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祈り(=意宣り)の心

タイトル 祈り 意宣り
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祈る=意宣る

奈良県奈良市に位置する東大寺は、現存するブロンズ像で世界最大の大仏様がいることで知られる華厳宗の大本山です。大仏様の正式名称は、「東大寺盧舎那仏像」といい、その意味は、知慧と慈悲の光明を遍く照し出されている仏です。

大仏様の前に立つと、自然と手を合わせ、祈っている自分がいます。

つまり、神様や仏様に向かって「〇〇をしてください」とお願いするだけではなく、自分の意識、心に思っていることや考えていることを宣言することなのです。

朝、太陽が昇ってくる日の出を見ると、手を合わせて拝む人も多いでしょう。ぜひ、日の出を見たら、「今日一日、○○をするぞ」「○○に心がけるぞ」と宣言してみましょう

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祈りの効果

しかし、「祈り」と聞くと、なにか観念的なイメージを持つ人もいるでしょう。

ただ、実際に、これまでに50万人もの多くの人の苦しみや悩みに耳を傾けてこられた文学博士でシスターの鈴木 秀子さんは、その人たちのために祈る体験を通して、祈りにはとても大きな力があることを実感されているそうです。

戦時中、我が子を戦地に送った多くの母親は、朝まだ暗いうちに近くの神社に行って「お百度参り」をしていたそうです。「お百度参り」とは、鳥居から本殿までを往復しながら百回詣でて無事を祈願するものですが、その祈りが遠く離れた異国にいる我が子に伝わり、母親の祈りを感じて元気が湧き、戦地で生き抜いたという証言がいくつも残っています。

また、こんな実話もあります。

ある新婚夫婦が、インドネシアのスマトラ島に新婚旅行に出かけていた時、海辺で大津波に遭遇し、ご夫婦2人とも流されてしまいました。しかし、奥さんはテントから放り出されて溺れそうになっていたところを崖の上の人が投げた網によって救われ、一方のご主人は海に投げ出されたものの、岩礁に辿り着いて一命を取り留めました。優れた運動神経の持ち主だったご主人は、全力で泳ぎ切ろうという思いを抑え、あえて流れに身を任せることで体力を消耗することなく、運よく岩礁に辿り着いたそうです。

その後、お二人はインタビューに答え、奥さんは助かったと分かった時の気持ちを、「いつも母親が仏壇の前で祈っていて、今もきっと祈ってくれていると確信しました」と述べ、

ご主人は

「祖母が毎日祈っていることを思った時、自分たちは助けられると思いました」と答えています。

「祈り」の場面

さて、私たちがする祈りにはいろんな種類や方法があります。最も大切なことは、誰のために祈るのかということだと思います。

自分のため? 神様や仏様のため? 亡くなった方のため? 生きている人のため? 

誰でもする祈りは、「ちょうだい」という祈りでしょう。こうしてください、ああしてください、こうなりますように、ああなりますように、という祈りで、これはお寺でも神社でもされています。多くの方もそのように祈ったことはあるはずです。イエスも「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。叩きなさい、そうすれば開かれる」といっています。

次によくする祈りは「嘆き」の祈りです。なぜ自分は不幸なのか、どうして思い通りに行かないのか、どうして自分の願いをかなえてくれないのか、と嘆くのです。神さまにぶつぶつつぶやくことがありますが、これもりっぱな祈りです。

さらに、感謝したり賛美したりする祈りもあります。食べものに感謝する、今日一日の無事を感謝する、すばらしい自然やできごとにであったときに、それを讃えることもあります。これも祈りです。

そして、最後に、とても大事な祈りは、「知る」という祈りです。自分は何者なのだろうかと、自分を知る祈りがあります。この友人は何に苦しんでいるのだろうかと、友を知ろうとすることも祈りです。なぜなら友の苦しみを知り、理解し、いくらかでも分かち合うことができればと願うようになるからです。日本や世界の各地で起こる事件を知ろうとすることも祈りです。事柄の悲惨さを知ることによって、どうすればいいのだろうかと、自分に何ができるだろうかと、考えることができるからです。

それから、神を知る祈りがあります。神の思いを知る、神が私に何を望んでおられるかを知ろうとする祈りによって、私が存在する意味を見出すことができるでしょう。

ヨハネ福音書の中で、イエスはこう言います。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」と。現実の世界に置かれた人間が、この世に生きる現実として、味合わねばならないさまざまなことを通して、最後に願うのが「永遠の命」です。その永遠の命とは神とイエス・キリストを知ることなのです。

ところで、聖書の中で、「知る」という言葉には特別な意味があります。知ろうとする対象と限りなくひとつになることを意味しています。男の女のセクシュアルな結びつきを「知る」と表現するのはその代表的な例です。神を知る、イエス・キリストを知るとは、神に、イエス・キリストに結びつけられてひとつになることなのです。

「最上のわざ」

イエズス会のカトリック神父でドイツの宣教師、ヘルマン・ホイヴェルス氏の『人生の秋に』という著書の中から、「最上のわざ」という詩を紹介しましょう。ヘルマン・ホイヴェルス氏は哲学者・作家・劇作家であり、上智大学の学長を務めた教育者でもありました。

年をとったり、病気をしたりして、寝床にあったら、「もう自分は何もできない」「人のために役立たない」と思うかもしれませんが、決してそうではありません。体が動かなくても、人のために「祈る」ことはできるのです。

ギリシャ第二の都市にテッサロニキ(Thessaloniki)という街があります。中央マケドニア地方の首府で、古代においてはテサロニケと呼ばれていました。

イエス・キリストの使徒パウロが、このテサロニケに赴き、残した書簡が、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙一』(一テサロ)にあります。

パウロは当初、イエスを迫害し、目が見えなくなったのですが、アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってパウロのために祈ると、パウロの目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになったことから、「目から鱗が落ちる」という言葉が生まれたといわれています。

さて、「いつも喜べ、絶えず祈れ、何事にも感謝」という言葉は、その「一テサロニケ書」5章16節~18節書かれている言葉です。

「いつも喜べ」・・・人間はいつも喜んでばかりいられません。悲しい時も、辛い時もあります。でも、自分がこうして存在していることを、今こうしてあることを、根本的なところで喜ぶことができる、これは大切なことです。

「絶えず祈れ」・・・私が勤めているこの学校に、そしてこの学校で学ぶ児童・生徒たちに望んでいることは、ひとつしかありません。それは、この学校が祈りに満ちた雰囲気で包まれていること、この学校で学ぶ児童・生徒たちが祈ることを知る者になるということです。そのために、私は「瞑黙」の大切さを機会があるごとに先生たちにも話をしています。

「何事にも感謝」・・・どんな些細なことでも感謝できる人、いつも同じような毎日であっても、感謝することができる人、目で見るもの・耳に聞くもの・手に触れるもの、何であれ、そこにあることを感謝する人、そんな人になれたらなあと思います。

「祈りと願い、執り成しと感謝をすべての人に」

作家、藤本 義一氏のコラムから・・・

日本は今『祈る文化』を失いつつある。震災モニュメントが祈る文化を再びつくっていく芽になればいい。」・・・震災で亡くなった方の名前が刻まれたモニュメントの前で手を合わせ、冥福を祈りながら、生かされている自分を重視する・・・。それが祈る文化を再生するきっかけになるだと言っています。

震災で生死を分けたのは、ほんの偶然でした。運が良かったとか悪かったという話ではありません。たまたまある人は生命を失い、ある人は生きたのです。だからこそ、生かされてある不思議さを思い、どう生きていくかという問いに直面するのです。被災された方々は、そのように問いや生き方を模索し、現実に生きてきたのだと、私は思います。

「願いと祈り、執り成しと感謝をすべての人々のためにささげなさい。」という言葉は、パウロが祈りについて勧めている言葉です。

願うことは、祈りの初めです。ある願いを誰かのために何かに執り成すことも祈りです。そして、感謝すること。感謝の根本は「今こうして生かされてあること」に気づくことです。 私たちは、自分のために祈ることをよくします。「こうなりますように」と願うのです。しかし、自分のために祈ったところで、たいしたことはありません。何よりも、人のために祈るのです。友のために、家族ために、今隣にいる人のために、亡くなった方のために。

祈る文化を再生するためには、私たちひとりひとりが祈る方法を知らなければなりません。学校生活の中には、実は、実際に祈っていることがたくさんあります。昼食を食べる時に手を合わせて、皆で一緒に「いただきます」というのも祈りです。授業の最初と最後に挨拶するのも祈りです。「集中力を持って、勉強できますように」「理解できますように」「楽しく学べますように」と祈り、終わりには、「この一時間を感謝します」と祈るのです。

とても幸せなカップルが毎日心がけている5つのこと

さて、結婚してもその直後は幸せなのに、時間が経過するにつれて段々と不幸せになっていくと感じるケースがあります。

しかし、よくよく考えると、何もせずにそのまま放置していれば、段々と気持ちが冷めていくのは当然なので、何かいろいろとし続けていなければ、結婚直後のような幸福状態は維持できないわけです。「自分たちは違う、いつまでもラブラブのままだ」とかいう根拠無き自信を持って破滅に向かうよりは、今やれるだけのことをやっておく方が、より賢明であると思われます。

というわけで、「とても幸せなカップルが毎日心がけている5つのこと」というのがあるらしく、なんとか仲良く過ごし続けたいと考えている人にとってはいろいろと参考になったり、あるいは既に冷めているけれども、もう一度何とかしたいと思っている人には役に立つかもしれません。

とても幸せなカップルが毎日心がけている毎日の習慣

その1:お互いによく話すこと

その2:性的に気を引くような態度を取る

その3:二人で一緒にバカなことをする

その4:自立すること

その5:一緒に祈ること

シカゴ大学の調査によると、配偶者と一緒に祈っているアメリカ人の75%が彼らの結婚は非常に幸福だと答えたそうです。ちなみに一緒に祈っていない人で非常に幸福だと答えたのは57%でした。これは別に宗教を信じろという意味ではなく、お互いにお互いのことを祈るという意味です。自分自身の何かについて祈るのではなく、お互いのこと、あるいは相手のことについて何か祈ることができれば、それによって相手との精神的共有が可能になり、別の次元で正直さをお互いの会話の中にもたらしてくれるそうです。

京セラを大企業に育てあげた、稲盛 和夫氏は、開発力を促す3つの要素として、一に「根気」、二に「熱中」、そして三に「祈り」をあげています。「祈り」こそ開発力の極みだと述べています。

商売が成功するのも、人生が成功するのも、人智を超えた何かが影響します。人の出会いもそういうものでしょう。

分子生物学者で遺伝子工学の世界的権威として高名な村上 和雄先生は、遺伝子を研究する中で、その構造や働きが偶然に生まれることはあり得ず、人智を超えた偉大なる存在なしに説明することはできないという結論に至られ、人智を超えた偉大なる存在を「サムシング・グレート」と名づけられました。

このような偶然と思われるような出来事や出会いを得るには、「祈り(=意宣り)の力」によるしかないのではないかと思います。

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タイトル 朝日を見て「意宣れ!」
朝日を見て「意宣れ!」正月の「正」という字は、「一に止まる」と書きます。「一」とは「原点」「自分」「わたし」のことです。自分が本来の原点の自分に立ち帰る月、それが正月ということになります。 実は、自分には3つあるのです。「偽りの自分」「本当の自分」そして「本来の自分」です。 「ジョハリの4つの窓」で閉じられている窓をいかに開き、いかに潜在能力を引き出すかで、その人の人生は大きく変わっていくと言われます。 「一念、岩をも通す」という言葉がありますが、正月には「志」をたてるのがいいでしょう。「志」というのは、目的と意欲の合体したものを言い、「決意」とか「意志」と読み替えてもいいと思います。 また、年末年始には、「祈る」機会があると思います。祈りには、「ちょうだい」という祈り、 「嘆き」の祈り、「感謝・賛美」したりする祈り、そして「知る」という祈りがあります。 本来、「祈る」という文字は、「意宣る」と書きます。神様に向かって「〇〇をしてください」とお願いするだけではなく、自分の意識、心に思っていることや考えていることを宣言することなのです。日の出を見て、手を合わせ、自分の心に思っていることや考えていることを宣言してみてください。 ...
タイトル 「自然体」であろう!
「自然体」であろう!…“LET  IT  BE”2月2日は「キャンドルマス(聖燭節)」です。また、3月25日は、マリアが天使ガブリエルから「受胎告知を受けた日」とされています。 ビートルズは、種々の困難のさなかにあったとき、聖母マリアが近づいてきて、知恵に満ちた言葉を語ってくれた、それは“LET IT BE”だ、と歌っています。 聖書では、イエスを産むことになると天使から伝えられ、マリアが答えた言葉で、「お言葉通り、この身になりますように」と書かれています。 日本では、講道館柔道創始者、嘉納治五郎の「自然体」という言葉がぴったり合うでしょう。 ところで、田中良雄がキャンドルサービスでいつも思うことを述べています。 「一本のローソクの火が、順に伝えていくにつれ、周囲がだんだん明るくなる。多くの人に分けても、火は少しも暗くならない。一隅を照らす火の動きは大きい。」 自然体でキャンドルの火を人に与えるような人でありたいですね。...

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