教科のレーゾンデートル(存在意義)
皆さん、おはようございます。
この10~20年で教える内容が一番大きく変わったのは、社会科、特に歴史でしょう。歴史は不変ではありません。時代により歴史教科書は変わってきています。
私は初任で社会科の教師をしていましたが、「社会は暗記教科だ」と言って教えていたことは、今では嘘を教えていたことになってしまいました。
例えば・・・
①鎌倉幕府が開かれたのは「いい国(1192)作ろう」1192年ではなく、1185年。
②冠位十二階を定め、憲法十七条を作り、遣隋使を派遣した政治の中心人物は、聖徳太子ではなく、蘇我馬子とともに共同で執政した「厩戸王(うまやどおう)」
③日本最大の前方後円墳は、仁徳天皇陵ではなく、「大仙古墳」
④江戸時代、「士農工商」という身分制度や「鎖国」はなかった。
⑤光秀は「謀反」を起こした裏切り者ではなく、信長を「自害」に追い込んだ討伐者
⑥日本最古のお金は、和同開珎ではなく、「富本銭」
⑦江戸幕府5代将軍、綱吉は「バカ殿」ではなく、立派なお殿様だった。
⑧ペリーは「開国」を求めにきたのではなく、「開港」を求めていた。
⑨大化の改新は「645年」ではなく、「646年」から。もしくは、そもそもなかったかも?
また、英語の教師もしてきましたが、「英語は単語量」と言ってたくさんの単語を効果的に覚えさせる指導をしていました。しかし、AI通訳機「ポケトーク」などの進化は凄まじく、しかも多国語を同時通訳できるのですから、「これからは英語の教師は、もう必要ないのでは?」と思ってしまいます。
一方、音楽や美術など、芸術系の教科は、教える内容は増えているのに、授業時数は激減してきています。「芸術系の技能は、家庭や地域で伸ばせばいい」という考えが見え隠れします。
体育ではスポーツ界からの圧力もあり、ゴルフを教えろとか、ボルダリングやスケートボードをやって欲しいとか、水泳は金がかかる上、危険だから、スイミングスクールに任せればいいなどと極論をいう人もいます。
いずれにしても、AI時代を迎え、今後の教育のあり方は大きく変わるでしょう。
文科省は、2025年までに小中学生に「1人1台」パソコンやタブレット端末を支給し、学校のICT環境を整えるための計画を公表しています。
AI研究の世界的権威レイ・カーツワイル博士は、AIが人類史上初めて人間よりも賢くなる「シンギュラリティ(技術的特異点)」が2045年に訪れると予測しています。人工知能が新しい人工知能を生み出すようになり、人間には未来予測ができなくなるほどのスピードで社会が変革していくのだそうです。
本当のところ、未来は誰にもわからないのですが、以下のようなことが容易に想像できます。
・学校に行かなくても質の高い授業が受けられるようになり、学校で授業を受ける機会が減る。
・生徒一人ひとりに応じた個別学習が可能となる。
・学習依存先が学校だけではなくなる。
・横並びの定期テストが廃止される。
・学習の「必須科目」が変わる。
今、各教科のレーゾンデートル(存在意義)が問われています。そして、授業面でAIに敵わなくとも、生徒に気付きを与え、生徒の興味を伸ばす先生として,また、メンタルケアやコミュニケーション能力の向上を図れる先生として、レーゾンデートルを示せるような教師を目指していく必要があると思います。
「ラーメンを売るな。食文化を売れ。」
これは、チキンラーメンの開発者、安藤 百福氏の言葉です。
11月3日は「文化」の日ですが、「文化」というのは、平和な時に栄えるのです。それは歴史が証明しています。
歴史を振り返ってみると、「文化の絶頂期は戦乱の時代からおよそ100年」です。ヨーロッパでイタリア・ルネッサンスを代表する偉人が活躍したのは、メディチ家が出来てから100年でした。ヨーロッパ文明が最も栄えたのは、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗戦した1815年から100年後、第一次世界大戦が始まる前です。また、日本でも1600年の関ヶ原の合戦から100年後の元禄時代に、井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門などが出て、江戸文化の最盛期を迎えています。
この物差しをもって考えると、現在は第二次世界大戦が終わって役80年、まもなく日本の文化は、Society 5.0を迎え、大きく栄えるのでしょう。その文化の中心となるのは、今の若者たちなのです。
話が少し逸れましたが、学校の文化にも短いスパンで浮き沈みがあると思います。学校が落ち着いた平和な状態にある時こそ、一層、文化度を上げないといけません。学校の文化度を上げるというのは、生徒の学力を高め、教養を身につけさせることでしょう。
教師は生徒に何を渡して(売って)給料をもらっているのでしょうか?
・・・命? 授業? 言葉? ゲンコツ?
教師は、生徒に教え学ばせたことが、将来に役立つ教養となるかどうかをチェックしながら教育実践を進めなければなりません。
教師の使命『教える』ということ~educationとは?~
明治の初め、日本の近代化を目指した知識人たちは、欧米の文化を移入するため、それまで日本語になかった欧米の様々な概念を翻訳しました。たとえば、英語のfreedomを「自由」と翻訳したのは、福沢諭吉でした。
では、「教育」という言葉はどうだったのでしょうか。これは、英語のeducationという言葉を、初代文部大臣の森 有礼が翻訳したとされています。文字通り、「教え、育てる」という意味です。
当時、このeducationの翻訳には、この他に2つの翻訳語が考案されていたそうです。その一つは、大久保利通が訳した「教化」,それと、福沢諭吉が訳した「開発」でした。「教化」とは、教え導くことですが、上からの目線という感じがします。これに対し、「開発」には、子どもの自主性を尊重する視線を感じます。教え込ませるのか、自ら学ばせるのかの違いといっていいでしょう。本来、educationの元になったラテン語には、内にあるものを「引き出す」という意味がありますから、諭吉の翻訳の方が近いように思います。
さて、「教育」「教化」「開発」のいずれにせよ、子どもをeducationするには、忘れてはならない大切なことが2つあると考えます。
その一つは、「手本になる」ということです。
教育学者の斎藤 孝氏は、「教育という営みは、『憧れの伝染』である」と述べています。先生と生徒に限らず、親と子も,先輩と後輩も,上司と部下も,感化されて見習うものなのです。人を教育する立場にある人は、常に自ら学び続けるということが大前提です。スポーツの世界には、監督やコーチを戒める「指導者は学ぶことをやめたとき、教える資格を失う。」という有名な言葉があります。学ぶ手本を示してこそ、本当に学ぶ意欲を引き出せるのです。
そして、もう一つ、教育の根幹に不可欠なものは、「愛」です。
愛に欠けた教育は、共感を持って受け入れられることはありません。ただし、身勝手で盲目的な愛情の押しつけではマイナス効果です。自制的で調和のとれた愛情、すなわち「愛和」の心が大切です。
伸びる教師・駄目な教師の共通点
「教師五者論」ということが言われて久しいですが、これは、教師はTPOに応じて、「学者」「医者」「役者」「易者」「芸者」を演じなければならないことを示しています。すなわち、学者のように学え、医者のように子どもを診よ、役者のように子どもを魅了せよ、易者のように子どもの未来を見よ、芸者のように生徒に寄り添え、と言われます。
これは、どんなに時代が変化しても、教師という仕事がある限り、そうでなければならないのではないでしょうか。
最後に、「教育技術の法則化」を提唱した向山洋一氏の伸びる教師と駄目な教師の共通点をあげておきましょう。
1.仕事の責任を回避しない人
・教師の仕事の恐ろしさを自覚し、絶えず反省する。
・「子どもができない」ことを、自分自信の責任として
・考えていく潔さ,責任感,謙虚さを持っている。
2.「素直さ」を持っている人≠自己主張
3.知的な人(本を読む人)
1.「子どもができない」,「子どもがきちんとしない」ことの責任を他人のせいにする。
2.教育の情報が狭い。(本を読まない。研修会に参加しない。)
3.「主語」,「述語」がはっきりした文が書けない。
・研究授業を大変に嫌がる。
・子どもに対する優しさに欠ける。
・子どもの良い点を話題にしない。
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