道徳の授業は、学級経営の上で非常に大事な要素です。生徒たちの発達段階に応じたタイムリーな題材を選び、生徒に考えさせ、意見をぶつけ合うことで、生徒たちは道徳的判断力を高め、道徳的心情を豊かにし、道徳的態度と実践意欲の向上を図ることができるのです。
道徳授業を軽視している学級は、学年末になっても様々なトラブルが発生します。道徳の授業は漢方薬のようなもので、じわじわと効果が出てきます。しかも、その効果には持続性があります。
「考える」土壌作り
道徳の授業では、ねらいとする道徳的価値を生徒に教え込もうとする指導態度(説教や強制,命令や禁止など)は好ましくありません。道徳の授業は、教師が教え込む時間ではなく、ねらいとする指導内容との関わりで、生徒に考えさせ、自分を振り返らせる時間でないといけません。
そのためには、普段から「なぜ」という問いを生徒にぶつけ、考える習慣を養っておくことが必要です。例えば、生徒が服装違反をしてきたら、当然、教師として注意しますが、なぜ服装違反がいけないのか、生徒にも問いかけ、考えさせ、明確な答を述べておくようにしておきましょう。頭ごなしに、「ダメなものはダメだ」とか「学校のきまりだから」と言うだけで指導を終えていると、考える生徒が育ちません。
意見の言える雰囲気作り
一般に、生徒たちは、答が一つというような問いには答えますが、「どう思う?」という問いに対してはなかなか発言しません。回りの目を気にして、自己主張することに抵抗を覚えてくるのは、思春期の特徴の一つですが、意見が出ないと道徳の授業は説教の時間になってしまいます。
クラスの中ではどんどん意見がいえるという雰囲気作りが大切です。私は道徳の時間は、最初、凹型に席を作り、真ん中にたって授業を進めるようにしています。質問を投げかけ、どんどん意見を言わせ、全ての意見を「素晴らしい」と言って褒めるのです。そうすることによって、どんどん意見の出るクラスになってきます。
認め合う集団作り
生徒たちにどんどん意見を言わせる一方で、話し方や聞き方,話し合いに参加するルールを指導しておくことが大切です。クラスの仲間が発言している時に、冷やかしや嘲笑は厳に戒めないといけません。十人十色と言われますが、人の考えは千差万別で、どんな意見でも認めようという雰囲気作りを意識しましょう。
中には、自分勝手な意見やわがままな意見も出てきますが、意外に、言っている本人は自分勝手だとかわがままだということに気づいていないケースも多いものです。そういう意見も無視せず言わせるようにしていると、次第に浄化作用が働き、望ましい意見も出てきます。その中で、自分の意見はわがままだということに気付くようになってくるものです。そういう「気付き」こそが道徳の時間では大切であって、そういう気付きをした生徒は、自分から変わっていくものです。また、その姿を教師が発見し、褒めてあげることが大切です。
人権教育と道徳教育の違い
最後に、道徳教育と人権教育の違いを述べたいと思います。
端的にいうと、「道徳とは、国や文化、歴史によって考えが異なる場合があるもので、人権とは、国や文化、歴史などでは変わらない普遍のもの」です。マナーは国によって異なりますが、「誰の命も尊いものです」というのは、どの国も同じでしょう。
人権はルールであり、明文化された決まりですが、道徳はマナーであって、法律や決まりがというよりは、人が人に対して礼儀と思いやりを持って生活するよう教導することです。
また、人権は憲法で保障されているので、侵せば法に触れますが、道徳には侵してもルールや決まりにないものもあります。ただ、心掛けておかないと人に嫌われたり、避けられたりすることになります。