「教育」の意味
皆さん、おはようございます。
「教育」とは「教え、育てる」と書きます。英語のeducationという言葉を、初代文部大臣の森 有礼が翻訳したのだそうです。
明治の初期、このeducationの翻訳には、この他に2つの翻訳語が考案されていました。その一つは、大久保 利通が訳した「教化」,もう一つは、福沢 諭吉が訳した「開発」でした。
「教化」とは、教え導くことですが、上からの目線という感じがします。これに対し、「開発」には、子どもの自主性を尊重する視線を感じます。教え込ませるのか、自ら学ばせるのかの違いといっていいでしょう。本来、educationの元になったラテン語には、内にあるものを「引き出す」という意味がありますから、諭吉の翻訳の方が近いように思います。
古代人のプライドを感じる阿蘇・押戸石の丘
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること」
さて、第二次世界大戦中の1943年、フランスのストラスブール大学では、多くの教授や学生たちが銃殺され、数百名が逮捕されました。大学はドイツによる戦火と弾圧を避けるため、疎開します。
この事実をフランスの詩人、ルイ・アラゴンが「ストラスブール大学の歌」で、次のように歌いました。
”Enseigner c’est dire esperance etudier fidelite”
日本の詩人でフランス文学者・翻訳家だった大島博光氏は、これを次のように訳しています。
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとはともに希望を語ること」
ストラスブール大学は、大変、歴史のある大学で、ゲーテやシュバイツァー、最近ではノーベル医学生理学賞のジュール・ホフマン教授らを輩出しています。フランス人は、ストラスブール大学が戦火の中にあっても暴力や強制力に屈することなく、ぶれずに自分たちの教育方針を貫き通したことに、今でもプライドをもっているのだそうです。
日本でも、『独立自尊』の教えを広めた福沢諭吉が、
「どんなに世間が騒がしくても、慶応義塾は一日も業を休まず、洋学の命脈を絶やしたことがない。義塾ある限り、日本は世界の文明国である」
と言って、彰義隊と官軍との合戦の時にも、砲声を聞きながら平然と講義を続けていたと言われています。
「尊ぶ」=プライド
『限りなく透明に近いブルー』の著者、小説家であり、映画監督・脚本家の村上 龍氏が、
「絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、『プライド』である」
と述べています。
「尊ぶ」というのはカタカナでいうと「プライド」です。しかし、英語の“pride”とは、少しニュアンスが違います。Pride goes before a fall.(驕る者、久しからず)という諺にあるように、英語のprideには、「自負」や「誇り」という意味もありますが、「高慢」,「うぬぼれ」という意味が強いのです。
「プライド」とは、「自分は値打ちのある、すぐれた人間だと思う気持ち」であり、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」である『思考力』と、「自ら律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性」である『愛』の要素の融合体であると考えられます。自尊心を持っていない人は、自分を粗末にし、結局、自分を不自由にしてしまうでしょう。
「三平方の定理」「ピタゴラスの定理」で有名な古代ギリシアの数学者ピタゴラスの残した言葉のひとつを紹介しましょう。
「万事に先立って汝自身を尊敬せよ」
『尊』という字は、酒だるを示す字と両手を示す字からなり、手に酒だるを持って神に捧げるという意味です。
『敬』という字は、体を深く曲げた礼をさせるという意味から、人に敬意をもっておろそかにしないことをいいます。
人を大切に思う心は、自分自身を大切にする心から育つものだと思います。単なる身勝手では困りますが、自分を大切にできない人が、他人に対して優しく接したり、温かい言葉をかけたりすることは出来ないでしょう。
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり」
これは、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」で有名な夏目漱石が、「断片」で残した言葉です。
夏目漱石は49歳で亡くなるまで、多くの小説を書き続けてきましたが、彼が、小説を通じて述べたかったことは、「人間よ、自尊心を持て!」ということではなかったでしょうか。
自尊心を持っていない人は、自分を粗末にし、結局、自分を不自由にしてしまいます。どんな時も、自分の存在をしっかり認識しなさいと言っているように思います。
漱石は、明治33年の秋から35年の暮れまで、ロンドンに留学しています。その2年間に、なんと、400冊もの英文学の本を購入して読破したといいます。当時、イギリスは大英帝国と呼ばれ、世界の7つの海を支配し、絶対的な国力を持っていました。それに対し、日本は開国してから30年ほどで、農業と軽工業を中心とする貧しい国だったのです。漱石は当時を回顧して、「私の個人主義」で、
「其の頃は西洋人のいふ事だと云えば、何でも蚊でも、盲従して威張つたものです。」
と語っています。ともかく、西洋の文物だというだけで、OKという時代だったでしょう。
しかし、漱石は、英文学を学べば学ぶほど、日本の文芸や漢詩文に感じていた面白さや共感を、英文学からは感じ取れなかったのです。そして、漱石は、
「日本の文学と英文学は違って当然なのだ。異なってよいのだ。」
という結論に達したのです。
そこで、漱石は、
「彼も人なり、我も人なり」
という有名な言葉を残しています。国や文化、宗教や慣習の違い、さらには個人的な信条や主義を越えて、互いの違いを認め尊重しあい、学び合うところに、人類の共生が存在するのです。あらゆるトラブルや紛争は、自らのみを善しとし、他を排斥するところから発します。
「共生する」ことと「自尊心をもつ」ことは同意義だといえるでしょう。
イギリス人サッカー選手のプライド精神「ぺナルティーはいらない」
サッカーはイギリスで生まれた時、14条のルールしかありませんでした。サッカーはイギリス紳士のスポーツであり、フェアプレーに徹するのが当然とされていたからです。
ところが、サッカーが世界に広まると、アンフェアなプレーが多くなり、細かいルールが作られるようになりました。
そして、1863年、世界フットボール協会ができ、世界統一ルールが決まられました。その中に、ゴールエリア内でシュート態勢に入った選手に対して反則行為があった時、「ペナルティーキック」を与えるというルールが採用されています。
しかし、サッカーの発祥地、イギリス名門のオックスフォード大学とケンブリッジ大学の定期戦において、世界統一ルールが決められてからも、長い間、この「ペナルティーキック」というルールは採用しませんでした。
その理由は、「私たちは紳士であり、ゴールエリア内外を問わず、シュート態勢に入ったプレーヤーに対して、反則を犯してまで邪魔をするようなFairでないプレーは絶対にしない。従って、ペナルティーキックなどというルールは必要がない。」というものでした。
なにかの本で読んだのですが、イギリスでは、バスの中で、5歳くらいの幼児でも、「僕は紳士だ。」と言って、椅子に座らずに頑張って立っているのだそうです。こういうプライドをもって生活することは、大変素晴らしいと思いますね。そういう人たちがたくさんいるところでは、バスの中でお年寄りや体の不自由な人に席を譲りましょうと書いたり、優先座席を設けたりするなど、細かい規則やきまりを決めなくても済むでしょう。
仕事へのプライド ~ドラマ「半沢直樹」に学ぶ~
2020年の夏、TBS日曜劇場で、「倍返し」で有名になった「半沢直樹」が7年ぶりに放映されました。2013年の夏に放送されたドラマの最終回では、42.2%の視聴率を弾き出した驚異のドラマですが、今回も最初から20%を超える視聴率を記録しました。
私は、東京セントラル証券に出向中の部長、半沢直樹(堺雅人)が、のプロパー社員、森山雅弘(賀来賢人)に「闘え!」と説く場面でのセリフが一番、心に残っています。
半沢:『大丈夫だ。「信念」さえもっていれば、問題ない。』
森山:「信念ですか…」
半沢:『そうだ。組織や世の中というものはこういうものだという強い思い。剣道でいえば、自分の型になるかな。』
森山:「部長はもっているんですね。せっかくなんで聞かせてもらえませんか。」
半沢:『いいだろう。3つある。
1つ、正しいことを正しいと言えること。
1つ、組織の常識と世間の常識が一致していること。
1つ、ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価されること。』
森山:「当たり前のことのように聞こえますが…」
半沢:『そうだ。当たり前のことが今の組織はできていない。だから、誰かが闘うんだ。仕事は客のためにする。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れた時に、人は自分のためにだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は、内向き で卑屈で醜く歪んでくる。そういう連中が増えれば、組織が腐ってくる。組織が腐れば世の中も腐る。
これからお前はいろんな相手と闘うことになるだろう。最初の敵はいつも自分自身だ。勝敗は時の運だが、決して自分の構えを崩すな。』
他にも、数々の名セリフが話題になったドラマでした。
IT企業買収プロジェクトを巡る銀行との戦いに勝利し、出向先から銀行に復帰することになった半沢が、一緒に戦った部下たちに語った場面での言葉も印象的でした。
『どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って、日々奮闘し、達成感を得ている人のことを本当の勝ち組というんじゃないかと、俺は思う。』
「僕らが負けるはずないでしょ!」
長く中学生のバレーボール部の指導をしてきました。
スポーツの世界では、単に技術が高いからとか、体格に恵まれているからという理由だけでは勝てません。特にバレーボール、ましてや成長期の中学生の場合は、メンタル面の影響が大変大きいと思います。
ある年のチームは、市の大会で優勝し、県大会でも上位に入ることができました。ところが、その次の年のチームは、身長がとても低く、運動能力もさほど優れているとはいえず、監督の私は、チーム結成の時、「まあ、せいぜい予選を通過して市の大会に出場できれば万歳だろう」と思っていました。「1年間のんびり指導して、その次の年のチームにかけよう」などと、指導者として不謹慎なことまで考えていました。
ところが、大会が始まると、ちびっ子の新チームは、あれよあれよと勝ち上がり、私の予想をはるかに越えて、市の大会、県の大会にも出場し、上位に入ってしまったのです。
私は驚き、生徒たちに聞きました。
「まさか、このチームが県大会に出て勝てるとは思っていなかった。どうして?」
すると、生徒たちは口々に、
「先輩たちが県大会に出て活躍していたのを見て、自分たちも“やれる”と信じていました。僕らが負けるはずはないでしょ!」と答えるのです。
私は、その時、教師の最もいけない罪は、生徒たちにレッテルを貼ることだと悟りました。身長が低いからとか、運動の雨量が低いからといって、手抜きの指導をしてはいけないと、深く反省しました。
結局、そのチームは、全国大会出場を狙えるところまで勝ち進み、その姿をみていた次の年のチームが全国大会にみごと出場したのでした。
全国大会に出場できたのは、先輩の姿勢を見て育ってきた、いわゆる伝統の力でした。〇〇中学校のバレーボール部のメンバーであるということのプライドが、勝てるチームを作ったのです。
どんな境遇にあっても、不平・不満・文句を言わず、プライド(自尊心)を持って生きることが、大切だと思います。
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