「偉人」の話

子どもを教育するには、忘れてはならない大切なことが2つあります。

その一つは、教育の根幹に不可欠なもので、「」です。愛に欠けた教育は、共感を持って受け入れられることはありません。ただ、身勝手で盲目的な愛情の押しつけではいけません。自制的で調和のとれた愛情、すなわち「愛和」の心が大切です。

そして、もう一つは、「手本になる」ということです。教育学者の斎藤 孝氏は、「教育という営みは、『憧れの伝染』である」と述べています。先生と生徒に限らず、親と子も、先輩と後輩も、上司と部下も、感化されて見習うものなのです。人を教育する立場にある人は、常に自ら学び続けるということが大前提でしょう。スポーツの世界では、監督やコーチを戒める「人は学ぶことをやめたとき、教える資格を失う」という言葉がありますが、学ぶ手本を示してこそ、本当に学ぶ意欲を引き出せるのです。

しかしながら、実際、親や教師が、子供の憧れの存在として「手本になる」ことは難しいと思います。

そこで、歴史上の偉人たちの話をすることがきっと役に立ちます。政治、科学、芸術など様々な分野で世界のあり方を変えてきた歴史上の偉人は、単なる過去の人物ではなく、現代社会の課題解決や自己成長のヒントを与えてくれる存在でもあります。

ただ、「歴史上の偉人」といっても、ある面では英雄であっても、ある面では殺人者である場合もあります。イギリスの俳優、映画監督、コメディアン、脚本家であったチャールズ・チャップリンが、「一人を殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる」と述べている通りです。子供に語る「歴史上の偉人」は、可能な限り、様々な困難を乗り越え、不屈の精神で成功を収めた人物で、自分の私利私欲のためでなく、「忘己利他」の精神で、世のため、人のために尽力した人がいいと思います。

日本の歴史上の偉人(114人)

神代(神話時代)

神武天皇(前711~前585)

古墳時代

卑弥呼(?~248) ヤマトタケル(72~114) 仁徳天皇(290~399)

飛鳥時代

蘇我馬子(?~626) 聖徳太子(574~622) 小野妹子 蘇我入鹿(?~645) 中大兄皇子(天智天皇)(626~671) 中臣鎌足(藤原鎌足)(614~669) 天武天皇(630?~686) 

奈良時代

藤原不比等(659~720) 聖武天皇(701~756) 行基(668~749) 鑑真(688~763) 道鏡(?~772) 

平安時代

桓武天皇(737~806) 藤原園人(756~819) 坂上田村麻呂(758~811) 最澄(伝教大師)(767~822) 空海(弘法大師)(774~835) 藤原良房(804~872) 菅原道真(845~903) 平将門(903~940) 藤原純友(?~941) 清少納言(964?~?) 紫式部(973?~1014?) 藤原道長(966~1027) 藤原頼通(992~1074) 後三条天皇(1034~1073) 白河天皇(上皇・法皇)(1053~1129) 源義家(1039~1106) 平清盛(1118~1181) 源義朝(1123~1160) 後白河天皇(上皇・法皇)(1127~1192) 源義経(牛若丸)(1159~1189) 

鎌倉時代

源頼朝(1147~1199) 北条政子(1157~1225) 後鳥羽天皇(上皇)(1180~1239) 北条泰時(1183~1242) 北条時頼(1227~1263) 北条時宗(1251~1284)

室町時代

後醍醐天皇(1288~1339) 楠木正成(?~1336) 新田義貞(1301~1338) 足利尊氏(1305~1358) 足利義満(1358~1408) 世阿弥(1363~1443) 足利義政(1436~1490) 雪舟(1420~1506) 一休宗純(1394~1481) 

戦国時代

北条早雲(1432~1519) 斎藤道三(1494~1556) 毛利元就(1497~1571) 武田信玄(1521~1573) 上杉謙信(1530~1578) 

安土桃山時代

織田信長(1534~1582) 足利義昭(1537~1597) 明智光秀(1528~1582) 豊臣秀吉(1536~1598) 千利休(1522~1591) 石田三成(1560~1600) 淀君(1567~1615) 豊臣秀頼(1593~1615) 伊達政宗(1567~1636)

江戸時代

徳川家康(1542~1616) 徳川家光(1604~1651) 天草四郎(1621~1638) 松尾芭蕉(1644~1694) 徳川綱吉(1646~1709) 新井白石(1657~1725) 徳川吉宗(1684~1751) 大岡忠相(1677~1751) 杉田玄白(1733~1817) 本居宣長(1730~1801) 田沼意次(1719~1788) 伊能忠敬(1745~1818) 小林一茶(1763~1828) 松平定信(1758~1829) 大塩平八郎(1793~1837) 水野忠邦(1794~1851) 佐藤一斎(1772~1859) 井伊直弼(1815~1860) 吉田松陰(1830~1859) 橋本左内(1834~1859) 勝海舟(1823~1899) 島津成彬(1809~1858) 坂本龍馬(1835~1867) 徳川慶喜(1837~1913) 

明治時代

明治天皇(1852~1912) 大久保利通(1830~1878) 木戸孝允(1833~1877) 西郷隆盛(1827~1877) 岩倉具視(1825~1883) 伊藤博文(1841~1909) 福沢諭吉(1834~1901) 板垣退助(1837~1919) 大隈重信(1838~1922) 陸奥宗光(1844~1897) 小村寿太郎(1855~1911) 東郷平八郎(1847~1934) 北里柴三郎(1852~1931) 志賀潔(1870~1957) 田中正造(1841~1913)

大正時代

西園寺公望(1849~1940) 野口英世(1876~1928) 尾崎行雄(1858~1954) 原敬(1856~1921) 

昭和時代

渋沢栄一(1840~1931) 犬養毅(1855~1932) 山本五十六(1884~1943) 吉田茂(1878~1967) 中村天風(1876~1968) 安岡正篤(1898~1983) 

海外の歴史上の偉人(185人)

アメリカ

ベンジャミン・フランクリン(1706~1790) ジョージ・ワシントン(1732~1799) マシュー・カルブレイス・ペリー(1794~1858) エイブラハム・リンカーン(1809~1865) トーマス・エジソン(1847~1931) フランクリン・ルーズベルト(1882~1945) ライト兄弟(兄:ウィルバー(1867~1912),弟:オービル(1871~1948)) ジョン・F・ケネディ(1917~1963) ヘレン・ケラー(1880~1968) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929~1968) 

フランス

ジャンヌ・ダルク(?~1431) シャルル7世    (1403~1461) ルネ・デカルト(1596~1650) ルイ14世(1638~1715) ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778) マクシミリアン・ロベスピエール(1758~1794) ナポレオン・ボナパルト(1769~1821) エクトル・ベルリオーズ(1803~1869) ジョルジュ・ビゼー(1838~1875) マリー・アントワネット(1755~1893) ジュール・マスネ(1842~1912) ファーブル    (1823~1915) ドビュッシー(1862~1918) ガブリエル・フォーレ(1845~1924) エリック・サティ(1866~1925) モーリス・ラヴェル(1875~1937) アンリ・ベルクソン(1859~1941) シャルル・ド・ゴール(1890~1970) ココ・シャネル(1883~1971) 

中国

老子(前571~?) 孫子(紀元前500年頃) 孔子(?~前479) 孟子(前372~前289) 始皇帝(前259~前210) 項羽(前232~前202) 韓信(前231~前196) 劉邦(前247~前195) 蕭何(前257~前193) 張良(前262~前186) 司馬遷(前145/135?~前87/86?) 光武帝(劉秀)(前5~57) 曹操(155~220) 関羽(関羽雲長)(160~220) 呂蒙(178~220) 張飛(?~221) 劉備(劉備玄徳)(161~223) 趙雲(?~229) 諸葛亮(孔明・諸葛孔明)(181~234) 孫権(182~252) 煬帝(589~618) 玄奘三蔵(602~664) 則天武后(武則天 )(624~705) 楊貴妃(719~756) 玄宗(唐明皇)(685~762) 李白(701~762) 杜甫(712~770) 白居易(白楽天)(772~846) 朱元璋(1328~1398) 西太后(慈禧太后)(1835~1908) 孫文(1866~1925) 愛新覚羅溥儀(1906~1967) 蒋介石(蔣中正)(1887~1975) 毛沢東             (1893~1976)

イギリス

リチャード1世    (1157~1199) エリザベス1世(1533~1603) ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616) オリバー・クロムウェル(1599~1658) アイザック・ニュートン(1643~1727) アダム・スミス(1723~1790) ヴィクトリア女王(1837~1901) フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910) コナン・ドイル(1859~1930) ウィンストン・チャーチル(1874~1955) ウィンストン・チャーチル(1874~1965) チャールズ・チャップリン(1889~1977) 

インド 

ゴータマ・シッダールタ(釈迦)(紀元前7~5世紀) アショーカ王(?~前232) マハトマ・ガンディー(1869~1948) シャー・ジャハーン(1592~1666) マザー・テレサ(1910~1997)

ドイツ

マルチン・ルター(1483~1546) ゴットフリート・ライプニッツ(1646~1716) エンゲルベルト・ケンペル(1651~1716) ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750) フリードリッヒ2世(1712~1786) イマヌエル・カント(1724~1804) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827) ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831) アルトゥール・ショーペンハウアー(1788~1860) フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866) リヒャルド・ワーグナー(1813~1883) カール・マルクス(1818~1883) オットー・フォン・ビスマルク(1815~1898) フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900) マックス・ヴェーバー(ウェーバー)(1864~1920) カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786~1826) アドルフ・ヒトラー        (1889~1945) アンネ・フランク(1929~1945) フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847) アルベルト・アインシュタイン             (1879~1955)

イタリア

ダンテ・アリギエーリ(1265~1321) ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492) フィリッポ・リッピ(1406~1469) ジロラモ・サヴォナローラ(1452~1498) サンドロ・ボッティチェッリ(1445~1510) レオナルド・ダ・ヴィンチ                 (1452~1519) ラファエロ・サンティ(1483~1520) ミケランジェロ(1475~1564) ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574) パオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588) ティントレット(1518~1594) カラバッジョ(カラヴァッジオ)(1571~1610) ガリレオ・ガリレイ(1564~1642) ピエトロ・マスカーニ(1863~1945) ベニート・ムッソリーニ(1883~1945)

ヴェネツィア共和国

マルコ・ポーロ    (1254~1324)

スイス

カール・グスタフ・ユング (1875~1961) 

オーストリア

マリア・テレジア(1717~1780) ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト                 (1756~1791) フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809) アントン・ブルックナー(1824~1896) エリーザベト(エリザベート)(シシィ)(1837~1898) ヨハン・シュトラウス2世(1825~1899) アルフレッド・アドラー(1870~1937) ジークムント・フロイト(1856~1939) 

オーストリア帝国

ニコラ・テスラ(1856~1943)

オランダ(ネーデルラント)

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890) ヨハネス・フェルメール(1632~1675) バールーフ・デ・スピノザ(1632~1677)

古代ギリシャ

ピタゴラス(前570?~前495?) ペリクレス(前495?~前429) ソクラテス(?~前399) プラトン(前427~前347) アレクサンドロス大王(3世)(前356~前323) アリストテレス                 (前384~前322) アルキメデス(前287?~前212) エラトステネス(前275~前194) 

ローマ帝国

ジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)(前100~前44) アウグストゥス(オクタウィアヌス)(前63~14) クラウディウス・プトレマイオス         (83?~168?) ユスティニアヌス(482~565) カール大帝(?~814) ハインリッヒ4世(1050~1106) インノケンティウス3世(1161~1216) フリードリヒ2世(1194~1250)

エジプト

クフ王(クヌム・クフ)(?~前2566) アクエンアテン(アメンポテプ4世)(前1362?~前1333?) ツタンカーメン(前1341?~前1323?) ラムセス2世    (前1301~前1212) クレオパトラ7世フィロパトル(前69~前30) サラディン(サラーフ=アッディーン)(1137?~1193)

モンゴル

クビライ(フビライ)=カン(1215~1294)

スペイン

フランシスコ=ザビエル(1506~1552) フェリペ2世(1527~1598) フランシスコ・ピサロ(1470?~1541) エルナン・コルテス(1485~1547) フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828) パブロ・ピカソ(1881~1973)

ポルトガル王国

エンリケ航海王子(1394~1460) フェルディナンド・マゼラン(1480~1521) 

オスマン帝国

スレイマン1世(スレイマン大帝)(1494~1566)

アイルランド

ジョージ・バークリー(1685~1753)

スウェーデン

クリスティーナ(1626~1689)     アルフレッド・ノーベル(1833~1896) カール・ツンベルク(1743~1828) 

フィンランド

ジャン・シベリウス(1865~1957)

ソビエト連邦

ウラジーミル・レーニン(1870~1924) スターリン(ヨシフ・ジュガシヴィリ)(1879~1953) ユーリィ・ガガーリン(1934~1968)

ロシア

イワン4世(イヴァン雷帝)(1530~1584) ピョートル1世(ピョートル大帝)(1672~1725) エカテリーナ2世(1762~1796) フョードル・ドストエフスキー(1821~1881) ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893) レフ・トルストイ(1828~1910)

ポーランド

フレデリック・ショパン(1810~1849) テクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ(1823~1861) マリー・キュリー(キュリー夫人)(1867~1934) 

ベトナム

ホー・チ・ミン(1890~1969)

イスラエル

モーセ    (前16世紀~前13世紀) ダビデ(?~前961?) イエス・キリスト(前6?~30or33)

カルタゴ

ハンニバル・バルカ(前247~前183)

バビロニア帝国

ハンムラビ王(?~前1750?)

アルゼンチン

チェ・ゲバラ(1928~1967)

私のおススメ「歴史上の偉人」3選

ニュートン(1642-1727年)

「私が他の人より遠くを見ることができたのは、巨人の肩の上に立ったからである。」

イギリスの物理学者・数学者・科学者であったアイザック・ニュートンは、1666年、光の性質について研究し、光の屈折をプリズムで実験して望遠鏡を設計しました。また、数学の微積分法を作り、「万有引力の法則」を発見し、さらに、地上にも天体にも通じる力と運動の法則をまとめて、「ニュートン力学」と呼ばれる近代化学の大系を築き上げました。この1666年というのは、人類の科学にとって重大な年なのです。

ニュートンが三大発見をした1666年、実は彼は大学を離れ、故郷のウイスソープの農場にいました。ニュートンは、生まれる前に父が亡くなり、母も3歳の時に再婚して家を出ていったため、母方の祖母の元で幼少期を送りました。中学校を卒業した後、イギリスの名門ケンブリッジ大学に入学しました。

そこで猛烈な勉強をし、特待生」として学位を得ました。

ところが、1664年、ロンドンでペストが大流行し、市民50万人のうち10万人が死亡するという事件が起こったのです。ケンブリッジ大学は閉鎖され、翌1665年、ニュートンは故郷に帰ったのでした。

1666年3月、ニュートンは一度、大学に戻りますが、6月に再びウイスソープの農場に帰郷し、大学が再開される1667年4月まで、そこで過ごしました。この1666年のペストによる運命的ともいえる休暇期間中に、後に「三大発見」といわれる論文を書いたのです。

これらの成果は、彼自身の才能によるところも大きいでしょうが、同時に、彼以前の多くの人々の業績があってこそのものであったということでしょう。ニュートンは、科学史上、最大の偉人であったとともに、先人の研究者に畏敬の念と感謝の気持ちを持つ、優れた人格者でもあったようです。

「なりたいな そんな人に」

ニュートンの生涯をもう少し詳しくご紹介しましょう。ニュートンは生まれる3ヶ月前に父親が亡くなり、母親も3歳の時に再婚して家を出ていったため、母方の祖母の元で幼少期を送っています。中学校を卒業した後、ケンブリッジ大学に入学しましたが、十分な学費を出せなかったため、「給費生」として金持ちの生徒や先生の使い走りをし、時には食事の世話や靴磨き,便器掃除などの仕事をしながら勉学に励んだのでした。

そういう苦労もあって、ニュートンは、優れた人格者でもありました。どんな人だったかというと、大久保 寛司さんという人が「なりたいな そんな人に」という言葉で示しているような人だったと思います。

考えるりんごか、使えるりんごか?

ニュートンはりんごが木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したとされています。りんごの木は高いものも低いものもあるけれど、必ず落ちる。では、もっともっと高いところにある月が落ちないのはなぜかと考えたのでした。一説では、後世の作り話だともいわれていますが、では、なぜ、りんごからこの法則を発見できたのでしょうか。

その答えは、ニュートンは、いつも、このことを考えていたからです。

ある年、日本の東北地方で、りんごの収穫直前になって、台風のため、たくさんのりんごが落ちてしまいました。しかし、中に落ちなかったりんごがあって、これを「受験に落ちないりんご」として売り出したら、バカ受けしました。これはHow思考です。

りんごが落っこちた時に、どう対処できるかという対処療法を考えるHow思考も必要ですが、物事の根本を考えるWhy思考を高めるようにしたいものです。

リンカーン(1809-1865年)

「失敗は成功の元」と言える人が本当の成功者である。 

アメリカ16代大統領、アブラハム・リンカーンは、奴隷解放宣言を出した大統領として有名です。残念ながら、最期は銃に倒れましたが、彼の残した功績は、アメリカの歴史上、忘れることはできません。

リンカーンは、様々な職業を転々とした後、弁護士になり、下院議員、上院議員を経て大統領になりましたが、それまでに、失職,ビジネスでの失敗,選挙での落選と、様々な失敗を繰り返しています。選挙だけでも、1832年の敗北に始まり、1938年の議長選挙,1954年と1958年の上院議員選挙で破れていますが、1960年の大統領選挙で当選しています。大統領になるまで、なんと30年近くに渡って、失敗の経験をしているのです。

失敗を信じる者は何も出来ません。平凡な生き方、無難な生き方、消極的な生き方を好む人達です。偉業を成し遂げる人間は失敗を決して認めないのです。

22歳で事業に失敗する。

23歳で州議会議員選挙に落選する。

25歳で再度事業に失敗。

26歳で恋人の死に直面する。

27歳で神経の病をわずらう。

34歳から5年に3度、下院議員選挙に落選する。

46歳で上院議員に落選。

47歳で副大統領になろうとするが失敗する。

49歳で上院議員選挙に落選。 51歳でアメリカ合衆国大統領となる。

この人物の名は、アブラハム・リンカーンです。

リンカーンの髭

リンカーンは、その立派な髭でよく知られています。髭を生やすきっかけとなった逸話を紹介しましょう。

それは、1860年、ウェストフィールドに住むグレース・ベデルという11歳の女の子が、リンカーンに送った手紙でした。

「リンカーン」閣下へ

拝啓。

 私のお父さんは、あなたと[副大統領候補の]ハムリン氏の写真をお祭りから持って帰ってきたところです。私は11才の小さな女の子にすぎませんが、あなたが合衆国大統領になってほしいと思っています。ですので、私があなたのような立派な人にお手紙を差し上げても、でしゃばりだなんて思わないでいただけたら嬉しいです。もしあなたのお子さんに私と同じくらいの小さな女の子がいたら私の好意を伝えていただけませんか。そして、もしあなたがこの手紙にお返事を書けないならあなたの代わりにお手紙を書くように伝えていただけませんか。

 私には4人の兄がいます。何人かはあなたに投票するに違いありませんが、もしあなたがお髭を生やすようにしたら、残りの兄弟もあなたに投票するでしょうし、あなたの顔は引き締まってもっと良く見えるようになりますよ。お髭が好きな女性は旦那さんにあなたに投票するようにせっつくでしょう。そうなればあなたが大統領です。私の父はあなたに投票するつもりです。もし私が男ならあなたに投票するでしょうが[女性には参政権がないので]、できる限り、みんなにあなたに投票するように呼び掛けるつもりです。

 周りにある横棒柵のお蔭であなたの写真は素敵に見えます。小さな妹ができました。生後9週間でとても可愛らしいです。もしあなたがお返事を書いてくださるならニュー・ヨーク州チャタヌーガ郡ウェストウィールドのグレース・ベデルに送ってください。すぐにお返事がいただけなくても大丈夫です。さようなら。

グレース・ベデル

手紙を読んだリンカーンは非常に喜んで、4日後に返事を書いています。

「親愛なるグレース・ベデル嬢」へ

 15日のあなたの素敵なお手紙を受け取りました。

 私には残念にも娘がいません。3人の息子がいます。17歳と9歳と7歳です。息子たちと妻、それで私の家族全員です。

 髭についてですが、今まで生やしてこなかったのに、もし私が髭を生やし始めたらみんながおかしいと思わないでしょうか。敬具。

エイブラハム・リンカーン

その3か月後、リンカーンはウェストフィールドに立ち寄り、ベデルに会っています。リンカーンはベデルに歩み寄り、高く抱き上げるとキスをしました。そして、駅のプラットフォームの端にベデルと並んで座って言いました。

「グレーシー、私のお髭を見てごらんよ。君のために生やし始めたんだよ」

この逸話はすぐに新聞に掲載されて全国に伝えられました。

実はグレース・ベデルは、この4年後にもう一通の手紙をリンカーンに送っています。

「リンカーン大統領」へ

 よくよく考えて私はあなたにお手紙を差し上げることにしました。何かお仕事を得るためにあなたの助けを求めます。大統領選挙前に、チャタヌーガ郡ウェストフィールドの女の子からあなたの顔をより良く見せるためにお髭を生やすように薦めた手紙を受け取ったことを覚えていますか。その時の女の子が一人前の女性になりました。あなたがこの手紙に『あなたの真実の友にして幸福を願う者』とご自身で署名して下さると信じています。今も私の友であることをお示し願えませんか。

 ここ2、3年、私の父は財産をほとんど失ってしまいました。我々は父がどうして欲しいかはっきりは分かりませんが、自分でできることを何かするべきだと考えました。たとえ私が何ができるか知っているだけだとしても。多くの女性がワシントンの財務省で紙幣を作る作業などで働いて高いお給金を得ていると聞いています。私もそこで働けないでしょうか。あなたには影響力がありますから、あなたからお言葉をいただければ私は自活できるだけのお仕事を得られるでしょう。もしできれば両親も支えたいと思います。それが私の強い望みです。

 私の良心は私があなたに支援を求めたことを知りません。もしあなたが私の家族が信頼に足るか証明を必要とするなら、あなたも知っているはずの人々の名前を挙げます。私達はウェストフィールドに住んでいた2年間を除いてずっとここ[ニュー・ヨーク州アルビオン]に住んでいます。この件について私は既にあなたに一度お手紙を送りましたが、お返事がいただけませんでした。きっとお手紙を受け取っていないのだと思います。あなたがお手紙を無視するような不親切なことをするはずがないと思っているからです。

グレース・ベデル

リンカーンの返事は残っていません。残念ながら、リンカーンはベデルに返信しなかったようです。リンカーンの手元に届かなかったのか、それとも南北戦争に忙殺されてそれどころではなかったのかはわかりません。

リンカーンは、

40歳以上の人間は自分の顔に責任を持て」(Man over forty is responsible for his face.)と述べていますが、人間は普段考えていることが顔に出るのです。

毎日、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と考えている人は、人から頼まれやすい笑顔になり、反対に、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句ばかりを言っている人は、人から嫌われる顔になっていくのです。

福沢諭吉(1835-1901年)

“The pen is mightier than the sword”

ペンは剣よりも強し」・・・文化は武器よりも強いという言葉は、世界の歴史が証明しています。

ナポレオン3世の政策に反対し、国外に追放されたフランスの作家ユゴーは、

「剣もし筆を殺さずんば、筆をもって剣を殺さん」と述べています。

イギリスの作家リットンも、

「完全に優れた人々の支配下では、筆の力は剣にまさる」と述べています。

また、ロシアのことわざには、

「ペンをもって書かれたものは、斧を持ってするもこわされず」というのがあるそうです。

『独立自尊』の教えを広めた福沢諭吉(1835-1901)は、慶応義塾の校章に、交わる2本のペンを描いています。福沢諭吉は、「どんなに世間が騒がしくても、慶応義塾は一日も業を休まず、洋学の命脈を絶やしたことがない。義塾ある限り、日本は世界の文明国である」と言って、彰義隊と官軍との合戦の時も、砲声を聞きながら平然と講義を続けたといわれています。

言葉は消え、身は滅んでも、書いた文章は残ります。

中国の魏の国の文帝曹丕は、その著書「典論」で次のような言葉を残しています。

文章は経国の大業、不朽の盛事なり。年寿は時ありて尽くるも、栄楽は其の身に止まる。二者は必至の常期あり、未だ文章の無窮なるに若かず。

すなわち、文章は国を治める上で最も重大な事業であり、永く朽ちることのない盛大な営みである,人の寿命は永くても、やがてその時がくれば終りになるし、栄華や快楽もその一身に限られる,寿命も栄華も必ず終末がくるものである,したがって、文章が永遠の生命を有することにとうてい及ばない,と説いています。

人は万物の霊「中津留別の書」

福沢諭吉が「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」で有名な「学問のすゝめ」を著したのは39歳の時ですが、その2年前、すなわち37歳の時に、母お順を東京に迎えるため、故郷の中津を訪れ、「中津留別の書」というのを知人に渡しています。ここには、諭吉の思想の原点があります。その抄訳を紹介しましょう。

 『人は万物の霊というが、ただ耳目鼻口手足をそなえてしゃべり、眠り食うだけでは霊とはいわない。天道にしたがって徳を修め、知識、見聞を広くし、物に接し、人に交わり、わが一身の独立を図り、わが一家の生計を立ててこそ、初めて万物の霊というべきである。

 自由とは他人を妨げず、わが心のままに事を行うことである。

 人の自由は大切なものである。このことが損なわれれば、徳も修められず、智も開かれず、家も治まらず、国も立たず、天下の独立も望めない。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下独立する。

 人倫の大本は夫婦である。夫婦ありて後に親子があり、兄弟姉妹がいる。また、男といい、女といい、ひとしく天地間の一人で軽重はない。

 古今、支邪・日本の風俗をみると、一男子が多くの婦人を妻妾にして、婦人を下卑のように、また罪人のように扱い、これに恥じる風がない。浅ましいことである。一家の主人、その妻を軽蔑すれば、その子これにならって母をあなどり、その教えを重んじない。

 ためしに問う。天下の男子、その妻君が別の一夫を愛し、一婦二夫、家にいることあらば、主人よくこれに甘んじてその婦人に仕えるか。

 親に孝行は当然のこと。ただ一心にわが親と思い、余念なく孝行を尽くすべきである。

 子が生まれたならば、父母力を合わせて教育し、十歳余までは手許におき、両親の威光と慈愛で導き、学問の下地ができたら学校に入れて先生の教えを受けさせ、一人前の人間に仕立てることは、父母の役目であり、天に対しての奉公である。

 西洋の書に、子が生まれて、成人になった後は、父母は子に忠告し命令するな、とあるは万古不易の金言である。

 父母の行状は正しくなれければならない。口に正理妻を唱えても、行いが卑劣であれば、その子は父母の言葉ではなく、その行状を見習うものである。

 父母の性質が正直で子を愛していても、事物のあるべき姿を言わず、一筋にわが欲するところの道に入れようとする者がいる。罪がないようであるが、実は子を愛することのみ知って子を愛する道を知らないのである。結局、その子を無智無徳の不幸に陥らせる天理人道に背く罪人である。

 人の心は同じではない。平民一人ひとりでは、その身を安全にし、財産を譲ることはできない。国の安全を保ち、他の軽侮を防ぐためには政府という名代が必要となる。  願うことはわが旧中津の士民も、活眼を開いて、まず洋学を勉強し、自ら働き食べ、人の自由を妨げず自由を得、修徳開智、小さな心を捨て去り、家内安全、天下を富強にすることである。故郷を思わない者がいるでしょうか。ふるさとの人々の幸せを祈らない者がおりましょうか。まもなく出立の時です。急いで西洋書の大意を記したのは、他日、皆様の参考にしてもらうためです。』(明治3年11月)

封建門閥制度、男尊女卑しか知らない当時の人々を驚愕させたことでしょう。諭吉は、生涯、お綿との間に4男5女をもうけますが、「中津留別の書」を著した時は、第4子が誕生した時でした。そして、第5子が誕生するまでの間、明治4年に「ひゞのおしえ」、明治5年に「学問のすゝめ」を著したのでした。

ちなみに、「学問のすゝめ」は、340万部以上を売り上げる明治時代の大ベストセラーでした。当時の日本の人口約3500万人ですから、10人に1人が読んだと言われるほどの本でした。

ひヾのをしえ

福沢諭吉は明治4年、38歳の時に、長男一太郎(当時9歳)と次男捨次郎(当時7歳)に向けて「ひヾのをしえ」を与えています。諭吉の子への愛に満ち、思想の一部を知ることのできる文です。

福沢諭吉「やせ我慢の説」

「やせ我慢の説」は、福沢諭吉が勝海舟と榎本武揚に対する批判を書いた短い論文です。「やせ我慢」を広辞苑で調べてみますと、「無理に我慢して、平気なように見せかけること」と示されています。

勝海舟は、長崎の海軍伝習所で学び、咸臨丸の艦長としてアメリカに渡るなど、幕府海軍の中心的人物でした。また、幕末には、西郷隆盛と会見し、江戸城と江戸を平和的に明け渡しに成功した幕府の重臣であった人です。

一方、榎本武揚も勝と同じように長崎の海軍伝習所で学び、幕府の海軍奉行になったりして、幕末には新政府と戦うために、函館五稜郭に立てこもり新政府に抗戦した人です。

福沢諭吉が書いた「やせ我慢の説」では、この二人が後年、新政府、つまり明治政府の重臣になったことを非難しています。この二人が、今まで敵方であった新政府に高官として仕えることは、武士として、人間として、あまりにも節度がない、つまり身の処し方に節操がないといった内容です。その是非と功罪については、ともかくおいておきましょう。2人とも優秀な人材で、新政府に人材がいなかったともいえますし、また、新しい日本の建設に大いに貢献できた訳ですから、その是非については述べるわけにはいきません。

しかしながら、人間の生き方には節度というか、ある時には、「やせ我慢」が必要だという考えには共感します。貧乏な武士が飯を食うお金がないが、飯を食べた後のように見せるための「飯は食わねど高楊枝」などの言葉も、意味的には少し近いかもしれません。福沢が言いたかったことは、時には、武士としての誇りや人間としての誇りを持てということでしょう。

欲しいけど我慢するためにも、いわゆる「やせ我慢」が必要であると思います。思ったこと、欲しいことを、すぐ自分の思った通りにするのではなく、これをすれば今までの自分の生き方に反するのではないか,これをすれば、自分はいいかもしれない,自分は楽をするかもしれない,しかし、誰かが嫌な思いやつらい思いをすることが予想される時には、弱い人の立場の人のことを考え、その時は「やせ我慢」することです。

自分がやせ我慢をする事で相手や周りの人に、気持ち良くしてもらえることがあります。反対に、自分の信念を曲げて儲かったと思っても結局は損することになったり、人の信用を失ったりすることもあるでしょう。

乗り物の中で席を譲ることも「やせ我慢」の一つでしょう。席を譲ることは相手に感謝こそされ、別に福沢の言う節操を曲げる訳でもありません。自分が座れば楽だと思ったとしても、自分よりさらに疲れている人や弱い人がいます。「どうぞ」と席を立つには、勇気がいります。「やせ我慢」には勇気が必要なのです。

イギリスのパブリックスクールを示す言葉に“Noblesse Oblige”というのがあります。元はフランス語から出た言葉ですが、この“Noblesse Oblige”は、高い身分に伴う義務という意味です。ゼントルマンの国、イギリスで培われてきたこの“Noblesse Oblige”の言葉は、福沢の「やせ我慢」の考えに通じるところがあると思います。

「心訓」

子供に語る「歴史上の偉人」は、もちろん、現代社会で活躍している人でも構わないでしょう。むしろ、その方が偉人を身近に感じられて効果的な場合もあるでしょう。

いずれにしても、親や教師は、子供たちに熱く語ってあげましょう。

最後に、「〇〇の父」や「〇〇の母」と呼ばれた人を紹介しましょう。

日本の薬学者、化学者、教育者。

東京帝国大学名誉教授。

・日本薬学会初代会頭、

・「エフェドリン」の発見者。

・日本女子大学や雙葉会・雙葉学園の設立協力化学教育推進等、女子教育の向上にも貢献。

1845〈弘化2〉年  徳島市生まれ 

1866(慶応2)年  22歳で長崎に留学し、鎖国のなか、西洋医学、化学を学ぶ。

1869(明治2)年  大学東校(東京大学の前身)に入学

1871(明治4)年  第1回官費留学生としてプロイセン王国に渡り、ベルリン大学に入学

1883(明治16)年 帰国し、東大教授に就任

1885(明治18)年 喘息の治療薬「エフェドリン」を発見

1887(明治20)年 43歳の時、私費でドイツに戻り、テレーゼ・シューマッハと結婚

1929〈昭和4〉逝去、ローマ法王庁より「聖セブルクロ勲一等大十字章」が伝達。

妻:テレーゼ

 日本女子大学と雙葉学園でドイツ語や家政科を教えた。

 1922年、アインシュタイン来日時には、ドイツ語通訳も務めた。

長男:長井 亜歴山(Arekisan Nagai)

 東京帝国大学を卒業後、外交官となり、勝海舟の孫を妻とした

長女:長井 エルザ(Elsa Nagai)

 アメリカ人のディック・バンネルと結婚。東京でアメリカの輸入代理業を経営。

次男:長井 維理(Willy Nagai)

 東京帝国大学化学科に進学。東大管弦楽団の指揮者であり声楽。文部省化学科課長、ユネスコ日本委員会調査課長。

日本薬学会 長井記念館(東京渋谷区)

長井記念ホール(徳島大学)

タイトル なぜ? Why? How?
先生、なぜですか?―Why思考とHow思考―稲盛和夫氏は人生の結果を「人生の結果=考え方×熱意×能力」の式で示しています。 この中で最も重要な要素は、考え方です。「考え方×熱意」は「信念」という言葉に置き換えられ、中村天風は、物事は「信念」と「能力」の掛け算で成否が決定すると述べています。 時々、児童・生徒たちに、「なぜ、君は学校に来ているのだ?」と問うようにしています。学校は、子どもたちが、様々な学習と経験を通して、大人に「変身」する場だと思います。 ①自分の責任を最後まできちんと果たせる人               ②「思いやり」と「優しさ」をもった人            ③正しく思考し、行動できる人                   子どもたちは叱られた時、Howと考えるタイプは、また同じミスを繰り返しますが、Whyと考えるタイプは、同じミスを繰り返すことはありません。糸川英夫博士はWhy思考をすすめています。 子育ては、乳児期は「愛する」こと。幼児期は「しつける」こと。少年期は「教える」こと。そして、思春期は「考えさせる」ことが大切です。 子どもに、生まれつきの才能・知能・性格は一生変わらないと考える「固定思考」ではなく、「人間はいくらでも変わることができる」という「成長思考」を身につけさせるには、人間はいくらでも変わることができるという事実を知らせることです。幼い頃から、偉人の伝記や自伝を読むことをおススメします。...
タイトル 顔
人生の考え方・生き方がその人の顔を作る。レオナルド・ダ・ヴィンチは、『最後の晩餐』を描くのに20年かかったそうです。最初に描いたのがキリストでした。非常に目が澄んでいて、肌がきれいで、すがすがしい好青年をみつけ、モデルになってくれるよう頼んだそうです。その後、ユダだけが描けなくて、10年以上苦しんでいました。 ある日、ダ・ヴィンチは酒場の薄暗い片隅に、人生の悲哀とか、裏切りとか、憎しみ、妬み、嫉みみたいなものを全身に背負っているような男を見つけ、その男にユダのモデルになってもらいました。しかし、それは、キリストとして描いた男だったのです。20年間、このモデルの男は、常に人の悪口を言い続けていました。 リンカーンは、「40歳以上の人間は自分の顔に責任を持て」と述べています。人間は、普段考えていることが顔に出るのです。 「笑う門には福来たる」「笑いは百薬の長」といわれますが、笑いはストレスを発散させます。反対に「一怒一老」と言われるように、人間は、怒ると脳内にノルアドレナリンなどのホルモンが分泌され、体を老化させます。セリエは、無理してでも笑うことを勧めています。 じっくり鏡に映る自分の顔を見てみましょう。机に向かって仕事をしたり勉強をしたりする際に、机に鏡を置いておくと、「メタ認知」「ホーソン効果」という現象で、楽しく仕事や勉強がはかどるそうです。...

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子どもを教育する際には、忘れてはならない大切なことが2つあります。
一つは教育の根幹に不可欠な「」で、もう一つは「手本になる」ということです。
しかし、実際、親や教師が、子供の憧れの存在として「手本になる」ことは難しいと思われます。
そこで、歴史上の偉人たちの話をすることがきっと役に立ちます
日本や世界の歴史上の偉人を紹介しましょう。