卒業式で歌ってみたい「仰げば尊し」
卒業式で歌われている歌
皆さん、おはようございます。
現在、卒業式で歌われている歌には以下のようなものがあります。
■ 明治〜1950年代
- 仰げば尊し(唱歌)…1884年頃
- ふるさと(唱歌)…1914年
■ 1960年代
- 大地讃頌(作詩:大木惇夫/作曲:佐藤眞)…1962年
- この星に生まれて(作詩:大木惇夫/作曲:冨田勲)…1965年
■ 1970年代
- 翼をください(赤い鳥)…1971年
- 卒業写真(荒井由実)…1975年
- 贈る言葉(海援隊)…1979年
■ 1980年代
- 卒業(斉藤由貴)…1985年
- 卒業(尾崎豊)…1985年
- 心の瞳(坂本九)…1985年
- 思い出がいっぱい(H2O)…1983年
■ 1990年代
- Tomorrow(岡本真夜)…1995年
- 空も飛べるはず(スピッツ)…1994年
- 旅立ちの日に(作詞:小嶋登/作曲:坂本浩美)…1991年
- 最後のチャイム(作詞:山本惠三/作曲:若松歓)…1992年
- 時の旅人(作詞:深田じゅんこ/作曲:橋本祥路)…1993年
- BELIEVE(杉本竜一)…1998年
■ 2000〜2003年
- Best Friend(Kiroro)…2001年
- 未来へ(Kiroro)…1998年(※卒業式定番化は2000年代)
- さくら(森山直太朗)…2003年
- 桜(コブクロ)…2005年
- 大切なもの(山崎朋子)…2003年
- 栄光の架橋(ゆず)…2004年
■ 2004〜2007年
- 奏(スキマスイッチ)…2004年
- 3月9日(レミオロメン)…2004年
- サクラ咲ケ(嵐)…2005年
- 道(EXILE)…2007年
- キセキ(GRe4N BOYZ)…2008年
■ 2008〜2010年
- 手紙 ~拝啓 十五の君へ~(アンジェラ・アキ)…2008年
- いのちの歌(竹内まりあ)…2008年
- 桜ノ雨(supercell)…2008年
- YELL(いきものがかり)…2009年
- ありがとう(いきものがかり)…2010年
■ 2011〜2014年
- 次の空へ(弓削田健介)…2011年
- 絆(山崎朋子)…2011年
- GIVE ME FIVE!(AKB48)…2012年
- 仰げば青空(秦基博)…2014年
- 友 ~旅立ちの時~(ゆず)…2014年
- オレンジ(SPYAIR)…2015年
■ 2015〜2018年
- ともに(WANIMA)…2016年
- START(KANA-BOON)…2015年
- My Own Road −僕が創る明日−(平井大)…2016年
- 春が来てぼくら(UNISON SQUARE GARDEN)…2018年
- 正解(RADWIMPS)…2018年
- Dracula La([Alexandros])…2018年
■ 2019年
- 僕のこと(Mrs. GREEN APPLE)…2019年
■ 2020〜2021年
- 群青(YOASOBI)…2020年
- 僕らまた(SG)…2021年
- 旅路(藤井風)…2021年
- ハルカ(YOASOBI)…2020年
- アルデバラン(AI)…2021年
- 水平線(back number)…2021年
■ 2022年以降
・サクラキミワタシ(tuki.)…2024年
・沈丁花(DISH//)…2022年
・光るとき(羊文学)…2022年
・Subtitle(Official髭男dism)…2022年
・ハルノヒ(あいみょん)…2019年(※卒業式採用は2020年代)
小学校、中学校、高校と、学校の種類や時代や世代によって人気の傾向も変わります。
LINE MUSICという会社が、運営する音楽ストリーミングサービス「LINE MUSIC」において、2025年版の世代別「卒業ソングランキングTOP10」を発表しています。




「唱歌」とは
「唱歌」というのは、1872 (明治5) 年の学制発布から 1941(昭和16)年に「音楽」に改められるまで用いられた小学校で歌を教える授業の教科目名で、学校教育用の歌のことです。
文部省唱歌で人気なのも世代によって多少の違いはありますが、多くの人に愛され続けているのは、親しみやすいメロディと情景描写が特徴の次のような曲でしょう。
「故郷」・・・うさぎ追いし(≠美味しい) かの山
「春よ来い」・・・春よ来い、早く来い、歩き始めたみよちゃんが
「春の小川」・・・春の小川はさらさらいくよ
「春が来た」・・・春が来た、春が来た、どこに来た?
「チューリップ」・・・さいた、さいた、ちゅりっぷの花が、
「ひらいたひらいた」・・・開いた、開いた、何の花が開いた
「朧月夜」・・・菜の花畑のおぼろづきよ
「荒城の月」・・・春 高桜の 花の宴 めぐる盃 かげさして
「たき火」・・・垣根の 垣根の 曲がり角 焚火だ 焚火だ おちばたき
「赤い靴」・・・赤い靴 履いてた 女子 異人さんに連れられて 行っちゃった
「夕焼け小焼け」・・・夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
「桃太郎」・・・桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた黍団子
「鯉のぼり」・・・屋根より高い鯉のぼり / いらかの波と雲の波
「夏は来ぬ」・・・卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
「めだかの学校」・・・めだかの学校は 川の中
「大きな古時計」・・・大きな のっぽの 古時計 おじいさんの時計
「あめふり」・・・雨雨降れ触れ 母さんが 蛇の目で お迎え 嬉しいな
「うさぎ」・・・うさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月様見て跳ねる
「紅葉(もみじ)」・・・秋の夕日に 照る山紅葉
「お正月」・・・もういくつ寝るとお正月
「線路は続くよどこまでも」・・・線路は続くよ どこまでも
「仰げば尊し」・・・仰げば尊し 我が師の恩
ちなみに、「尋常小学唱歌」全6冊には118曲、「小学唱歌集」3巻には91曲、「日本の歌百選」には101曲、、「唱歌・童謡大全集」には515曲が選定されており、明治から戦前にかけて制作された子供向けの歌曲という広い意味では、唱歌は約15,000曲にも達するという説もあります。
「仰げば尊し」とは
さて、「仰げば尊し/あおげばとうとし」は、1884(明治17)年に発表された日本の唱歌でで、1881年の「蛍の光」の発表から3年後に発表され、卒業式の代表的な歌として長く歌い継がれてきた曲です。
「原曲は、アメリカの曲で、1871年に出版された楽譜集『SONG ECHO(ソング・エコー)』に収録されている「Song for the close of school」で、明治時代に日本へ導入され、文部省『小学唱歌集』に採用されて広まりました。
2007(平成19)年には、「日本の歌百選」の1曲にも選ばれています。
「仰げば尊し」の歌詞
1.仰げば尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
2.互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
3.朝夕 馴れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
歌詞の意味
1.仰ぎ見るほどに尊い 恩師へのご恩
学校の教訓を学んで もう何年も経った
思い返すと 学校生活の時が経つのがとても早かった
今まさに別れよう さようなら
※いと疾し(いととし):“疾し”とは早いの意味
2.互いに仲良く過ごした友へのご恩
卒業した後も これらの思い出を忘れないで過ごして
自立し 世に認められ 励みなさい
今まさに別れよう さようなら
※やよ:呼びかけるときに発する言葉の意味
3.朝から夕方まで 学び続けた学校
蛍の明るさや 積もった雪の光を頼りに勉強をした
忘れることなんてない 過ぎさった日々
今まさに別れよう さようなら
2番の歌詞「身を立て 名をあげ」というのは、中国の「孝経」を踏まえ、立身出世を奨励しているということで、戦後の民主主義にそぐわないという考えから2番を歌わないこもあります。一方、この一歌詞は、考道を実践し、心身の修養を目指す儒教的な道徳を歌ったものだという説もあります。
3番の歌詞「蛍の灯火 積む白雪」は、昼も夜も勉学に励むことを称える故事成句「蛍雪の功」を暗示しています。「蛍の光」でも「蛍の光 窓の雪」と歌われています。電気のなかった時代に苦労して勉強した時代背景が描写されています。
卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなったのはなぜ?
しかし、最近の卒業式では、「仰げば尊し」はほとんど歌われていません。その主な理由は、次のようなものがあげられると思います。
①歌詞の内容が時代に合わない。
教師と生徒の関係が対等、あるいは希薄になっている現在、教師を「仰ぎ尊ぶ」という姿勢が時代遅れに感じられます。特に、歌詞の「わが師の恩」といった表現は、教師への感謝を強要したり、生徒を従属させるように感じ取られたりするでしょう。
➁言葉・表現が理解されにくい。
「いと」「やよ」などの古語や文語調の表現が多く、現代の生徒には歌詞の意味を理解しにくいことがあげられます。
③学校教育の変化に伴い・・・
厳かな式典から、卒業生が主役のステージへと卒業式のあり方が変化しています。その中で、卒業式では生徒が選ぶ流行曲が歌われることが増えました。国歌「君が代」は歌うように文部科学省からも指示されていますが、「仰げば尊し」を歌うようには歌わなければならないというわけではありません。卒業式では別れの感謝だけでなく、新しい旅立ちや希望を表現する明るい曲が選ばれるようになってきました。
④原曲の性格
明治時代に作られた日本語の歌詞は、アメリカの「School Song for the Close of School」を原曲としていますが、日本語の歌詞は恩師への感謝が強調されていました。
「恩師」は死語?
では、「恩師」というのはもういないのでしょうか?
ドラマ「3年B組金八先生」第3シリーズに、生徒に裏切られ、「教師辞めます」という若手の新任教師(石黒賢)に対して、初任研担当の金八先生(武田鉄矢)がブチ切れ、説教する場面があります。

この中で、金八先生がこんな話をしています。
「教師がやってる仕事というのはね、明日明後日に結果が出る商売じゃないんだよ。」
「10年後20年後、中学校卒業した教え子が夜道を歩きながら、『先生があの時、言ってたのは、こういうことだったのか』と分かった時に初めて我々の授業が終わるんですよ。」
「その時に初めて終業のチャイムが鳴るんですよ。」
卒業式の時に、学校の先生に感謝しなくても(できなくても)、10年後20年後、あるいは、もっと時間が過ぎてからでも、「ああ、あの時、あの先生からこんなことを教わったなあ」と思うことだってあると思います。その教えが今も生きているということは、あの先生は「恩師」といえるのではないでしょうか。
ただ、今になってその「恩」を直接返す必要はありません。「恩返し」はできなくても、「恩送り」をすればいいのです。恩師から教わったことを次の世代に伝えることです。
私の恩師
最後に、私にとっての恩師4名の方について述べておきたいと思います。
恩師といっても、決して、卒業時や修了時に「恩師にお世話になった」と思って感謝していたわけではありません。卒業後何年もたって、「ああ、あの時、こんなことを教わったなあ」と思い出し、その教えが今も生きていると感じたのです。その先生こそ、「恩師」と言いたいのです。
「ヘンシン!」-小学校6年担任、H先生-
小学校5年生までの私は、あまり勉強もせず、遊んでばかりでした。面白くない授業があると、皆を連れて教室を脱走してグランドで遊んでいたり、合唱の時は口もあけず、すねていたり、今から考えると、大変な問題児童だったと思います。特に小学校5年生の時の担任の先生からは敵対視され、通知簿の評価は、5段階評価で、体育だけが「5」で、あとは、ほとんど「2」の成績でした。
その私が教師になってすぐ、教職員の組合の集まりがあって、小学校5年生の担任だったその女性教師に12年ぶりに出会った時、「なんで、あんたがここにいるの?」と言われ、「今年から教師になりました」と言うと、「まさか? あんたが大学まで出たの?」と聞かれ、「はい、地元の国立大学を出ました」と言うと、周囲20mの人が振り向かれるくらいの大きな奇声(!)を発せられ、ビックリされたなんてこともありました。
そんな私がヘンシンしたのは、小学校6年生の時に、H先生に担任をしてもらってからでした。
H先生は催眠術が得意な方で、たとえば、遠足などでバスに乗る前日になると、乗り物酔いをする児童を体育館に集め、催眠をかけておられました。すると、遠足では誰も乗り物酔いをしないのです。
また、悪いことをすると、「手を机に置きなさい」と言われ、催眠をかけると、手が動かなくなってしまい、延々と何が悪かったのか、話をされました。
極めつけは、年齢を下げる催眠をかけられたことです。小学校5年生➡4年生と年齢を下げられ、幼稚園にまで年齢を下げられました。そして、「昨日、遠足で行った遊園地の絵を描きましょう」と言われ、目をつぶったまま、机に置いてあった画用紙にクレヨンで絵を描かかされました。その後、元の年齢に戻してもらって、目をあけると、まるで幼稚園児が描くような絵が置いてありました。中には、「この絵と同じものが家にある」と言っていた友達もいました。残念ながら、私はこの時、画用紙に何も書けず、真っ白のままでした。なぜなら、あまりのワンパク坊主だったために私立の幼稚園をクビになり、ほとんど幼稚園には行ったことがなかったからです。
そして、小学校の卒業前、私はH先生に呼ばれ、「小学校で、君ほど一生懸命遊んできた子はいない」と褒められ(!)、「中学生になったら、今度は人の3倍、一生懸命勉強するんだよ」と言われたのでした。すっかり素直になっていた私は「はーい!」と返事をし、まるで催眠にかかったように、中学校に入ってから一生懸命勉強しました。そのため、中学3年生では、オール「5」の成績で、県下ナンバー1の進学高校に進むことができたのです。
人は生まれ代わる(ヘンシンする)ことができるのです。
「少年易老學難成」-中学校3年担任、M先生-
中学校3年生の時に担任をしていただいたM先生は、京都大学出身の英語の先生で、曹洞宗のお寺の住職さんでもありました。
教え方が大変うまくて、英語だけでなく、詩吟や座禅を取り入れたユニークな教育をしてくださいました。
毎日帰りのホームルームでは、詩吟を全員で唱えてから「さようなら」をしていました。
少年易老學難成(少年老い易く、学成り難し)
一寸光陰不可輕(一寸の光陰軽んずべからず)
未覺池塘春草夢(未だ覚めず池塘春草の夢)
階前梧葉己秋聲(階前の梧葉すでに秋声)
――バイッ!(さようなら)
という具合です。
この詩吟は、中国南宋の儒学者・朱熹が作った「偶成」という漢詩で、意味は、「少年はあっという間に年を取り、学ぶべきことを学ばないうちに人生は終わる。短い時間を無駄にしてはいけない。池のほとりで春草が夢を見ているうちに、庭先の桐の葉は黄色く染まり、すでに秋が来ている」というものです。
毎日、この詩吟を唱えていた私たちが寸暇を惜しんで勉強に取り組むようになったのはいうまでもありません。
そして何より、M先生は、こんな私を認め、よく褒めてくれたのです。
テストの点数が悪くて落ち込んでいたら、
「勉強の仕方は間違っていない。よく工夫しているから、このままで大丈夫だよ」
とアドバイスをしていただいたり、
部活動で試合に勝った翌日には、
「試合を見には行けなかったけれど、職員室で話題になっていたよ」と声をかけてくださったたりしました。
中学3年生の夏休み、バレーボール部と陸上部とコーラス部の3つを掛け持ちしていた私は、あまりの宿題の多さに閉口して、「先生、なぜ、こんなにたくさんの宿題をしなければいけないんですか」と文句を言いにいきました。その時のM先生の出された英語の宿題は、教科書で習ったレッスン1からレッスン5までの文章をノートに写し、日本語訳を書くというものでした。すると、先生のお返事が、「進路を決める大事な時期で、勉強しなければならないが、何をやればいいかわからない生徒もいるから、このような宿題に出している」だったので、「じゃ、僕は何を勉強すればいいかわかっているので、宿題をやらなくてもいいですか」と半ば冗談交じりで言うと、「よし、わかった。君の場合は宿題を免除しよう」と言ってくれました。その上、さらに他の先生にもかけあっていただき、夏休みの宿題を皆無にしていただいたのでした。ただ、条件があって、「夏休み明けの実力テストで成績を落とすことのないように」と言われました。実力テストの問題の半分程度は、夏休みの宿題から出ることになっていたので、宿題を出さなかったけれども、一生懸命勉強もしました。
M先生の指導に影響され、その後、私は教師を目指すようになりました。さらに、M先生ご夫妻には私の結婚の仲人も務めていただきました。
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること。」-中学校バレーボール顧問、W先生-
小学校時代、少年野球のチームに入っていました。体が大きく、キャッチャー、4番バッターで、目立つ選手だったと思います。
ある日、中学校に侵入して高鉄棒で遊んでいると、中学校の数名の怖い先生方に囲まれ、注意を受けました。
「小学生はここで遊んだらあかん!」
しかし、その中に、笑顔で優しそうな先生が一人いて、周りの先生に「この子は運動神経がよさそうだから怪我はしないよ」と言って、「あと30分だけ遊んから帰りなさい」と言ってくれました。そして、30分後、再びその先生がやってきて、その時、「大きな体をしているんだから、中学校ではバレーボールをしたらいい」と言われました。
その後、中学校に入学して部活動を見に行ったら、野球部は部員が100人もいて、1年生はボールも触られてもらえないという噂を聞きました。他の小学校からきたキャッチャーや4番バッターには猛者がそろっており、「これは試合に出れないかもしれない」と思いました。
そこで、バレーボール部を見に行ったら、なんと、あの高鉄棒で遊んでいた時におられた体育科のW先生がいて、「待っていたよ」と受け入れてくださったのです。
そのW先生には、中学2年間、バレーボール部でご指導をいただきました。笑顔で優しそうな先生だと思ったのは、あの小学時代の高鉄棒の時だけで、勝負に関してはとても厳しい先生でした。
W先生は長野市のご出身で、私が中学3年生になった時に実家へ戻り、幼稚園の園長先生になられました。
その後、私はW先生の影響で同じ大学に進学し、体育教師の道を選びました。大学時代には、スキーで長野を訪れるたびにW先生の家に立ち寄り、お世話になりました。
教師を目指してから、W先生は、いつも同じ言葉を教えてくださいました。
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること。」
学生時代は、この言葉の意味がよくわかりませんでしたが、教師となり、経験を重ねる中で、幾度となくこの言葉を噛みしめ、今では私の教育モットーにしています。
この言葉は、第二次世界大戦中、フランスのストラスブール大学で生まれました。戦火と弾圧を避けるため大学が疎開する中、詩人ルイ・アラゴンが「ストラスブール大学の歌」で詠んだ一節です。
日本語訳は詩人でフランス文学者の大島博光氏によるものです。
原文は、“Enseigner c’est dire espérance, étudier fidélité”で、直訳すれば、
「教えること、それは希望を語ること。学ぶこと、それは誠実を胸に刻むこと」です。
「誠実」を「真実」、「希望」を「未来」と訳す方もいます。
つまり、
「学ぶとは真実を胸に刻むこと。教えるとはともに未来を語ること。」
どちらにしても、教育に携わる者、子育てをする親にとって、深い意味を持つ言葉だと思います。
さて、中学時代、W先生を慕っていた生徒は、私以外にもたくさんいて、W先生の還暦に祝いには20人ほどが長野に集まり、泊を共にしました。私もこんな先生になりたいと思いながら、教師を続けてきました。
「ようやく『仮免』だ。」-大学院時代の指導教官、G教授
教師になってから、もっと勉強する必要性を感じ、大学院に2年間内地留学しました。そこで偶然出会ったのはG教授です。最初は、K教授の指導を受けたいと希望していたのですが、研究テーマの関係でG教授と決まったのでした。
どこの大学にもあるように、研究室にも派閥がありましたが、G教授は大学長のT教授の一番弟子にあたり、大学の名にかけて言い加減な研究はできないということで、それは厳しい指導でした。
2年間、ほとんど1日3時間の睡眠時間で研究に力を注ぎました。学会発表の時などは、ホテルに1週間缶詰で、ほぼ徹夜状態で発表練習がありました。G教授やT大学長も同じなのですから、文句は言えません。1日3時間睡眠なんてナポレオンの作り話だろうと思っていましたが、慣れとは怖いもので、私は未だにショートスリーパーの習慣が身についています。
とにかく、G教授の指導は、妥協は許してくれませんでした。濡れたタオルから水を絞り取るのに、タオルを1㎝幅に両方の指先で持って捻って水を絞り取るような感じで、研究をするのです。
その中で、私は、大学を出て11年間の教師生活で得ていた自信は全て吹っ飛び、根底から教師とは何かを再構築させられました。
大学院での最終審査を終え、学位を頂いた日、G教授から頂いた言葉は、「これでようやく『仮免』だ。これから『本免』をとれるようにしなさい」でした。
G教授には、大学院修了後もいくつかの論文指導をしていただき、学会発表も重ねてきましたが、未だに私は『本免』を頂戴していません。「一生勉強」をモットーに、今後も研究・学問をライフワークとして継続していこうと思っています。
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まとめ
1872 (明治5) 年の学制発布から 1941(昭和16)年の「音楽」まで小学校で教えられてきた「唱歌」は、広い意味では約15,000曲にも達するそうです。
なかでも、「日本の歌百選」にも選ばれている「仰げば尊し」は、卒業式の代表的な歌として長く歌い継がれてきた曲ですが、最近はほとんど歌われていません。現在、卒業式で歌われている歌は、学校の種類や時代や世代によって人気の傾向も変わります。
卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなったのは、①歌詞の内容が時代に合わない、➁言葉・表現が理解されにくい、③学校教育の変化に伴い卒業式では別れの感謝だけでなく、新しい旅立ちや希望を表現する明るい曲が選ばれるようになってきた、④原曲の性格、などが理由としてあげられるでしょう。
しかし、「仰げば尊し」の歌詞にある「恩師」は死語になったわけではありません。
教師の仕事というのは、明日明後日に結果が出るものではありません。10年後20年後、中学校卒業した教え子が夜道を歩きながら、『先生があの時、言ってたのは、こういうことだったのか』と分かった時に初めて終業のチャイムが鳴るのです。卒業式の時に、学校の先生に感謝しなくても(できなくても)、10年後20年後、あるいは、もっと時間が過ぎてからでも、「ああ、あの時、あの先生からこんなことを教わったなあ」と思うことだってあると思います。その教えが今も生きているということは、その先生は「恩師」といえるのではないでしょうか。
私にとっての恩師4名の方について述べたいと思います。
