皆さん、おはようございます。
私たちは、生きていく中で、信頼していた人から裏切られたり、騙されたりすることもあるでしょう。関わりたくないと思う人と出会うこともあります。
釈迦が説いた「四苦八苦」の中の「怨憎会苦(おんぞうえく)」は、嫌な人とも出会わなければならないという苦しみであり、まさに、この状態を指しているのでしょう。
私たちは、裏切られたり、騙されたりした相手とどのように関わっていけばいいのでしょうか。
裏切り
「裏切り」といえば、1582(天正10)年6月2日に起きた「本能寺の変」で、明智 光秀が主君の織田 信長を裏切ったというのが歴史上で最も有名な話です。
令和2年、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は、明智 光秀でした。ここに登場してくる光秀は「謀反人」ではなく、福知山や亀山を統治した「民衆思いのよき殿様」で信長を自害に追い込んだ「討伐者」として描かれています。
本能寺の変は、これまで、光秀の信長に対する私怨が原因とされ、光秀は謀反人ということで、秀吉の時代には、血縁者や関係者はその事実を隠さざるを得ませんでした。そのため、光秀に関して信頼に足る史料のほとんどは失われており、生年月日や生まれた場所、父の名前さえ、不明なままです。しかし、近年、これを覆す新説が次々と発表されています。
一体、本能寺の変の真犯人は誰でしょうか? 現在、明智 光秀以外に8人の真犯人説が語られています。
(1)豊臣秀吉
天下統一を目前にしていた信長にとって代わり、自らが覇者となるために、秀吉が光秀を謀反へと導いたという説。最終的に本能寺の変で最大の利益を受けたのが秀吉だったことや、「中国大返し」の不自然なまでの動きの早さなどが根拠とされています。
(2)徳川家康
家康は、『信長が自身(家康)の殺害を光秀に命じた』と察知し、光秀と共謀して返り討ちにしたという説。信長と徳川家康は同盟関係にありました。しかし、家康は嫡男と妻を信長の命により死に追いやられていました。本能寺の変の直前、家康が光秀からもてなしを受けていたことも根拠だそうです。
(3)濃姫
斎藤道三の娘で、のちに信長に嫁いだ濃姫を、本能寺の変の中心人物だと疑う説。光秀と濃姫はいとこであり、幼馴染みで、さらに恋仲でもあったという見解を前提としています。信長を含めた、この3人の三角関係が、本能寺の変を引き起こしたとする筋立てです。
(4)足利義昭
信長の後ろ盾で将軍となりながら、のちに京を追放された足利義昭が、光秀を決起させたとする説。義昭は京を追放後、毛利氏などの庇護を受けながら、反織田の有力武将と連絡を取り、打倒信長の策謀を続けていたことは、いくつもの書状などから確認されています。また、光秀も義昭に仕えていた時期があり、彼の軽薄な人間性を知り尽くしていたといわれています。
(5)長宗我部元親
目前に迫った四国征伐を回避するため、長宗我部元親が光秀と共謀したとする説。光秀と元親は、近年再検証された「石谷家文書」により、密接に関係していたことが裏づけられています。光秀は信長を倒したあと、元親の協力を得られることを期待していたと思われます。
(6)正親町天皇
朝廷が信長を京へおびき寄せ、光秀に襲撃させたとする説。本能寺の変が起きる直前の5月、朝廷(当時は正親町天皇)は信長に「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」のいずれかへの就任を打診していました。その根底には、光秀が朝廷と築いていた密接な人脈の存在があります。本能寺の変前後の状況から、光秀と朝廷で謀議することは十分可能であったでしょう。
(7)森蘭丸
石原慎太郎の著書『信長記』で示された説。信長に対する森蘭丸の愛を主軸に描いた戯曲作品で、最終的には、信長の愛情を独占し、心中するために蘭丸が光秀をそそのかし、本能寺の変を起こさせた」とする、いわゆる“BL” 的なストーリーです。
(8)イエズス会
信長は、海外の勢力とも密接な関係を築いていたが、自らを神格化して、あまりに大きな野望を持つ信長をイエズス会が危険視し、光秀を唆して謀反に導いたとする説。しかし、外国人宣教師の政治的影響力は皆無に等しく、黒幕にはなりようがなかったと考えるのが正解でしょう。
これらの他に、信長は天下布武のため、仏教勢力からの恨みを解消し、天皇政権国家のため、光秀や秀吉らと結託して天下をたぶらかす大芝居をうったという都市伝説的な意見もあります。
このように、歴史は何が真実であったかは、定かでないことが多いものです、光秀は、主君、信長を「裏切った」とされてきましたが、それは後世の統治者が作った話である可能性も否定はできません。
今も、6月2日は「裏切りの日」とされています。中国の毛利攻めに難儀している羽柴 秀吉の応援を命じられた明知 光秀は、進軍の途中で道を変更し、本能寺にいた織田 信長を襲ったのは事実です。それが謀反だったのかどうかは、今は大きな謎になっています。
ただ、襲撃を知った信長は、近侍の森蘭丸に誰の襲撃か尋ね、光秀だと聴くと「是非に及ばず」と応えて自害したと『信長公記』に伝えられています。
「是非に及ばず」とは、「どうしようもない」とか「仕方がない」というあきらめの境地の意味でいったとも考えられますが、もはや「あれこれ論議する必要はない」という赦しの意味で言ったのかもしれません。
縁起を担ぐ
ところで、2月15日は、仏教の祖・釈迦が亡くなったとされる釈迦入滅の日で、各寺院で釈迦の遺徳を偲ぶ法会、涅槃会(ねはんえ)が行われます。涅槃会は、4月8日の降誕会(ごうだんえ)、12月8日の成道会(じょうどうえ)と並び、お釈迦さまを尊ぶ大切な仏教行事です。特に奈良にある興福寺の涅槃会は750年頃から実施されていて、古くからの伝統がある法要として有名です。
涅槃会は元々、旧暦の2月15日でしたが、現在では月遅れの3月15日に行われているところも多く、京都では3月14日~16日頃に各寺院で涅槃会が開催され、京都に春が訪れたことを告げる会として親しまれており、京都三大火祭であるお松明式も開催されます。
涅槃会では、お釈迦様の入滅のとき(命日)が描かれた「涅槃図」を開き、お釈迦様をしのんだ法要が取り行われます。涅槃図には、お釈迦様が頭を北に向け、心臓のある左側を上にし、西を向いて横たわっている様子が描かれています。お釈迦様のその寝姿から、亡くなったときに故人を「北枕」で寝かせることになったといわれ、西には、「西方浄土」があるのだともいわれています。
京都市の泉桶寺が所蔵している涅槃図は、縦約16m、横約8mもある、日本で一番大きい図です。寺院の壁の高さよりも長い涅槃図のため、コの字に曲げたまま一般公開されています。 また、東福寺の涅槃図も、縦約12m、横約6mの大型涅槃図で、繊細かつ鮮やかな色彩が美しいと、芸術性の高さから人気を集めています。
清水寺に残る「大涅槃図」
さて、お釈迦様が亡くなった2月15日というのは、必ず「仏滅」となります。仏も滅するような大凶日という意味です。暦の1つである六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口・先負)の中で最も縁起の悪い日とされています。
しかし、実は、六曜は旧暦を使っていた室町時代に中国から伝わったと考えられており、仏教とは無関係だそうです。明治時代に旧暦から新暦へ移行した際に、「吉凶付きの暦は迷信だ」として政府が禁止しましたが、それによってかえって注目されるようになり、爆発的に流行り全国に広まったという歴史があります。
六曜は、旧暦の「月」と「日」を足し、6で割ります。
その余りが
「0」なら「大安」
「1」なら「赤口」
「2」なら「先勝」
「3」なら「友引」
「4」なら「先負」
「5」なら「仏滅」
となります。
「大安」「赤口」「先勝」「友引」「先負」「仏滅」の順で繰り返されるので、「大(大安)きな赤(赤口)ちゃん勝(先勝)てば友(友引)達、負(先負)ければ仏(仏滅)」という覚え方があります。
一般的には、仏滅は終日何をしても最悪といわれています。しかし、「仏滅」イコール「物滅」として、物が滅びて新たに始まるという意味にとらえて、大安よりも何かを始めるには適した日だとする説もあります。
また、仏滅にしても良いとされていることもあります。仏の字が使われる前の「物滅」には、物事が一度滅して新たに始まり、今度は物をなくさないように気を付ける日とも解釈されています。そのため仏滅は、大安よりも引っ越しに適した日として解釈されている場合もあります。
六曜は中国から伝わったものなので、インドから伝わった仏教とは関係なく、葬儀・葬式・お通夜なども仏滅に重なっても問題ありません。ただ、友引は「友達を引っ張る」という連想もあり、葬儀を避けることもありますが、宗派によっては避ける必要はないと明言しているところもあります。火葬場のお休みが友引であることが多いため、葬儀をずらすこともあります。
しかしながら、結婚式や入籍の日取りには、やはり仏滅を避ける方がとても多いようです。ただ、終日縁起が悪いという説の他に、午後は縁起が良いとする説もあります。費用が割引されたり、混雑しないということもあって、あえて結婚式に仏滅を選ぶ方も増えてきています。
六曜は、「大安」「友引」「先勝」「先負」「赤口」「仏滅」の順に縁起が良いとされており、それぞれの意味を紹介しましょう。
「大安」の意味
大安(たいあん・だいあん)は何事もうまくいくとされ、「大いに安し」という意味です。成功しないことはないとされ、昔は「泰安」という字が使われていました。入籍や結婚式、納車や内閣組閣も大安を選んでおこなわれます。キリスト教などの安息日のように、何もおこなわないべきであるという説もあります。
「友引」の意味
友引(ともびき・ゆういん)は「凶事に友を引く」という意味がありますが、もともとは勝負がつかない日という意味で「共引」が使われていました。前者の意味で葬儀を避けることもありますが、逆に幸せを分けるという意味で結婚披露宴の引き出物の発送日に選ぶ人もいます。
「先勝」の意味
先勝(せんしょう・さきがち)は先んずれば即ち勝つという意味で、午前中は吉、午後2時から6時までは凶と言われています。結婚式は午前中に始めれば午後に差し掛かっても問題ないとされています。昔は「速喜」「即吉」とも書かれていました。
「先負」の意味
先負(せんぶ・さきまけ)は先んずれば即ち負けるという意味で、平静であることが良いとされており、勝負事や急用を避けるべき日とされています。午前中は凶、午後は吉ともいいます。昔は「小吉」「周吉」と書かれ吉日とされていました。
「赤口」の意味
赤口(しゃっこう・しゃっく・せきぐち)は陰陽道の「赤舌日」という凶日に由来しており、何かトラブルが起きないか心構える日という意味があります。午前11時から午後1時までは吉で、それ以外が凶とされています。赤から火や血が連想されるので、火の元や刃物に気をつけるべき日です。
「仏滅」の意味
「物が終わる(滅する)日」です。悪い日だと思われがちですが、この日は仏事や別れたい人との別れには良い日と言われています。例えば悪縁を切り、改めて人生をスタートしたいときなどには適しています。お祝い事などはこの日を避けた方が良いとされています。
縁切り
「縁切り」といえば、京都市東山区にある「安井金比羅宮」が縁切り神社として有名です。縁切りを願う絵馬がたくさんあって怖いという方も多いようですが、良縁にも効果があるご利益さんとしても親しまれています。
安井金毘羅宮は、もともと飛鳥時代、藤原鎌足が子孫繁栄を願って建てたお寺です。綺麗な紫の藤の花を植えて「藤寺」と名付けられました。平安時代末期、崇徳天皇はこの寺院の藤をとても気に入っていたそうです。しかしまもなく保元の乱で敗れ、讃岐(香川県)に流され、金刀比羅宮に籠りました。一切の欲を断ち切って修行に打ち込み、金刀比羅宮の神力によって仏教に帰依したと伝わっています。
崇徳上皇の死後、後白河法皇は藤寺を「光明院観勝寺」という立派な寺院に改築し、崇徳天皇の冥福を祈りました。強い思いで全てを断った崇徳天皇が主祭神であることから、安井金毘羅宮は断ち物の祈願所として長く信仰されてきたのです。
現在、安井金比羅宮は縁切りだけでなく、良縁を結んでくれる神社としても大変有名です。男女の縁だけではなく、人間関係、病気や酒・煙草、賭け事など、自力では断ち切りがたい悪縁全てが対象です。悪い縁を断ち、身を清めることで力の再生を目指します。悪縁を断ってこそ次の段階へ進め、素敵なご縁を引き寄せることができるのだそうです。
魔除け
京都市上京区に平安時代に活躍した陰陽師、安倍晴明を祀る「晴明神社」があります。大阪市にある「安倍晴明神社」と同じ1007七年に建立されたそうですが、京都の晴明神社は、晴明の活躍を称え、一条天皇が晴明の屋敷跡を神社にしたものです。大阪の安倍晴明神社の方は晴明の誕生の地で、阿倍王子神社の末社として祀られています。
鳥居を入って手水舎の右奥に晴明が念じて涌いたと言われる晴明井があり、病気回復の御利益がある吉祥の水が流れ出ています。また、ご神木の手前には大きな厄除桃が鎮座しています。撫でると邪念が消えます。
晴明が創った陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつが「晴明桔梗」とも呼ばれる「五芒星」です。五芒星は厄除け、魔除けの呪符として重宝されてきました。伝統的な陰陽論的宇宙観の五要素である木、火、土、金、水を表しています。
人を憎まず
さて、私は、これまで、裏切ったり騙したりする人を決して許すことが出来ませんでした。どうしても、そのような人と一緒に仕事をしなければならない時には、縁起を担ぎ、京都市の安井金比羅宮のお守りや、同じく京都市の伏見区にある城南宮の方位除けのお守りを手に入れていました。それなりにご利益もあったので、ある時、清明神社の五芒星も同じように、厄除け、魔除けとして手に入れました。
ところが、五芒星を手に入れたその瞬間、ふと思ったことがあります。
・・・「私を裏切ったり、騙したりした人は、たまたまそういう結果になっただけかもしれない,もしかしたら、裏切ろうとか騙してやろうという意思は、最初はなかったのかもしれない,100パーセントいい人がいないのと同じで100パーセント悪い者もいないに違いない,このように裏切ったり騙したりした者を遠ざけてばかりいたら、よくないのではないか」・・・
『孔叢子(くぞうし)』という本に、子曰く、「可なるかな。古(いにしえ)の訟を聴く者は、其の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず。」とあり、ここから「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が生まれたと言われています。
人が幸福感を感じるには、心身が健康であること,仕事があること,美しいものを見て美しいと思うなど感動する場面に出合うこと,ほどほどにお金があることなどがあげられると思いますが、楽しい人間関係が持てるということが一番も大切な要素だと思います。
(幸せの5つの条件)
1.心身が健康であること。
⇒相手の身になって考えられるか?
2.朝起きてやる仕事があること。
⇒私が何かやるのを待ってくれていることがある幸せ
3.美しいものを見て美しい、美味しいものを食べて美味しいと感じること。
⇒自分の心に悩みがあると気付かない。
4.楽しい対人関係が持てること、話の通じる人がいるということ。
⇒私には嫌いな人が一人もいないという心を持つ幸せ
5.ほどほどにお金があること。無いと不便だが大金を持つと怖い。
⇒人間は空気をためる必要はなく、1分間も休まずに使う必要がある。お金も同じ。
憎しみや拒絶からは、決して、いい人間関係は生まれないでしょう。裏切ったり騙したりした人を憎むのではなく、その犯した罪だけを憎むべきだと思います。
人間関係を円滑にし、仕事をやりやすくするには、努力が必要です。その努力の一つとして、「是非に及ばず」の心境で「裏切りは何度でも許す」というのをあげたいと思います。
1.共通点を見つける。(プライベート情報は記録し、記憶しておく。)
2.相手を「1対1で」褒める。(人前で褒めるよりも効果がある。)
3.自然な笑顔でこちらから話しかける。
4.敵と思う人にこそ、塩を送ってあげる。
5.つかず、離れずの距離(人間距離)を保つ。(近づき過ぎは危険。周りの妬みもかう。)
6.非情だが、側近は最後に切る。(仕事のうえでは人に期待しない,信用しない。)
7.ATTで(明るく、楽しく、(人の)ためになって)はたらく。
8.悪口は本人に言う。(他人には絶対に言わない。)
9.対極のマネジメント(九徳)
※「九徳」
1、寛にして栗 寛大だが、しまりがある
2、柔にして立 柔和だが、事が処理できる
3、愿にして恭 まじめだが、丁寧でつっけんどんでない
4、乱にして敬 事を治める能力があるが、慎み深い
5、擾にして毅 おとなしいが、内が強い
6、直にして温 正直・率直だが、温和
7、簡にして廉 大まかだが、しっかりしている
8、剛にして塞 剛健だが、内も充実
9、彊にして義 強勇だが、義(ただ)しい
10.弱点はさらけ出しておく。
+
「是非に及ばず」…裏切りは何度でも許してやる。
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