-「台湾人と日本精神」から学ぶ-
リップンチェンシン
皆さん、おはようございます。
「台湾民主化の父」「民主先生(ミスターデモクラシー)」と称された李登輝(り とうき)元台湾総統が、2020年7月30日、97歳で亡くなられました。
親日家としても知られ、生前、「大切なことは武士道にある」と言い、「日本人が、リップンチェンシンを失わない限り、日本は世界のリーダーとして発展していくことが可能だと、私は信じています」という言葉をインタビューで語られています。
ご承知の通り、台湾は、日清戦争後、1895年から約50年間、日本の植民地でした。しかし、植民地支配といっても、欧米流の搾取を前提としたものではなく、日本の一部として統治したのでした。
ジブリ映画「千と千尋の神隠し」に出てきた「カオナシ」を見るために、初めて私は台湾に旅行に行った時、台湾人には親日家が多く、日本人だというだけで大切にしてもらった記憶があります。通訳の方は高齢の女性でしたが、「日本の軍人さんは、偉そうにしていたけれど、台湾人をとても大切にしてくれ、道路やトイレを整備して、街をきれいにしてくれた。とても感謝しています」と言われていました。
さて、「リップンチェンシン」という言葉は、一応「日本精神」と訳されていますが、台湾では、「勤勉」「正直」「約束を守る」「礼儀正しい」「合理的」「まじめ或いは頑固一徹な」「清潔」「信義を守る」という、諸々の善いことを表現する言葉として使われてきたそうです。しかも、統治していた日本が押しつけた言葉ではなく、民衆の間から自然に使われ、広まった言葉だそうです。
日本統治時代に生まれた台湾人で実業家の蔡焜燦(さい・こんさん)氏が、2000年に「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ、胸をはりなさい」という本で、「日本が台湾に残したもののうち、もっとも偉大なものは、下水道や鉄道などの物質的なものではない。『公』を顧みる道徳教育などの精神的遺産である」と述べています。
戦後75年がたった今、小中学校で道徳を教科化しなければならないほど、日本人の道徳心や倫理観の低下が指摘されています。「リップンチェンシン」は、「プライド教育」と相通じるものがあると思います。ぜひ、今の子どもたちに、人としての正しい生き方を、李登輝元台湾総統の功績とともに、語ってあげたいと思います。
蛍の光
ところで、学校の卒業式で、在校生がよく歌う曲の1つとして現在も知られている『蛍の光』。大晦日にはNHK紅白歌合戦の最後にも全体合唱が行われていますが、実は4番まで歌詞があるのをご存じでしょうか。
蛍の光
(原曲:スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」、作詞:稲垣千頴)
一、蛍の光、窓の雪 書(ふみ)読む月日、重ねつつ。 いつしか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。 |
【解説】 蛍を集めた光や雪の明かりを頼りにして、貧しくとも共に苦労して勉学に励んできた友よ、いよいよお別れの時が来ましたね。 |
二、止まるも行くも、限りとて、互(かたみ)に思う、千萬(ちよろず)の 心の端(はし)を、一言に、幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり。 |
【解説】 学舎にとどまる人も、また学を修めて卒業し、旅だってゆく人も、今日を限りと思って、お互いにかわした心の架け橋、永遠の絆を、無事にあれとばかりを念じて、この歌の一言に思いを託して歌います。 ※「かたみにおもう」=お互いに思う 「さき(幸)く」=無事に |
三、筑紫の極み、陸(みち)の奥、海山遠く、隔つとも、 その眞心(まごころ)は、隔て無く、一つに尽くせ、國の為。 |
【解説】 九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心はただひとつにして互いに国の発展の為に尽くそう。 ※「つくし(筑紫)」=九州の古い呼び方 「みちのおく」=陸奥。東北地方 |
四、千島の奥も、沖繩も、八洲(やしま)の内の、護(まも)りなり、 至らん國に、勲(いさお)しく、努めよ我が背、恙(つつが)無く。 |
【解説】 千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どこの地に赴こうとも、日本各地それぞれの地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任にあたり、務めを果たしていただきたい。 ※「やしま」=八島、八洲。日本の国の古い呼び方 「いたらんくにに」=国の至る所で 「いさおしく」=勇ましく 「せ」=背、夫、兄。兄弟とか友 「つづがなく」=お元気で |
『蛍の光』は2番までしか歌われないことがほとんどですが、3番と4番は遠く離れ離れになっても、それがたとえ辺境の地であろうとも、国のために心をひとつにして元気にそれぞれの役割を果たそうという内容です。
台湾の私立大学の名門、淡江大学の卒業式では、毎年、『蛍の光』を4番まで歌っているそうです。「日本では1番と2番しか知りませんね」というと、台湾の学生たちは怪訝な顔をしていたと、全国教育問題協議会(全協)の山本豊常務理事が、日本教育再生ネットワークのブログで明かしています。
恩を忘るれば、善根断絶す
さて、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の後、台湾は200億円を超す世界最高額の民間義援金を日本に送ってくれました。また、2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震では、台湾は当初1,000万円の支援を申し出てくれていましたが、その後、震度7を観測する「本震」と言われる大地震が再び起こると、台湾内からの「少なすぎる」との声を受けて、6,400万円に増額して義援金を送ってくれまたのです。
なぜ、台湾は、日本に対して、このように温かい支援をしてくれるのでしょうか?
台湾の人たちには、もともと、“近隣の人が困っていたら助ける”という考え方があるそうです。たとえば、スマトラ沖地震の時も、日本円にして2万~3万円を当たり前のように寄付している人が数多くいたといいます。
とはいえ、200億円もの金額はそうそう集まるものではないでしょう。多くの台湾人は、日本に対して好印象を抱いています。若い世代では子どもの頃から日本のアニメに慣れ親しんでおり、日本製品の品質をはじめ、日本人と一緒に仕事をしたことがある人でしたら、その勤勉さを尊敬していることが多いそうです。特に、戦前の日本統治時代を知る人たちは、その頃がすごく良かったと感じていたり、懐かしくも思ってくれたりしています。
実は、戦前、台湾が日本の統治下にあった時代、多くの日本人は台湾のために尽力しました。その筆頭格は、1920年着工し、1930年に完成した当時東洋1と謳われた烏山頭(うさんとう)ダムの建設にかかわった八田 與一です。
八田は、東京帝国大学工学部土木科を卒業し、台湾で不毛の地と言われた嘉南平野にすばらしいダムと大小さまざまな給水路を造り、15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし、100万人ほどの農家の暮らしを豊かにした人です。
嘉南平野は香川県ほどの大きさで、台湾全体の耕地面積の6分の1を占める広大な土地です。亜熱帯性気候で1年に2、3回もの収穫を期待できる地域でしたが、水利の便が悪く、降水量が年間2,000ミリを超えるにもかかわらず、河川は中央山脈から海岸線まで一気に流れ落ちるために、雨期には手をつけられないほどの暴れ川となり、乾期には川底も干上がる有様でした。農業生産は天候任せで、極めて不安定、低水準でした。
八田は、トンネル工事でガス爆発が起こり、50余名の死者が出る事故があったり、関東大震災のため、工事への補助金が大きく削られ、職員、作業員の半数を解雇せざるをえない事態に追い込まれたりする難局を乗り越え、10年の歳月をかけてダムを完成させました。
今も残る烏山頭(うさんとう)ダム
残念なことに、1942年(昭和17年)5月8日、八田はフィリピンに向かうため、五島列島沖を航海中、アメリカ潜水艦の雷撃を受け、56歳で亡くなりましたが、嘉南の農民たちは、1946年12月、日本の黒御影石を探し出して、日本式の墓を八田夫妻のために建てました。以後、毎年、命日5月8日には、嘉南農田水利会の主催により、墓前での慰霊追悼式が催されているそうです。
また、1931年(昭和6年)に工事関係者が贈った八田の銅像は、戦争末期の金属類供出が呼びかけられた頃、忽然と姿を消していましたが、戦後、地元民が隠して保管していたのが見つかり、昭和56年に墓前に設置されました。八田の功績は、今でも台湾の小学校の教科書にも載っており、台湾の人たちは、80余年たった今でも、八田への恩を忘れずにいるのです。
この八田 與一像の首が、2017年4月16日、何者かに切断され、大きなニュースとなりました。翌17日、元台北市議だった李承龍という男が共犯の女(邱某)と共に、自ら台北市警察署に出頭しました。李承龍は急進統一派の「中華統一促進党」に所属していたそうです。
なお、「恩を忘るれば、善根断絶す」という言葉は、南山大師(弘法大師)=空海の言葉です。
「恩」を忘れない。
さて、「恩」という文字は、「心の原因」と書きます。心の元、つまり、自分というものは、どこからやってきて、どんなふうに育ってきたのかを知ることではないでしょうか。
また、「恩」という文字は、「口」と「大」と「心」から成り立っています。「口」は環境、「大」は人手足を伸ばしている姿です。何のおかげでこのように手足を伸ばしておられるかと思う心が、『恩を知る』ということです。
ところで、「恩返し」という言葉がありますが、受けた恩をその人に直接返すというのは、なかなかできることではありません。しかし、受けた「恩」をまた別の人に送り伝えてゆくことはできます。そのことを「恩送り」といいます。
日本には、古くからの言葉で、『情けは人の為ならず』というものがありますが、「恩送り」はこれに当てはまると思います。
近年、英語圏でも「恩送り」に相当する概念が、“Pay it forward”の表現で再認識されるようになってきているそうです。
Pay it forward or paying it forward refers to repaying the good deeds one has received by doing good things for other unrelated people.
この“Pay it forward”をテーマに2000年に小説『 ペイ・フォワード可能の王国』が書かれ、この本のアイディアをもとにペイ・イット・フォーワード財団というのも設立されています。
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