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令和5年4月29日 神戸市立K中学校PTA講演会

画像 講演会
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参加者 神戸市立K中学校PTA総会参加者 約100名                       

テーマ 思春期の接し方

反抗期

最近は、反抗期のない子どもがいるということが問題になっています。なぜかというと、第二反抗期のない子どもは大人になって就職し、年齢でいうと25~30歳にもなってから反抗期が出てくるからだそうです。反抗期の時期まで「モラトリアム」の時代になってしまったのでしょうか?

反抗期は2~4歳と11~17歳の時期に、できれば、受験期と重ならないように済むのが望ましいでしょう。しかし、なかなか思うようにいかないのが子育ての難しいところです。

人間は生まれた時は身長50cm,約3kgくらいですが、1歳の頃には身長は1.5倍に,体重は3倍にもなります。思春期は、これに次ぐ発育急進期で、第二次性徴のみられる特有の時期です。

子どもの成長は一定の割合で伸びるのではなく、非常に短い期間で伸びます。思春期は、まるで蝶の幼虫がさなぎになり、成虫するのと同じように「変身」の時期です。私は3人の子どもがいますが、まず、長男と長女の反抗期が終わった日を紹介しましょう。

長男の反抗期が終わった日

中学2年生の時が反抗期のピークでした。

ある日、家に帰ると母親と口ケンカをして、「お前!」と叫んでいるのをとがめました。

私 :「お母さんに、『お前』というのはやめなさい。」

長男:「わかった。それじゃ、これから、『きがた』と呼んだらええんやろ!」

私 :「『きがた』? なんじゃそれ?」

長男:「そんなん知らんのか? 貴族の『き』に、方角の『ほう』で、『きがた』と読むやろ。『お前』があかんのやったら、『きがた』と呼ぶわ。」

一同:(唖然)

妹 :「お兄ちゃん、それ、『あなた』って読むんとちゃう?」

長男:「・・・」

妹 :「お兄ちゃん、小説なんか読む時も、今までずっと貴方を『きがた』って読んでたんやろうか・・・?」

妹は当時、小学3年生。息子の反抗期が終わった瞬間でした。

図表 反抗期 漢字

長女の反抗期が終わった日

長女の反抗期も中学2年生の時が絶頂期でした。まるで磁石の同じ極のように、近づくと離れ、何か言うと、鬱陶しそうな目で睨まれたものです。

ある日、家に帰ってみると、娘が一人で泣きながらあるビデオを見ていました。

私たち夫婦は結婚してからなかなか子どもに恵まれなかったこともあって、3人のチームドクターで出産に取り組んでいた病院を紹介してもらい、私は3人の子どものすべての出産に立ち会うことができました。そして、3人目の娘の時には、もう慣れたもので、ドクターの指示を受けながら、子どもを私の手で取り出し、へその緒も切らせていただきました。その時の様子を、全てビデオにおさめていたのです。

娘はその出産の時のビデオを見ながら涙を流していて、それから急に態度を変わり、反抗期が終わったように感じました。

子どもに必要な時期に出産の時の話をすることは、とても効果があると思います。

外面のいい子 or 内面のいい子?

「子は親の鏡」と言われます。ご自分の顔を鏡ではよく見ていると思いますが、直接、自分の顔を見ることは誰もできませんね。自分というのは自分が一番よく分かっているようで、

実は一番分かっていないものです。

図表 鏡 悪口

自分とは何か・・・実は、自分には三つあるのです。

一つ目は、「偽りの自分」です。親の敷いたレールの上を走って、「いい子」を演じている自分です。自分の本音に嘘をつきながら、親や先生を喜ばせるかのように振る舞っている自分です。

これに対し、二つ目は、「本当の自分」です。親の手綱から解放され、自分の好きなことに熱中している自分です。親から「勉強しなさい」と言われても、部屋に籠もって好きな漫画を読んでいる自分。自由でいいと思うかもしれませんね。

ところで、この「偽りの自分」にも「本当の自分」にも、同じ共通点があることがわかりますか? それは、エゴです。「偽りの自分」は親のエゴの支配下にあり、「本当の自分」は自分自身のエゴの虜になっています。いずれも、自分さえよければいいという「自己中」に、行動の動機が置かれているのです。

夏のお盆というのは、「盂蘭盆(うらぼん)」と書き、梵語のullambana(ウランバナ)という漢字を当てたものです。「倒懸(とうけん)」と訳され、逆さ吊りという意味です。すなわち、死者が、生前の罪で逆さ吊りの苦しみを受けるということなのですが、釈迦の十大弟子の一人、目連尊者が、ある時、自分の神通力をもって、亡き母の様子を見たところ、あんなにも優しく、自分を可愛がってくれていた母は、「自分の子だけを大事にした」という罪で餓鬼道に落ち、逆さ吊りで苦しんでいたのです。「自分の子だけを大事にする」というエゴは、地獄行きの罪なのです。

では、三つ目の自分は何かというと、エゴ的な自己中心ではなく、他人を思いやり、他者中心になるという「本来の自分」です。「本当」と「本来」は違います。「本当」は文字通り、本当で、遊びたい自分も本当なら、勉強に頑張る自分も本当でしょう。あれもこれも、全て本当なのです。これに対し、「本来」は一つしかありません。一つしかないから本来なのです。

子どもは、家庭での姿と学校での姿とでは、違うことの方が多いのです。子どもには、外面のいい子と、内面のいい子がいるように思いますが、経験上、外面のいい子の方が、うまく育つように感じています。

反対に、内面のいい子は、困った結果になることの方が多いのです。「まさか、うちの子が・・・?」というパターンです。

外面のいい子に育て、外でのストレスは家庭で解消できるようにしてあげてください。

父親の7つの行動

今日は、お父さんの出席が多いので、お父さんの役割についてお話します。

子育てにおいて、お父さんの行動なくして何も解決しません。お父さんの行動の規範はすべてここにあります。

1.子供に「敬」を訓える

2.子供に「忍」を体得させる

3.子供に「愛」を育てる

4.子供に「憤」を起こさせる

5.子供に「個」を学ばせる

6.子供に「志」を目覚めさせる

7.子供に「夢」を与える

<閑話休題>お母さん or ママ? お父さん or パパ

「お母さん」 のことを、古くは 「おカミさん」,「カカさま」 と呼びましたが、「か」とは 「カッカッ」が転じたもので、太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。つまり 「か」 とは 「日=太陽」 のこと、「カミさん」 とは 「日身さん」 と書き、「太陽の身体」 を意味していたのです。いつも明るくて、温かいお母さんは、まるで太陽のよう…実際に、私たちを生み、育ててくれるお母さんは、命の源である太陽と同じです

江戸時代、武家社会では「おかあさま」「かかさま」、庶民階級では「おっかさん」「おっかぁ」が使われており、明治末期には国定教科書で「おかあさん」が採用されました。しかし、当時、「おかあさん」は「おかあさま」より丁寧さに劣り、「おっかさん」より馴染みが薄いということで、国定教科書は「おかあさん読本」と呼ばれ、上流階級にも庶民階級にも受け入れられなかったそうです。

ところで、母親のことを「ママ」と呼びますが、これは英語ではなく、世界共通の赤ちゃん言葉「マンマ」から転じた言葉です。その意味は、食べ物のことです。

ちなみに「パパ」の語源は、ローマ教皇を表すPope(英)と同じであり、ギリシャ語 πのpappas→ラテン語 papa→Popeとなったとされています。キリスト教においては神は「父」と呼ばれます。ヘブライ語の「アッバ」(「父ちゃん」「パパ」の意)という幼児語が当てられており、畏怖の対象というより親しい存在とされていますが、通説では、広い畑の隅っこで、長い葉巻をパッパとやっている人だから「パパ」というのだそうです。

もしも、これらが本当なら、お母さんを「食べ物」、お父さんを「葉巻」と呼んでいることになり、これでは、しっかりした家庭教育は出来ませんね。

「お父さん」というのは、毎日毎日、生活の糧を運んできてくれる「尊(とうと)い」という言葉から生まれた言葉です。石川県の能登半島では、今も父親のことを「とうと」と呼ぶそうですし、歌舞伎の世界でも、「カカさま」に対して「トトさま」と言っています。