『立志』の日に・・・
皆さん、おはようございます。
2月4日、立春です。太陽の恵みを受けて木の芽も膨らみ、寒い冬もようやく峠を迎えつつあります。多くの自然が新たな胎動を始めようとする日に、「立志式」(立春式)を行う中学校もあります。
「立志式」
「立志式」とは、数え年15歳になる中学2年生が、日本で古くから行われていた「元服」にあたる儀式を行い、一人の人として『志』を立て、人生の指針と強い意志を表明し、前向きに自己の将来を設計しようとする力を培う式です。
その立志式の話でよく出される人は、橋本 左内でしょう。左内は14歳の時に自分自身のための規範として書き残した「啓発録」を著しており、西郷隆盛とも信頼しあった仲であったと伝えられています。
「啓発録」
第一は「稚心を去る。」
稚という漢字は、野菜や果物がまだ熟さずに、水くさい様子をいいます。人が子供じみた心をもっている間は、何をしても上達はしないと書かれています。自分の心にまだ甘えやわがままは残っていないかどうか考えてみたいところです。
第二は「気を振う。」
気というのは人に負けまいと思う心、負けじ魂であり、恥ずかしいということを知ってそれを悔しく思う心です。その気を振うとは、いつもそうした負けまい、恥ずかしいという気を持って、油断のないように努力することだとあります。まさに「やる気」を出すということでしょう。
第三は「志を立つ。」
志を立てるとは、自分の心の向かうところをしっかりと決め、一度こうと決心したからにはそれを見失わぬように努力し続けることです。
第四は「学に勉む。」
学問の学、学ぶとはすぐれた人物の立派な行いを見習い、自らも実行することです。また、勉強の勉、勉むとは自分の力を出し尽くし、目的を達成するまではどこまでもなし続けるということです。
第五は「交友を択ぶ。」
友達を選ぶということです。遊びなどで親しくなったような友人は、平穏な時は向上に役に立たないし、問題のある時でも自分を救ってくれはしない。自分の良くないような時に正しい方向へ導いてくれるような友人こそ、多くの人の中から選ぶのが良いとあります。
残念なことに、幕末の天才、橋本左内は、安政5年(1858年)、井伊 直弼の安政の大獄により、26歳でその生涯を閉じることになります。将軍継嗣の問題に介入したことを問われて、「私心でやったのではなく、藩主の命令だった」と主張したことが、井伊の癪に障ったと言われています。当時は、藩主をかばうのが当然という武士の倫理があったからでしょう。無念の死となったのは、左内自身の運命だったのでしょうか。
我十有五而志于学
さて、数え年15歳になる中学2年生というのは、人生の中でとても大事な時期です。
儒教の始祖、孔子は論語の中で人間の生涯を示しています。
子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。
「われ、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳に順ふ。七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)を踰(こ)えず」(為政編)
孔子は、自らの修行の経路を振り返り、「われ十有五にして学に志し」という言葉を述べています。
また、15歳というのは自分の人格を作るラストチャンスかもしれません。人間というものは、実に短期間で出来上がるもので、その人の人格というのは、それからの5年ないし、7年くらいで出来てしまうのです。よく、何十年かぶりに同窓会をしてみると、同級生は姿・形は変わっていても、中身はほとんど変わっていないなあっていうではありませんか。
世界的に有名なピアニストの伝記なんかを読んでみても、14~15歳で初めてピアノに触れたなんていう人もいます。ヴァイオリンの天才アインシュタインも、6歳の時からヴァイオリンを始めて、13歳の時にヴァイオリニストになろうと決心したのだそうです。
つまり、自分の基本的な性格を作る最後のチャンスが、中学2年生の頃から訪れるのです。最後の人格を作るのは、20歳前後、あるいは22歳ぐらいまでで、中学生にとっては、これからの5~7年が勝負ということになります。いいかえれば、15歳ぐらいの人格は、これからでも変えられるのです。ただ、その期間は僅か5~7年ぐらいしか残されていません。
『立志』の日に、
①知識(知恵)をつけること
②体力(心身)を高めること
③基本的な性格形成(特に対人関係処理能力を身につけること)
を意識して欲しいと思います。
天邪鬼(あまのじゃく)
「天邪鬼」とは・・・
「天邪鬼」は「わざと人に逆らう言動をするひねくれ者」という意味の言葉です。「ダメ」と言われればやりたくなるし、「やってもいいよ!」と言われると「やりたくなくなってしまう」というように、どうしても正反対のことをしたくなってしまう素直じゃない性格の人のことをいいます。
思春期真っただ中の中学生というのは、少なからず、天邪鬼な性格を持っています。
「天邪鬼」の語源は、日本の妖怪であると言われていて、民話に登場する妖怪の名前です。「古事記」「日本書紀」に出てきていた「天探女(あまのさぐめ)」と呼ばれていた悪神の名前がなまって「あまのじゃく」と呼ばれるようになったと言われています。
「天探女」は、元々はアメノワカヒコに仕える女神だったそうです。
ある日、派遣先で8年もの間、努めを放棄していたアメノワカヒコに、天照大御神がキヂナナキメ(鳥)に戻るように伝言を頼んだ際に、その伝言を先に聞いた天探女は、アメノワカヒコに「あの鳥は不吉だから射殺したほうがいい」とデタラメを伝え、キヂナナキメを射殺させてしまいました。
キヂナナキメを射抜いたその矢は天まで届き、アメノワカヒコを派遣した高木神がその矢をひろい、「アメノワカヒコに邪神があるなら、この矢に当たるように」とう矢を打ち返したところ、その矢はアメノワカヒコの胸を射抜いてしまったのです。
天邪鬼な人の心理の特徴
1.不器用で感情表現が苦手
2.「人に流されたくない」と感じている。
3.少数の意見を述べる割に、実は「承認欲求」が強い。
4.「本心を知られたくない」という心理が強い。
5.相手の気持ちや自分に対する評価を確認するため、わざと天邪鬼な態度をとる。実は「かまってちゃん」である。
6.「負けず嫌い」な一面がある。
7.自分の考えが一番正しいと思い込んで、意見や考えを変えない頑固者
8.決してブレない強い信念を持っている。
9.プライドが高く、自分と違う意見を言われとムキになる。
10.頭の回転が異様に早い。
11.多数派とは違う意見を言う”目立ちたがりや”
12.本音を知られて否定されたくないという気持ちが強い秘密主義者
13.相手の気持を考えるのが苦手なA(あえて)K(空気を)Y(読まない)
14.周りとは違う自分の意見を押し通す「わがまま」な性格
15.自分の非を認めるのが非常に苦手
16.自分自身の自己評価が低く、素直になれない。
17.人との会話中に、しょっちゅう揚げ足をとる。
18.本心で「良い!」と感じていても、褒めることはせず、あら探しをして批判する。
19.人が落ち込んでいたり、悲しんでいたりすることを見るのが好きで、意地悪をする。
20.頭の回転が非常に早く、的確に鋭いツッコミを入れる。
21.人の目を気にせず、単独行動が得意
22.見栄をはったり、本心を隠したりために、思っていることと反対の言葉を口に出すので、グループから孤立していて友達が少ない。
23.飲み会の場など盛り上がっている場で突然「帰る」と言ってしらけさせたり、
自分が話の中心になれないときなどに注目を浴びたくて「帰る」と急に言い出す。
24.個性的な物を選びがち。
25.素直に他人が言ったことを受け入れられず、第一声に「えっ、それほんと?」と疑うようなことを言う。
26.落ち込んでいるときや機嫌の悪いときに「どうしたの?」と聞いても、「別に・・・」「別になんでもない」と言うことが多い。
27.本心ではノリ気でも、「まあいいよ・・・」と「仕方なく感」を出す。
28. 何かの感想を求められたときに、必ずと言っていいほど「つまんない」という。
29.「好き」という気持ちをストレートに伝えることはできず、恋愛に対しては奥手。
30.「好き」という感情を抱いている人をついついいじめてしまう。
31.好きな人に対して優しく接したり、「好き」という気持ちが相手に伝わってしまうことはプライドが許さず、「好き避け」をする。
32.「お祝い」というムードも苦手で、記念日などイベントを嫌う。
33.本心では連絡をとっていたいと思っています。自分から連絡はとらない。
34.実は嫉妬心が強い。
35.「嫉妬してくれる=好き」と思っており、嫉妬してもらえばもらえるほど嬉しい。
天邪鬼な人とうまく付き合う方法
①「天邪鬼」な人の言っていることは真に受けない。
②「天邪鬼」な人の言うこと真に受け、張り合う必要もない。
③適当にあしらいすぎるのはNG
④頼み事をする場合は、「~してほしいんだけど、できないよね?」というような頼み方をする。
⑤「天邪鬼」な人と一緒にいるときは、子供を扱うと思って自分が大人になる。
天邪鬼 ~中学生の部活動編~
・本当は試合の応援に来て欲しいのに、「試合を見に来ないで」と言う。
・試合前に飲み物を渡すと、「いらんのに…」と言い、仕方なく受け取る。
・試合に負けて落ち込んでいる時に「大丈夫?」と聞くと、「別に・・・」と答える。
・試合に勝って、「よかったなあ」と言うと、「つまんない」という表情をする。
・応援に来た家族とは一緒に帰らない。
中学生活のターニングポイントを迎えて(保護者向けに…)
中学2年生(14歳)-思春期への入り口-
中学2年生の頃、それを極端な例で言いますと、次のように言えると思います。
縁日でひよこを買うことができました。買った時のひよこは、雄か雌かわかりません。それが、しばらくたつと「とさか」が大きくなってきて、これはどうもおんどりらしい,これはめんどりではないということが素人にもわかるようになってくるのです。「思春期」というのはそういう時期で、男の子は男の子らしくなってくるし、女の子は女の子らしくなってくる時期です。
人間、生まれた時は身長50cm,約3kgだったのに、1歳の頃には身長は1.5倍に,体重は3倍にもなります。思春期は、これに次ぐ発育急進期で、第二次性徴のみられる、特有の時期なのです。
思春期の子どもの特徴
①身体的な変化
中学生になったばかりの頃と比べて、中学2年生にもなると、随分、体力がついたと感じるでしょう。身長や体重が増えただけでなく、基本的な体力や運動能力も、著しく伸びてきています。それに伴って、性的な成熟も著しくなってきます。女子ではほとんどが初潮が始まり、男子にも精通現象がみられます。
②「性」意識の芽生えと「性」に関する指導の必要性
性の成熟は、心の成長と深く関わっています。しかし、性的な成熟のスピードが年々、早くなってきたにもかかわらず、心の成長の方がついていっていません。また、誤った性情報の氾濫により、そのアンバランスが、思わぬ性行動を引き起こすことがあります。
中学生の妊娠や性感染症など決して稀有なことではありません。「性」に関する指導は、豊かな愛情の温床に、男女の交際や恋愛,結婚も含めて、継続的に行う必要があると思います。ご家庭で、「性」について、きちんとお話ができていますか。
③自我のめざめ
この時期の大きな特徴の一つは、今まで外ばかりを見ていた自分の目が内側へも向いてきて、自分自身を見つめはじめるようになってくるということでしょう。自分はどういう人間なのかということを自覚してくる時期なのです。
しかし、なかなか自分の良さを発見することができず、自分の醜さというか、いたらなさというか、マイナス面ばかりに目がいってしまいがちで、自閉的な傾向を示したり、孤独感を感じたりすることがよくあります。
その一方で、独立心が芽生え、親や教師に反抗したり、妙に大人の真似をするなどの自己顕示をするようにもなります。
また、個人差はありますが、自我が不安定なため、自分自身を否定的にみがちであり、些細なことから劣等感を感じたりする傾向も強いものです。
④価値観の変容
「最近、うちの子は無口になってきた。何を考えているのかわかりません。やる気もなく、それでいて、インターネットや深夜放送にははまっているようで・・・。」と、中学生を持つ親御さんが言われます。しかし、高校生を持つ親も、「毎日、毎日、バイク,バイクという。なんであんなにバイクを欲しがるのだろうか。」とぼやかれ、大学生を持つ親も、「なんで、あんな彼女とつき合っているんやろ。」と、子どもの行動は、理解できないとおっしゃっています。
思春期の子どもたちは、大人が見ていて理解できない(値打ちを発見できない)活動に執着したり、考え過ぎといわれる状況にこだわったりすることが多く、価値観の違いを感じることは、これからも続くでしょう。
情報化・高齢化・国際化の時代に入り、多様な生き方が存在する社会において、何が人間らしい,好ましい生き方かが不明瞭になってきて、益々、この傾向は強くなるかもしれません。そこに大人の一方的な価値観を押しつけても、衝突が起こるだけでしょう。
もちろん、善悪の判断を欠いたり、社会的に逸脱した行動は、許されません。大人として、断固、注意・指導すべきでしょうが、子ども価値観は、今後もどんどん変化していくものと考えましょう。
⑤知的能力と学習
子どもが成長する中で、ちょうど3歳児の頃が、「第一反抗期」と呼ばれ、「あの赤い服、嫌だ。この黄色い靴、嫌だ。」と駄々をこねることはなかったでしょうか。実は、思春期の子どもは「第二反抗期」に入り、この時期の特徴として、妙に理屈っぽくなってきます。自分たちを規制する家庭のしつけや学校のきまりも、「なぜ」そうしなければならないかを原理的に説明しなければ納得しなくなる傾向にあります。また、逆に、理屈に合わないナンセンスを喜んで笑いのネタにするのです。特に女子は、後者の傾向が強く、「箸がこけても笑う」時期だと表現する人もいます。
学校の廊下で座り込んでいる生徒に対して、「誰や! そんなところで座り込んでいる奴は?」と叱ると、「僕で~す。」と平然と答え、掃除をさぼっている生徒に対して、「そんなに真面目にやらへんのやったら、帰れ!」と言うと、本当に帰ってしまったりします。論理的に物事を考える力がぐんと高まってくるのですが、その思考は自己中心的な傾向にあります。
ところで、最近の研究では、3歳の頃の「第一反抗期」のなかった子どもや、うまくこの時期を乗り越えられなかった子どもは、「第二反抗期」で大変、困ることになるといわれています。「あんなに小さい頃から聞き分けのいい子だったのに、まさか・・・。」という感じで、崩れてしまうケースがあります。実際、中学生になってから、「あの赤い服、嫌だ。」というような駄々をこねて暴れる子どもは、第一反抗期がなかったようです。第一反抗期の子どもが「嫌だ、嫌だ。」と言って泣きわめいても、その後すぐに、ケロッとしていることがありますね。「泣いたカラスが、もう笑った。」という具合で、人間、泣くとストレス発散になって、スキッとするのですが、そういう中学生が最近、多くなってきたように感じます。第一反抗期がなかった子どもが思春期になって非常に困ったケースに陥った場合、今さら、小さな子どもの頃に戻るわけにはいかないように思われるでしょうが、それは親の勝手な思いこみであって、たとえば、学校に行かなくなってしまった中学生の子どもと一緒にふとんに入り、添い寝をしてあげたら、まるで幼子のように安らかな顔になって、次の日から元気に登校したという例もあるように、今からでも決して遅くはないので、「よしよし」と言って可愛がってあげてください。
さて、一般に中学生は、知能が児童期より一層高いレベルに達し、言語的機能の発達に伴って、論理的形式的思考が可能になります。それによって、記憶も、材料を丸暗記する機械的暗記より、記憶材料を手がかりに法則化したり要約して記録する論理的記憶がまさってきます。要するに、ものの考え方 ・感じ方が大きく変化する時期なのです。3歳の第一反抗期の頃も、子どもは、「なんで?」とよく聞いてきますが、思春期の子どもたちも「なぜ?」とよく聞いてきます。3歳の頃でしたら、「うるさい! だまりなさい!」で済んだかもしれませんが、思春期の子どもではそうはいきません。「なぜ、学校で制服を着るのか?」「なぜ、勉強しなければならないのか?」・・・やはり、大人として、きちんと説明してやらなければならないと思います。そうでないと、大人に対する不信感を拭い切れず、いつまでも大人になりたくないと願い、歪んだ性格が形成される傾向があるようです。
学習能力は思春期に大きく発達します。しかし、その個人差は大きく、適性が明確になってきます。子どもの身体発達や運動能力には歴然とした個人差があり、多くの人はたとえば背が高いか低いか,駆けっこが速いか遅いかをあまり問題視しませんが、学習能力については、「できない」子は悪者のように扱う風潮があります。教科の中に主要教科,副教科というような考え方をするのも、よくないと思います。たとえば、数学が苦手だけれども音楽が得意な子は、駄目な子なのでしょうか? また、美術のできる子は、英語のできる子より悪い子なのでしょうか?
学習能力の個人差が明確になってくるのも、思春期の特徴のひとつなのです。それを特定の教科の偏差値だけで競争させると、その競争から脱落した子どもは、学習意欲を失い、様々なかたちで逃避に落ち込む傾向があります。学習は比較競争するための道具ではありません。
多様な価値の交錯する社会にあって、社会的使命感を自覚させ、教養を高めるという自発的な自己形成の活動として学習に取り組ませることが、重要な観点だと思います。
⑥対人関係の変化
思春期に入ると、性的な成熟を伴う急激な身体の発達,自我意識の形成,認知能力の増大によって、親や家族,友人,教師,先輩,一般の成人,さらに異性といった対象に示す社会的行動や社会的態度あるいは対人態度も、児童期とは異なった様相を示します。
まず、友人関係が広くなり、「朱に交われば赤くなる」の諺通り、その影響を多大に 受ける傾向にあります。そこで、注意して欲しいことは、「あんな子とつき合うな。」と言う前に、「類は友を呼ぶ」の諺通り、友人をみれば、我が子の状態がわかるということです。中学生ともなると親と接する時間が少なくなり、子どもが外で何をしているかわからないことの方が多いでしょう。その時につき合っている友人をみれば、友人を鏡として、我が子の状態を知ることができると思います。
子どもたちは、これからも、大勢の人たちと関わり合って生きていかなければなりません。したがって、大切なことは、「ああいうタイプの人とつき合うな。」ではなくて、どのようにつき合っていけばいいかを学ばせることでしょう。人間関係がうまくいくか、いかないかは、人生を幸せに過ごせるか過ごせないかということと、死活的な関係があります。大事なことは、いろんなタイプの人ともうまくやっていく社会性を身につけさせることでしょう。
現代社会にコンピュータは欠かすことができません。コンピュータのプログラムは、0と1の二進法でなりたっています。つまり、コンピュータは白黒はっきりと区別し、デジタル思考をするのです。コンピュータは差異をみつけるのがうまいのですが、類似点を見つけることは苦手です。人間関係がうまくいかない子は、自分と他人との差異を区別し、デジタル思考をしている人が多いようです。人間は本来、アナログ思考をする動物です。人とうまくやる秘訣は、類似点を探すことです。
人間関係がうまくいかなくなった時、子どもだけでなく、大人も様々な身体的・精神的症状を呈します。学校では9教科をはじめとして道徳や総合的な学習で、勉強を教えます。また、様々な学校行事や生徒会活動,部活動などを通して、集団で学ぶことを教えますが、「人間関係処理能力」という大事な社会的な能力を高めるのは、家庭の力が基盤です。
親の務め -「子守歌」を歌ってあげて-
思春期の子どもは、「自分はもう子供でない,大人だ。」というように自分を主張する一方で、何かにつけて不安を伴っています。これは、未知の世界へ初めて入っていくからです。だから、そういう不安定な状況になりやすい子どもとお付き合いをする親御さんは、「誰でもこの時期は通るのだ。」ということで、あまり右往左往せずに、付き合うことが、一番大切なことではないかと思います。「親」という字を「木の影に立って、見守る人」というように解釈する場合もありますが、子どもが思春期に入ったら、親は、旅立とうとする子どもの背中に向かって、もう一度、あの「子守歌」をつぶやくように、歌ってあげて欲しいのです。
また、子どもには、決して、不安を与えるような接し方はしない方がよいと考えます。とかく、親は子どもにアドバイスをしたつもりでも、試験制度というものがありますから、どちらかというと落ち込んでいるところへばかり目がいってしまうのです。「こんな成績じゃ、公立高校には入れないぞ。」・・・子どもはある部分では自分を客観的に見ることができますので、「あの子の方が成績が良さそうや。」というようなことで、他人と比べて、余計に不安定になってしまうのです。大体、親がアドバイスしたつもりで言うような注意は子どもは頭ではよくよくわかっているのですから、「うるさい!」と言われて反感を買うだけです。
それと、大人からみればつまらないことのように見えることでも、子ども自身に真剣にぶつからせて、感じさせ考えさせる体験は、非常に大切ではないかと思います。部活動の経験も、その意味で非常に大切です。3年間、部活動を続ける中で、「やめたい」と思う時期もあって当然でしょうが、安易にやめさせることより、我慢したり、問題解決したりするという経験をさせてあげてください。
「夢」と「希望」を語る進路-あこがれの職業を求める。-
高校中退者が、年間に7万人もいる時代です。進路選択の失敗を何度も見てきました。
「先生、あいつ、もう高校やめたらしいで。」・・・本当に、教師として、がっかりする知らせです。
人間、どんなにいいかっこを言っても、特殊な人以外は職業を持ち、職業人として世の中に貢献をしながら生活の糧を得て生きていきます。自分のあこがれの職というものは、一体何なのか、考えてさせてみることが大切です。これを考えず、行けるだろうか、行けないだろうかばっかりで進路を決めるから、せっかく高校や大学に入っても長続きせずに、やめてしまうのです。
子どもが進路や将来の話をしてきた時、「あんたは、いつも夢みたいなことばっかり言って。いつになったら、腰が座るの。」と言って怒る人がいるでしょう。けれども、「前よりか、ちょっとお兄ちゃんになったな。」と思って、子どもが希望を失わないで、夢を追い続けることができるような付き合いをしてやることが大切だと思います。
子どもの成長してきた中で、ハイハイしていた赤ん坊が初めて第一歩を踏み出した頃を覚えていらっしゃるでしょう。そして、親御さんの目が一番輝くのは、子どもが幼稚園の頃だったと思います。それは未知の要素が多かったからです。小学校になってくると、だいぶん未知数の部分が消えます。小学校を終わって中学校へ入ってくるようになったら、いくらおだててもらっても、また、「子供は無限の可能性を持っている。」と言ってもらっても、「うちの子のどこに無限の可能性があるやろか。まあ、そう信じとかないかんやろな。」と、だんだん活気がなくなって、現実的になってくるようです。
中学校時期のターニングポイントにたった子どもさんをお持ちの親御さんに申し上げたいのは、「子供の心の中には、親御さんのように人生の経験をしていない,新鮮な感覚で生きていく芽がある」ということです。これを何とか大事にして欲しいのです。
競争原理というのは、負けたものが悪いことになるように仕組まれてます。『行こうと思ったら、どこの学校でも行けるねんで。行けなかったのは、あんたが勉強しなかったからや。』というような説明がつくようになっています。私たちは、現実を無視することは出来ませんが、かといって、子どもの夢を早くからつみとってしまうようなことはしない方がよいと考えています。
仕事にあこがれる,その次にはそれを実現しようと思ったら何が必要なのかということを考えさせる。学校の進路指導の中で、たとえば、「そういうようなことをやろと思ったら、工業高校へ行った方がいい。」とか、「普通高校へ行って大学まで行かなかったら、その夢は実現しないな。」というようにこれから取り上げていくのです。このようにして、終着の職業にいたる進路の道筋というのが出てくるのです。それらを飛ばしてしまって、何点取ったらどこへ行けるかばかりが先に行くから、行った先で子供たちは途端に目的を失ってしまうという現実があるように思います。
トライやるウィークの意義 -自分探しには時間がかかる。-
思春期の子どもが精神的に安定した生活を送るためには、何もせず、ぼんやりする時間が必要です。
「うちの子ったら、寝ているか、食べているか、音楽を聞いているか、友達としゃべっているか・・・。いっつも、だらだらしてばかりで・・・。」という親御さんの声が聞こえてきますが、それは、中学生にとって、とっても大切な時間なのです。
ミリオンセラーになった「子どもが育つ魔法の言葉」の著者、ドロシー・ロー・ノルトという人が、「10代は自分探しの時期」だと述べています。10代の最優先の課題は、自分探しであり、「こんなふうになりたい」と思う大人に近づいてゆくことが大切です。友情を育み、好きな異性に胸をときめかせ、才能を伸ばし、夢を追いかけ、進路を決めてゆくのです。その前に、ゆっくり自分について考えなくてはなりません。自分探しには、時間がかかるのです。
「トライやるウィーク」は、自分探しのきっかけにする時間でもあります。そもそも、1998年、兵庫県から始まったトライやるウィークは、1995年の阪神・淡路大震災、1997年の神戸連続児童殺傷事件をきっかけに、授業も部活動もせず、学校というプレッシャーの場から離れて、社会や世間に目を向け、働くということを考えたり、大人の世界を垣間見る機会を中学2年生に与えようという発想から生まれたものです。生徒たちが5日間、実社会において、職場体験、福祉体験、勤労生産活動など、学校ではできない様々な地域での活動に挑戦し、豊かな感性や創造性を高めたり、自分なりの生き方を見つけたりすることができるよう支援し、ともに生きることや感謝の心を育み、自立性を高めるなど「生きる力」を育成する
ことをねらいとして実施されています。この「トライやる」の取組は兵庫県だけですが、少しずつ、全国にも広まってきています。
10年後の自分をイメージしよう。
十年後のキミを、具体的にイメージしてみよう。
どこで、どんな服装で、どんな歩き方で、
どんなことを考えているか?
そのイメージに向かって、日々を過ごすんだ。
(師友塾塾長・大越俊夫)
「5年後、10年後の自分を明確に思い描いてみよ。」と言われたら、即座に答えられるでしょうか?
決してそうならなければいけないということではありません。もちろん、将来、イメージ像が変わっても構わないのですが、とにかく、今、「こうなりたい!」と思うことを、出来るだけ具体的に思い描いてみましょう。
自分の5年後、10年後の姿をイメージしないで生きるのは、目的のない買い物に出るようなものです。どこにいくかわからないままハンドルを握ってドライブに出ると、事故にも繋がります。
イメージは、人を引っ張っていくものです。次は、欲しいものを手に入れて、その時、どんな気持ちになっているかを想像するのです。そこまでイメージすることで、自分が夢をかなえた時の気持ちが、今の自分に乗り移るのです。ただ、どんなにイメージを膨らませても、本人が「そんなことあるわけない」とか「できっこない」と思っていては、何の効果もありません。素直な気持ちで、自分のイメージを信じるのです。疑うよりも信じることに長けている人が成功しています。
最後に、「立志式」を迎える、数え年15歳になる中学2年生に、これからの運命をよくするツールを教えましょう。
動物は、呼吸も表情も言葉も自由に変えることができないでしょうが、人間にはそれができます。それは、神からの贈り物、「呼吸」と「笑顔」と「思考=イメージと言葉」です。