好き嫌いをなくす!
皆さん、おはようございます。
「独眼竜」で知られる仙台藩初代藩主、戦国大名の伊達 政宗(貞山公)がこんなことを述べています。
「この世に客に来たと思えば、何の苦労もなし、
朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。
元来客の身なれば、好き嫌いは申されまじ。」

さて皆さんは、1~9の数字のうち、一番好きな数字や反対に嫌いな数字がありますか?
日本では「4」、西洋では「13」を忌み嫌ったりすることがありますが、実は、数字にはそれぞれ意味があり、どの数字もリスペクトしなければなりません。あまり、数字に好き・嫌いを言わない方がいいと思います。
ところで、食べ物の好き嫌いを言う子どもは、勉強に関して教科の好き嫌いが出てきます。さらに、人の好き嫌いも激しくなる傾向にあります。
「嫌いなものは仕方ない」という人がいるかもしれませんが、好き嫌いを作ることで、人との出会いや自分の可能性を狭くしてしまうことを忘れてはいけません。特に人生これからという若い人は、好き嫌いを言わずに、何事にもチャレンジする姿勢をもたなければいけませんと思います。
では、子どもが食べ物の好き・嫌いをしないようにするには、どうしたらいいでしょうか?
それは、幼い頃から、子どもの味覚を断定せず、周りの大人が何でもおいしそうに、パクパクと一緒になって食べてあげることです。
たとえば、子どもに初めてニンジンを食べさせたら、ペッと吐いたからと言って、「この子はニンジンが嫌いらしい」と決めつけてはいけません。子どもの味覚は、慣れも必要ですし、年齢に応じてどんどん変わってきます。食わず嫌いをなくし、何でも「おいしい」と言って食べることで、食べ物の好き嫌いをさせないコツです。
どんな答も「正解」!
版画家であり、作家の池田 満寿夫さんが、こんなことを語っています。
「クイズや学校の試験には正解が必ずある。また、自転車のように、乗り心地や故障程度、スピードといった良否を決める基準をきちんと持っている世界がある。しかし、芸術の世界というのは答がない。良い悪いを厳密にいうと誰も決められない。恋愛がそのいい例で、人間関係も同じである。人間の感情的な問題や物事の判断について、下手に正解を求めるよりも、曖昧にしておいた方がうまくいく場合もたくさんある。人生に必要なのは、正解を尊重する態度と、曖昧さに対応できる能力を持つことだ。日頃から自分の考え方や意見をしっかりと養っておくことが大事なのだ。」
評論家の大宅 映子さんも、
「日本人に『創造性』がないと言われるのは、一風変わった人間を認めようとしないからです。一人ひとりが個を持つこと、他人の違いを認めること、そして、自分の責任は自分で取ること」
と言っています。
本当に自由な社会、特徴を大切にする社会というのは、いろいろな見方や考え方、過ごし方など、自分らしさを大切にする社会でしょう。それには、安易に「レッテルをはったりしないこと」だと思います。
恩師:F先生の心に残る授業
さて、私が中学3年生で受け持っていただいたF先生という若い女の先生の理科の授業は、今でも大変、心に残っています。それまで特別、理科が好きだというわけではなかったのですが、先生の授業はよく話し合いや議論をさせてくれ、お陰で理科に興味を持てるようになりました。
F先生の授業では、たとえば、走っている電車の中で、2mの高さからボールを落とした時、
①ボールは真下に落ちる,
②やや前に落ちる,
③やや後ろに落ちる,
のうち、どれになるだろうか? ということを議論させるのです。

私はその時、③だと答えました。すると、秀才(?)と思われていた私が言うのだから間違いないと思われたのでしょうか、クラスの生徒の一人を除いて、③に賛同しました。
たった一人、Y君は、②だと答えました。
しかし、F先生は①だと言って、そこから議論が始まったわけです。(ちなみにいつも正論を述べていた友人Y君は、今、地方裁判所で裁判官をしています。)
この答えは、電車が一定のスピードで走っているのか、加速しつつあるのか、減速しつつあるのかで変わってきます。当然。一定のスピードで走っていれば①が正解で、加速しつつあれば③,減速しつつあれば②が正解です。しかし、この時は、みんな口角泡を飛ばし、主張をし合いました。徐々に意見を変えて、③から①に変わっていく者がいたり、私も内心は①だ思いながらも、③を譲らず、本当に面白い授業でした。
そして、「慣性の法則」を学び、さらに藤原先生は、「『車も急に止まれない』から、交通事故にはくれぐれも注意するように」と諭され、「世の中には目に見えないものがブレーキをかけていることもある。目に見えないものや耳に聞こえないものの存在を知って言動すること」という哲学めいた話をされました。
「慣性の法則」と聞く度に、この授業を思い出し、私は交通事故に気をつけ、第六感を研ぎ澄まして生きるように心掛けています。
恩師:H先生の催眠術
小学校5年生までの私は、あまり勉強もせず、遊んでばかりでした。面白くない授業があると、クラス全員を連れて教室を脱走してグランドで遊んでいたり、合唱の時は口もあけず、すねていたり、今から考えると、大変な問題児童だったと思います。通知簿も体育だけが「5」で、あとは、ほとんど「アヒル」(2)の成績でした。
教師になってすぐ、教職員の組合の集まりがあって、小学校5年生の担任だった女性の先生に12年ぶりに出会った時、「なんで、あんたがここにいるの?」と言われ、「今年から教師になりました」と言うと、「まさか? あんたが大学まで出たの?」と聞かれ、「はい、地元の大学を出ました」と答えると、周囲20mの人が全員、振り向かれるくらいの大きな奇声で「まさか!」と発せられ、ビックリされたなんてことがありました。
実は、アヒルだった私が大きく“ヘンシン”したのは、小学校6年生の時のH先生という担任の先生との出会いがあったからです。
H先生は「催眠術」が得意な方で、たとえば、遠足などでバスに乗る前日になると、乗り物酔いをする児童を体育館に集め、催眠をかけておられました。すると、遠足では誰も乗り物酔いをしないのです。
何か悪いことをすると、「手を机に置きなさい」と言われ、催眠をかけると、手が動かなくなってしまい、延々と何が悪かったのか、話をされました。
極めつけは、年齢を下げる催眠をかけられたことです。小学校5年生、4年生と年齢を下げられ、幼稚園にまで年齢を下げられました。そして、「昨日、遠足で行った遊園地の絵をかきましょう。」と言われ、目をつぶったまま、机に置いてあった画用紙にクレヨンで絵をかかされました。その後、元の年齢に戻してもらって、目をあけると、まるで幼稚園児がかくような絵が置いてありました。中には、「この絵と同じものが家にある」と言っていた友達もいました。(残念ながら、私はこの時、画用紙に何も書けず、真っ白のままでした。なぜなら、あまりのワンパク坊主だったために私立幼稚園をクビになり、幼稚園には行ったことがなかったからです。)

そして、小学校卒業の直前、私はH先生に呼ばれ、「小学校で、君ほど一生懸命遊んできた子はいない。」と褒められ(?)、「これまで人の3倍遊んだのだから、中学生になったら、今度は人の3倍勉強するんだよ。」と諭されたのでした。すっかり素直になっていた私は「はーい!」と返事をし、催眠術にかかったまま、中学校に入って一生懸命勉強しました。
成績はメキメキあがりました。
人は変わることができるのです。
その後、H先生に何の恩返しもできませんでしたが、中学生の時期は“ヘンシン”の時期であり、自分を変えることができるんだよと、これからも出会う生徒に伝えていきたいと思っています。
恩師:W先生・S先生・M先生から教わった“のびのび”バレー
私は小学校6年生の時は、少年野球をしていました。キャッチャーで左バッター、結構目立っている選手だったと思います。中学校に行ったら、野球部に入ろうと決めていました。
小学6年生のある時、中学校のグランドに行き、高鉄棒で車輪をして遊んでいました。(小学校には高鉄棒がなかったのです。)
すると、中学校の体育の先生が3人やってきて、注意を受けました。勿論、勝手に中学校に入り、鉄棒で遊んでいたのですから、ひどく叱られました。しかし、一番背の低い先生が、「そんなにいい運動神経しているんだったら、中学校に入ったら、バレーボールをやったらいい」と言われたのです。

「運動神経=バレーボール?」・・・あまり意味はわからなかったですが、当時、野球部は部員が100人もいて、他の小学校に私と同じキャッチャーで目立っている選手がいたこともあって、「これは試合に出れないかも?」と正直に思ったこともあり、結局、私はバレーボール部に入部しました。そして、鉄棒で遊んでいた時、一番背が低く、「バレーボールをやったらいい」と優しく言われていた先生が、実はバレーボール部の顧問だったことを知ったのです。
一番「優しい」と感じたその先生は、K大学教育学部体育科を卒業されたW先生でした。
バレーボール部の練習はなかなかハードでしが、W先生は実はバレーボールが専門ではなく、ユニークな練習を取り入れ、細かいことは言わず、のびのびとした指導をしていただきました。(なんでも、W先生は長野高校時代、野球部に所属しており、王貞治投手と対戦したこともあったそうです。)
また、副顧問だったS先生は、お忙しい先生で、たまにしか練習にこられませんでしたが、いつも和やかに私たち生徒たちと一緒に練習をされ、それに釣られて、私たちものびのびバレーボールを楽しむことができました。(S先生には、その後、私が校長になった時にも、地域の有力者としてお世話になりました。)
さて、中学3年生になるという時、突然、顧問だったW先生が実家の家業の都合で、中学校を退職されました。その後、バレーボールの顧問がなかなか決まらず、当時、サッカー部の顧問をされていたM先生が、W先生とK大学教育学部体育科の同期であったこともあって、サッカー部よりもバレーボール部の練習に参加してくれるようになりました。練習内容は、キャプテンの私が中心となってメニューを考えてやるようになったのですが、M先生からも、いつも「のびのびやろう」と声をかけていただきました。
そして、臨んだ最後の市総体。ノーシードから勝ち上がり、6戦失セットなしで、優勝を飾ることができたのです。
その後、私は、W先生、M先生と同じ道を歩みます。K大学教育学部体育科に入学し、バレーボールを続け、中学校体育教師になったのです。
小学校の時、中学校に侵入し、W先生から「中学校に入ったら、バレーボールをやったらいい」と言われたことがきっかけで、私の人生の大半が決まったようなものです。小学校時代、悪のリーダーだった私が、道をそれず、今あるのは、バレーボールと出会ったからでしょう。本当に、W先生・S先生・M先生には感謝しかありません。
とにかく、私が小学校~中学校で出会った恩師は、いずれの方も、こんな私を「のびのび」と教育していただきました。
この恩を忘れず、どんな答も「正解」!と言える教師でありたいと思っています。
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まとめ
伊達 政宗(貞山公)が、「この世に客に来たと思えば、何の苦労もなし、朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。元来客の身なれば、好き嫌いは申されまじ」と述べています。
数字や食べ物の好き嫌いを言う子どもは、勉強にも好き嫌いが出てきます。さらに、人の好き嫌いも激しくなる傾向にあります。人との出会いや自分の可能性を狭くしてしまうのです。
私が小学校~中学校で出会った恩師は、いずれの方も、こんな私を「のびのび」と教育していただきました。この恩を忘れず、どんな答も「正解」!と言える教師でありたいと思っています。
