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中学校部活動指導の思い出

タイトル 部活動指導の思い出
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中学校から部活動がなくなろうとしています。

そもそも、部活動指導は、戦後から長きに渡って、教師のボランティア活動で成り立ってきました。

しかし、教師の働き方改革の一環として、部活動指導を教師に任せることは大変困難になってきています。近隣の中学校では、①早朝練習の禁止、②土日連続の活動の禁止、③平日(水曜日)の活動禁止、④平日2時間、休日3時間以内の活動など、様々な制限を設けていますが、それでも、顧問の引き受ける教師がおらずに活動ができないという学校もあります。

部活動の地域移行化が提案されていますが、指導者の確保や報酬など、問題が山積で、なかなか実現化していません。

この先、部活動はどうなるのでしょうか? 

私は中学校の部活動の直接的な指導を28年間してきました。そこから得た教訓と財産を振り返ってみたいと思います。

364日間の練習

中学校教師になった1年目、男子バレーボール部の顧問になりました。

学生時代に10年間のバレーボール経験があったので、すぐに勝てるだろうと思い、練習に練習を重ねました。

当時は、「練習量をこなすことが一番」と信じてやまず、気がつけば、1年364日間、休みもなく活動をしていました。

しかし、戦績はふるわず、一度、市の大会で優勝しただけで、大事なところではことごとく敗退していました。

試合中は、いつも、「なんで、そんなプレーをするのだ?」「なんで、できないんだ?」と、「なんで」「なんで」を連発し怒鳴ってばかりいました。

「負けるのは監督のせい」,

「選手と監督は違う,いくら選手経験があってもいい監督にはなれない」,

「むしろ、選手経験がいい監督になるための阻害条件になることもある」,

そんなこと気付かされたのは、1年後でした。

今から思えば、28年間の部活動指導の中で、一番運動能力の高い生徒たちを預かっていました。

なのに、いい思いをさせることができなかった・・・

当時の生徒たちには、本当に申し訳なく思っています。

ただ、「中学時代に、あんなしんどい練習をやり切れたのだから、あれに比べたら、人生で何もしんどいことなんてない」と言って、今でも慕って集まってくれるのが、この時のメンバーたちです。

バレーボール部・バレーボールクラブ⇒全国大会へ

次に勤めた学校では、部員数が非常に多くなり、中学3年間の中で全員を試合に出場させることができなくなりました。また、生徒たちもバレーボール部に所属している目的がまちまちだったことから、「バレーボール部」と「バレーボールクラブ」という2つの所属を作りました。

「バレーボール部」には約20名ほどが所属。公式試合での勝利を目標に、早朝練習、放課後、休日の練習を行いました。

「バレーボールクラブ」は約50人ほどが所属。対外試合には出場せず、週に1回行う校内でのバレーボール大会を中心に練習を行います。したがって、早朝練習と休日の練習への参加は自由とし、平日は校内バレーボール大会の日以外にもう1日(すなわち週2回以上)の練習に参加するとしました。

バレーボール以外に習い事をしたり、毎日練習するのは嫌だが、バレーボール部には所属していたいという生徒も多数いたので、そのニーズに応えた結果でした。中には、180cmを超える身長で、試合で活躍してもらえたらなあと思う生徒が「バレーボールクラブ」に所属していることも多々ありましたが、生徒たちの希望通りに所属させました。

また、「バレーボール部」と「バレーボールクラブ」のどちらに所属するかについては自由で、希望により、いつでも変更可としていました。しかし、3年間、途中で所属を変更したいといった生徒は一人もいませんでした。

結果として、人間関係処理能力を高めることで、身近な人と無用な争いをすることなく、力を合わせて事を成し遂げるという、人類がこれまで進化・発展してきた方法を身につけることができたと思います。当然、男子バレーボール部内で、いじめなどが発生することはなく、その人間関係は、卒業後も続いています。

バレーボール部の方は、創部5年目で県大会を制し、近畿代表で全国大会にも出場することができました。

アマチュア無線クラブの思い出

次に勤めた中学校は大変荒れていました。よく、生徒を自家用車に乗せ、警察や鑑別所に連れて行っていました。周りから中の見えないワゴン車で、「護送車」と呼ばれていたその車に無線機を置いていたのですが、あまりに生徒たちが興味をもつものですから、部活動にも入っていない(入れない)生徒たちを集めて、私設のアマチュア無線クラブを立ち上げました。

アマチュア無線技士になるには、無線工学と法規について、それぞれある一定の得点を取らないと合格できません。普段、学校の勉強も真剣にやろうとしない生徒たちでしたが、この時ばかりは真剣に勉強し、10人ほどの生徒たち全員が資格を取りました。試験会場にも、迷惑のかからないよう、「護送車」で送り迎えもしました。 

そして、3年生の修学旅行の時に、「無線機を持っていきたい」というので許可しました。長崎県の離島、壱岐に行ったのですが、1,600Kmも離れた北海道の礼文島と交信できた時の感動は忘れられません。

この10人の生徒たち、修学旅行の文集にも、卒業文集にも、このことを忘れられない思い出として書いていました。(私個人としては、護送車で送迎を通して彼らと繋がったことの方が忘れられない思い出なのですが…。)

サッカー部の思い出

ある年、勤務していた中学校で大変な事態が起こりました。生徒数の減少により、先生の異動が多く、4つの部活動の顧問がいなくなってしまったのでした。ソフトボール部、剣道部、男子バスケットボール部、そしてサッカー部の4つの運動部でした。

もともと、その学校は県下No.1のマンモス校で、1学年に最高17クラスもあった学校で、各学年4~5クラスになっても、当時の運動部がそのまま残っていたこともあって、ほとんどの部は、顧問が一人しかいないという状態だったのです。

4月当初、転勤したばかりの校長先生は、4つの部を廃部にすると提案しました。

ところが、保護者が黙っていません。教育委員会はもちろん、新聞にも投書があり、大問題となりました。

そして、私は校長室に呼ばれ、「ソフトボール部は校長が,剣道部は教頭が,男子バスケットボール部は女子バスケットボール部の顧問が兼任するので、サッカー部をみて欲しい」と言われました。

私はその6年前にその中学校に着任し、男子バレーボール部の顧問をしていたのです。着任当時は部員が2人しかおらず、学校も大変荒れていたのですが、3年ほど前からようやく軌道に乗り、部員も増えて、市大会連覇を賭けて春季大会に挑むチームを作っていたのです。しかし、着任してきたばかりの若い先生に、男子バレーボール部を任せることになりました。

結局、4つの運動部は、新1年生の募集をせず、2年がかりで廃部にすることとなり、その説明も私が任命されました。

正直、サッカー部だけは持ちたくありませんでした。学校はかなり落ち着いた状態になっていましたが、サッカー部は傍から見ていても、だらしない服装で規律のない練習をし、生徒指導上の問題行動も多発していました。1年生の募集はなく、2年後に廃部となる,しかも顧問はサッカー素人の男子バレーボール顧問の私だということで、最初から退廃ムードの中でスタートしました。

すぐに春季大会がありましたが、1回戦で0-8の大敗。試合中に選手同士が喧嘩をして審判から退場処分をくらう上、負けてもヘラヘラと笑っているだけ。引率するだけで、疲労困憊でした。

一方、男子バレーボールは、顧問が変わったことでのびのびしたのか、春季大会で市大会連覇を達成していました。(しかし、その後、最後の夏の神戸市総体では、第1シードだったにもかかわらず、1回戦で敗退。男子バレーボール部の生徒も保護者もさぞ悔しかったでしょうが、私も複雑な思いでした。)

それから私は、本気でサッカー部の練習に取り組むことにしました。サッカー部では、練習の用意や片付けは後輩がするもので、先輩はぼやっと見ているだけというのが伝統だと言いはっていましたが、「1年生がいないのだから、みんなでやろう」とまず、私が一番にグランドに出て準備をし、最後まで片付けをするようにしました。

よくよく付き合ってみると、彼らは本当にサッカーが好きで、いい恰好をしたがっている生徒たちばかりでした。それまで、野球部や陸上部とグランドを共有して使っていましたが、弱い部だからということで邪見にされていて、狭い場所で不満げに練習をしていたのです。そこで、練習場所を公平にし、休日には野球部に校外での練習をしてもらって、グランドを広々と使って紅白試合をしました。彼らは、炎天下であっても、丸一日、休まず、サッカーボールを蹴って楽しんでいました。

だんだん、私は彼らを好きになってきました。そこで、電車やバスに乗る時はマナーを守ること,買い食いをしないことなどを約束させて、他校との練習試合に連れていくことにしました。よく練習試合に行ったのは、私立の某中学校です。行く時は緊張してちゃんと歩いていくのですが、試合に負けて帰る時は緊張が緩んでしまい、防犯カメラのたくさんある、ベンツが置いてある大きな家のベルを鳴らして、ピンポンダッシュをしようとし、中から怖いお兄さんたちがぞろぞろ出てきて謝ったことなんかもありました。

チームは徐々にまとまっていきましたが、なかなか試合では結果を残せませんでした。冬になってU-13という試合がありました。別称「1年生大会」というもので、主に1年生が出る大会なのですが、参加規定では、2年生でも1~3月の遅生まれは出場できるのです。調べてみると、2年生の部員11名中、8名が遅生まれでした。そこで、部員の少ない学校に呼びかけ、3校合同チームで大会に出場することにしました。

主力は本校の2年生で、相手が1年生だと思い込んでいたのか、あれよあれよと勝ち上がり、ベスト4入りである強豪のクラブチームと対戦しました。結局、引き分けでPK戦となり、4-5で惜しくも敗退。しかし、ベスト8に入ったチームをみると、5つがクラブチームだったので、中学校のチームの中では市大会3位に匹敵すると思い、あつかましくも表彰状を欲しいと願い出ると、第5位の表彰状を頂けることになりました。

「サッカー部が表彰状をもらうなんて、歴史上初めてだ。頼むから、全校朝礼の表彰伝達の時は、シャツをズボンの中にきちんと入れて立つように」という話を部員たちにしました。すると、その全校朝礼では、髪の毛を短髪にし、きちんとした服装で、しかも堂々と表彰状を受け取る11人(3人は出ていないのに!)がいました。

そこから、チームが大きく変わりました。

挨拶も大きな声でするようになり、活気ある練習をし、ミーティングも大切にするようになりました。やはり、勝つこと,表彰状をもらうことは、こんなにも生徒を変えるのかとビックリしました。

その頃、私は男子バレーボールの指導で、市の大会優勝程度の表彰をもらっていても、ほとんど感動することもなく、勝つ喜びを生徒たちと共有することに「麻痺」していました。しかし、サッカー部の市大会5位の表彰がこんなに嬉しいということ、生徒を激変させたことに、感動しました。

最後の夏の大会は2回戦で敗れはしましたが、サッカー部最後の試合ということで、多くの応援が駆け付け、試合が終わった後は、みんなで、いつまでもいつまでも泣いていました。まるで、青春ドラマの1ページのような光景でした。

長い教員生活の中で、サッカー部の顧問をした2年間は、いつまでも忘れることのできない感動の毎日でした。

「三方よし」の部活動指導

部活動の指導で時々見受けられるのが、何かを犠牲にしてやっているという指導です。たとえば、顧問の先生が、土日も休まずに練習し、自分の家庭を犠牲にしてしまっているようなケース。「私は部活未亡人です」と嘆いている奥様もおられます。そういう指導では、決して長続きしません。

私たちは、いつも、「Win-Win」を考えて指導しなければならないと思います。「Win-Win」とは、アメリカのスティーブン・R・コヴィー博士が「7つの習慣」で述べているように、思いやりと自己を主張する勇気を合わせ持つことです。柔道の創始者である嘉納治五郎先生も、「自他共栄」という言葉を述べておられますが、これも「Win-Win」の考えと共通します。自分だけでなく,他人も共に栄える世の中を作っていかないといけません。

そして、さらに進んで、「三方よし」の指導も心掛けるようにしましょう。「三方よし」とは、江戸時代の近江商人たちが活動の理念としていた、「買い手よし、売り手よし、世間よし」のことです。自分のこともお客のことも考え、さらにみんなのことも大切にして商売をすべきだとされています。企業の社会的責任(CSR)が強く叫ばれるようになった昨今、現代の企業の間でも、「三方よし」の考えを取り入れる企業が増えています。

「三方よし」の部活動の指導の一例をあげましょう。ある中学校で男子バレーボール部の指導をしていた頃の話です。

5月の第2日曜日、午前中に近隣の高校と練習試合をすることにしました。駅に集合し、電車とバスで乗って高校に行きました。

5月の大型連休中にあった市の春季大会で優勝していたので、高校生相手といっても、勝てるかもしれないと生徒たちは思っていたようです。しかし、全ての試合が、後半のいざというところでひっくり返されての惜敗でした。

「なぜ、勝てないのか?」と問うと、生徒たちの答えは、「試合後半での持久力が足りないと思います」でした。「それじゃ、持久力をつけて帰ろう」と言い、高校から駅までの約4kmをランニングしながら帰路につきました。

それから、駅で解散する前に、生徒たちから、ういた帰りのバス代を没収しました。そこに、私のポケットマネーを足して花屋さんでカーネーションを買い、家に持って帰って、母の日なので、感謝してお母さんに渡すように指示しました。

図表 カーネーションとバレーボール

中学生になると、特に男の子は、なかなか母の日に「ありがとう」と言うのが難しくなりますが、監督の指示なら仕方ありません。どの家のお母さんも喜んでおられました。そして、男子バレーボール部の活動に対して、益々応援してくれるようになりました。

試合をした中学生たちは、自分たちの課題がわかり、春季大会優勝に驕ることなく、益々、練習に励むようになりました。

相手をしてくれた高校生たちも、中学生に負けなかったということで、安心と自信をもち、新チーム結成に役立ったということでした。

この練習試合を通して、中学生も高校生も、そして保護者も、もちろん監督の私も、「よし」でした。

駅伝部の思い出

ある中学校で生徒指導担当をしました。その年、3年生の中学生10名が集団で喫煙をし、警察に補導されるという事件が起こりました。

本人たちもそれ相応に反省はしていたものの、喫煙が体によくないということを身をもって知らせるのがいいだろうと思い、市の駅伝大会に選手登録をして参加させたのです。幸いなことに、その中学校には陸上部がなく、一般生徒でも駅伝大会にエントリーすることが可能だったのです。

ちょうど、3年生の喫煙をした生徒たちもそれぞれの部活動も引退して、放課後に時間がある頃だったので、1か月ほど長距離走の練習をし、駅伝大会に参加しました。

競争相手は、全国大会出場まで目指しているチームから、教護院で参加しているチームなど様々でした。周回遅れになると、繰り上げスタートになるので、6人でタスキをつなぐためには、一番速いチームから周回遅れにならないこと、そして、教護院のチームより速く走ることを目標にあげ、大会に挑みました。

たくさんの方々の応援を受けて、結果は80校中62位。周回遅れになることもなく、堂々とゴールインしました。生徒たちはまるで優勝したかのように、感動して涙を流していました。

そして、大会後、生徒たちに作文を書かせ、文集を発行しました。

そこには、煙草が持久走に影響すること、「二度と喫煙はしたくない」と書かれていました。

あれから25年後、40歳になった彼ら、元駅伝部のメンバーたちが同窓会にきました。「煙草は?」と聞くと、誰一人吸っていませんでした。教育効果があったなと思った瞬間でした。

スキー実習

生徒たちをスキーに連れて行くと、3日間でとても上手になります。スキー実習を終えた時、ほとんどの生徒たちは、「スキーは楽しかった。」と満足そうな表情で言います。もちろん、スキーが楽しかったかどうかは、天候やインストラクターの影響が大きいので、必ず、2月15日以降の春スキー日和の日に実施し、国際理解教育を兼ねてニュージーランド人の陽気なインストラクターを選びます。(外国人のインストラクターの方がSAJ(日本スキー連盟)のインストラクターより安く雇えるのです。)

そこで、「なぜ、楽しいか、わかるか?」と生徒たちに問います。

ほとんどの生徒はきょとんとしていますが、その答えは、「それは、スキーがうまくなったからだ。」と教えるのです。

そして、「技術が伸びている時は、『楽しい』と感じるものだ。」「これはスポーツに限らず、勉強だって同じだ。伸びている時は、『楽しい』と感じる。」「だから、学校に帰ったら。勉強にも部活動にも一生懸命、伸びるようにやってごらん。」という話を、いつもお世話になっているハチ高原の「青い鳥」のご主人にして頂くのです。

これまでの経験上、効果はてきめんでした。スキー実習から帰った生徒たちは、3か月ほどは、それはもう、一生懸命、真面目に勉強します。その間、生徒指導で走り回ることも激減するのです。

スキー実習の実施に対しては賛否両論あります。私は、お金をかけるだけの教育的な価値が十二分にあると思っています。たった3日間で「うまくなった!」と感じるスポーツなんて、スキー以外にはないからです。

部活動の一環として、冬場にはよくスキー実習に連れていきました。

私のバレーボール指導 10のCS(企業秘密)

選手として10年、中学生の指導者として28年、バレーボールに関わってきました。

選手とコーチ、コーチと監督は違うということに気付くまで、指導者としてほとんど成果が出ませんでしたが、指導者として5年目に市を制し、8年目には県を制し、10年目には全国大会に出場することができました。

その後も、サッカー部や女子バレーボールの監督を兼任することもありましたが、大学院でバレーボール学習の「適時期」の研究をし、少女バレーやママさんバレー、大学生男子のバレーボール指導にも携わりました。

これらの指導の中で、特に中学生に対して効果的であったと思われるユニークな指導方法について、これまで企業秘密にしてきた10項目を提示しましょう。

1.目的は、「集中力」を高めること。

ムダ・ムリ・ムラのない,意味のある練習内容を精選して取り入れ、効率よく効果の高い練習を行って、短時間で最大の効果を上げることに力を注ぎました。

平日にも休みを入れ、週休2日を完全実施できたチームが最初に全国大会に出場しました。

2.生活指導

『日常生活の心得』、『セルフトーク(自己意思決定)』、『TD(トレーニングダイヤリー)』を作成し、規則正しい生活をすることを徹底しました。

3.からだ作り

「トレーニング」→「食事」→「午睡」のグリコーゲンローディング法や身長を伸ばすための「昼寝」を練習に取り入れたり、バレーボール以外の運動・スポーツも行いました。特に、マットトレーニング、ゴム紐を使ったジャンプトレーニング、ダンバルトレーニングは日常的に行い、水泳、陸上競技、ラグビー、野球、サッカー、バスケットボール、お手玉なども行わせました。

また、体力測定を定期的に行い、運動能力を数字で見て、トレーニングの成果を実感させました。

4.学習指導

定期的に学習会を実施し、、塾を活用する指導を行い、常に成績を把握し、部内公開としました。

また、可能な限り、高校のトップ校に練習試合に行き、1年生の時から進路指導を行いました。

5.メンタル強化・プライド教育・「考え方」指導

 ① 健康であること(快眠・快食・快便)。

 ②「修羅場」をくぐらせること

 ③「考え方」の指導

6.作戦

チームスポーツの勝敗を決める要素:

①体力・体格×②技術(スキル)×③戦術(作戦)×④精神力×⑤チームワーク×⑥運

バレーボールでは⑤チームワークの要素が大切ですが、監督として、③戦術(作戦)で差がつくと考えます。

高校生、大学生との練習試合を多く組み、勝ち負けに一喜一憂することなく、課題克服に徹する練習を行いました。

7.リーダー育て

キャプテンも当然のことながら、キャプテンよりも権限を持ったマネージャーをおきました。

『マネージャーの心得』という冊子を渡して育てました。

8.保護者・地域からの応援

バレーボールだよりや文集を発行し、情報提供や保護者の理解・協力に努めました。

また、バーベキューパーティをして、保護者や家族との親睦を深めたり、地域の少年野球チーム指導者たちと交流を深めたりしました。

9.記録分析・個人データの公表

練習試合でも公式試合でも、個人データを記録し、公表しながら、練習に生かしました。

10.チームワーク

人間関係処理能力を高めるための道徳的な教材を読ませたり、チームワークを大切にする話を機会あるごとに説きました。

また、生徒たちの目的に応じで、「バレーボール部」と「バレーボールクラブ」という2つの所属を作りました。

【結果として・・・】

勉強と両立し、ほとんどの生徒たち(95%)は公立高校へ進学しました。

部員数が増え、全国大会に出場した時には70名の部員を抱えていました。

基礎体力づくりや運動能力を高めることを意識させたことで、バレーボールの技術を身につけることが早かったと感じています。

また、高校に進学してから、バレーボールを続けた生徒だけでなく、体操競技、陸上競技、水泳、柔道、野球など、いろんな部活動に入って活躍していました。中には、高校野球で甲子園に出場した生徒もいました。

なにより、卒業後も生徒たち同士がつながりを持ち、助け合って生きていることが、私の財産です。

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