皆さん、おはようございます。
植物が育つのに、「土」と「水」と「光」が必要であるように、子どもが育つのにも、必要なものがあると思います。

瓜作るより、土作れ
「土」
農の基本は、土つくりです。子育てや教育の世界で、この「土」にあたるものは、子どもを取り巻く「環境」でしょう。どんなに養のある「水」や美しい「光」栄を与えても、また、どんなに子ども自身が育つ意欲を強くもっていても、「土」が悪いと植物が育たないように、子どもを取り巻く「環境」が悪いとよりよく育ちません。
以前、私が勤めていた学校で、学年の途中で新校舎に移転した経験があります。その時まで、なかなか落ち着かない生徒たちだったのが、真新しい校舎に移転した途端、非常に落ち着いて学校生活を送れるように変身しました。学校の環境を整えるというのは、とても重要なファクターだと思います。

普段から教室や廊下の掲示物が剥がれたままになっていないか、教室内にゴミが落ちていないか、チェックすることが大切です。
学校の器具や機材を破壊するような行為は、健全な生徒の育成を阻む行為でもあります。 伝統のある学校では、校舎も古いし、修復が必要なところも多いものですが、古いことと汚いことが一緒ではありません。古い校舎でもいい環境は作れます。
「水」
次に、植物が育つのに必要な「水」について。
「水」は「注意や忠告(アドバイス)」と考えられると思います。
「水」は、植物にとって絶対不可欠なものですが、やり過ぎると根腐りを起こします。つまり、人間の場合でも、「注意や忠告(アドバイス)」はされすぎると駄目なのですが、なくてはならないものだということです。

ただ、「水」は砂地にはさぁーと染み込みますが、粘土層には入っていきません。同じように、いくら、いいアドバイスをもらっても、それを聞く耳をもっていなければ、役に立ちません。
すぐに「でも」とか「だって」とか「どうせ」とか言うような子に、どんないいアドバイスをしても、効果が少ないのです。「でも」,「だって」,「どうせ」というのを「なんとかの3D」ともいうそうですが、これは大人にも当てはまるようです。
表現は悪いかもしれませんが、私は時々、「つべこべ屁理屈を言うより、先にしっかりと人の話を聞け!」と言っています。アイヌの諺に、「耳は2つ、口は1つ」というのがあるそうです。どんな侵略をうけようと滅ばなかったアイヌ人の知恵はそこにあったのかもしれません。
あんなに感動していたのに
どうして足を止めるのだ。
何につまづいたのだ。
失敗することよりも
傷付くことよりも
自分を駄目にすることは
「出来ない理由」を正当化し、
やめてしまうことだ。
その逃げから立ち直るためには
どんなに小さくても
「出来ている事実」に気づき
自分に自身をつけることだ。やり直しに遅い早いはない。
素直に自分の枠をはずしてみよう。
(石川 洋「つづいてこそ道」)
「光」
そして、植物で必要なものの最後は「光」です。
植物に「光」を与えると、それを受け取ろうとして、光の来る方向に葉を向けます。しかし、人間の場合はそういうわけにいかないケースがあります。いくら「光」を与えても、葉を裏返しにしてしまうケースです。
人の話を聞かない生徒や読書のしない子どもは、なかなか人間的な成長がみられません。たとえ、学業成績が伸びても、人間的な成長のみられない子どもは、周りからも認められないものです。「あいつは勉強はできるけれど、友だちとしてはちょっとなあ」と言われるようでは困ります。人間の評価を学業成績だけでするのは、大変な間違いです。残念なことに、人間的な成長は通知簿には殆どあらわれません。

「光」(=人の話や読書)も、「水」(=注意や忠告(アドバイス))も、それを受け取る植物(=子ども)次第です。素直に人の話や注意を受け入れる心なくして、成長はないということです。
どうか、子どもたちには、いい土のもと、美しい光とおいしい水を与えますように!
そして、子どもたちはそれらを素直な心で吸収できますように!
農の道にたとえて
子育て(教育)の道を「農」の道を説く諺にたとえよせてみましょう。
『瓜作るより、土作れ』
土壌づくりは農の基本です。痩せた土地では、収穫の喜びは少ないでしょう。子育て(教育)の土壌は、まず家庭です。それから、地域があり、学校があります。この3つのトライアングルを肥やすことです。
『田畑の肥は、主人の足跡が最上』
作物は手入れを十分にすることが第一で、肥料は二の次だとのことです。
肥料のやり過ぎは、時に、根を枯らしてしまうこともあります。過保護も放任も困りますが、子どもに何を与えるか、考えてみたいものです。
『麦こやし、春の二度より、冬の一度』
『稲は刈旬百日植旬一日、麦は刈旬一日蒔旬百日』
いずれも、最も適切な時期を逃せば、収穫は薄いことを言っているのでしょう。
躊躇したり、せっかちになり過ぎたりして、「今」を逃すと、取り返しのつかないことになることもあります。思春期のこの時期、何を学ばせるべきなのでしょうか。
『大苗に豊作なし』
知識だけをつけた頭でっかちの子どもでは、大成は難しいでしょう。反対に、運動だけできる(運動しかできない)とか、音楽だけできる(音楽しかできない)というのも困るわけで、バランスよく中身の詰まった子に育てたいものです。
人としての基礎・基本を身につけずに、知識だけを追い求めると、「不作・凶作」を招くことになるでしょう。
『田作る道は、農従え』
「子育て(教育)は私たちに任せておきなさい」と、胸をはって、歩める親や教師でありたいと、つくづく思います。
トマト栽培のススメ
一昔までは、学校で飼育栽培は大切な教育として実施されていました。
学校でウサギを飼ったり、田植えや稲刈りをしていたところも多くありました。これらは、子どもたちの情操教育として有効だったと思いますが、教師にとっても、教育や子育てのヒントを得るいい研修にもなっていたと感じています。
さて、教室でガジュマルなどの観葉植物を育てるこことも教育効果があるでしょうが、私は、トマト栽培をおススメします。

最近は、食中毒やアレルギー反応の防止などを理由に、学校で給食や調理実習で作った以外のものを児童・生徒たちに食べさせることが難しくなっていますが、トマトは短期間の間にさほど手間をかけなくても育ち、教室の子どもたちが一人ひとつ持って帰れるくらいの収穫が期待できますし、食中毒の心配もほとんどありません。作ったものを「食べる」という観点より、食物を大事に育てようとする心を養うことを目的にすればいいと思います。
「トマトが赤くなると、医者が青くなる」と言われるくらい、トマトは栄養価が高い食べ物なので、食育の観点から児童・生徒たちが学ぶことが多いでしょう。
「トマトとメロン」
トマトにねえ いくら肥料をやったってさ メロンにはならねんだなあ
トマトとね メロンをね いくら比べたって しょうがねんだなあ
トマトよりメロンのほうが高級だなんて思っているのは人間だけだね
それもね 欲のふかい人間だけだな
トマトもね メロンもね 当事者同士は 比べも競争もしてねんだな
トマトはトマトのいのちを 精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを いのちいっぱいに生きているだけ
トマトもメロンも それぞれに 自分のいのちを 百点満点に生きているんだよ
トマトとメロンをね 二つ並べて比べたり 競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば いいめいわくのこと
「メロンになれ メロンになれ カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」と 尻ひっぱたかれて
ノイローゼになったり やけのやんぱちで 暴れたりしているトマトが いっぱいいるんじゃないかなあ
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まとめ
植物が育つのに、「土」と「水」と「光」が必要であるように、子どもが育つのにも、必要なものがあります。
「土」にあたるものは子どもを取り巻く「環境」、「水」は「注意や忠告(アドバイス)」、そして、「光」は「人の話や読書」です。
「光」も「水」も、それを受け取る子ども次第です。素直に人の話や注意を受け入れる心なくして、成長はありません。
また、子育て(教育)の道は、「農」の道を説く諺にヒントがたくさんあります。
そして、学校・教室では、トマト栽培のおススメします。
<参考>子育てハンドブック
