「考える」こと
皆さん、おはようございます。
京セラの創業者、稲盛 和夫氏は中村天風の「信念で寝て、信念で起き、信念で一日中を生きよ」という教えを地で行い、数々の奇跡を起こした人ですが、彼は人生の結果を次の式で示しています。
「人生の結果=考え方×熱意×能力」
この中で最も重要な要素は、考え方で、プラス思考をするのか、マイナス思考をするのかで、大きく差が出てくるとしています。
「考え方×熱意」は「信念」という言葉に置き換えられ、中村 天風は、物事は「信念」と「能力」の掛け算で成否が決定すると述べています。
「人生の結果」=「信念」×「能力」
「なぜ」という問いに答えれる人に・・・
時々、児童・生徒たちに、「なぜ、君は学校に来ているのだ?」と問うようにしています。
ほとんどの子どもたちは、黙り込んでしまいます。普段から、そういうことをあまり考えて生活していないからでしょう。
ここでいう「なぜ」というのは、「原因」や「理由」を聞いているのではありません。その「意味」を聞いているのです。
つまり、学校に来てやらざるを得ないことを聞いているのです。「『なんで』中学校にきているの?」じゃなくて、「『なにしに』学校にきているの?」ということを聞いているのです。
「なぜ、あなたは学校に来ているのか」に答えて…
中学2年生のあるクラスで、「なぜ、あなたは学校に来ているのか」という質問に回答を書いてもらいました。
義務だから,勉強するため,社会に役立つ知識を得るため,基礎を学ぶため,友達を作るため,友だちと話すため,外の世界(社会)に出るための準備,団体生活の基礎やきまりを身につけるため,集団生活を出来るようにするため,人との関係を作っていくため,マナーを教えてもらうため,楽しく学ぶため,中学生としての態度や知識を学ぶため,偏差値をあげるため,高校に行くため,家にいてもおもしろくないから,お金を溜めていい暮らしをするため,立派な大人になるための第一歩,自分の将来のため,行っていないより行っていた方がいいから,賢くなるため,将来、自分の好きな仕事をするため・・・etc.
また、中学3年生のホームルームで、「なぜ、君は中学校に来ているのだ?」と問うたところ、何人かの生徒たちから「成績をあげるため」,「規則を守るため」,「自立するための準備」,というような答えが、か細い声でかえってきました。
しかし、「成績をあげるため」だけなら、別に中学校に来なくても、塾や家庭教師をつければいいでしょう。また、「規則を守るため」というなら、「間違った規則でも守るのですか?」と聞き返したいところですし、第一、中学校は規則を単に守るだけのロボット人間を育てる場ではありません。さらに、「自立するための準備」というのなら、そのために、具体的にどんなことが出来ればいいのか答えて欲しいものです。
私は、学校は、子どもたちが、様々な学習と経験を通して、大人に「変身」する場だと思っています。具体的には、次のような人に育って欲しいと、常日頃から考えています。
①自分の責任を最後まできちんと果たせる人
②「思いやり」と「優しさ」をもった人
③正しく思考し、行動できる人
考えるりんごか、使えるりんごか?
子どもたちは時々ミスをします。悪いことは悪いと叱らなければなりませんが、叱られた時、2つのタイプがあるように思います。
ひとつは、なぜ(Why)、叱られたかを素直に考え、原因を追及しようとするタイプです。もうひとつは、これからどうやって(How)叱られないようにしようとするか考えるタイプです。
いうまでもなく、Howと考えるタイプの生徒は、また同じミスを繰り返しますが、Whyと考えるタイプの生徒は、同じミスを繰り返すことはありません。
「アフリカに行った靴屋の話」
アメリカに伝わる有名なジョークに、アフリカに靴を売りに行った営業マンの話があります。セールスマンなら誰でも知っている話だそうです。
ライバル同士の靴のメーカーにAさんとBさんという2人の営業マンがいました。2人がいるメーカーはアフリカに靴を売りに行く計画を立てました。
ところが2人にとって、予想外の状況が待ち受けていました。何とアフリカの人たちは誰も靴を履いていなかったのです。
それを見てAさんは急いで本社に報告しました。
「ここでは靴は売れません。だってみんな裸足なんですから」と。
一方のBさんも現地の人たちをみて急いで本社に連絡しました。 「至急ありったけの靴を送ってください。ここでは誰も靴を履いていません。この人たち全員が靴を買ってくれたら、すごいことになります」と。
同じ状況でもポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかによって全く違う判断になります。おそらく結果も違ってくるでしょう。
「未来は変えられる」と思うか思わないかによって、人間の取り組みというのは随分と変わってきます。
また、自分が置かれた状況を「ピンチ」と捉えるか、「チャンス」と捉えるかは自分次第です。出来るだけ前向きに捉えて取り組んでみましょう。
「人間はいくらでも変わることができる」という思考
アメリカ心理学者でスタンフォード大学心理学部教授、キャロル・S・ドゥエックが。『マインドセット「やればできる!」の研究』(原著Mindset)で、「固定的知能観」と「拡張的知能観」を述べています。
「固定的知能観」とは、生まれつきの才能・知能・性格は一生変わらないと考える「固定思考」のことです。
一方、「拡張的知能観」とは、生まれつきの才能・知能・性格はいくらでも変えられると考える「成長思考」のことです。
私たちの潜在能力が最大限に発揮されるのは、自分の能力はどんどん伸びると信じている時です。
能力や才能は生まれつきのものではなく、人間の基本的資質というものは後からいくらでも伸ばすことができるのです。
また、現在の評価でその人の能力を判断してはいけません。これからいくらでも伸びるのですから…。
さて、子どもに「成長思考」を身につけさせるには、いくつかポイントがあります。
それは、人間はいくらでも変わることができるという事実を知ることです。幼い頃から、偉人の伝記や自伝を読むことをおススメします。
「考えさせる」教育をしよう。
さて、子育ては、子どもの成長に時期によって、ポイントがあるといわれます。
乳児期は「愛する」こと。幼児期は「しつける」こと。少年期は「教える」こと。そして、思春期は「考えさせる」ことが大切です。
特に、中学生の時期は、身体的には第二次性徴期がみられ、精神的には第二次反抗期に入ります。子どもでもなく、大人でもない、「中間人」です。個人差も大きいので、一人ひとりに応じた教育が必要なのはいうまでもありませんが、「教える」とともに、「考えさせる」教育をすることが特に大切でしょう。
「考えさせる」教育をするのは、簡単なことです。「なぜ」という問いをするのです。(私が大学院で研究をしていた頃、「院生殺しにナイフは要らぬ。『なぜ』という言葉で十分」という話を聞いたことがありました。)
「中学校に来なければならないのは、なぜ?」,
「部活動が大切なのは、なぜ?」,
「制服を着用しなければならないのは、なぜ?」,
「学校で掃除をするのは、なぜ?」,
「中学校で9教科を勉強するのは、なぜ?」・・・etc.
そこで、大切なことは、教師自身がそれらの答えをしっかりと持っておくことです。学校にはいろんなきまりがありますが、たとえば、生徒から、「先生、なんで携帯電話を持ってきちゃいけないんですか?」,「先生、昼食を自分の席で食べなければならないのはなんで?」と訊かれた時、「生徒手帳に書いているやろ!」では、生徒は納得しないでしょう。
また、「そんなきまりがあるの? おかしいよねえ。」では、生徒は不信感を持つだけです。
学校のきまりには、その学校独自の伝統や文化がバックボーンにある場合もあります。やはり教師は、「先生、なぜですか?」と訊かれた時に、きちんと答える義務と責任があるでしょう。
「集会の時、体操座りをするのは、なぜですか?」
「白色の靴や靴下をはかなければならないのは、なぜですか?」
「○○さんは、△△ちゃんと下の名前で呼ばれるのに、私は□□さんと呼ばれるのは、なぜですか?」
私たちは、生徒たちに「なぜ?」ということを考えさせる前に、生徒の疑問にも、きちんと答えなければなりません。
そのためには、教師も事前にしっかりと共通理解をしておく必要があるでしょう。
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