自分とは何?
皆さん、おはようございます。
「えっ?」と思うかもしれませんが、実は、自分には三つあるのです。
一つ目は、「偽りの自分」です。
親の敷いたレールの上を走って、「いい子」を演じている自分です。自分の本音に嘘をつきながら、親や先生を喜ばせるかのように振る舞っている自分です。
これに対し、二つ目は、「本当の自分」です。
親の手綱から解放され、自分の好きなことに熱中している自分です。親から「勉強しなさい」と言われても、部屋に籠もって好きな漫画を読んでいる自分。自由でいいと思うかもしれませんね。
さて、この「偽りの自分」にも「本当の自分」にも、同じ共通点があることがわかりますか?
それは、エゴです。
「偽りの自分」は親のエゴの支配下にあり、「本当の自分」は自分自身のエゴの虜になっています。いずれも、自分さえよければいいという「自己中」に、行動の動機が置かれているのです。
お盆に際して・・・
7月15日は夏のお盆です。
お盆というのは、「盂蘭盆(うらぼん)」と書き、梵語のullambana(ウランバナ)という漢字を当てたものだそうです。Ullambanaは「倒懸(とうけん)」と訳されており、逆さ吊りという意味で、死者が生前の罪で逆さ吊りの苦しみを受けるということです。
釈迦の弟子だった目連尊者が、自分の神通力をもって亡き母の様子を見たところ、あんなにも優しく、自分を可愛がってくれていた母は、「自分の子だけを大事にした」という罪で餓鬼道に落ち、逆さ吊りで苦しんでいたのだそうです。そこで目連尊者は釈迦に母を救う方法を聞いたところ、「夏安居(げあんご)の終わりの日に、修行者の人達に供養しなさい」と教えられ、母を餓鬼道から救い出したという話です。
●他人の子は受験に落ちても、自分の子が受かればいい。
●我が子さえよければ、それでいい。・・・
●自分のクラス・部活動・学年・学校の生徒だけよければ、それでいい。
「自分の子だけを大事にする」と思いや焦り,イライラは、まさしく餓鬼道(欲求不満)であり、地獄行きの罪なのだそうです。お盆にご馳走を供える施餓鬼(せがき)は、他人への供養(奉仕)であり、他人への施しが形になったものなのでしょう。
「自分の子だけを大事にする」という行為は、他人の子と区別し、他人の子を除外することにもなります。我が子本意の愛情を貫くというのは、本当の愛情とはいわないでしょう。
本当の愛情をもって子どもを育てるというには、相手の立場になって冷静に物事の判断ができるかという人間に育てることであり、相田みつを氏の言葉を借りれば、いついかなる場合でも一貫して変わらない「心の柔らかさ」を育ててやることが、人間として最高の教育であり、親や教師としての最高の愛情だと思います。
お盆の日はご先祖を思い出すだけでなく、親や教師としての自分自身を振り返る日でもありたいと思います。
本来の自分
さて、「偽りの自分」「本当の自分」に対し、三つ目の自分は何かというと、エゴ的な自己中心ではなく、他人を思いやり、他者中心になるという「本来の自分」です。
「本当」と「本来」は違います。「本当」は文字通り、本当で、遊びたい自分も本当なら、勉強に頑張る自分も本当でしょう。あれもこれも、全て本当なのです。これに対し、「本来」は一つしかありません。一つしかないから本来なのです。
「偽りの自分」「本当の自分」「本来の自分」のこれら三つの自分のうち、何を全面に出さなければならないか、じっくり考えてみましょう。
【3980円以上送料無料】「皆さん、おはようございます」授業では教えない“生き方”教育 スライドで語る全校朝礼のお話/長井功/著 価格:1280円 |
「皆さん、おはようございます」授業では教えない“生き方”教育 スライドで語る全校朝礼のお話【電子書籍】[ 長井功 ] 価格:1000円 |