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体育科授業における「課題形成学習」が生徒の「生きる力」に及ぼす影響

タイトル 体育課題形成学習
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-T君とMさんの「出来事」を通して-

もくじ

あらまし                              

1.はじめに                              

(1)「生きる力」と体育                             

(2)新しい学力館

(3)目標-指導―評価の一体化(Plan-Do-See)

2.授業設計と実践                            

  • Planへの取組み                              

  ①重点教材の設定                                

  ②個人ノートとグループノートの活用 -私の体育財産作り-  

  • Doへの取組み                                

    ①「課題形成学習」の実践

  ②ルールを工夫する。

  ③スポーツを変える力をつける。

  • Seeへの取組み                                
    • 自己評価
    • 相互評価                                    

3.成果(生徒の変容)                         

 (1)アンケート調査の結果より                          

 (2)自己評価・相互評価の効用                          

 (3)事例(出来事)                                                              

  1. T君の場合
  2. Mさんの場合

4.おわりに                              

引用・参考文献                              

資料

あらまし

 学習指導要領が目指す学力を育成するためには、「指導と評価の一体化」を図る工夫が必要である)。そのためには、指導目標を具体的に設定し(Plan)、指導を介在して(Do)、学習成果を評価し(See)、目標の見直しをしたり、指導の修正が行われたりするというサイクルを作ることが大切である18)

 本校では、阪神淡路大震災以降、スポーツテストの結果では殆どの種目が全国平均を下回り、「運動離れ」や「体育嫌い」の生徒が増加していた。目の前の子どもを、体育の授業を通して、「運動の好きな子」に変えたいというのは、切なる願いであった。

 そこで、生徒たちの『あっ、わかった』とか『あっ、そうか』という発見や『なるほど!』という感動体験を大切にしながら、技能的特性に触れる「楽しさ体験」を味わわせるような授業を、自己評価・相互評価を取り入れながら展開した。

 まず、Planへの取り組みとしては、生徒たちにあまり人気はないが教材的価値の高いと考えられる重点教材を設定した。すなわち、2年生において、1学期に男子は「器械運動」,女子は「柔道」を,2学期に「ハンドボール」と「鉄棒」をいずれも男女共習で重点教材とした。次に、個人ノートやグループノート,学習カードを取り入れ、学習成果をあげようとした。

 次にDoへの取り組みとしては、「課題形成的学習」によって授業の中に課題練習時間を設定し、自主的・自発的な学習を促進した。また、ルールや指導体制を工夫・改善するなど、学習活動の工夫を行った。さらに、「スポーツを変える力」を育成するため、スポーツの歴史的・文化的認識を高めるため、自作の体育プリントを活用した。

 そしてSeeへの取り組みとしては、自己評価・相互評価を取り入れ、その成果を量的・質的に検討した。2年生において、1学期に行った男子:マット・跳び箱運動と女子:柔道では、相互評価を取り入れ、2学期に行った男女共習:ハンドボールでは、自己評価を取り入れた。

 これらの結果、生徒たちは、ゲームや練習のなかでお互いのプレーをよく観察し、遠慮なくアドバイスを送れるようになったり、審判を進んで行うようになったりするなど、顕著な変化が認められた。

 また、教師の意図に反して予想を超えた行動(出来事)をすることの多かった生徒の中には、体育授業を通して、劇的な変化をみせた者がみられた。特に、T君とMさんは、その典型であった。本校の生徒たちは、全体的にも個人的にも、体育授業に対する興味・関心を高め、「運動の好きな子」が増加した。

 さらに、ただ単に「運動が好き」になったというだけでなく、これらの体育授業を通して、自主性・自発性を高め、自らの生活を変える力をもった生徒の育成に努めることができた。T君とMさんの卒業後の生活ぶりも紹介しながら、中学時代の体育授業における「課題形成的学習」の影響について考察した。

はじめに

(1)「生きる力」と体育

 第15期中央教育審議会が21世紀を展望した我が国の教育の在り方について第一次答申(1996)を行って以来、教育には「生きる力」を育成することの重要性が強調されてきた。「生きる力」は教育基本法第一条でいう「望ましい人格」をもった人のもつべき能力のひとつと考えられる。

 体育は、身体運動文化を対象として、子どもたちに「知覚→思考→実践」の直接体験を拠り所とし、正しい判断に基づいた実践力や行動力を身につけさせることのできる教科であるところに独自性をもつ1)。したがって、「生きる力」を育む実践的な場として位置づけられ、これからの教育活動においても、益々、重要視しなければならないと考えられる。

(2)新しい学力観

 学習指導要領の目指す新しい学力観では、子ども一人ひとりが自らのものの見方や考え方をもって主体的に判断し、行動できる力を培うため、思考力・判断力・表現力などの能力,とりわけ新たな発想を生み出すもとになる論理的な思考力や創造力,直感力などを重視している。また、生涯にわたる学習の基盤を培うという観点にたって、自ら学ぶ目標を定め、何をどのように学ぶかという主体的な学習の仕方を身につけさせるとともに、体験的な学習や問題解決的な学習などによって、学ぶことの楽しさや成就感を得させることなどにより、学ぶ意欲を育てるよう配慮することが大切である。

(3)目標-指導-評価の一体化(Plan-Do-See)

 学習指導要領が目指す学力を高めるためには、教師の指導によって子どもたちに獲得された学力を測り、それを今後の学習に生かされることが大切である。すなわち、日常の授業のなかで評価の在り方を見直し、指導の課程や結果について意図的・計画的に評価を行い、指導と評価の一体化を図る工夫が必要である)

 指導と評価の一体化を図るためには、指導目標を具体的に設定することからはじまる。目標が設定されて(Plan)、そこに指導が介在し(Do)、学習成果を評価(See)し、そこでもう一度目標の見直しが行われたり、指導の修正が行われたりするというサイクルを作らなければならない18)

 体育における、①意欲・関心・態度,②思考・判断,③技能,④知識・理解,の観点別評価は、子ども一人ひとりが学習活動によって、どのような学力を身につけたかを捉えることである。したがって、他の子どもとの比較によって評価するものではなく、個人内評価・絶対評価がその中心となる。

授業設計と実践

・・・目の前の子どもを、体育の授業を通して、『運動の好きな子』に変えるために・・・

(1)Plan への取り組み

重点教材の設定

 学校体育で「生きる力」を育てるためには、まず、どのような教材を選択するかという問題を検討する必要がある。一般に、教材とは学習内容を習得するための手段であり、学習内容の習得に向けての「教授=学習活動」の直接の対象となるものと捉えられている7)。体育における「教材」は、「素材+教育的価値=教材」という図式で提示され12)、運動文化(科学)と学習者の発達や欲求との接点において、吟味される必要のあることが指摘されている16)

 また、高島17)らは、学習のレディネスの観点から、発展的・系統的に運動種目を選択する際、おのおのの運動(素材)が子どもの運動への欲求と対峙して考えられているか,また、それが、その発達段階の子どもにかけがえのない教育的意義をもち得るかどうかの検討が重要であると指摘している。

 ところで、昨今、「運動離れ」と「体育嫌い」が問題になっている11)  3)。また、これまでの「体育嫌い」は、イコール「運動嫌い」であったのに対し、最近は、「運動好きの体育嫌い」という子どもたちも多い。

 本校は平成10~12年頃、授業をする以前に「学級崩壊」など生徒指導面での問題が頻出し、体育授業が成立しない時期があった。衝動的で抑制がきかず、自立が遅れがちな生徒が多い一方、他人との関わりを嫌い、自己の世界に閉じこもり、限られた人間としか関係をもたない傾向もみられた。

 しかし、体育は、やり方によっては、これらの子どもたちの問題を解決する一助となり得る。実際、東大阪市の荒れた中学校でマット運動にグループ学習を取り入れて成果をあげた例4)や、授業拒否をし、水に入ろうとしない尼崎市の高校生たちを変えた水泳授業の例22)などが報告されている。

 本校でも当時、「体育嫌い」は相当数おり、種目によってその数も半数を超えていた。特に、器械運動,柔道を「嫌い」と答える生徒が多かった。しかし、器械運動や柔道を「嫌い」と答える生徒たちの中には、球技は「好き」と答えている生徒が多くいた。彼らにとって、「球技」は昼休みのサッカー遊びである場合が多く、体を動かして汗をかくのは好きだが、体育授業は「嫌い」なのである。その原因は、これまで、「体育=息抜きの時間」と認識し、「知覚→思考→実践」のプロセスを大切にするような体育授業の経験が少ないことにあった。それならば、本校生徒に器械運動や柔道を好きにさせれば、本当に「体育好き」な生徒になるだろうと考えた。

 そこで、2年時において、1学期、男子はマット運動と跳び箱運動,女子は柔道を,2学期にはハンドボールと鉄棒をいずれも男女共習で重点教材とした。すなわち、器械運動と柔道は、生徒たちに最も人気のない種目であり、ハンドホールは運動経験がなかったので、敢えてこれらの種目に取り組むことによって、目の前の生徒たちの一人でも「体育が好き」と言わせたいと考えたのである。

表1.は、器械運動,柔道,およびハンドボールの教育的価値として考えられる要素をまとめたものである。

表1.重点教材の教育的価値

②個人ノートとグループノートの活用 -私の体育財産作り-

 体育の目標は、「スポーツに自立する人間」,あるいは「運動を主体的にできる人間」を育てるであり、そのためには、「運動の好きな子ども」を育てることが重要である1)。目の前の子どもを体育の授業を通して「運動の好きな子」に変えるには、楽しい体育の授業が展開されなければならない。

体育授業における楽しさには、次の4つの楽しさがあるとされている14) 15)

 ・「精一杯、全力を尽くして運動ができた」【活動欲求】

 ・「今までできなかったことができるようになった」【技術向上】

 ・「『あっ、わかった』とか『あっ、そうか』と思ったことがあった」【発見・工夫】

 ・「友だちと力をあわせて、仲良く学習することができた」【協力・連帯】

 これらの中で、生涯体育・スポーツにつながる「楽しさ」は、技能的特性に触れる「楽しさ体験」であり、「わかる」と「できる」が統一された貴重な運動体験が重要であることが指摘されている) 13)。すなわち、わかってできるようにさせる体育授業の展開が重要であると考えられる。

 そこで、個人ノートやグループノートを活用し、生徒たちの『あっ、わかった!』とか『あっ、そうか!』という発見や『なるほど!』という感動体験を大切にしながら、技術の向上を目指す授業を重要視した。

 個人ノートには、1)配布した体育プリント(資料)を貼るページ,2)宿題・長期休業中の課題のページ,3)予習・疑問を書くページ,4)復習・テスト勉強のページ,5)発見・感動のページを作らせ、機会あるごとに提出させて点検するようにした。生徒の中には3年間で大学ノート10冊を越える者もいる。このノートには、体育の授業を通して得た『あっ、わかった』とか『あっ、そうか』という発見や『なるほど!』という感動体験が記されている。また、長期休業中には、スポーツ・体育・保健・健康・安全・環境等に関する新聞記事をスクラップする課題も課した。こうして、生徒たちの手元には、3年間の体育の思い出と財産が残る。

 一方、グループノートは、特にグループ学習をする授業において、授業の流れがわかるようなものを自作し、活用した。授業前にノートに必要事項を記入させ、教師の点検を受けさせた。ノート記入は輪番制で回すことにした。授業前に教師の点検を何回も受ける中で、生徒たちは、体育実技の本を読んだり、資料を調べたりしてくるようになった。授業外での,しかも、最も時間のかかる作業であったが、教師との1対1の対話が、授業の成功につながった。

(2)Doへの取り組み

①「課題形成学習」の実践

 「グループ学習」と称して、教師はただ腕を組んで見ているだけ(腕組み授業)や生徒に任せっきりの放任授業を目にすることがある。これらは、課題が明確になっていないことに起因する場合が多い。生徒一人ひとりに課題を明確にすることで、子どもたちの動きは変わってくる。

 ところで、このような課題解決的な学習では、「課題」を作るのは誰かという問題がある。

 従来の課題解決的学習では、毎時間、教師が課題を提示し、子どもはその課題をこなしていたに過ぎない。しかし、新しい学力観では、生涯にわたる学習の基盤を培うという観点にたって、自ら学ぶ目標を定め、何をどのように学ぶかという主体的な学習の仕方を身につけさせることが求められている8)。すなわち、教師は子どもたちが自らの学習法(学び方)を開拓創造することを支援しなければならない10)のであって、子どもたち自らが課題を考え、その解決をも子どもに委ねる姿勢が大切である。このような学習を「課題形成的学習19」」とよんでいる。

 「課題形成的学習」では教師は3~4時間を一単位とする作業課題として「共有課題」を示す。例えば、ハンドボールでは、「失点を最小限にする守りを築こう」とか、「ゾーンディフェンスを破る攻撃法を考えよう」といったおおまかな方向性を示すが、毎時間の課題の形成は、子どもに任せるのである。教師は、子どもたちが低い次元で充足したり(欲求充足による満足)、課題をうまく形成できずにはい回ったり(学習のはい回り現象)しないよう、教材についての深い洞察力をもち、子どもの動きを診断し、指導的評価の言葉(適切なアドバイス)を用意しておく必要がある(図1参照)。

図1.課題形成的学習を山登りに例えると…

教師はあらかじめ山についてよく知り(教材解釈)、双眼鏡と子どもの数だけのチャンネルのあるトランシーバー(子どもの動きを診断する眼と指導的評価の言葉)を用意していなければならない。

 その結果、課題形成的学習では、子どもの技能を伸ばすとともに、授業に対する好意的態度を高めることが報告されている20)2)

 そこで、個人ノートやグループノート,学習カードを利用しながら、あらかじめ、個人あるいはグループの課題を明確にさせ、授業の中に必ず、課題解決のための自ら取り組む練習時間を設定するようにした。

②ルールを工夫する。

 体育の授業では、スポーツをそのまま子どもたちに伝達するのではなく、そのスポーツ文化のもつ匂いを子どもたちに味わわせることが重要である。すなわち、スポーツ文化のハヴィトスを感じさせるように、授業を仕組まなければならない。そのためには、たとえば、球技では、既存のスポーツルールでゲームを行うのではなく、その球技の特性を失わない範囲で、ねらいに応じてルールを工夫する必要がある。

 本校では、これまでにも、様々な授業でルールの工夫を行ってきた。なかでも、男女共習の授業を行う際には、いろいろなルールの工夫を実践し、それなりの成果をあげてきたように思う。

 しかし、これまで、ハンドボールにおいては、男女共習の授業は困難なように感じていた。中学2年生ぐらいになると、男女の身体的な能力差が大きくなり、ハンドボールのシュート力に歴然と差が出てくるからである。試合中、女子がシュートしたボールは、男子のキーパーならほとんど得点にならない。反対に男子がシュートしたボールには、女子のキーパーはそのスピードに恐怖心をもってしまうことが多い。バスケットボールのように、シュートをする際に強い力を必要としないものや、バレーボールのようにネットを境にして攻防が分離されている型のスポーツでは、男女共習の授業は比較的実施しやすいが、ハンドボールでは、シュートの際の男女差を埋めることが困難であった。

 ハンドボールにおいて、シュート力の劣る子どもにシュート成功の喜びを味わわせるにはどうしたらいいだろうかと思案していたところ、そのヒントを子どもたちの昼休みの遊びの中から得た。

 ある日の昼休み、子どもたちは、グランドでボール当てゲームをして遊んでいたが、そのうち、一番多くボールの当たられた生徒が壁際に貼り付けになって立ち、20mほど離れた距離からその生徒に向けてボールを当てる遊びへと変わっていった。その時、ボールを遠くに投げることの出来ない子どもだけは、その距離を短くして10mくらいの距離から投げてもいいということを、お互いに了解しながらやっていたのである。「これだっ!」と思った。

 早速、ハンドボールの授業を男女共習で行い、

「ハンドボールのシュートはゴールライン6mより遠くからすることになっているが、シュートのスピードのない者がいくらシュートしても得点にならないので、おもしろくない。そこで、シュートのスピードのない者については、ゴールラインを4mにしてみようと思うがどうだろうか。」

という問いかけをしてみた。

生徒たちはうなずき、まず、①「女子はシュートをゴールライン内側から2m入ったところ(すなわち4mライン)からシュートをしてもよい」というルールを採用して、ゲームを行った(写真1参照)。

写真1.ハンドボール;4mラインからシュートする女子生徒

 結果は、非常に良好であった。女子が意欲的にシュートをするようになり、男子もアシストに回って女子のシュート成功を援助するなどのアシストプレーが頻出した。

 ところが、その後、女子の中にもスピードのあるシュートを打てる者もおり、いくら男子のキーパーが努力してもなかなか止めることができなかったことから、②「女子でもシュート力の優れた者は6mラインからのシュートをすること」になり、③「男子の中でもシュート力の劣る者は4mラインからのシュートが可能」というふうにルールが改正されていった。生徒たちは男女差を個体差と捉えるようになってきたのである。

 さらに、④「4mラインからシュート可能な選手は、各チーム男女を問わず2名までとする」,⑤「4mラインに入ることができるのは3秒まで」となり、子どもたちはお互いにルールを作って、ゲームを楽しめるように変容していった。その中で、サッカーのオフサイドやバスケットボールの制限地域のルールの意義や歴史も学んでいったのである。

 そもそもルールは、互いに規制をかけたり、罰則を与えたりするためのものではなく、快(楽しさ・おもしろさ)の追求を目的とするものである。無用なトラブルをなくし、「みんながより楽しく生活するためにルールを話し合いで変える」という発想は、本校の学校のきまり(生徒手帳の改訂,制服の変更など)の検討にも影響した。この授業を学習した生徒たちが、生徒会の中心となって、制服を新たにできたのは、この土壌があってのことであると考えられる。

③ スポーツを変える力をつける。

 「体育の学力」を論じるときには、「スポーツの継承のための学力」と「スポーツの変革・創造のための学力」の2つの立場がある。さらに、変革・創造の学力は、①スポーツの技能習熟,②スポーツの技術的認識,③スポーツの文化的認識,の3つで構成されると考えられる5)

 すなわち、体育の学力は、「スポーツをする力(スポーツ実践の学力)」,「スポーツを見る力(スポーツ批評の学力)」,「スポーツを変える力(スポーツ改革の学力)」,の3つの視点から、体育の学力を捉えたい。

 義務教育段階で全ての子どもたちに保障しなければならないのは、「スポーツをする力」であろう。そして、技能の習熟は、「わかる」ことを土台にしてなされなければならない。確かな技能習熟と技術認識は、スポーツ文化継承の基本的な土台である。しかしながら、これだけでは不十分で、技術が「わかる」,「できる」に加えて、スポーツの文化的認識が欠かせない6)。なぜなら、教育は未来を作り変える仕事であり、子どもたちは現在の文化を発展させなければならないからである。昨今、大学での体育授業が必須でなくなるなど、教科の存在基盤が揺らぐ中、学校体育がスポーツの変化を無抵抗に受容するのではなく、スポーツを変革し創造する主体者を育成するという使命感に応えようとするならば、スポーツがこれまで継承・発展されてきた過程を学び、自らがその担い手としての自覚と力量を形成する機会を子どもたちに提供しなければならない23)。したがって、「スポーツを変える学力」は、スポーツ教育が最も大切にしなければならないと考えられる。

 本校では、授業資料として「暁教育図書・図解中学体育」を活用し、体育の授業時には常時、携帯させている。そして、スポーツの歴史的・文化的な認識を高めるように、スポーツの歴史や特性について自作の様々なプリントを配布し、できる限り、読み聞かせるようにした。これらは道徳教材としても使えるものであり、生徒の道徳心を高め、学級経営に生かす資料としても活用された(資料Ⅰ~Ⅳ)。

(3)Seeへの取り組み

 生徒自らが自分の学習について評価することは、生徒が主体的に学習する能力を育成するうえでも重要であり、自らの学習状況を確認し、自らを改善していく力は、自己教育力の育成にとっても重要であると考えられる12)。自らの特性を正しく理解することは、生き方指導にもつながる。

 また、自己評価を有効に実施するためには、生徒主体の授業を展開することが基本となる。生徒一人ひとりに、何のために,何を,どのように学習するのかをはっきりと捉えさせ、主体的な学習を展開させ、そこに自己評価を取り入れれば、学習活動と評価の一体化が行われることになる)

 さらに、生徒同士による相互評価は、他の生徒の学習からよい点を学んだり、他の生徒と自分を比較することによって自分の優れた点を発見したりすることができることから、自己理解や自省力の育成にもつながると考えられる。本校では、生徒主体の授業を展開していく中で自己評価・相互評価の工夫を試みた。

①自己評価

 体育の授業の感想や記録を残していく手法は、戦後の生活綴方教育の中で行われた生活体育とも共通するが、近年、ポートフォリオ評価を取り入れた体育実践21)が報告されている。そこでは、ポートフォリオ評価を活用した学級の方が、教師主導型の学級よりも、子どもたちの「学び方」や「協力」観点で有意に優れていることが指摘されている。

 そこで、本校でも、このポートフォリオ評価を取り入れ、体育授業が終わった後すぐ、学習記録カードを記入させることにした。これは、学習の内容や成果・反省・感想を書いて、記録として残していくものである。そして、単元終了後に、学習のまとめを記入し、充実度を3段階で自己評価したものを提出させるようにした(写真2)。

写真2.授業後は学習カードを記入する。

 ②相互評価

 相互評価は、ペアまたはグループで、お互いにパフォーマンスを評価し合うものである。その際に大切なことは、評価項目とその規準を明確にすることであろう。体操競技やフィギアスケートなどでは、審判のジャッジによって勝敗が決定する。時には、ジャッジによって、その選手の人生を変えてしまうこともある。そのような話をして、子どもたちに、他人を評価することの大切さや難しさを教えた。

 年度当初にはラジオ体操で相互評価を実施した。何度か繰り返してやっていくうちに、教師と生徒,生徒同士の評価点が次第に合致するようになってきた。そして、2学期に行ったハンドボールでは、ゲーム中のシュートのトライ数,シュート成功数,アシスト数をそれぞれ記録し、その数を累積していった。また、器械運動や柔道では、一人のパフォーマンスに対して、複数の者から評価を行った(写真3)。

写真3.跳び箱運動のパフォーマンスを相互評価する。

 多くの者から評価されることで、その評価の信頼性も高くなる。生徒はそれらの評価を素直に受け入れ、次の課題を立てていた。これが、教師だけの評価だと、その評価に生徒自信が納得しないことがあり、次の課題を明確に立てることができずに、学習のはい回り現象を起こす場合がある。

 他人からの評価を信頼するかしないかという問題は、きわめて重要である。相互評価は、生徒にとって、次の課題を立てるためのオーセンティック評価(信頼される評価・真生な評価)であり、形成的評価として機能されていた。

成果(生徒の変容)

(1)アンケート調査の結果より

 中学2年生1学期と2学期の学期末に、全員にアンケート調査を行った。

 アンケートの項目は、高田・小林9)の「よい体育授業への到達度評価」の4項目に、「体育が好きですか」,「体育の授業は楽しかったですか」の2項目を加え、それぞれについて5段階で評価させるとともに、その理由を自由記述させるように改変したものである。

 また、1学期は相互評価を,2学期は自己評価を取り入れた授業について、それぞれ同じ質問を行った。

 いずれも、便宜的に、「大変(好き・楽しかった・できた)」を5点,「まあまあ(好き・楽しかった・できた)」を4点,「ふつう」を3点,「あまり(好きでない・楽しくなかった・できなかった)」を2点,「全く(好きでない・楽しくなかった・できなかった)」を1点の段階点で平均値を求めた。

 さらに、「将来も続けてやってみたいと思うスポーツや運動」を興味・関心のある順番に3つ記入させた。

 ここでは、そのうち、主なものについて述べる。

「あっ、わかった!」とか「あっ、そうか」と思ったことがありましたか。【発見・工夫】

    よくあった まあまあ ふつう あまりなかった 全くなかった  平均値

1学期全体  13.6%  25.8% 27.3% 22.0%  5.3%  3.22

相互評価   9.9  31.3  36.6  13.7   4.6   3.29

2学期全体  4.5  27.8  31.8  26.1   3.4   3.04 

自己評価   6.3  31.3  32.4  21.6   3.4   3.16

 相互評価や自己評価を取り入れた授業では、学期全体の授業の感想より、有意差は認められなかったが、平均点が高く、「あっ、わかった!」とか「あっ、そうか」と思うことが多くあったことが伺われた。

友だちと力を合わせて、仲よく学習することができましたか。【協力・連帯】

    よくできた まあまあ ふつう あまりできなかった 全くできなかった 平均値

1学期全体 36.4% 38.6% 18.9%  3.8%  0.0%  4.10

相互評価  42.3  34.6  18.5  2.3  0.0   4.20

2学期全体 27.4  39.4  25.1  4.0  0.6   3.92

自己評価  48.0  31.4  15.4  2.3  1.1   4.25    

 相互評価や自己評価を取り入れた授業の方が、いずれも、学期全体の平均値よりも高い。特に、自己評価を取り入れた授業では、顕著であった(p<0.01)。

 また、平均値は、相互評価を取り入れた授業では4.10点,自己評価を取り入れた授業では4.25点といずれも4点を超える高得点をあげ、80%近い生徒が「よくできた」,「まあまあできた」と答えていることから、仲間との関わりが深かったことが伺われた。

これから将来も続けてやってみたいと思うスポーツ(ベスト10)

          1学期           2学期 

第1位     水   泳(42)       サ ッ カ ー(45)

第2位     サ ッ カ ー(41)       野    球(43)

第3位     バ レ ー(40)       ス キ ー(36)

第4位     散   歩(38)       散   歩(34)

第5位     野   球(36)       テ ニ ス(33)

第6位     ス キ ー(34)       バ レ ー(31)

第7位     テ ニ ス(33)       ハンドボール(31)

第8位     バスケット(32)       水    泳(29)

第9位     卓   球(30)        (27)

第10位    ボウリング(25)        柔   道(21)

 1学期の上位に水泳,サッカー,バレーボール,散歩,野球があがっていた。2学期には、重点教材として行った「器械運動」,「柔道」,「ハンドボール」がベスト10に入っている。

これらのことから、生徒たちは体育授業で取り組んだこれらのスポーツに好意的態度を向上させたことが伺えた。

(2)自己評価・相互評価の効用

 1学期に相互評価,2学期に自己評価を取り入れた授業を実施してきたが、その結果、生徒たちに次のような変容がみられた。

① ゲームや練習のなかで、お互いのプレーをよく観察し、遠慮なくアドバイスを送れるようになった。
② 審判を進んで行うようになった。
③ 体育(個人)ノートの提出状況がよくなった。また、内容も充実してきた。
④ 学期末のレポート内容が充実してきた。

 特に、上記①,②の様子は、2学期に行ったハンドボールの授業時によく見受けられた。

 ④の2学期末のレポートから、ハンドボールを終えての感想を列挙してみる。

<ハンドボールの授業を終えて・・・>

  • ハンドボールをするのは今回が初めて。最初は「嫌やなあ」と思っていたし、全然やる気もなかった。でも、やっているうちに、みんなもやる気になってきて楽しかったし、チームの人たちと喜んだり、悔しがったりして、「仲間っていいなあ。」と思いました。
  • 男子と一緒になんて出来っこないと思っていたけど、ルールを工夫すれば、運動能力が違ってもできるんだということがわかりました。ルールやきまりは、みんなが楽しめるためにあるんだということも、よくわかりました。
  • ハンドボールって、パスをつないでシュートするのに、チームワークがとても大事だということがわかった。それと、仲間と協力して作戦をたてれば、成功するんだということを知った。
  • 男子と女子の混合チームでやった方が、男子ばかりのチームよりもチームワークがよくなった。これからは、男子も女子も一緒にした方がいいのかなあと思った。今の女子の力の強さには驚いた。

 生徒たちの感想から、授業を終えて、生徒たちはハンドボール「」学んだのではなく、ハンドボール「」学んだということがよくわかる。

 すなわち、ハンドボールの特性に触れた喜びやルールを学んだだけでなく、「作戦」や「チームワーク」の大切さ,「ルール」を変えれば、ハンドボールを男女共習で十分に楽しめるということ等を学んだ様子が伺われた。

(3)事例(出来事)

 子どもたちの学習に対する「プロセスープロダクト」をみる時、多くの子どもたちは、教師の仕組んだプロセスを経て、それに見合う成果を出すものである。しかし、必ずしも、子どもたちは全員が回帰直線上に乗るとは限らない。すなわち、いくら教師がうまく意図した授業をしても、予想を越えた反応をする子どもたちが存在するのである。この事象を体育における「出来事」と呼ぶ。

 子どもたちのそれぞれの個性をいかし、一人ひとりを大切にするためには、子どもたちを十把一からげにみるのではなく、「出来事」を大切に扱っていく姿勢が求められる。

 そこで、中学1年時の体育授業で「出来事」の多かったと思われる5人の生徒(男子3人,女子2人)を抽出し、2年生での体育授業での動きを記録してきた。本論文では、T君とMさんの2例を取り上げる。

① T君の場合

 典型的な「運動好きの体育嫌い」のタイプであった。汗を流すのは好きだが、考えることは苦手で、嫌いなことはできるだけ避けようとする。運動能力は決して高くなく、中学1年時の学習に対する取り組みは非常に消極的であった。1年時は野球部に所属していたが、続かなくなり、途中で退部。2年になって卓球部に入部したが、それも2学期半ばからは参加できなくなった。2年時の1学期に行った生活アンケートでは、最も好きな教科に「保健体育」をあげていたが、苦手な教科にも「保健体育」をあげていた。

1)跳び箱運動(1学期)での様子

 1学期、跳び箱運動に取り組んだ際には、当初、さりげなく教師の目から逃れようとし、あまり熱心に練習を行わなかった。見学をすることもあり、ほとんど跳ぶ練習を行わなかった。後でわかったことだが、T君は、小学校5年生の時の跳び箱運動で手首を痛めたことがあり、「自分は下手だから」という理由で、尻込みをしていたのである。

 このT君の行動を変えたのは、相互評価による競技会であった。最初、級友から次の順番だと言われて、渋々、跳び箱を跳んだ(というより、またいだ)。しかし、それに対し、級友から「なかなかうまいやん!」と言われたことがきっかけとなって、何回もトライするようになったのである。

 結局、開脚跳びで競技会を終え、級友から暖かい激励の言葉を受けて、単元を終えた。しかし、1学期末に提出を求めた授業アンケートや個人ノートは未提出であった。

2)ハンドボール(2学期)での様子

 昨年のバスケットボールの時と比べると、ゲームには授業当初から積極的に参加していた。しかし、チームプレーを行おうという行動は見られず、センターラインの近くで味方からもらったボールをいきなりゴールにめがけて投げて外したり(写真4)、味方がゾーンディフェンスをしているのに、一人だけゴールラインに戻らずにいたりするなど、常にワンマンプレーが目立った。その結果、チームはゲームに勝てず、とうとう班員からはボイコット宣言が出ることになった。「T君にボールを回さない」ことが作戦の一つになり、「T君をキーパーに固定する」などの案も出た。

 写真4.ゴールラインのはるか後方からワンマンプレーでシュートするT君

 また、他のチームはゾーンディフェンスを採用するようになって、ゴールラインはるか後方からのランニングシュートしか打たないT君は、全くポイントをあげることのできない状態になっており、T君自身もすっかり自信を失っていた。

 T君の行動に大きな変化が出たのは、6時間目のゲーム中、相手チームの女子のポイントゲッターK子をマークするようにと、T君が再三チームの仲間に言うのだが、誰もK子をマークせず、結局、K子にパスが渡り、得点を重ねられた後であった。その日の学習記録カードには、「自分のアドバイスに誰も耳をかしてくれない。」と書かれてあり、グループノートには、「K子チームのチームワークを見習う。」と課題が記されていた。

 次の時間、T君の班は、チーム課題練習をせずに、円座になって座り、作戦会議をしていた。

 リーダーのA君は頬を紅潮させてT君に指示をしていた。

 そして、その日からT君の試合中の行動が一変した。ボールをキープしたら、すぐに味方にパスを送るようになったのである。      

 その後、T君は、アシスト数の多さを自慢げに話すようになり、2学期末のアンケートでは、「今までできなかったこと(運動や作戦)ができるようになりましたか」という設問に、「よくできるようになった」,「『あっ、わかった』とか『あっと、そうか』と思ったことがありましたか」という設問に、「まあまああった」と答え、「2学期の体育の授業はまあまあ楽しかった」,「体育は、大変好き」と好意的態度を向上させた。

3)その後の様子とまとめ

 2学期末のアンケートで、「あなたがこれから将来も続けてやってみたいと思うスポーツ(特に興味・関心のあるものの順番に3つあげなさい)」の一番目に、T君は、なんと、「器械体操」をあげていた。

 3学期になって、体育の授業では持久走に取り組んだ。1年時の持久走の授業では、T君は授業の約半分を見学していたが、2年時では休むことなく、まじめに取り組むようになった。また、昼休み、鉄棒にぶら下がって練習をしている姿もみかけられた。これまでトライしようともしなかった前方支持連続回転ができるようになり、「跳び箱をもう一度したい。」とも言うようになった。

 T君が体育の授業を楽しみにするようになり、苦手な運動にも積極的に取り組もうと劇的に変化したのは、非常に短期間のことであった。しかしながら、本来、子どもの成長というものはそういうものではないだろうか。練習を繰り返す中で、ある日、突然、さか上がりができ、自転車に乗れるのである。M君のこのような劇的な変化は決して珍しいことではなく、常に教師として鋭い観察力を持ち続けたい。

② Mさんの場合

 運動が苦手で、体育も嫌いというタイプであった。小学校高学年から中学1年時にかけて、不登校が続いた。毎日、登校が出来るようになったのは、中学2年生になってからであった。

 しかし、仲間との関わりが希薄で、1学期は男子生徒とは会話もできなかった。

 Mさんは、2年生の1学期の学期末アンケートでは、体育は「全く好きでない」と答えており、体調不良により、体育授業を見学することも多かった。1学期の相互評価を取り入れた柔道の授業後のアンケートでも、「大変つまらなかった」と答えていた。

 2学期に行ったハンドボールの授業では、当初、着替えもせず、見学することが多かった。本校では、体育授業の見学者には、授業内容を記録するレポートを課していたが、ハンドボールの授業が盛り上がっていくなかで、Mさんは次第に自らチームの作戦会議に参加したりするようになり、ゲーム中も、記録をとったり、ボール係をするようになった(写真5)。

写真5.見学しながらも積極的に参加するMさん   

 また、その後の鉄棒の授業では、「小学校の低学年の時は、逆上がりが得意だった。」と言って参加しいたが、思うようにできなくなっていることに気づき、次第に熱心に練習するようになった。

 1学期は、「これからも将来続けてやってみたいと思うスポーツ」に、「散歩」「体操・なわとび」「ボウリング」と軽い運動をあげていたが、2学期は「バドミントン」「ハンドボール」「サイクリング」に変わっていた。

 このように、Mさんの体育授業に対する取り組みや運動に対する意欲が変化してきたのは、自己評価を取り入れたことが大きいと思われる。Mさんの学習記録カードには、次のような体育の授業に関する、自らへの問いが残されていた。

「私のパスがアシストになったが、あれは偶然だった。どうすれば、今度はより確実に、アシストができるだろうか。」

「ゴール前でせっかくパスを受けたのに、シュートできなかった。どうしてすぐに、シュートをしなかったんだろうと悔いが残っています。」

「前回より速く動けたと思う。考える間もなくゲームが進行していく。『体育』って、ものすごく、頭を使う。頭の瞬発力をつけるにはどうしたらいいのかな?」

 Mさんは、常に、「なぜ?」と考えることによって、小学校時代から経験してきた体育に対するイメージを変化させ、「体育好き」とまではいっていないが、次第に体育に関する興味・関心を高めていった。

おわりに

 本校に勤務して11年がたとうとしている。この間、49回生、52回生、55回生の学年を3年間連続して体育授業を担当した。いずれの学年においても、1年時に数多くのスポーツを経験させ、2年時には重点教材を設定し、自己評価・相互評価を取り入れながら、課題形成的な学習方法を用いて、体育授業に取り組んだ。なお、今回示したデータは主に52回生のデータである。

 手前みそではあるが、これらの学年の生徒たちはいずれも学校のリーダーとして育ち、学校の改革に大きな貢献をしたと感じている。49回生は、学校のきまりを見直し、生徒総会をもって制服の変更と生徒手帳の改訂案を通したし、52回生は、数々の生活キャンペーンを掲げ、落ち着いた学校生活の礎を築いた。また、55回生は、他者との関わりを大切にし、他の地域に住む人々との交流学習を成功させた。すなわち、いずれの学年の生徒も、ルール(きまり)を工夫すれば、自分たちのゲーム(生活)を「快」にすることができるということを実践してきたのである。

 出来事の例としてあげたT君とMさんは、それぞれ無事に高等学校を卒業し、それぞれ希望する進路に進んでいる。体育嫌いで自己中心的な行動の多かったT君は、インテリアの仕事に就き、休日には地域の少年野球チームのコーチを務めている。一方、運動嫌いだったMさんは、スポーツクラブに通うようになり、さらにそのスポーツクラブでインストラクターを務めるまでになっている。

 彼らが本当に、課題形成学習によって「体育好き」になったかどうか,また、自分たちの人生を歩む中にも課題をみつけ、自ら工夫してその課題を解決し、人生を楽しむ力をつけたかどうかは、まだ暫く観察を続けなければならないであろう。しかし、T君やMさん,またその他の何人かの卒業生と接するたびに、私は、確かな手応えを感じている今日この頃である。

引用・参考文献

1)後藤幸弘(1988)新学習指導要領と体育科(中学校)の課題.体育と保健26:11-17.

2)後藤幸弘・梅野圭史ら(1989)教材の構造化の観点の相違が児童の態度と技能に及ぼす影響について.日本教科教育学会誌13-2:69-77.

3)長谷川悦示(2002)体育嫌いを生まないための教師の心得と方策.体育科教育50-3,pp.22-27.

4飛田知江美(2001)荒れた学校でするグループ学習.体育科教育49-16,pp.30-34.

5)原泰明(1998)体育の学力論.体育科教育11月臨時増刊号.

  6)原泰明(2002)スポーツ教育で獲得されるべき学力とは何か.体育科教育50-1,pp.38-41.

7)岩田靖・宇土正彦(監修),阪田尚彦・高橋健夫・細利文利(編集)(1995)学校体育授業辞典.大修館書店:東京,pp.123-132.

8)亀井浩明・佐野金吾・池田熈(1994)中学校観点別評価の実際-保健体育編-.教育出版:東京,pp.1-31.

9)小林篤(1978)体育の授業研究.大修館書店:東京,pp.233-239.

10)長岡文雄(1983) <この子>を拓く学習法.黎明書房:東京

11)村和彦(2002)子どものライフスタイルから見えるもの.体育科教育50-3,pp.10-13.

12)佐藤裕(1972)体育教材序説.黎明書房:東京.

13)D.シーデントップ・高橋健夫訳(1981)楽しい体育の創造.大修館書店:東京,pp.300-310.

14)高田典衛(1976)体育授業入門.大修館書店:東京,pp.25-28.

15)高田典衛(1983)よい体育授業の構造.授業研究シリーズ(2).大修館書店:東京,pp.45-56.

16)高久清吉(1991)教育実践学―教師の力量形成の道―.教育出版:東京,pp.141-151.

17)高島稔・松田岩男・小倉学・高石昌弘(編)(1974)現代教科教育学大系8「健康と運動」.第一法規出版:東京,pp.363-64.

18)友添秀則(2002)これからの評価・評定を考える-誰のための、何のための評価・評定か?-.体育科教育50-9,pp.10-17.

19)辻昭・梅野圭史(1995)課題解決的学習の授業.学校体育授業事典:大修館書店 PP.697-701.

20)梅野圭史・辻野昭ら(1976)体育科の授業分析-教授活動の相違が児童の態度に及ぼす影響-.スポーツ教育学研究6-22:1-13.

21)梅澤秋久(2002)体育でのポートフォリオ評価-長期間にわたる子どもの見つめ方-.体育科教育50-9,pp.30-33.

22)山内明治(2001)「全員見学」(授業拒否)の生徒を変えた水泳の授業.体育科教育49-16,pp.36-40.

 23)吉田文久(2002)スポーツの歴史・文化・ルール-オフサイドはなぜでき、バレーボールはなぜラリーポイント制なのですか-.体育科教育50-15.pp.24-27.

体育資料

資料Ⅰ 「人生はマラソン」

 今、体育授業では、持久走をメインに行っています。10~12単位時間で計画しており、現在、7時間が終わったところです。長距離を走らせると、生徒たちの性格が面白いようにわかります。結論からいうと、持久走を一定の力で走り切る力のある生徒は、3年生になり受験期になっても、一定の力を出して頑張れるということです。反対に、次の7つに当てはまる生徒は、受験期などの勝負所が心配です。

 1.少しの理由で休む,見学する。(たかだか十数分の運動が頑張れない。)

 2.走る前から言い訳をする。(「今日は(…)だから走れない」などと言う。)

 3.周りの意欲をそぐ発言をする。(人の足を引っ張る。)

 4.手抜きをして走る。(何事にも全力を出さないことが習慣になっている。)

 5.友達と一緒のペースで走る。(独立心・自立心が育っていない。)

 6.走っている時のペースが大きく変わる。(急に速く走ったり、途中で歩く。)

 7.走った結果を人のせいにする。

 人生をマラソンに譬える人がいます。長い距離を走ることで人生を感じる人もいます。

 走る前。誰でも、憂欝な気持ちになります。体調が悪い時もあるでしょう。気が乗らない時もあるでしょう。何事も始める時には、「勇気」が必要です。

 走り出すと、暫くして息が苦しくなってきます。何事も始め出した時は、「我慢」が必要です。我慢が出来ないと習慣がつきません。習慣が生活を作り、生活が人生を作るのです。

 走り出して数分たつと、最も苦しい場面に入ります。脇腹が痛くなったりすることもあるでしょう。ところが、それを過ぎると、呼吸が一定になり、急に楽になる場面に出くわします。この状態になるまで走り続けないと、持久走の効果は殆どありません。この状態では、新しい発想が生まれたり、ひらめいたりすることがよくあります。

 そして、走り終わると、やり終えたという「満足感」や「達成感」を感じるでしょう。医学的にも、運動後、脳から出されるホルモンの影響で、気分がよくなることが証明されています。これを「スポーツ・ハイ」といって、適量のお酒を飲んだ状態と同じで、ストレス解消にも大変役立ちます。大泣きすると案外スッキリするように、涙や汗には、蛋白質をはじめ、多くのストレスホルモンが入っていることが明らかにされています。 

 「持久走は人の性格を変え、人生を変えるのです。」

健康のためにも、走りましょう。

資料Ⅱ 目標に向かって走れ!・・・「自信」こそが集中力を生む。

 平成11年12月26日(日)、全国高校駅伝競争大会が京都で行われました。毎年、マスコミも大々的に取り上げており、年末の大きなスポーツイベントの一つですね。

 はじめに行われた女子は、ハーフマラソンの距離(21.0975㎞)で行われ、福岡県の筑紫女学園と兵庫県の須磨学園のトラック勝負となり、惜しくも須磨学園3年生の北山選手が筑紫女学園1年生の池田選手に1秒差で破れました。トラックに入って、一時は北山選手がリードをしたのですが、1年生ながら最後まで表情の変わらなかった池田選手が最後に抜き返し、8年ぶりの優勝を飾りました。須磨学園は兵庫最高記録を出し、兵庫勢としては最高の結果でしたが、1秒差で勝てなかったことを来年どう生かすか楽しみです。

 一方、男子は50回の記念大会で、47都道府県の代表校に地区代表を含め、58校がフルマラソンの距離(42.195㎞)を競いました。兵庫県からは、大会3連覇,最多の通算8回優勝,そして兵庫勢6連覇をかけた西脇工業高校と,近畿大会で座を射止めた報徳学園の2校が参加していました。

 10年前の記念大会では、報徳学園が西脇工業高校に僅かの差で勝ち、兵庫勢が1位,2位を占めたこともあります。今回、西脇工業高校の5区を走った2年生の古川選手は、本校の卒業生なので、応援にも力が入りました。

 さて、7区(5㎞)のアンカーがたすきを受けた時には、西脇工業高校の野々村選手と仙台育英の江村選手がほぼ同時でスタート。42秒差で長野県佐久長聖高校の佐藤清選手が追う形となりました。佐藤選手はトラック5000mを13分47秒8で走る選手で、高校生ながら世界選手権にも出場しています。西脇工業高校の野々村選手より1分以上も速いので、野々村選手は並走する仙台育英の江村選手よりも後方の佐藤選手を意識し、幾度も振り返りながら走っていました。

 ところが、佐藤選手は故障明けだったこともあって追いつけず、勝負は野々村選手と江村選手のトラック勝負となりました。一時は野々村選手が前に出ましたが、ゴール前のスパートで江村選手が逆転。仙台育英高校が6年ぶり2度目の優勝を飾りました。

 試合後、西脇工業高校の渡辺監督は、野々村選手の走りに触れ、「自分の走りに自信がない証拠」と後方の佐藤選手を意識したことをあげ、自分の走りに集中できていなかったことを敗因にあげていました。

 駅伝は、たすきをもらったら、ひたすらゴールに向かって速く走る競技です。目指すゴールに集中し、ベストを尽くさなければなりません。野々村選手には残念な結果だったでしょうが、自信のなさが集中力の欠如を招いたということでしょう。

 さあ、みなさんは、どんな目標を持っていますか? そして、それに向けて、本当に集中して取り組んでいるでしょうか? 後ろを振り返っていては、目の前の敵を忘れることになります。自信をもって、目標に向かってまっしぐらに進めば、勝機も訪れるでしょう。

資料Ⅲ 『決するものは集中力』                    

 教え子の話です。

 T君は7月の夏の総体が終わるまでは、野球部のキャプテンを務めていました。たまたま、体育の授業で走った長距離走で速く走れたことから陸上競技に興味を持ち始め、陸上部に転部をしようか、野球部を続けようか、悩んだ時期もあったようです。結局、野球部を引退してから陸上を始め、出来たら、高校では陸上をしたいということでした。

 そして9月になり、初めて陸上の試合(中央区中学校総合体育大会)に出場しました。

 記録『3000m、9分50秒』・・・中央区ではみごとに優勝しましたが、記録としては平凡なタイムでした。そこで、なんとか、10月に行われる神戸市総合体育大会には、9分30秒をめざして練習しようということで、練習を積みました。9分30秒なら、T君が目指す高校進学にも、有利な条件がつくからでした。

 ところが、T君は、非常に頑張り屋なのは認めますが、50m走はクラスの平均くらいのタイムで、いわゆるスピードがなく、タイムがあがる可能性は少なかったのです。走るフォームも改造せねばならず、専門家がみても、たかが1カ月半の期間で、20秒も縮まるなんてのは、奇跡に近いといっていいのです。

 しかし、「9分30秒を切ることが、自分の進路を切り開くことだ。」という信念をもってから、周りの生徒たちが体育会の練習等で疲れているときも、黙々と走り続けました。自主的に早朝練習をし、昼はウェイトトレーニング、そして、放課後は王子陸上競技場に走りに行きました。

 そして、1カ月半後に行われた神戸市総合体育大会。学年の先生たちも、多数、応援に駆けつけました。

 一緒に走る選手の中には8月の全国大会で優勝した選手もおり、レベルの高い試合でした。しかし、無名のT君は、全国大会出場経験をもつ選手たちに最後までぴったりとついていき、みごと3位に入賞したのでした。

 記録『3000m、9分10秒』・・・この記録は、その年の近畿ベスト10くらいに相当する記録でした。その後、T君は、陸上競技で有名な高校に進学しました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 本当に、目標を決めて、それに、人間が集中した時は、恐ろしい力が出るものだと、思いました。その1カ月半、周りがまだ進路に向けて本気になっていない時期に、自分を制し、みごと進路を切り開いた精神力、根性には、本当に感心させられました。

 実際、3000mを走った人ならわかりますが、9分30秒を切ることには、大変な壁があるのです。自分の走るペースや呼吸法まで変えないと、この壁を破れないでのす。それをスピードのない彼がどうやって出来たのでしょうか。それは、土壇場での集中力以外のものでの何でもありません。この身近な素晴らしい見本を活かさないでどうしますか!

資料Ⅳ 「努める者は何時か恵まれる。」

 女子のオリンピック陸上競技では、日本勢は、これまで、マラソン競技で高橋尚子選手(2000年,シドニー大会)や野口みずき選手(2004年,アテネ大会)が金メダルを取るなど活躍してきましたが、トラック種目でメダルを取った選手は、まだ一人しかいません。それは、1928年(昭和3年)に行われたアムステルダム大会、女子800mで銀メダルに輝いた人見絹枝選手(岡山市出身)です。

 オリンピックに女子陸上が採用されたのが、このアムステルダム大会からでした。しかし、この大会で100m,800m,走り高跳び,円盤投げ,4×100mリレーの5種目しか採用されませんでした。人見選手は、走り幅跳びや三段跳びを得意としていました。そこで、100mにエントリーすることにしたのです。オリンピック前年には、100mで12秒4,50mで6秒4の世界タイ記録,そして200mでは、26秒1の世界新を出し、一躍、金メダル候補として世界から注目されました。また、オリンピック直前の日本代表選考会では、100m12秒2の世界新を樹立し、女子選手としてたった一人、オリンピックに臨んだのでした。

 そして、7月30日、オリンピック本番。重圧から人見選手は、食事も喉を通らないまま、競技場に向かいました。

 「勝とう。走れるだけ走ろうと考えれば考えるほど、苦しくなってくる。」と述懐しています。

 しかし、人見選手は、なんと100m準決勝で、よもやの敗退を喫してしまったのです。

 「何ということだ。負けたのか。もう目の前は真っ黒になって、奈落の底に落ちたような気分であった。」

 しかし、その翌7月31日、人見選手は、竹内監督に800mのエントリーを直訴します。その場に、日本人初、オリンピック陸上競技で金メダルを取った三段跳びの織田幹雄選手がいました。織田氏は、この時の様子を、「いまだ一度も走ったことのない苦しい800mに出て世界の強豪を相手に走ろうというのだから、その無謀さには竹内さんならずとも反対せざるを得なかった。しかし、人見さんの決意は固く、このままでは日本に帰れぬと泣いて訴えたので、出場を認めるほかなかった。」と語っています。

 女子陸上界の未来を思う人見選手の気持ちが監督の反対を押し切り、急遽、800mに出場することになったのです。初めて走る800m。8月1日に行われた予選ではなんとか2位に入ったものの、全体では予選通過者9人のうち8番目の記録でした。

 しかし、人見選手は、翌8月2日の決勝で、2分17秒6の世界記録で2位に入り、奇跡の銀メダルを獲得したのでした。

 その後、人見選手は、女子陸上普及や女子スポーツの重要性を訴えて全国を回りました。

 「人生はすべて戦いです。女も戦う時代なのです。強い意志、丈夫な肉体、フェアな精神は、すべてスポーツによって育まれるのです。」

 残念ながら、24歳にして過労から肺炎を患い、昭和6年、「ゴールに入る」という本を出版した後、亡くなりました。

 人見絹枝選手が後輩に残した言葉を紹介しましょう。

「向上・進歩するには、苦しみがあります。しかし、その苦しみも、いつかは実になってあらわれるときがあるのです。」

「私のモットーは、唯これ一つです。・・・『努める者は何時か恵まれる。』」