映画「人間の証明」
皆さん、おはようございます。
8月5日は、「ハハとコドモ(母子)の日」だそうです。
すべての人間は、母親のおなかの中から生まれてきたのですが、母と子の関係は、なかなか一筋縄でいかないものがありますね。
さて、1977年に公開された角川映画『人間の証明』。
森村 誠一の長編推理小説をもとにしたもので、「キスミー」に行くとニューヨークのハーレムを飛びだした黒人青年ジョニーは、実の母親、八杉 恭子と再会した途端に東京のホテルのエレベーターの中で母親に刺されてしまいます。
手には鮮血に染まった西条八十の詩集を持ち、「ストウハ…」という言葉が最期の言葉でした。「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」は流行語となり、ジョー山中が英語で歌った「人間の証明のテーマ」も大ヒットしました。
Mama Do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago flew to the foggy canyon yeh
Mama I wonder what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side Out of my reach like your heart
Suddenly the wind came up
stealing my hat from me yeh
Swirling whirling gusts of wind
blowing it higher away
Mama that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it no one could bring it back
Like the life you gave me
母さん覚えてますか?
あなたがくれた麦わら帽子
霧深い谷間に飛んで消えたあの帽子
母さん、なんであんな事になったんだろう。
あなたの心と同じ様に深い谷間に消えた
突然吹いた風が大切なものを奪い去り
手の届かぬ空を舞い飛んで消えた
母さんあの帽子本当に好きでしたよ
もう戻らない思い出あなたがくれた愛と
恨み
若かった私は、その当時、家族を捨てて家を出て行った自分の母親と『人間の証明』の八杉 恭子を重ね合わせ、母親に恨みを抱いて過ごしました。
そう、母は男を作って家出したのでした。
その後、裁判になり、すったもんだの騒ぎの後、父母は離婚し、私たち兄弟もバラバラになってしまいました。
西條八十の詩「ぼくの帽子」は、こんな内容でした。
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで
谿谷に落としたあの麦稈帽子麦稈帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
---母さん、あのとき、向ふから若い薬売りが来ましたつけね。
紺の脚絆に手甲した---
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたつけね。
だけどたうたうだめだった。
なにしろ深い谿で、それに草が背丈ぐらゐ伸びていたんですもの。
---母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍で咲いてゐた車百合の花は
もうとうに枯れちやつたでせうね。
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
---母さん、そしてきっと今頃は---
今夜あたりは、あの谿谷に、静かに雪が降り積もつてゐるでせう。
むかし、つやつや光つた、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに、寂しく。
特に、英語の最後の歌詞を聞くたびに、母が私たち兄弟に残していった心の傷がより深くなり、寂しく辛い思いが膨らみました。
Mama that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it no one could bring it back
Like the life you gave me
感謝はできる
さて、この映画の舞台となった碓氷峠から霧積への道には、有名なめがね橋があります。
大人になって、初めてそのめがね橋を訪れた時、空から囁き声が聞こえてきました。
「許せない母に、感謝することはできますか?」
私は思わず、「できます」と答えました。そして、長く心に積もっていたモノが解けて、心が晴れ晴れとし、涙と一緒に流れ出ました。
「国民教育の師父」と言われた教育哲学者の森 信三先生は、「最善観」という考え方を提唱さています。これは、「わが身に降りかかる一切のこと、それは自分にとって絶対必然であり、また実に絶対最善である。」ということですが、自分にとって許せない人であっても、その人との出会いや交流があったから、今の自分があるということもあるでしょう。そう考えると、好きにはなれないけれども、感謝はできるということもあると思います。
「許す」の語源は「ゆるます」だそうです。つまり、緊張の糸をピンと張っているのを「ゆるます」ことが「許す」ということです。「まあいいか(ま、いいか)」とゆるますことが、「許す」ことの本質です。感謝することはできると考えるだけで、心の緊張がゆるみます。
人間は、どんなに「許せない」と思う相手でも、感謝はできるということを知りました。
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