2学期に向けて
皆さん、おはようございます。
熱戦が繰り広げられている夏の全国高校野球大会が終わると、夏休みが終わりだなあと感じます。
まもなく、2学期がスタートですね。
2学期というのは、陸上競技の三段跳びの「ステップ」、バレーボールの三段攻撃の「トス」にあたる時期です。
陸上競技の三段跳びは、東京オリンピックでベネズエラのロハス選手が26年ぶりの世界新を出して金メダルに輝いたこと等で話題になりましたが、ホップ、ステップ、ジャンプと3回で跳ぶ距離を競う陸上競技フィールド種目の1つです。
三段跳びの選手に聞くと、いい記録を出すためには、2回目の跳躍でいかに我慢するかが大切なのだそうです。つまり、第2段階のステップであまりに跳び過ぎると最後のジャンプが跳べないし、かといって、ステップでしっかり跳ばないと全体的に低調な記録に終わってしまうからです。
バレーボールの三段攻撃はレシーブ、トス、スパイクのことですが、その中で第2段階のトスが大切なのは言うまでもありません。レシーブが悪くてもトスさえ良ければ、いいスパイクが打てますし、反対にいくらいいレシーブをもらっても、トスが悪ければスパイクにつながりません。
2学期は、学校行事もたくさん計画されており、とても重要な時期だと思います。
ところで、野球は一般に9回で勝敗をつけるスポーツですが、これを中学や高校3年間にたとえると、1年生はこれから2回、2年生は5回、そして3年生は8回の攻防に入ることになりますね。
高校野球に見る逆転劇?
2022年の夏に行われた第104回全国高校野球選手権大会は、仙台育英高校が初めて白河の関を超えて深紅の優勝旗を東北に持ち帰るなど、話題性の多い大会でした。
そして、2023年の夏に行われた第105回全国高校野球選手権大会では、決勝戦で2連覇のかかった仙台育英高校を慶應義塾高校が破り、実に107年ぶりの優勝となりました。
最後まで試合を諦めない選手たちの姿に感動を覚えた人も多かったでしょう。
しかし、全国大会に出場してきた選手たちが、甲子園での試合を最後まで諦めないというのは、当然と言えば当然のことです。なんといっても、背番号をつけて甲子園に出ることの出来る選手というのは、高校球児の僅か0.6%、東大に入ること以上に難しいことなのですから……。
さて、この大会には全国から49チームが参加し、トーナメント形式で、48試合が行われるわけですが、そのうち、7回を終了した時点から逆転のあった試合は、いくつあったと思いますか?
2022年の104回大会では、7回終了時点で同点だった試合が3試合、逆転のあった試合は、たったの2試合(4.2%)でした。
2023年の105回大会では、7回終了時点で同点だった試合が7試合、逆転のあった試合は、たったの4試合(8.3%)でした。
つまり、逆転やサヨナラ勝ちで大変盛り上がったように感じた大会でも、昨年は約9割の試合(43試合,89.6%)、今年も約8割の試合(37試合,77.1%)は7回の段階で勝負はあったというわけです。
これは、勝負の後半に一発逆転を夢見るより、ゴールに向けて、取れる時にポイントを取っておくことが大切だということでしょう。
3年生はこれから野球でいうと8回の攻防を迎えるわけです。入学してからこれまで多くの財産を積み上げてきていますから、堂々と胸を張って、あと2学期を過ごしてほしいと思います。
※ちなみに、タイブレークが取り入れられた2024年の106回大会では、7回終了時点で同点だった試合が4試合、逆転のあった試合は、3試合(6.3%)でした。つまり、7回で勝負のあった試合は41試合(85.4%)ということになります。なお、たーブレークになったのは6試合で、7回終了後同店だったのが3試合で、8回以降の逆転が3試合でした。
覚悟の決め方
最後に、元、大リーガー、レッドソックスで活躍した上原 浩治投手のエッセイを紹介しましょう。少し長くなりますが、PHP新書『覚悟の決め方』からの引用です。
「不安」こそ、力になる。
「どうやってプレッシャーを克服するのですか?」
よく訊かれる質問だ。
野球では、「プルペンエース」と呼ばれるピッチャーがよくいる。ブルペンではものすごいボールを投げるのに、いざ実戦のマウンドに上がると、持てる力を発揮できないピッチャーのことだ。
そういうピッチャーを、私もこれまでに何人も見てきた。彼らは総じてプレッシャーに弱い。バッターを前にすると、緊張のあまりコントロールを乱したり、力んで棒球になったりしてしまうのだ。
私の場合、そういうことはない。よく指摘されるように、どんな状況でも、テンポよく初球からどんどんストライクを取っていくことができる。
もちろん、私だってプレッシャーは大いに感じている。
いまの私はクローザー、抑え役という立場にある。マウンドに上がるのは主に最終回、チームの勝利がかかった大事な場面だ。周囲は「抑えて当たり前」と信じて疑わない。もし打たれて逆転されたりするものなら、ボロクソに非難され、戦犯扱いされる。メディアも、抑えた時はほとんど取材に来ないが、打たれるとこぞってやってくる。
失敗は許されないから、たとえ格下と思われるバッターか相手でも、一球たりとも力を抜くことはできない。先発の場合は、すべて全力で投げたらもたないから、どこかでいわゆる”抜く”ことか必要だけれど、クローザーはそうはいかない。私は1イニングの投球数を15球と考えているが、そのすべてを全力で集中して投げることが要求される。
「マウンドに上がりたくないなあ」と思うことはないが、登板する状況によっては「なんでこんなところにいるんだろう」とか「打たれたらどうなるんだろう」などと考えることはある。実際、足が震えることもある。
そうした不安を払拭するためには「一日一日」の積み重ねが求められる。言い換えれば、「今日を見る」ことが大切だと私は思っている。
クローザーは、1日でも無駄にして過ごすことができないポジションである。中4日で登板する先発投手と異なり、毎試合ブルペンに入り、試合展開次第では、肩をつくり登板に備えなければならない。実際に先発で打たれるよりも、勝敗に直接かかわるクローザーで打たれるほうが落ち込む。その分、どんなピンチでもマウンドに上がってバッターを抑えると、たとえ打者ひとりの登板でも喜びはすごく大きい。
なかでも、2013年のデトロイト・タイガースとのリーグ・チャンピオンシップの6試合はきつかった。しかし、そのプレッシャーを乗り越えた喜びは大きかった。
初戦は0対1とリードされた9回に登板。第2戦は8回にデビッド・オルティーズの満塁ホームランで同点に追いついたあとの9回にマウンドに上がり、第3戦は1点リードして迎えた8回、2死1、3塁という場面から。敗れた第4戦は出番がなかったが、2勝2敗で迎えた第5戦はやはり1点リードの8回ワンアウトという状況でリリーフに立った。
ワールドシリーズ進出を決めた第6戦も含めて、私は5試合に登板したわけだが、2点以上のリードを背負ってマウンドに上がったのは第6戦だけだった。
「果たして最後までもつのだろうか…」
自分でも不安になったほどだった。負ければシーズンが終わってしまうポストシーズンというサバイバルレースは、たとえ登板しなくても疲労する。毎日が精一杯で、肉体はまだしも、精神的な疲れはこれまでに体験したことのないものだった。胃がキリキリと痛んだ。
「吐きそう…」
シリーズMVPを獲得した際のインタビューで私は思わずもらしたけれど、まさしくあれは本心から出た言葉だった。
ただ、不安やプレッシャーは悪いものではない。不安があるからこそ、「準備を怠りなく」と思うことができる。不安に押し潰されるのではなく、不安こそが自分を動かすエネルギーとなりえるのだ。
「やけくそ」と「開き直り」は異なる
それでは、私はどのようにプレッシャーを克服しているのか――。
正直言って、よく分からない。
「結果が出ているから、克服していることになるのだろう」
そう答えるしかない。
ただ、プレッシャーがかかる場面でマウンドに上がった時、私はこう考えてバッターと対峙している。
「たとえ打たれても、別に命まで取られるわけじゃない」
言うなれば、開き直りだ。
「打たれたら仕方がない」
そう覚悟を決めて投げている。
そもそも100パーセント抑(おさ)えられるピッチャーなんて、絶対にいない。防御率0.00のピッチャーは存在しないのだ。抑えようと思って必ず抑えられるような、メジャーはそんな甘い世界ではない。打たれたら「向こうのほうが実力が上なんだ」と思わないとやっていられない面もある。
ただし、誤解してほしくないのだが、これは「やけくそ」とか「やぶれかぶれ」という意味では断じてない。
「やけくそ」とか「やぶれかぶれ」というのは、なんの準備もしないで、一か八かの賭けに出ることを言う。ある意味、自己正当化、あるいは逃げの姿勢と言っていいだろう。
対して、私の言う「開き直り」とは、「人事を尽くして天命を待つ」という感じだろうか。すなわち、できるかぎりの、最大限の準備をしたうえで、自分を信じて覚悟を決め、全力を尽くして結果は神様に委ねる、ということだ。
「自分は、このためにこれだけ準備してきたんだ。ならば、その自分を信じて、持てる力をすべてぶつけるしかない。」
そういう気持ちで私はいつもバッターと対峙している。
言葉を換えれば、しっかりと準備をしたからこそ、自分を信じることができるのだ。入念な準備が自信を生むのである。自信は他人がつくってくれるものではない。自分自身でつくるものだ。その気持ちが、結果としてプレッシャーをはねのけることになっているのだろう。私はそう思う。
「運」も「奇跡」も自分で呼び込むもの
たとえば、ヒット性の痛烈な当たりが野手の正面に飛んだり、完全に抜けたと思った打球が好捕されたりしてアウトになることがある。逆に、詰まった当たりが野手と野手のあいだに落ちてポテンヒットになったり、ピッチャーからすれば狙い通りのコースに狙い通りのボールを投げられたのに、いとも簡単に打たれたりすることもある。
はたから見れば、ラッキーあるいはアンラッキーに思えるかもしれない。マスコミなどは、予想外の出来事が起きると、「奇跡」とか「ミラクル」という表現をよく使う。
私も「運」や「ツキ」というものを完全には否定しない。イメージ通りのボールを投げられ、完全に打ち取ったと思った時でも、ヒットにされることがある。そういう場合は、運が悪かったとか、ツイていないというふうに、ある程度割り切らないと前に進めないからだ。
でも、たいがいは起こった結果には、そうなった理由があるのではないかと思う。
たとえば、抜けたと思った打球がキャッチされたのは、あらかじめ野手が守る位置を変えていたからだったかもしれないし、イメージ通りのボールが痛打されたのは、バッターが配球を読んでそのボールを待っていたからだろう。
つまり、どれだけ事前に準備したか。それによって、結果はずいぶんと変わってくるのだ。痛烈な打球が野手の正面に飛んだのも、野手のあいだに落ちてポテンヒットになったのも、「野球の神様」がいて、その神様がより多く準備したほうに味方してくれた結果なのだと私は考えている。
言い換えれば、「運」や「奇跡」というものは、自分で呼び込むものなのであり、それができるかどうかは、準備の多寡に比例すると思うのだ。
何もしないで結果が出れば、こんなに楽なことはない。けれども、そんなことはありえない。しっかり準備をするからこそ、運やツキも味方となり、結果が出るのだと思う。「努力は裏切らない」とは野村克也さんの言葉だったと思うが、より努力した者が報われるのだ。そうでなければおかしい。これは野球にかぎった話ではないと思う。
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