I君の教育論
長崎港、清水港とともに「日本三大美港」として知られる神戸港、その美しい景観を眺めながら、大学卒業を目前に控えて、私と親友のI君は、潮風に吹かれながら語り合っていました。「これから就職するにあたって、どんな教育者になりたい?」と・・・
恥ずかしながら、私は明確な意見は持っていませんでした。勤めた所でなんとかすればいいさと思っていました。
しかし、大阪出身のI君は違いました。
「この神戸に来て4年間、何もいいことがなかった。いろんな人に騙されてきたし、裏切られてきた。でも、大阪に帰って教師になったら、自分は自分に正直に生きていくつもりだ」とまるで、アリスの谷村新司さんが作詞した「遠くで汽笛を聞きながら」の歌詞のような言葉を述べるのです。そして、自分なりの教育論をまくしたてるのでした。
「『大きな耳・小さな口・優しい目』こそ、教育者の原点」
「教育者はフェミニストになってはいけない。『ヴァナキュラー的なジェンダー』だ。」
「『教育はゲーム』だ」・・・
「俺たちは『働く』んじゃない、『傍楽(はたらく)』んだ。」
「大きな耳・小さな口・優しい目」
「大きな耳、小さな口、優しい目」は、7つのプロ野球球団を渡り歩き、ロッテの落合選手、ダイエーの小久選手、中日の山崎選手、オリックスのイチロー選手など、30人以上のタイトルホルダーを育てた打撃コーチの高畠 導宏さんが、指導者として肝に銘じていた言葉だそうです。
高畠さんはプロ野球を辞めて高校教師に転職し、甲子園を目指されたのですが、ご病気により、志半ばでこの世を去られました。しかし、この言葉は、学校の教師だけでなく子育てをする親にとっても、大変有益な言葉だと思います。
「ヴァナキュラー的なジェンダー」
「ヴァナキュラージェンダー」とは、男女の根本的な非対称性を前提としており、生活を互いに補完する形(相補性)で独自の文化的な価値を有している性差のことのことです。
1999年に「男女共同参画社会基本法」が公布・施行されて以来、男女平等という主張のもと、教育現場では、性別の完全な撤廃や男女平等の杓子定規な押しつけも行われました。
すべての学校を共学にせよという主張や男女混合名簿、体操着は男女兼用のハーフパンツに、着替えは男女同室で、ランドセルは男女同色で、生殖器付きの人形を用いた過激な性教育、ひな祭りや鯉のぼりといった伝統行事における性別の撤廃等がなされ、ジェンダー・フリーの極端な方向は、「男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられている」と強い反発を引き起こし、「バックラッシュ」とよばれる主張が生まれました。
さらに、2003年、東京都立七生(ななお)養護学校での性教育バッシング問題を契機にして、ジェンダー・バッシングは益々、激しさを増しました。
その後、男女の社会文化的な性差を配慮し、それが引き起こす不公正に敏感であろうという「ジェンダー・センシティブ」の立場の意見が生まれたり、より積極的に男女の公平・公正な実践をし、その関係や社会を指示・志向するという「ジェンダー・フェア」の立場の意見も出たりしました。
筑波大学医学医療系社会精神保健学教授で精神科医、批評家の斎藤 環(さいとうたまき)氏は、『関係する女 所有する男』という著書で、ジェンダー・センシティブという立場から男女の性差を考究し、「所有」と「関係」という2つの原理を見出しています。
しかし、いまだに、ジェンダー論は、時代の流れや突発的な事件に翻弄され、これという市民権を得ていません。反フェミニズムを主張する立場も根強くあります。
教育はゲーム
以前、私は、大変荒れた中学校に勤めていた時、連日12時を超えて帰宅していたのに、身近な人から、「あなたはいいわよね。毎日、遊んで給料もらっているんだから!」と言われたことがありました。
その時は、非常に腹がたって言い返したのですが、よくよく考えてみると、学校に行って生徒相手に好きなことを話し、やりたいようにやっている自分に気がつき、結構、「学校の先生って、遊びながら仕事をしているなあ」と思い直しました。それなら、毎日、「仕事だ、仕事だ」と思わず、「遊ぶように働こう」と考えを変えました。
それからは、楽しんで学校に行けるようになり、疲れを感じることも少なく、少しゆとりをもって生徒や保護者や教師と向き合うことができるようになりました。「ものは考え様」だなと思ったきっかけでした。
昨今は何でも機械化され、すっかりデジタル化しています。しかし、人間はもともとアナログな生き物です。何でもかんでもデジタル的な思考をすると、かえってストレスを溜めかねることにもなりかねないと思います。
仕事をとるか家庭をとるか,仕事か趣味か,仕事タイムかプライベートタイムかというように二者択一で考えることは、まさしくデジタル思考です。しかし、実際の生活はONとOFFが渾然一体となっており、その混沌を楽しんでしまった方が楽ではないでしょうか。
授業のアイデアが酒場のカウンターでふと浮かぶこともあれば、お風呂に入ってリラックスしている時に浮かぶこともあります。その確率は、もしかすると、会議の時よりも多いかもしれません。
酒の席で仕事の話をすると嫌がる人がいます。また、仕事とプライベートを厳密に分けたがる人もいます。このように、ONとOFFをきっちりと分けるデジタル思考タイプの人の考えの根底には、基本的に「仕事は苦しいもの,嫌なもの」という考えがあるようです。こういう人は、ONの時間が長くなり、OFFがしっかりととれないと、ストレスを必要以上に溜め込んでしまうのだそうです。
元来、日本人は、「清濁併せ呑む」という言葉もあるくらい、アナログでファジーな生き方や考え方が得意な民族です。「好きこそ物の上手なれ」といわれますが、仕事が好きなら、仕事の進め方もうまくなり、その結果としてOFFの時間もちゃんと作れると思います。
そこで、私は、「ゆとりある公私混合」をひとつのモットーにすることにしました。
ところで、「ゲーミフィケーション」というのをご存じでしょうか。
ゲームの要素やデザインを社会活動やサービス開発に組み込むことといいますが、ゲームの仕組みと同じように、「楽しさ」「興味」「目的意識」などを与えることによって熱中度を高めれば、ワクワクしながら楽しく知識や技能を向上でき、勉強や仕事の効率が上がります。
「教育=ゲーム」ではありませんが、教育活動の中にゲーム的な要素がなければ、単なる訓練になってしまうでしょう。
<参考に・・・>
①適切な目標(クエスト)の設定,
②友達と競ったり助け合ったりするコミュニケーション,
③簡単すぎず難しすぎない丁度良い難易度,
④目標を達成した時にもらえるご褒美(報酬)
1.勉強の目標は自ら決める。
2.小テストを頻繁に行う。
3.仲間と競う。
4.実力を記録、視覚化し、本人へフィードバックする。
5.イベントを作る
6.射幸性をうまく活用する
7.つまづいた時に、直ぐに質問ができるようにする。
8.授業はできるだけ受けなくて済むようにする。
9.「集中できる場所」を作る。
10.スキマ時間を活用して勉強できるようなツールをもつ。
「俺たちは『働く』んじゃない、『傍楽』(はたらく)んだ。」
先哲の仕事に対する名文句を3つご紹介します。
When work is a pleasure, life is a joy! When work is a duty, life is slavery.
(仕事が楽しみであれば、人生は楽しい。仕事が義務ならば、人生は奴隷制度です。)
(マクシム・ゴーリキー:ロシア作家)
人生80年のうちの最も貴重な40年間を使う仕事が、「おもしろおかしく」なくて、何のために生きるのか。
自分の経験で言うと、おもしろいと思ってやった仕事はほとんど成功している。
逆に、これはやらんとしょうがないな、というのはうまくいかない。
おもしろい仕事をするか、おもしろく仕事をするか。その2つしか成功の道はない。
(堀場 雅夫:実業家、堀場製作所創業者、学生ベンチャー企業の草分け)
自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。
――こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。
(ジョン・ワナメーカー:アメリカ実業家、「百貨店王」)
仕事のプロとは何でしょうか?
一般的に「教師の仕事は大変だ」と言われています。
しかし、同じ教師の仕事をしていても、プロ意識のある教師とそうでない教師では雲泥の差があると思います。
教師は自分の仕事を「頑張っている」なんて言っていてはダメです。
書家の相田 みつを氏が、こんな言葉を残しています。
「プロというのは、
寝ても覚めても仕事のことを考えている。
生活すべてが仕事。
そこがアマチュアとの絶対差だ。」
プロは頑張るのは当たり前で、頑張るのは特別なことではないのです。
「頑張る」という言葉が出てしまうのは、仕事しか見えていないからでしょう。
「働くというのは、はたを楽にしてやることだ。」
これは、山本有三の小説『路傍の石』の中の名セリフです。
それぞれが自分の持ち場の責任を果たし、他の人を楽にすれば、全体が楽になるでしょう。効率も上がり、人間関係も円滑になるでしょう。
働くというのは、「傍楽」「端楽」というわけです。周りの人から、「あの人がいないと困る。」と思われるようになってはじめて、働いているということになるのです。
ところが、「自分の給料分だけ働けばよい」とか、「私だけ働いても仕方がない」となると、「俺楽」になってしまいます。仕事が多いとぼやく人が数多くいますが、給料が多すぎるという文句は聞いたことがありません。
仕事のことを英語では、“BUSINESS”といいますが、「U」の発音は、「イ」と発意し、「YOU」を表しています。つまり、仕事では、自分のことよりも、まず、相手のことを考えるということが大切なのです。
そもそも、「企業」というのは、どういう意味でしょうか?
「企業」の「企」は、くわだてをするという意味があります。すなわり、企=人+止ということで、人が立ち止まって考え事をする意味です。農夫がクワをたて、その上にアゴをおいて考えたということから、「くわだてる」となったのだそうです。
また、「企業」の「業」は、ギザギザした木に楽器を立てかけている形を表しており、「困難な事」や「手間のかかる仕事」という意味です。
したがって、「企業」とは、「困難なことに取り組み、企てごとをする。」ということになります。楽をして儲けるというのは、企業の原点ではないということです。
教育は死ナズ
大学卒業を間近に控え、神戸港にて、さあ、これから社会に出ようという前に、このような意識をもって熱く語るI君を、私は羨望の眼で眺めていました。
しかし、大変残念なことに、I君は教師になって3年目、急死しました。
死因は脳梗塞でした。夏の暑い日、教員のラグビー大会に出場した後、プロテインを大量に摂取して筋肉をつけていたために血液の流れが悪くなり、運動後の水分摂取が不足していたのでした。
彼がなくなってからの35年間、私は、「I君がもし今生きていたら、何と言うだろう?」と考えながら、いつも教育活動をしてきました。
『大きな耳・小さな口・優しい目』
『ヴァナキュラー的なジェンダー』
『教育はゲーム』
『傍楽(はたらく)』
彼の言った言葉のいずれも、私の教育観に多大な影響を与えました。
1980年代後半、校内暴力が激しかった時代、川越市立川越第一中学校の河上亮一先生が、プロ教師としての心得として、「プロ教師になるための十六章」を掲げました。
学校という場所は「戦場」なので、たとえば、「教師を演ずるには衣装から」「役者のような動作を身につけろ!」「他人行儀な言葉づかいがいい」「責任をもてない命令をするな!」「生徒とはよそよそしい関係を!」「生徒を道徳的に断罪するな!」「やったことの理由を聞くな。」「生徒を説得しようとするな!」などということを提案しています。
あれから時代は大きく変わりました。しかし、本質的なところは変わっていないかもしれません。
今、私は、次の10か条を、真の教育者であるための心得としてあげたいと思います。
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