はじめに
「体育」を「からだそだて」と読んだ人がいる。一般に、「体育の目的は?」と問うと、「スポーツを楽しませるため」とか、「体力をつけるため」という返事が返ってくることが多い。しかし、スポーツを楽しませるだけならテレビのスポーツ番組を見ていても十分に楽しませることができるわけであるし、体力をつけるためと答える人には週2~3回程度の体育授業でいかほどの体力をるけることができるのか教えて頂きたいものである。体育は決して子どもたちの「気晴らしの時間」や「修練の時間」(道徳授業の一環)ではない。
また、「体育」は、「スポーツ」とイコールでもない。体育の教師を未だに「タイソーの先生」と呼ぶ人もいるが、「スポーツの先生」というのはあまり聞いたことがない。
子どもたちの様々な身体の異常が問題視されている現在、「体育」を「からだそだて」と読むことの含蓄をじっくりと考え直さなければなければならないのではないだろうか。
かつて、偉大な教育家たちは、皆、教育の場において体育や身体運動を重視してきた。教育の父といわれるペスタロッチ、「自然に帰れ」と説いたルソーも然りである。しかし、現在の我が国では、体育は受験に必要な主要教科に対し、「副教科」と呼ばれることもあり、どちらかというと軽視されている傾向にある。この軽視の目は、体育教師の方にも向いている…「すぐに怒鳴る」「体罰をする」「怖い」「頭まで筋肉」と評される体育教師も多い。中には、荒れている学校の生徒指導係として、警察官代行の働きをすることだけが期待され、存在価値を保っている体育教師もいる。当然、このような生徒指導専任型体育教師は、学校が落ち着いてくると居場所もなくなるのだろう。
一方、子どもたちは、中学生にもなると、もう既に3割を越える子どもたちが体育嫌いの傾向をもっているといわれている。本来,運動は壮快感を味わうことができるものである。幼児をみればわかることであるが、子どもたちは嬉しいと駆け出したり、踊ったりするように、本来、運動好きなのである。しかし、学年があがるに従って体育嫌いが増え、子どもたちが走らなくなるのはなぜであろうか。
社会全体的には、スポーツはますます盛んになってきつつあり、この傾向は今後も続くであろう。スポーツの楽しみ方も多岐に渡っており、レクリエーションスポーツやレジャースポーツも多種多様に発展している。さらに、高齢化社会に入り、健康面への関心も高まってきている。幸いにも、育科の果たす役割や期待は大きいのである。
我が国の体育科の過去には、否定できない「負の遺産」がある。体育を徳育や戦争のための手段として使ってきた歴史や過剰な体育系大学出身者の就職先確保としての体育教師の採用などである。私たちは、これらの「負の遺産」を捨て、体育科教員の軽視や体育嫌いの増加の現状を十分に自覚し、今後の体育科の在り方を問うていかなければならない。
ところで、適確な運動を行うためには、「認識→思考→行動」のプロセスが必要である。たとえば、野球でいえば、「ツーアウト,ランナー1・2塁」の場面でセンター前にヒットが打たれたとしよう。センターを守っていた選手は、ランナーの動きや味方内野陣の選手の動きをみて(認識)、どこにボールを投げるのが最もよいかを決め(思考)、バックホームをしたり、セカンドでのアウトを狙ってボールを投げる(行動)。しかも、この「認識→思考→行動」のプロセスは瞬時に行われなければならない。このことが,他教科にはみられない体育科独自の特徴ではないだろうか。社会や数学のような教科では、「認識→思考」のレベルまでで「行動」を伴わない。
しばしば、「野球バカ」という言葉が使われることがある。学校での勉強はできないが、野球だけは上手だという人を嘲笑していう言葉であろう(我が国は、戦後、軍国主義色彩の濃い体操からの逸脱のため、野球が積極的に取り入れられたという経緯をもっている。「六・三制 野球ばかりが うまくなり」と川柳が謳われたこともあった)。しかし、本当に野球のできる人は、「認識」力や「思考」力に劣る「バカ」なのであろうか。
私の知る限り、プロ野球の一流選手たちは、そのパフォーマンスの素晴らしさもさることながら、「認識」力や「思考」力においても卓越した能力をもっている。決して「野球バカ」ではない。いや,いわゆる「野球バカ」では一流選手にはなれないのだろう。すなわち、「認識」「思考」「行動」はそれぞれ独立したものではなく、お互いに深く関連しているものと考えられる。
学校週5日制の完全実施がなされ,教科の再編成が大きな課題となっているが、体育科が「認識→思考→行動」のプロセスを強化する教科であるという視座にたてば、体育を中心に教科編成を考えることが可能であろう。実際、そのような取り組みはもう既に始められている。
したがって、普段の体育授業においても、「認識→思考→行動」のプロセスを重視した展開をすることが重要である。子どもたちに「できる」ようにさせるだけでなく、運動を「わかる」ようにさせ、その「できる」と「わかる」を統一させることが大切である。
本稿では、以上のような観点に立って、体育教師の仕事を再検討し、具体的に現場の体育主任が果たすべき役割について事例をあげながら述べることにする。
なお、主任制の導入問題に絡み、「体育主任」という言葉を用いず、「体育世話係」とか「体育教科代表」という言葉を使う場合もあるが、ここでは敢えて「体育主任」という言葉を用いた。学校における体育的活動の中心となるべき者の任務を考える時、他の、たとえば、数学世話係や社会科世話係といった単なる教科の代表者といった任務の域を越えるものがある。これは、体育的活動は学校教育全体で行うべきものであるとする学習指導要領の精神を汲み取っても明らかである。
体育主任の任務
本章では、体育主任の任務を7つの領域に分け、それぞれについて具体例をあげながら述べる。すなわち、「授業研究・教材研究」「健康・安全への対策」「健康安全・体育的行事の企画と運営」「クラブ・部活動の指導」「研修会への参加」「委員会の指導」「教科内でのチームワーク作り」の7領域である。体育主任の任務は広範囲に渡り、以上の7領域で包括されない部分もあるが、これについては別の機会に述べることとする。
授業研究・教材研究
教師の最大の任務は授業である。当然のことであるが、意外に教育現場で忘れられているのではないだろうか。
よく生徒を指導している場面で見かける光景であるが、同じことを言っているのに、A先生が言うと子どもたちは「ウン」とうなづくのに対し、B先生が言うと子どもたちは「フン」とそっぽを向く。A先生は高圧的で厳しく、B先生は優しいので、子どもたちはA先生には従っているふりをしているというわけでもない。また、A先生とB先生の人間性の違いだなどといっても、どこがどう違うのかよくわからないだろう。しかし、よく注意して観察してみると、ほとんど間違いなく言えることは、その先生の普段の授業の上手・下手が関係しているということである。どもたちにとって、授業の上手な先生の評価は高い。同じことを言っていても、授業の上手な先生は子どもたちから信頼を得ており、授業の下手な先生に比べて言葉の重みが違うのである。
授業とは、表面的にただ楽しいということだけを追い求めるものでもなく、起こってくるさまざまな問題を子どもたちとともに考え、相談し合って、学習の中身を本当の学習といえるものに作り上げていくことが大切である。体育の授業では、ルールを知った、技術を学んだということだけが学習なのではなく、これらのことに関係するさまざまなこと(技術の科学的根拠とか、集団の人間関係など)を取り上げ、解決していく中にこそ、本当に学ぶものがあるといってよい。
そのためには、十分に授業を研究し、特に教材について知見を深めておくことが絶対必要条件である。授業の成否は、教師の教材観によって決まるといっても過言ではない。たとえば、ハードル走を指導する場合、正式な競技用のハードルを用い、単に何秒で走れるかどうかを競うだけの教材として取り組ませる場合と、自分にあった3歩助走のできるハードル間でフラットタイムとの差をいくら縮めるかというねらいをもって取り組ませる場合とでは、子どもたちの学習成果に大変な差が出てくるであろう。スポーツのもつ競争原理をそのまま授業として取り入れるようでは、体育嫌いを生み出すだけである。最近になって指摘されてきたように、体育教師は、決してコーチでもインストラクターでもなく、アドバイザーであり、コーディネーターとして機能しなければならないのである。
また、授業研究に関して、子どもの心身の発達特性と運動の特性との関連から、「何のために」(目的)、「何を」(内容)、「いつ」(時期)、「どのように教えるか」(方法)を明らかにすることが大切である。「目的-内容-時期-方法」の4つの課題領域を貫く原理を明確にすることは、教科の方針や年間予定表を作成する場合においても重要な課題である。安易に、指導書などに例示されたものをそのまま実施するのではなく、地域や生徒の実態に応じて変容させる視点をもつことが要求される。運動種目の選定基準としては、①機能的特性(楽しさ・喜び)が明確な運動種目であること,②内容に発展性がある運動種目であること,③子どもの興味・関心・能力などのレディネスに合った運動種目であること,④身体的発達および社会的態度の育成など、全人的発達にかかわる運動種目であることがあげられる。
また、高校の段階くらいでみられることだが、サッカー部員にとって教師から何も学ぶものがないとか、バレーボール部員の方が教師よりもよく知っているとかいうことがある。そのような教師が、厳密な意味で、サッカー部員やバレーボール部員の学習を評価し、評定できるとしたら、その根拠は一体どこにあるのかということが問われても仕方あるまい。子どもたちから学ぶところがないと言われない、あるいは言わせないための研究、換言すると、生徒に奪い取らせていくものが常に豊富にもつための研究の蓄積が必要であろう。
健康・安全への対策
体育科の使命のひとつに、健康の維持増進がある。昨今、運動はからだに悪いと主張する意見もあるが、適度な運動は健康の維持増進に不可欠なものであり、体育が健康に深く関連する教科であることについては異論のないところであろう。
健康に対する対策として、子どもたちの健康を主軸に置くことは勿論のことであるが、ここでは、教師自身の健康について述べる。
教職員を見渡すと、意外と健康について悩んでいる人が多い。けがや病気などの身体的なものだけでなく、ストレスの多い現場で精神的な健康を害している教師も多い。不健康な教師たちが、子どもたちに健康であれと教育するほど、滑稽なことはあるまい。まず、教師たちが健康であることが、健全な教育活動をする学校においては不可欠な要素である。
体育教師は、教師も含めた学校全体の健康について深い洞察をもつことが大切ではないだろうか。かつて、私の勤務校では、煙草の害について訴え、職員の喫煙を制限するようにした。また、定期的に職員親睦スポーツ大会を開催したり、時には忘年会や○○会と称して飲食を共にするのも、長い眼でみれば、教師たちの健康の維持増進に一躍をかっていることになり、健全な教育活動にも繋がるのである。そういう視点を体育主任がもつことで、学校の雰囲気はがらりと変わるものである。
次に,安全に対する対策について述べる。
これは部活動での話であるが、ある土曜日の午後、某体育教師が指導する部の練習中、後ろ向きにダッシュをさせていたところ、グランドの杭で足を引っ掛けた生徒が手をついた際に手首を骨折するという事故が発生した。その後のその体育教師の発言をあげながら,問題の所存を考えてみたい。
①「誰や、あんな杭をそのままにしておいて!」
⇒その杭は、体育祭の時に使ったものをそのまま放置していたものであり、まさしく、その教師の責任であった。
②「あんなことぐらいで足を引っ掛けるなんて、おまえは運動神経が鈍いなあ。」
⇒けがをした生徒に対して言った言葉である。「あんなことぐらい」という運動を指示したのは、まさしくその教師であり、以前にも同じ運動をしていて後頭部を打ち、病院にかつぎこまれた生徒がいたのである。危険に対する認識の欠いた指導であったと言わざるを得ない。また、けがをしたことを運動神経が鈍いということで本人の責任にしてしまうのも言語道断である。危険回避ができるようにするのは体育で育てるべき能力のひとつであるし、本当に運動神経が鈍いのなら、そのような子どもを育ててしまった普段の自分の授業の責任でもあると知るべきである。
③「どこの病院もあいていないから,今日は様子をみておくしかないなあ。」
⇒土曜日の午後や休日なども救急を受けてくれる医療機関を知っておくのは、指導者として当然のことである。救急医療機関や子どもたちの家庭の緊急連絡先を一覧表にしてもっておくことは、指導者の義務でもある。また、常に、応急処置の用具も準備しておくべきである。運動やスポーツにはけがはつきものである。しかし、子どもがけがをしたら、責任の一端は体育教師にもあるというぐらいの認識が必要ではないだろうか。命に関わるような事故が起こってからでは遅いのである。
この他、体育主任は、普段から体育施設や用具の管理点検をこまめに行うとともに、他の教師が行っている運動指導についても目を向けるべきである、グランドが荒れていたり、体育館にごみがたくさん落ちているような学校で事故が起きない方が不思議なことである。
また、これもある部活動での例であるが、放課後、学校の回りの歩道をランニングしていた生徒が歩いていた老人と接触し、転倒させて骨折に至るという事故が起こったことがある。現場には部の顧問はおらず、誰の責任かということで裁判問題にも発展した。その学校では、部活動は顧問の判断で独自に(というより,勝手きままに)行われている状態であった。運動部活動では、特に健康・安全面への配慮を十分にしなければならない。運動部の活動も学校における体育的活動である限り、体育主任を中心に運営がなされるべきと考える。子どもたちの健康・安全に全く配慮されていない活動(たとえば,水温の低いのに泳がせるとか、顧問の直接指導なく、砲丸や円盤投げを行うなど)をしていることがあれば、すぐに見直しをさせるのも体育主任の大切な任務である。
3.健康安全・体育的行事の企画と運営
学校には体育祭、球技大会、水泳大会、スポーツテスト、耐寒訓練など、体育的行事と名がつくものが多い。これに健康安全的な行事を加えると、結構な数になる。これを一人で切り盛りするのは大変なことだろう。そこで、体育教師だけでなく、他の教師の協力も得る必要がある。よい行事にするかどうかは、体育主任の手腕を評価されることにもなる。
人を動かすには、垂範率先することが大切であるが、最も大切なことは周到な準備をしておくことである。事前にしっかりと案を立て、教師の共通理解を図り、十分な準備をすれば、成功に終わるであろう。学校行事は計画が8割、実践が2割の気持ちで取り組めばよいのではないかと思う。
また、よい行事を行うには、行事の目標やねらいを明確にしておく必要がある。すなわち、どんな行事にするのか(したいのか)、体育主任がビジュンをもっておくことが大切である。そのためには、行事が終わったら、気になったところや改善点をメモしておいて、来年度に生かすくらいの姿勢が欲しい。特に体育祭などの大きな行事においては、少なくとも1年間かかって温めた体育主任のビジョンを披露するつもりで取り組みたいものである。
4.クラブ・部活動の指導
部活動は課外活動であり、その指導を基本的には、教師に強制できるものではない。しかし、現実をみると、多くの生徒たちは部活動を行っており、ここで子どもたちが学習していることは多い。部活動は異年齢の集団が集まっているので、学級や学年にはない関係があり、一種の社会を形成しているともいえる。教師がその社会に入ること、つまり顧問を引き受けることは決して義務ではないという意見もあるが、学級や授業の中ではみられない、生徒の顔に遭遇するチャンスでもあり、教師の力量を伸ばす可能性をもった場であると考える。特に、体育教師にとって、運動部活動の指導は授業に役立つことも多く、それぞれがもっている専門性を提供するのは、生徒たちも望んでいることではないだろうか。
部活動を指導していると、優秀な指導者に出会うことが多い。私が教師になった頃,全国大会に何回も出場している部が新聞に取り上げられていたことがあった。その指導者は、一見、非常に厳しく、過度のスパルタ練習を積んでいるのだろうと想像していたが、その新聞のインタビューには「いつも生徒の自主性に任せてやっていますよ」と答えられていた。「百聞は一見にしかず」、その先生にお願いして、練習を見に行かせてもらうことにした。なるほど、想像していたような強制的支配-服従の関係ではなく、本当に子どもたちが進んで練習に参加している様子がひしひしと感じられた。そして、その先生が言われることは、「強制してさせるには限界がある。」ということであった。また、「子どもは夢中になれば、想像以上の力を発揮します」とも言われた。
よく見回してみると、部活動の優秀な指導者は、学級作りや授業も上手である場合が多い。要するに、部活動で子どもを夢中にさせ、「のせる」技術は、学級作りや授業作りにも応用が効くということではないだろうか。逆にいえば、生徒たちが本来,好きで集まってくる部活動をきちんと指導できないような教師が、どうして、学級をきちんと指導できるのか,ということでもある.
特に若い教師たちには、部活動の顧問をすすんで引き受けることを勧めたい。そして、厳しい言い方だが、もし3年間指導しても何の成果もなかったのなら、それは教師としての資質を疑うべきである。
さて、体育主任の眼から、もうひとつ、部活動を眺めてみなければならない観点がある。それは、体育授業で学んだことが生徒の活動に生かされているかということである。それは、単に技術面のことだけでなく、自主的・主体的・民主的な活動が出来ているかどうかといったことや、集団作りや安全に対する配慮などはどうかといった観点も含まれる。確かに、体育授業と部活動の目標やねらいとするものが違うので、多少の違いがあるのは否めないだろうが、体育授業で学んだことが全く生かされず、部活動は部活動だという指導がなされているとしたら、それは、体育科のアイデンティティを問われることにもなるのではないだろうか。
以上のことから、体育主任は、何か自分も指導するクラブ・部活動をもち、学校全体の体育活動に先頭を切って関わるという自負が求められると思う。
5.研修会への参加
情報化時代に入り、社会の変化するスピードは漸増するばかりである。学校はもう、かつてのように、社会から隔離して存在する時代ではなくなった。そのために教師も絶えず学ぶことが必要となっている。
教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に務めなければならない(教育公務員特例法19条)とされているが、中学校の教師は、普段、なかなか本を読んだり、研究する時間がない。そこで、いろいろなところで行われている研修会に参加することを勧めたい。
ただ、研修会といっても、校内研修もあれば、教育委員会の主催する研修,また、企業が行っている勉強会のようなものもある。やみくもに参加すればいいというわけではなく、研修会の質は自分で見定めなければならない。そのためには、一度自分で参加してみて、批判的にその研修会をみてみることである。定期的に行われている研修会ならば、翌年からも続けて参加すればよい。
参考までに、国家資格となった地域スポーツ指導員のための研修会や健康・スポーツ関連企業が行っているフォーラムなどは、体育教師にとっても役立つものが多いことを付加しておこう.
6.委員会の指導
体育委員は授業の中で重要な働きをする。体育委員がよきリーダーとなるかどうかで、授業の成否にも影響するからである。その意味で、生徒会で組織する体育委員会の指導には、体育主任も加わるべきである。
また、体育委員会の活動をどうするかで、その学校の運動文化が決定するといっても過言ではない。たとえば、グランドの整地や体育倉庫の整理整頓を週番制を作って行うとか、休み時間に体育館やバレーボールコートを解放して活動を促すとか、体育委員会の活動として考えられることはたくさんあるだろう。
その他,体育的行事などでも委員会の活躍する場面は非常に多い。行事は学校の教育目標を具現化できる場でもあり、そこでの委員会の活動は、体育主任の手腕が問われるのでもある。
7.教科内でのチームワーク作り
体育主任がいくら崇高なビジョンをもち、実践しようとしても、協力者なしには出来ない。たとえば、選択授業の必要性や意義を知り、取り入れようと思っても、そのためには、時間割りの変更など様々な問題を解決しておくことが必要であるし、他の教師の理解がなければ出来ないことである。また、体育授業も含め、学校の体育的活動は一人の体育教師の指導だけでなされているものでもない。
これらの意味で、保健体育科教師のチームワークというものが大変重要になってくる。体育主任の大きな任務として、このチームワークを作ることがあげられると思う。チームワークの取れた集団は、個々の力を足した時、その力を二倍にも三倍にも出来るのである。
特に意識しなくても、体育教師の年齢が近いとか、偶然、気の合う仲間だったりとか、同じ大学の卒業生であるとかの理由で、チームワークが自然に作れる場合も希にあるが、チームワークを作るには、やはり普段からの意識的な働き掛けが必要である。たとえば、週に1回(出来れば時間割りの中に組み込まれてあればよい)、教科打ち合わせの時間をもつようにするとか、月に1回,飲食会を設定するだけでもよいのである.要するに、体育主任として、教科の先生たちをどうまとめるかという意識を常にもっていることが大切なのである。
体育主任の1年間
この章では、ある中学校の体育主任の1年間の仕事を具体例としてあげ、その背景にある考えについて述べたい。
学校の仕事は、ほとんど毎年、同じ時期に同じように行われる場合が多い。「例年通り」とか「昨年と同じで」という形で実施され、気がついてみると何十年も同じ方法でやられている場合もある。体育主任は、常に「なぜ」という問いをもち、ひとつの仕事にもセオリーをもちたい。「哲学なき実践」では困るのである。
4月
◇教科方針決定
目標のないところに成功もない。教育活動は、「人格の完成をめざし、…(中略)…心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(教基法1条)という目的をもった活動である。その目的を達成するためには、当然、身近な目標が設定されるべきで、それは保健体育科とて例外ではない。年度の当初に学校の教育目標ともマッチした保健体育科の教科方針を決定することは、最も重要な仕事である。その学校の生徒を1年間、あるいは3年間に渡って、教科としてどのような生徒に育てていくのか、まさしく体育主任の『哲学』が問われることとなる。
教科の方針決定に際しては、生徒の実態を十分に把握するとともに、他の教師の理解を得ることも必要である。また、この方針は具体的に次にあげる教科年間予定表や時間割に示されることとなる。
◇教科年間予定表作成
1教材の指導にあてる時間数の少ないのを「コマ切れ単元」と俗称していうが、これでは教師も子どもも、本当にどの教材と取り組んだとはいえない。現状では種々の困難も多いが、せめて1年に1教材でよいから、思い切った時間数をとり、実践されることをお勧めしたい。教師の力量というのは、そういう時の苦しみや、それを突破したときの喜びを経験するなかで、次第に増大していくものと考えられるからである。
年間予定表の作成にあたっては、生徒の実態や教師の指導力、用具や施設、季節、学校行事との関係等を考慮に入れながら、3カ年を見越して行うようにしたい。あわせて、保健の授業時間の確保や選択授業の扱いにも十分な配慮が必要である。
◇時間割作成
年度当初の大切な仕事のひとつに時間割の作成がある。時間割には、どの学年やクラスを誰が担当するかという割り当てと、他の教科とのバランスを考え、1週間のどの曜日のどの時間に授業を配当するかといういわゆる時間割表の作成の2つの分野を指している。
前者は運営委員会や企画委員会で案が練られ、年度当初の職員会議に提案される場合が多いようであるが、体育主任として、案を作成する段階で意見を述べれるようにしたい。一般に体育授業では、2クラスを男女に分け、2人の教師で担当する場合が多いが、特にその組み合わせには注意を払う必要がある。たとえば、生徒指導担当の教師と新任教師をペアにすると、どちらも出張や研修が多く、授業が自習になるケースが多くなる。年齢や性別、経験年数(指導力)等も十分に考慮して決定する必要がある。
また、後者については、1時間にたくさんのクラスが同時に授業を行うことがないように調整したり、あるクラスが連続して3日間実技授業が入るとか、1時間目ばかりに授業が組まれるといったことのないように配慮する必要もある。また、ある教師が1時間目に1年生を教え、2時間目には3年生、そして3時間目には、また1年生を教えるといったこともないようにしたい。このような様々な条件を組み入れた時間割表を作成することは、大変な作業である。是非、体育主任として、その作業の場にも立ち合っておくべきであろう。
◇体育科確認事項
体育の授業は人目につくところで行われることが多い。毎時間が公開授業のようなものである。ところが、ある教師の指導するクラスでは、毎時間、号令をかけて準備体操を行っているのに、別の教師の指導するクラスは全くしないというのは、傍目にみて指導の統一や共通理解を欠いた指導のように思われることもある。もちろん、教師の裁量に任せる部分も必要であるが、同じ場所を使って授業をする以上、ある程度、共通したスタイルで授業をする方がよいのではないかと思われる。また、ある教師は授業ノートを作成し、課題解決的なグループ学習をしているのに、別の教師は画一的な一斉指導しかしないというのも問題である。少なくとも、集団行動の仕方やあいさつの方法、忘れ物の指導、見学者の扱いなどは統一した方法で行うべきである。
この他に、自習の時の対応も注意しておきたい。自習監督を引き受けた数学の教師が誤った鉄棒の指示を行い、生徒が後頭部を打って病院に担ぎ込まれ、裁判問題に発展したケースもある。体育実技はけがを伴うこともあるので、きちんとした安全指導をしておかないといけない。それを他教科の先生に任せるのはどうかと思う、体育実技の自習は出来るだけ避け、出来るだけ他学年の体育教師からの応援を頼めるようなシステムにしておくべきである。
◇他教科へのお願い
体育科での確認事項は、他教科の先生や学年の先生にも、ある程度、理解してもらうようにしておきたい。水泳の時期はいつからであるとか、見学者の扱いはどうするかというようなことを、事前に知らせ、協力を求める。ふつう、そのようなことは、その学校のしきたりとなっており、例年のことであろうが、必ず文章にして確認しておく方がよい。
◇生徒名簿作成・指導手帳準備
体育科は出席を重視する教科で、平常点をつけることも多いので、指導手帳は必携である。また、選択授業などもあって、クラス名簿以外に名簿を作成する必要もある。最近は生徒の成績をコンピューターで処理するケースがほとんどであるので、パソコンの扱い方に慣れ、年度当初に生徒名簿を作成して指導手帳を準備しておくとよい。
◇体育備品・消耗品確認
1年間の授業予定や行事を考え、備品・消耗品の必要量と不足分を把握する。3学期になってサッカーをしようと思ったのに、ボールがなく、予算も尽きていて買えなかったでは困る。体育科教師はもちろんのこと、運動部活動の顧問ともよく相談して、体育備品・消耗品の使用を考えるべきである。たとえば、体育のバレーボールと部活動のバレーボールを別々にして使用している学校があるが、1年間の中で授業でバレーボールをするのは3週間だけというのでは、体育備品・消耗品の有効な活用をしているとはいえない。しかし、そうかといって、普段、部活動で使用しているものを体育科が授業で「お借りする」というのも、本末転倒である。また、体育科で購入した石灰をほとんどが部活動で使用されて,体育祭の時に気がついたら足りなかったというのもお粗末な話である。体育備品・消耗品は、学校の教育活動をするための共有財産なのであるから、その使用や購入にあたっては、十分な共通理解が必要であろう。
さらに、体育備品・消耗品を把握するためには、体育倉庫や器具庫などの整理・整頓は欠かせない。ちなみに、私は授業参観に行ったら、その学校の体育倉庫を覗かせて頂いている。体育倉庫をみれば、その学校の体育授業のレベルや運動文化がある程度、判断できるからである。
◇教科予算決定
体育科の予算が他の教科の予算と比べて多くなるのは当然のことなのであるが、一覧表としてみると、何か不公平さを受けることもある。年度当初に予算委員会が開かれるが、体育主任はその場に必ず出席し、事情をよく説明して、十分な予算を確保するよう努力するべきである。
5月
◇校外学習準備
5月に入ると、修学旅行や宿泊訓練といった行事が近づいてくる。その中に、体育的行事も多いので、体育教師はその中心になることが望ましい。その他、校外で行われる行事(たとえば体育祭やスポーツテストを陸上競技場を借りて行う場合等)のための会場の確保も、この時期までしておかなければならない。
◇水泳授業準備
6月になると水泳が始まるので、業者とも連絡し、水着の発注等、水泳授業の準備をしておきたい。
◇教育実習準備
学校によって時期が違うが、早ければこの頃から教育実習が始まる。実習生がくると忙しいといって断わる人もいるが、実習生から学ぶこともあり、自分の授業を別の観点から評価してもらうチャンスでもある。また、実習生は、その学校の卒業生である場合も多く、地域の事情に詳しい。たとえ、その実習生が教師の道に歩まなくても、実習終了後、教育の世界の素晴らしさを知り、教育に理解と関心を示すような社会人になってくれればそれでいいのである。その意味で、実習生はすすんで引き受けるようにしたい。
6月
◇水泳授業準備
ほとんどの学校では水泳授業が開始される。水泳は生命の危険を伴うこともあるので、十分な準備と対策を立てておく必要がある。養護教諭や薬剤師との打ち合わせ、事前指導、プール日誌の作成、機械や水質のチェック等を教科打ち合わせの中でも行うようにしたい。中学校ではプールを水泳部が使用しているケースもあるが、水泳部に任すのではなく、体育科としてきちんと管理をしていくことが、事故を防ぐ第一の姿勢であろう。
◇総体開会式準備
運動部活動では総合体育大会が始まり、開会式の準備や生徒への指導が必要である。開会式には各学校の行進もあるだろう、全職員の協力も得て、その学校らしい行進を披露できるようにしたい。
◇体育祭準備
2学期に行われる体育祭の実行委員会をひらき、準備に取りかかるようにする。前年度の反省に基づき、どんな体育祭にするのか、体育主任のビジョンを明確に打ち出すべきである。担当職員も決め、その都度、職員会議などで報告もしなければならない。
◇夏休み課題決定
夏休みの生活記録冊子に,夏休みの課題が教科ごとに一覧表として載っていることが多いが、ある中学校の保健体育科の課題をみて驚いたことがある。「夏休み中に必ず50mを泳げるようにしておくこと(2学期初めにテストをする)」というのであった。いったい、泳げない子はどうすればよいのであろう。その夏休みは水泳の猛練習をしなくてはならないことになる。また、その練習はどこで出来るのであろうか。しかし、実際にこのように真摯に考えるのは少数で、このような課題を出しても、ほとんどの生徒は、結局、何もしないことになるのではないだろうか。最初からしないことがわかっている課題など出すべきものではないし、このような課題を出すこと自体、体育科への不信の要因にもなるだろう。
夏休みは、生徒たちにとって、自分の生活を自由にデザインする絶好の機会である。体育科の目標と照らし合わせた時、いかに健康に夏休みを過ごすかということが最大の課題になるのではないだろうか。このように考えると、夏休みの課題は非常に大切なことであって、保健体育科として、十分に教科で打ち合わせをし、全校で統一あるいは一貫して課題を決定するべきである。
◇夏休み水泳教室準備
水泳に関して小学校では熱心に指導が行われている。中学校では部活動もあり、夏休みの水泳指導はあまり行われていないようであるが、生徒たちの中には、夏休みの水泳指導を望んでいる者も多い。運動の苦手な生徒にとっても、このような体育実技の補習をすることは、大変、有意義なことでなのである。教科内で十分な打ち合わせを行い、全職員にも協力と理解を求め、開講に至るよう、準備を始めたい。
◇期末考査作成
ある学校の保健体育の試験で、「バレーボールは何回で相手コートに返球しますか」と問題が出された。一般的には3回が正解なのだが、その学校では、バレーボールの授業で4回制を使っていたのである。そのため、多くの生徒が「4回」と書いたのだが、それを間違いとされたことが問題となったのである。スポーツのルールなどは、年々改定されているので、出題に際しては注意が必要である。また、保健体育科の試験問題の中には。「どのフォームが正しいですか」とか、「どのような感じですればよいですか」というような、解答が明確に決められない問題が多い。こういう問題を出すこと自体がトラブルのもとである。その意味で、試験問題は事前に体育主任に提出させ、可能な限り、教科内でも検討する機会をもちたい。
◇評価の打ち合わせ
保護者とのトラブルのもとになるのが評価である。特に、保健体育は実技を伴うだけに、十分に評価についての理解をし、しかも、全教師がきちんと説明できるようにしておくことが大切である。「小学校の時は通知簿が5だったのに、中学校ではどうして2になるのか」とか、「試験が100点なのに、どうして3がつくのか」とか、「2年生の時の先生は評価がよかったのに…」というようことで、トラブルになるケースも多い。
7月
◇泳力テスト・水泳大会の準備
どんな学校行事においても安全指導は重視しなければならないが、特に水泳に関しては、万全を期する必要がある。前日の過ごし方の指導から当日の健康観察、万一、事故が起こった時の対応まで、きちんとしたマニュアル化しておくことをすすめたい。
また、中学生の年代では、心理的な要因もあり、様々な理由をつけて水泳に参加しない生徒がいる。そういった生徒たちの指導に手をやくことも多いが、原則的には無理をさせるべきでないと思う。水泳に参加しない生徒を「さぼっている」と決め込んで、無理に泳がせ、事故につながったケースは非常に多いのである。無理に泳がせるより、陸上ででも授業や行事に参加出来ることを考えてあげる方がよいと思う。
最後に、潜水について一言述べておきたい。最近の研究では、潜水をすると、健康な人であっても、潜水後に不正脈を起こすことが明らかにされている。以前、私の勤務する学校の水泳大会では、何mを潜水で進めるかを競わせていたことがあるが、考えてみれば、恐ろしいことであった。水泳に関しては、安全指導を最優先し、救急処置の方法等にも多くの教師が精通しておけるよう、場合によっては、全職員に救急処置の研修を実施しておくことも必要である。
◇球技大会の準備・運営
学期末には球技大会が開催されることが多い。しかし,学期末は成績の処理等で教師が多忙のことが多く、なかなか運営に至るまで大変である。そこで、リーダー的な生徒たちを使って、球技大会を企画や運営をすることを勧めたい。出来るだけ、他の教師たちの手をわずらわせないように配慮をしたい。ただ、全てを生徒に任せるというのではなく、体育主任は最後の責任者として、球技大会の成功に最も大きく寄与しなければならないことはいうまでもない。
◇成績評価
評価の打ち合わせで確認した通り、成績評価をする。ここで大切なことは、単に評定(通知簿の1,2,3,4,5)を出しさえすればよいということではなく、一人ひとりに評価したことを今後どう生かすかを考えるべきである。たとえば、評定1をつけたAさんには、なぜ1の評定なのかを説明できるようにしておくこと、今後、どのようにしていけばよいかを指示できるようにし、さらに教師としては、どのような具体的な取り組みをしていくつもりかを確認しておく必要があろう。担任教師には、単に生徒の評定を渡すだけでなく、評価を加え、コメントと一緒に渡すようにしてはどうだろうか。
◇1学期の総括
2学期は学校行事も多いので、じっくり日々の実践を点検している間がない。年度当初にたてた教育目標や教科方針を1学期が終了した時点で、反省または修正してみる必要がある。教科打ち合わせ会をもち、意見を出し合ってもらうようにしたい。
8月
◇研修会への参加
夏休みは十分に休養することも必要だが、授業がないので、教師にとっては研修の時間を確保できる絶好のチャンスでもある。夏休みは各地で多くの研修会が開催されており、積極的に参加するべきである。そのことが2学期からの授業のレベルを高めることになり、ひいては。教師の力量をつけ、生徒からの信頼を勝ち取ることにも繋がるのである。
研修会の案内は、教頭か教務主任、あるいは研修係に回っていることが多い。様々な研修や講座が開催されているが、一般職員にはあまり知られずに終わっているケースもあるので、チェックが必要である。
◇運動部活動の活性化
運動部活動は、体育授業で習ったことの実践の場でなければならないと思う。体育授業で習ったことと、部活動で練習することとは違うというのでは、何のための体育なのかわからない。体育は運動文化伝承という側面とともに、身体形成(からだそだて)という側面をもつ。運動部活動は勝利の追及という側面が強調されやすいが、学校の教育活動である限り、それは運動文化伝承と身体形成の目的も当然、包括されているのである。
また、本来、部活動は生徒の自主的な運営によってなされるべきもので、それは体育授業で主体性や自主性を育てることと合い通じるものである。普段の体育授業で、生徒たちが主体的に授業を行えていたら、部活動も活性化する。夏休みは、新チームに変わり、指導者も生徒も意気込んでいる。その基盤作りに体育主任は関与できるようにしたい。
9月
◇夏休み課題評価
課題を提出させた限りは、それを評価し、生徒にフィードバックさせなければならない。たとえば、よい作品やレポートなどは保存しておき、文化祭で発表する等の配慮をしたいものである。
◇泳力テスト
泳力テストは、決して体育の成績をつけるためにだけ実施するものではない。生徒の実態を把握し、水泳指導にいかすための貴重な資料としたいものである。その意味で、水泳授業の単元前にもテストを行っておき、単元後と比較してみるとよい。そうすることによって、水泳授業の成否を評価することもできる。また、集計した結果は、他の教師にも知らせておいた方がよい。こころある教師なら、その資料を教育活動の中にいかしてくれるはずであり、体育科の理解にも繋がるからである。
◇体育祭準備・運営
1年の中で学校の三大行事といえば、体育祭、文化祭、そして卒業式である。体育祭は、体育における管理の3層構造がもっとも顕著に現われる場であり、その学校の運動文化の発表の場でもある。換言すれば、体育主任の力量が問われる場でもある、体育主任は、1年間かけてじっくり考えてきたビジョンを披露するんだという気持ちで臨んで欲しいものである。
そのためには、十分な準備が必要であろう。そして、十分に指導力を発揮し、成功に結びつけるとともに、終わったら、謙虚に反省して、来年にむけてスタートを切るようにしたい。
◇体育祭反省アンケート
行事の後に反省アンケートをとり、まとめておくことは、来年のためにも、また体育主任の力量を高めるためにも、大切なことである。特に、体育祭の後には、職員だけでなく、生徒たちからもアンケートをとり、まとめておくとよい。そして、それをできるだけ公表しておくことである。公表することの意味は、行事をよかったと思わせるテクニックでもある。よい行事だったら、その余韻をかって次にいかすことが出来るし、失敗があったとしても、その根を残さないためである。
なお、どんなに素晴らしい体育祭だったとしても。必ず。不満をもっている職員がいるものである。その人たちの意見を公表することで、不満が残らないのである。本当に言いたいことがあったら、直接、耳に入るもので、職員アンケートは直接耳に入ってこない不満を解消する場である場合もあることを忘れずにしたい。
10月
◇スポーツテスト準備・運営
スポーツテストの実施に関しては賛否両論さまざまある。決してスポーツテストだけで生徒の運動能力や体力が測定できるものではないが、過去の豊富なデータがあるので、それらと比較することによって、生徒の実態を知り、今後の指導にいかすことは重要な課題であろう。それには、スポーツテストを単に体育の成績評価のためにだけ行うのではなく、学校教育活動にどのように生かすのかを考えたい。その哲学がなければ、たとえば、終日、正規の陸上競技場を使って全職員で生徒を引率し、スポーツテストを行うなどということはすべきでない。要に、スポーツテストの結果をどう使うかを考えて、準備・運営にあたることが大切なのである。
◇スポーツテスト集計
泳力テストと同様、スポーツテストの結果をまとめ、指導にいかすようにしなければならない。スポーツテストは全国で行われてきているので、全国平均や地域の平均と比較することもできる。その中から生徒の実態を掴み、それにあった指導計画を作成・実施したいものである。また、集計した結果を公表することもいうまでもないことである。特に、スポーツテストを学校行事として行っている場合は、他の教師の協力を得たのであるから、その結果をなるべく早く知らせることは礼儀であるとも思う。
◇ダンス発表会準備
ダンスは発表してこそ価値がある。せっかくの発表会なのに体育授業の中で、こそこそとやっているかのようでは意味がない。校内であれ、校外であれ、できるだけ多くの人に観賞してもらえるような発表会にしたい。多くの人に観賞してもらえることで、生徒のレベルも上がるのである。体育主任は、発表会のスケジュールを組むだけでなく、案内プリントを配布したり、ポスターを掲示するなど、PRにも努めたい。
ダンスは人間の感性を揺さぶることができる。私は、ダンス授業から発表会までがうまくいくと、生徒たちにとっても大変な充足感が生まれ、生徒たちがよりよく変容するという経験を何度ももっている。学校体育はどちらかというと競争競技を主とする傾向にあるが、体育主任は、ダンスのもつ価値や意義をよく知るべきであると常々思う。最近は、男子生徒のダンス発表も増えている。ダンスは女子のものだけにせず、より多くの生徒が経験出来るようにしたいものである。
11月
◇期末考査作成
1学期末と同様、試験問題は事前に体育主任に提出させ、できる限り、教科内でも検討する機会をもちたい。合わせて、 毎年(毎学期)、同じような問題を出題していないか、または、何年か前と同じ問題でないか、20分程度でできる問題しか作っていないか、マークシートの問題ばかりでないか、などのチェックもしておきたい。
◇評価の打ち合わせ
1学期末と同様、説明責任のできるよう、教師同士で打ち合わせを行う。
12月
◇冬季マラソン指導
冬場の体育指導に長距離走は欠かせないと思われている。実際、冬に走り込むことも多いが、冬季のマラソンでは思わぬ事故も発生しやすいものである。走るコースの点検や走る時の注意は、前もってしておきたい。部活動で走らせることも多いので、できればプリントにして全職員に配布しておくとよい。
◇成績評価
◇年末大掃除
1月
◇耐寒訓練準備
学校によって、マラソン大会を開催したり。耐寒登山をしたりと様々であるが。目的を明確にすることと。冬季のことなので、十分な準備が必要であることに注意したい。ある学校で耐寒登山を実施したところ、天候が急に崩れて雪になり、その上、下見が不十分で道に迷ったため、多くの生徒が風邪をひいてしまったということもあった。
2月
◇学年末考査作成
◇評価の打ち合わせ
3月
◇成績評価
◇来年度の準備
来年度にむけて、1年を振り返る時期である。教育には完成はない。教師としてのプロ意識をもてばもつほど、反省が生まれ、思考する中でよいアイデアも出てくるのではないだろうか。事務的なこととしては、備品・消耗品を確認し、来年度に向けて教科予算案を作成するなど、年度末整理はきちんとしておきたい。
まとめにかえて
教育学は実践学である。理想とするユートピアは実現しなければならない。その視点にたって、体育の哲学をまとめておくようにしたい。