覆水盆に返らず。
皆さん、おはようございます。
屋久島は鹿児島市から南へ約130kmの位置にある離島です。鹿児島空港から飛行機で40分程で行けますが、鹿児島本港から船を使うと約4時間かかります。日本で初めて世界自然遺産に登録された島であり、豊かな自然が魅力です。中でも、樹齢2000~7000年と言われる縄文杉をはじめとする屋久杉は、その生命力の凄さに圧倒されます。
縄文杉を見に行くには、ガイドさんに案内してもらい、20km以上の山道を約10時間かけて往復しなければなりません。「死ぬまでに一度は見るべきだ」という友人のTの誘いを信じ、ある夏のカンカン照りの暑い日、「これが道か」と思われるような森の中を私たちは黙々と歩いていました。
片道10kmほどだというのに、歩いても歩いても縄文杉にはたどり着きません。私は歩くたびに古傷が痛み、無理をしてここにきたことを後悔し始めていました。
友人Tに、「『後悔先に立たず、縄文杉は一生に一度は見るべきだ』と言うから仕方なくついてきたけれど、来たことを後悔している!」と嘆きながら言うと、「『覆水盆に返らず』というじゃないか」と訳の分からぬ返事が返ってきます。そういえば、ちょうど今、お盆の真っ最中なのに、お墓参りもせず、今回はここに来てしまったなあと後悔しているうちに、ようやく縄文杉に到着しました。

推定樹齢7200年といわれる縄文杉は、思っていたほど背が高くはありませんでした。しかし、隆々と盛り上がる幹や深そうな根から圧倒的なパワーを感じました。「縄文杉」というから縄文時代から立っているのかと思っていましたが、実は縄文土器に似ているからという理由でした。昔は「大岩杉」と呼ばれていたそうです。
正直、私にとっては、「縄文杉」を見て、「一生に一度見ておいて損はないかな」というぐらいの感動でした。
『君主論』の著者で有名なイタリアの政治思想家、ニッコロ・マキャヴェッリ(マキアベリ)の残した言葉に、
「やらぬ後悔より、やる後悔」It is better to act and repent than not to act and regret.
というのがあります。行動せずに後悔するより、行動して後悔する方が賢明であるという意味ですが、「縄文杉」と出会った時は、まさしくそのような思いを抱きました。
「後悔先に立たず」と言われるけれど・・・
私たちの人生は、選択の連続です。進学をするのか就職をするのか,A高校に行くのかB高校に行くのか,C子と結婚するのかD子とするのか,・・・人生はからだはひとつですから、選択するということは一方を捨てることでもあります。選択するためには、決断をしなくてはなりません。
後悔には、二つの種類があると言われます。
「あの時、ああしなければよかった」という「してしまったことに対する後悔」と「あの時、ああしておけばよかった」という「しなかったことに対する後悔」です。
「後悔とは、やってしまったことにするもんじゃなくて、やらなかったことにするもの。だから私はチャンスがきたら必ずトライするわ。」
キャメロン・ディアス(アメリカ女優)
「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ。」
ジョヴァンニ・ボッカッチオ(イタリアの詩人)
ああしなければよかったという後悔は、その後、何年かかけて繕うことができることが多いものですが、みすみす逃したチャンスが再び訪れるのを望むのは、愚かなことでしょう。
決断するとは疑うのをやめることだという人もいます。後悔することのない選択をしたいものです。
後悔しない生き方
さて、心理カウンセラーのラッキーさんが、「後悔しない生き方ができる秘訣」というのをYou Tubeで発表しています。
「最高の人生とは何か?」と問われると、それは、「亡くなる前に後悔しない人生」でしょう。
後悔することをあげると、
①働きすぎた,
②愛や感謝を伝えなかった,
③感謝のない生活を送ってしまった,
④人の目を気にしすぎた,
などがあげられるといいます。
後悔のない人生にするには、
①家族や友達との時間を充実させる,
②家族や恩人が生きているうちに愛や感謝を伝えておく,
③暮らしの中にある「素晴らしいこと」をたくさん見つける,
④自分の気持ちに従って生きる勇気をもつ,
など、4つの行動を意識するとよいそうですが、後悔しない生き方ができる秘訣は、たったひとつだけのことなのだそうです。
それは、「『死』を本気で意識したとき『生き方』が変わる」ということです。
死を意識すれば、「志」をもてます。なぜなら、人は『終わり』を意識しないと、チカラが湧いてこないからです。自分の命をどのように使うか、すなわち『使命』こそ、『志』というわけです。
また、You Tuber の田口 久人さんが、「内定の常識 就職活動前に知っておきたかった52のこと」という本で、「死ぬときに後悔する25のこと」というのをあげています。

「公開授業」を「後悔授業」にしないために・・・
ところで、昔から、学校では、授業参観日や学校公開デー(公開ウィーク)というのがありましたが、最近、益々、学校の「見える化」の一環として、より多くの保護者や地域の方にも学校に来てもらい、公開授業(授業参観)を計画する学校が増えています。
教師にとって、授業は生命線です。どんなに普段、いい生徒指導や部活動指導をしても、授業が下手な教師は生徒から信頼されることはありません。同じ授業をするのだから、後悔のない授業をしたいものです。
そのためには、「死」を意識する、つまり、下手な授業をすれば首がとぶくらいの気持ちで「志」をもって授業に臨むことが大切だと思います。実際、塾の講師や私立の学校の先生は、下手な授業をしていたらクビになるのですから、いつも「死」を意識して授業をしているようなものでしょう。
研究授業 & 授業研究
一昔前、「3K」という言葉が流行りました。若者が就職先を選ぶのに、「きつい」「きたない」「きびしい」仕事は嫌だというので敬遠されました。
しかし、最近は、企業側の方から「新3K」が要求されています。それは、「志」,「研究開発」,「教育」です。
教育の現場にも「研究」が欠かせません。
ところで、「研究授業」と「授業研究」はどのような違いがあるのか、おわかりでしょうか。
長野県にどんぐり向方小中学校というる全寮制の学校があります。不登校生や発達障害の生徒も受け入れている学校ですが、「研究授業」「授業研究」について、わかりやすく説明してくれているので、紹介しましょう。
「研究授業」は、教師が教材あるいは自己の興味ある課題を研究して授業で実践すること。
「授業研究」は、教師が行う授業をどのようにしたら児童・生徒にわからせるか、授業に集中させ、授業を興味あるものにするかということ。
この2つは、何れも大切なものです。教師が研究することで、教師は真剣に研究課題に取り組みます。そうすると、悩み、苦しみ、達成した喜びも味わうことでしょう。教師が悩み苦しむこと、さらには喜びも味わうこと、この感覚は教師が生徒の目線に立つ上で大切なものです。研究することで、事実に対する謙虚さが要求され、身につきます。これは人、児童・生徒に対する謙虚さにもつながります。

「授業研究」は、授業を如何に充実したものにするか、いかにして生徒たちを引きつけるか、を研究するものです。
・児童・生徒を授業に集中させるにはどうするか?
・児童・生徒を中心にした授業とは何か、またどうするのか?
・どんな発問を、いつするか?
・現在の課題は何か、新たな次の課題は何か?
・充実した授業とは何か?
などを研究したり、現実の授業を通して研究したり、さらには自己研鑽するものです。
これらは、ベテランになれば身につくものもあるかもしれません。しかし、自らその気になって研鑽、研究することが必要なのです。これらの二つを教師は自ら研究、研鑽しなければ、教師の力はつかないと思います。
授業を集中させるための小手先の方策を考えることは授業を崩壊させることにもつながることがあるでしょう。
やはり、「授業」を研究したり、「研究」したりすることを授業に生かす、実践すること、教師が悩むことが大切だと思います。


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まとめ
「後悔先に立たず」と言われますが、屋久島の縄文杉を見に行くには、20km以上の山道を約10時間かけて往復しなければなりません。「やらぬ後悔より、やる後悔」と思いながら、縄文杉と出会いました。
後悔には、「してしまったことに対する後悔」と「しなかったことに対する後悔」の二種類があります・
後悔しない人生にするには、①家族や友達との時間を充実させる,②家族や恩人が生きているうちに愛や感謝を伝えておく,③暮らしの中にある「素晴らしいこと」をたくさん見つける,④自分の気持ちに従って生きる勇気をもつ,など、4つの行動を意識するとよいそうですが、後悔しない生き方ができる秘訣は、「死」を意識することだそうです。
教師は、「公開授業」を「後悔授業」にしないために、授業研究をし続けましょう。