、暮らしにも常に変化があり、そこから独自の無常観が作られてきました。無常観は、日本人の精神生活を豊かにし、また淡白であきらめのよい人生観と国民性を育んだともいわれています。
「この世の一切は続かない、すべて移り変わって行く」ということです。
このことを知った後、雨の日に豊川稲荷にお参りするのが楽しくなり、不思議なことに、私にも運が向いてきたのでした。
「ああ無情」
因みに、「ああ無情」というのは、黒岩 涙香がフランスのヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」を翻訳した時につけたタイトルです。 実際のタイトルは「噫無情」でした。
これは、単に「惨めだ」という意味だけでなく、「極貧状態の人々」「社会の底辺にある人々」という意味もあるそうです。「レ・ミゼラブル」には、どこまでも悲惨な状況が描かれていますが、ユゴーが伝えたかったことは、「どんな状況にも希望はある」ということだと思います。
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まとめ
『人間万事塞翁が馬』で、人生は山あり、谷あり、晴れる日もあれば、曇る日もあります。
堀口 大学は「雨の日は雨を愛そう」、吉川 英治も「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す」べきだと説いています。
「晴れの日は枝が伸びる。雨の日は根が伸びる」のです。
人生ははかないもので、仏教では、すべての存在は因縁和合の一時的存在であり、生じたり変化したり滅したりして、常恒不変ではないという「無常」を説いています。
この世の一切は続かない、すべて移り変わって行くのです。
