~合唱コンクールに向けて~
右手のぼやき
皆さん、おはようございます。
今回は、「右手のぼやき」というお話をします。
実は、この夏休み、私は左肘の手術をし、しばらく三角巾をつけた生活をしていたのですが、その時にもこの話を実感しました。
私たちは毎日、右手と左手を使って生活をしています。
ある朝、洗面所で顔を洗っている時です。歯磨きをしている右手がふっと横を見ると、左手はだらりと下に垂れて何も動いてません。「あれ、僕はこんなに動いているのに……」、右手は左手のことが気になりました。
それから学校に行きました。授業が始まり、黒板の文字を書きはじめたその時です。鉛筆を握った右手がふっと横を見ると、左手は机の上にあるだけで何も動いていません。「僕は一生懸命に黒板の字を写しているのにて……」、右手はちょっとぼやきました。
給食の時間になり、お昼ご飯を食べる時も、右手は左手が気になって仕方がありません。そっと横を見ると左手はお茶碗を握っています。右手は少し安心しました。ところがよく見ると、左手は全然動いていないのです。「やっぱり動いているのは自分だけ。これは不公平だ……」、右手は大いにぼやきました。
ところがある日、左手はヤケドをして、しばらく動かせなくなりました。
朝起きて顔を洗おうとした時です。右手だけは水がすくえません。チューブから歯磨粉を出すのも一苦労。右手は包帯に包まれた左手をそっと見ました。
勉強の時間も困りました。書く時にノートがするする動いて、うまく書けません。右手は、今まで左手がノートを押さえてくれていたことに気がつきました。
給食の時間も大変でした。右手だけではお盆を持ちにくいし、ご飯を食べる時も前かがみ、とても窮屈です。「左手は僕を支えてくれていたんだ」と気づき、右手は左手にすまないと思いました。
やがて左手のヤケドが治りました。今では右手と左手は、一緒に協力し合って生活しています。
一人で出来ることには限界があり、何事もそれぞれの役割を考えて力を合わせてやるといい成果がでるのです。
「縁起」とは
私たちの体には、さまざまな部分があります。目、口、鼻、手、足、頭など、いろいろな部分はそれぞれの働きをしています。目は耳に対して、「お前はいらない」と言えません。手は「足なんか邪魔だ」とも言えません。それぞれ異なる働きをしながら、必ず1つにならなければなりません。
それと、おもしろいのは、体のどこか一部分でも苦しむと、体全体が苦しむということです。たった1匹の蚊に体のほんの小さな部分でもかまれると、体全体がいらいらしてきますね。
1つの部分が苦しめば、全体が苦しむ,1つの部分が痛い思いをすれば、全体が痛む,1つの部分が心地よいならば、全体が心地よくなる,「体」とはそういうものなのです。
学校というところも、皆さんや先生、保護者の方、地域の方々が共有して、1つの「体」を作っています。体育会でマスゲームを成功させるというのも、みんなが心を1つにして、この成功を願い、取り組むからでしょう。1つだけ、あるいは1人だけが頑張っても成功しません。みんながお互いに関係し合って、助け合い、持ちつ持たれつの関係である時に成功できるのです。このことを「縁起」といいます。
「縁起」というのは、この世の物事は単独で存在するものはなく、持ちつ持たれつの関係で、1つの共同体を作っているということです。
この世に、役に立たないなんて人は、1人もいません。
力を合わせて成功体験を経験する場であること、それこそが学校の存在意義でしょう。
声姿顕心
さてスポーツ選手への戒めの言葉であり、東都大学の野球部が大切にしている言葉に、「走姿顕心」(そうしけんしん)というのがあります。
走る姿に心が顕れる」という意味ですが、同じような言葉で、「声姿顕心」(せいしけんしん)というのがあります。「声や言葉にその心が顕れる」という意味です。
秋になって、合唱コンクールや文化祭などに向け、校内に合唱の声が響き渡っています。私はこの時期が、一番、学校らしいと感じる好きな時期です。しかし、練習が思い通りにいかないこともあるでしょう。
古代ギリシア哲学者ヘラクレイトスは、「最も美しい和音は不協和音から作られる」という言葉を残しています。うまくいかないことがあったり、トラブルが発生したりする方が、いいクラスになると思って、合唱の練習に一生懸命取り組んで欲しいと思います。
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