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人生観 PR

パワースポットが語ってくれた人生の生き方⑴

タイトル 人生観
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Contents
  1. 【知床岬】「生きる目的」に正解はない。
  2. 【摩周湖】さ、ひっくり返そう。
  3. 【少林山達磨寺】失敗を成功にするには…
  4. 【明治神宮】日常の五心
  5. 【永平寺】少年老い易く、学成り難し。
  6. 【毛谷黒龍神社】見方を変える「最善観」&「三忽三行」の教え
  7. 【氣比神宮】祖先を想う…日本とイスラエル(日ユ同祖論)
  8. 【富士山】若竹の如く。
  9. 【熱田神宮】悩み多き人に・・・
  10. 【豊川稲荷】「ああ無常」~人生山あり、谷あり~
  11. 【京都伏見稲荷・神寶神社】教育観の変わる国
  12. 【貴船神社】上善は水の如し
  13. 【城南宮】忙中閑あり・死中活あり。
  14. 【住吉大社】「月」を見て……心の持ちようで
  15. 【甲子園球場】奇跡のバックホーム
  16. 【明石海峡大橋】ライバルの分まで
  17. 【玄武洞】ストレスに対する〝極楽とんぼ〟な「生き方」
  18. 【天河大辨財天社(天河神社)】トイレ掃除で学ぶ「下坐行」
  19. 【室生龍穴神社・吉祥龍穴】過ぎてしまえば、みな美しい。
  20. 【興福寺(山田寺の仏頭)】一番大事なこと
  21. 【春日大社】人を動かす「春風秋霜」
  22. 【鳴門の渦潮】人生の考え方・生き方がその人の顔を作る。
  23. 【仙酔島】〝新しい自分〟に生まれ変わろう!
  24. 【讚岐國一之宮 田村神社】晴れる日を喜び、雨の日を愛する。
  25. 【金刀比羅宮】ポジティブ&クリティカルシンキング
  26. 【宗像大社】ほほ笑みは最高の化粧
  27. 【大浦天主堂】「朝の来ない夜はない」
  28. 【屋久島】やらぬ後悔よりやる後悔

【知床岬】「生きる目的」に正解はない。

旅に出ると、特に一人旅では、なぜか岬を訪れたくなるものです。岬は、ただ海が美しく見える場所というだけでなく、陸の果てに立つことで、何か大きな力に包まれているような気がするのです。

石川県の珠洲岬は、日本三大パワースポットの一つとされ、北海道の宗谷岬や襟裳岬、千葉県の犬吠埼、高知県の足摺岬・室戸岬、愛知県の伊良湖岬、和歌山県の潮岬、福井県の東尋坊、鹿児島県の佐多岬、沖縄の万座毛など、私は多くの岬を旅してきました。

中でも、平成十七年に世界自然遺産に登録された北海道・知床の知床岬は、「日本一行くのが難しい岬」と言われています。車では行けず、徒歩で向かうには最低でも二泊三日のトレッキングが必要です。冬には流氷が海を覆い、春から秋にかけてはクルーズ船からその姿を眺めることができます。

私が知床岬を目指したのは、「人は何のために生きるのか?」という問いに、答えを見つけたかったからです。

今は「人生100年時代」と言われています。生きる目的を持つ人は、人生がより豊かに、より意味深く感じられるのではないでしょうか。歴史の中で多くの偉人たちが、この問いに向き合ってきました。

ある人は「生きる意味はない」と言います。ただし、一生懸命に生きることで、やがてその意味が見えてくると信じています。

またある人は、「幸せになるために生きる」と言います。自分が幸せになることで、周りの人も幸せになっていくという考え方です。

別の人は、「魂を磨くために生きる」と言います。困難や苦しみも、魂を成長させるための学びだと受け止めます。

さらに、「世の中の発展のために生きる」と考える人もいます。道を作る、何かを発明するなど、人の役に立つことが自分の誇りになるのです。

最後に、「自分を高めるために生きる」という人もいます。スポーツ選手が記録を伸ばすように、自分の限界に挑み続ける生き方です。

けれども、「人は何のために生きるのか?」という問いに、心理学でも哲学でも、明確な答えは出ていません。

そんな中、知床の流氷が私に教えてくれました。「世のため、人のために役立つことが、生きる意味なのかもしれない」と。

オーストリアの心理学者アドラーは、「心を安定させる最も効果的な方法の一つは、人に親切にすることだ」と語っています。

生きる目的に、正解はありません。でも、「私は〇〇のために生きている」と思えることが、人生を豊かにしてくれるのです。

だから私は、いつも笑顔で、「ハイッ!」「ニコッ」「ポン」と心に決めて、知床からの帰路につきました。

【摩周湖】さ、ひっくり返そう。

日本一の透明度を誇る、神秘の湖――北海道の摩周湖。霧が多く、なかなかその姿を見せてくれない湖ですが、晴れた日に展望台に立つと、吸い込まれそうなほど美しい「摩周ブルー」が広がります。湖面は鏡のように空や山々を映し出し、まるで別世界にいるような気持ちになります。

ちなみに、霧の晴れた摩周湖を見た人は婚期が遅れるという言い伝えもあるそうです。そんなある晴れた日、湖面を眺めながら、ふと「アンビグラム」という言葉を思い出しました。

アンビグラムとは、文字を逆さにしたり鏡に映したりすると、意味が変わる不思議な文字アートのことです。物事は、見る角度を変えることで、まったく違った姿を見せてくれることがあります。文章も、逆から読むと意味が変わるものがあります。

たとえば、2020年の元日、西武・そごうが公開した広告「わたしは、私。」には、力士・炎鵬晃が登場しました。彼は身長168cm、体重98kgという幕内最小の力士です。この広告には、右から読むと希望が見え、左から読むと絶望が語られる不思議な文章が使われていました。

大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。

この文章は、読む方向によって希望にも絶望にもなる。まさに「見方を変える」ことの象徴です。

円柱も、横から見れば長方形に、上から見れば円に見えます。人も同じで、一つの面だけを見て判断するのではなく、いろいろな角度から見れば、誰もが多面性を持っていることに気づきます。100%良い人もいなければ、100%悪い人もいないのです。

砂漠の真ん中で、水筒に半分の水しか残っていないとき、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うかで、生死が分かれることもあります。

カウンセリングの技法のひとつに「リフレーミング」があります。これは、物事の見方を変えることで、心の持ち方も変える方法です。「ああ、疲れた」と思う代わりに、「よく頑張った」と言い換えるだけで、気持ちは前向きになります。

摩周湖の静かな湖面に映る空のように、私たちの心も、見方ひとつで澄み渡るのかもしれません。

【少林山達磨寺】失敗を成功にするには…

群馬県高崎市にある達磨寺は、縁起だるま発祥の地として知られる禅寺です。方位除け、家内安全、商売繁盛、受験合格、良縁成就、安産祈願など、さまざまなご利益があるとされるこのお寺を、私は訪れました。

達磨といえば、やはり「七転八起」の精神でしょう。大相撲の横綱・照ノ富士が2021年に出版した著書『奈落の底から見上げた明日』の帯にも、この言葉が刻まれていました。彼は大関から、けがと病気のために七階級も下がり、序二段まで落ちました。しかしそこから八階級を駆け上がり、ついに横綱の座をつかんだのです。

「昨日の失敗は、明日取り返せる」――これは、日本の近代医学の先駆者・杉田玄白の言葉です。

発明王エジソンも、電球の発明に至るまでに一万回の失敗を重ねました。それでも彼は「一万回、うまくいかない方法を見つけただけだ」と語りました。

「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏も、「失敗したことは一度もない。成功するまでやり続ければ、それは失敗ではない」と言っています。

失敗を成功に変えるには、まず行動し、成功体験を積み重ねること。そしてその積み重ねが「自信」につながります。自信は若さや夢、魅力を生み出しますが、時に人を頑固にもします。

ところで、人の生き方には三つのタイプがあるように思います。過去ばかりを振り返り、「昔はよかった」と語る人。未来ばかりを見て、「明日こそ」と夢を追い、今を見ようとしない人。そして、「今」を大切にし、今この瞬間を生きる人です。

浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、わずか九歳で「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と詠みました。明日があると思っていても、夜の嵐で桜が散ってしまうかもしれない。だからこそ、「鉄は熱いうちに打て」という言葉のように、若いうちに努力し、自分を鍛えることが大切です。

とはいえ、経験だけがすべてではありません。大人になると、経験しなくても理解できることがあると気づきます。だからこそ、今しかできないことを優先し、二度とない一日一日を大切に過ごすべきなのです。

目の前にいる家族や仲間を大切にし、一度や二度の失敗で諦めることなく、「七回負けても八回勝てばいい」という気持ちで、人生を楽しみましょう。

【明治神宮】日常の五心

東京都渋谷区にある明治神宮は、明治天皇を祀る神社として知られ、日本一の初詣参拝者数を誇る場所でもあります。皇族と縁の深い「神宮」と呼ばれる神社は全国に24社ありますが、その中でも明治神宮は、縁結び、心のリセット、生命力の強化など、さまざまなご利益があることで有名です。

明治天皇といえば、「五箇条の御誓文」が思い浮かびます。これは、明治政府の基本方針を示したもので、天皇が天地の神々に誓う形で発表されました。現代語訳では、次のような内容です。

  1. 広く会議を開き、すべてのことを話し合いで決めること。
  2. 上下の人々が心を一つにして、国づくりに励むこと。
  3. すべての人が自分の志を持ち、飽きることなく努力すること。
  4. 古い悪い習慣を改め、正しい道に従うこと。
  5. 世界中から知識を求め、国を豊かにすること。

この御誓文は、後の三権分立や民主的な制度にも影響を与え、日本が近代国家へと歩み出す大きな一歩となりました。

人に何かを伝えるとき、五つにまとめると覚えやすく、心にも残りやすいものです。人生をよりよく生きるための「日常の五心」という教えがあります。

  • 「はい」と言える素直な心
  • 「すみません」と言える反省の心
  • 「私がします」と言える奉仕の心
  • 「おかげさま」と言える謙虚な心
  • 「ありがとう」と言える感謝の心

この五心は、仏教の教えに由来すると言われていますが、宗教に関係なく、企業や学校、スポーツの場でも大切な言葉として紹介されています。

もちろん、誠実さや思いやりも人生には欠かせません。しかし、この五つの心を日々の言葉や行動に込めることで、人として成長し、幸せな生き方につながっていくのではないでしょうか。

仏教ではさらに、「五戒」と呼ばれる日常の行いに関する教えがあります。

  • 不殺生(すべての命を大切にし、奪わない)
  • 不偸盗(他人のものを盗まない)
  • 不邪淫(誠実な関係を守る)
  • 不妄語(嘘をつかず、真実を語る)
  • 不飲酒(心を乱すものを摂取しない)

これらは、心を整え、穏やかに生きるための指針です。

明治神宮の静かな森の中を歩いていると、自然と心が落ち着き、自分自身を見つめ直す時間が生まれます。五箇条の御誓文や五心、五戒――それぞれが、私たちに「どう生きるか」を問いかけてくれているようです。

今この瞬間を大切にし、感謝と誠実さを持って生きること。それが、幸せへの道なのかもしれません。

【永平寺】少年老い易く、学成り難し。

福井県にある永平寺は、横浜市の總持寺と並ぶ日本曹洞宗の大本山であり、今も修行僧が「雲水」と呼ばれる厳しい修行生活を送っていることで有名です。

曹洞宗の基本は座禅です。開祖・道元は中国での高僧との交流を通じ、頭で考える学問だけでなく、実際の行為である座禅によって真の悟りに至るという「行学一致」の教えを説きました。読経、食事、掃除など、日常の仕事も座禅と同じく修行であり、なかでも禅寺で食事を調理する役である「典座」を特に重視しています。

道元が著した仏教思想書『正法眼蔵』は、日本の哲学者・和辻哲郎や、アップル創業者スティーブ・ジョブズなど、後世にわたり多大な影響を与えています。

私は永平寺で座禅体験をしました。道元禅師は「ただひたすら坐る」――「只管打坐」こそが修行だと説いています。静かに坐るその短い時間に、私の人生に影響を与えてくれた多くの人々の顔が浮かびました。

神戸市西区にある曹洞宗の宝珠寺。ここの前住職は、私の中学時代の英語教師、M先生でした。京都大学を卒業された優秀な方で、英語だけでなく詩吟や座禅を取り入れたユニークな教育をしてくださいました。そして何より、こんな私を認め、褒めてくれたのです。そのおかげで私は中学時代に大きく「変身」し、教師を目指すようになりました。後に、M先生ご夫妻には私の結婚の仲人も務めていただきました。

中学三年生の時、M先生が担任だったクラスでは、毎日帰りのホームルームで詩吟を全員で唱えてから「さようなら」をしていました。

少年易老學難成(少年老い易く、学成り難し)
一寸光陰不可輕(一寸の光陰軽んずべからず)
未覺池塘春草夢(未だ覚めず池塘春草の夢)
階前梧葉己秋聲(階前の梧葉すでに秋声)

――バイッ!(さようなら)

これは中国南宋の儒学者・朱熹が残した「偶成」という有名な漢詩です。意味はこうです。
「少年はあっという間に年を取り、学ぶべきことを学ばないうちに人生は終わる。短い時間を無駄にしてはいけない。池のほとりで春草が夢を見ているうちに、庭先の桐の葉は黄色く染まり、すでに秋が来ている。」

毎日この詩吟を唱えていた私たちは、一生懸命勉強しました。M先生の言葉と姿勢は、今も私の心に深く刻まれています。

【毛谷黒龍神社】見方を変える「最善観」&「三忽三行」の教え

福井県福井市にある毛谷黒龍神社は、地元の人々から「くろたつさん」と親しまれています。古くから、日本の国土を守るために東西南北の四方に神が祀られてきましたが、北を守る神として、越前黒龍大明神がこの地に鎮座し、四大明神のひとつとされています。

黒龍大神は、人の命の源である「水」を司る神様であり、九頭竜川の守護神として創建されました。邪気を祓い、魔を退ける力を持つとされ、黒龍の絵には悪いものを寄せ付けない力があると信じられています。スマートフォンの待ち受けにしたり、部屋に飾ったりすることで、運気が上がるとも言われています。

境内には、願いが叶うとされる「願かけ石」、神の使いである蛇が彫られた「撫で石」、そして邪気を払う「厄割り石」があり、それぞれが訪れる人の心を癒し、力を与えてくれます。

人が人として生きていくためには、生命力が欠かせません。その生命力には、「体力」「気力」「識力」の三つの力が必要です。毛谷黒龍神社の「力守り」は、これらの力を授けてくれるお守りとして、多くの人に親しまれています。

神社から約6キロ離れた九頭竜川沿いには、毛谷黒龍神社の元宮である舟橋黒龍神社があります。九頭竜川は、かつて「くずれ川」とも呼ばれるほど水害の多い川でした。現在は治水工事が進み、氾濫の心配はほとんどありませんが、川の流れは今も力強く、自然の厳しさと美しさを感じさせてくれます。

黒龍の姿を見つめていると、教育哲学者・森信三氏の「最善観」と、思想家・中村天風氏の「三忽三行」の教えが心に浮かんできました。

森氏の「最善観」とは、「自分に起こるすべてのことは、必然であり、最善である」という考え方です。たとえ許せない人との出会いであっても、その経験が今の自分をつくっている。一見、不幸に思える出来事も、見方を変えれば、それは人生にとって最高の学びになるのです。

中村氏の「三忽三行」は、心の持ち方と行動の指針です。「三忽」とは、「怒らず」「恐れず」「悲しまず」。感情に流されず、冷静に生きることの大切さを説いています。そして「三行」とは、「正直」「親切」「愉快」。積極的に、誠実に、明るく生きることを勧めています。

とはいえ、人間ですから、悲しみや怒りを感じることもあります。感情を持たない人間は、もはや生きているとは言えません。大切なのは、感情に溺れすぎないこと。悲しんだら、次の瞬間には前を向く。怒ったら、すぐに心を静める。その「心機一転」の速さこそが、人生を前向きに進める力になるのです。

黒龍の力に守られながら、私たちもまた、自分の中にある力を信じて歩んでいきたい。どんな困難も、最善の学びとして受け止め、感謝と誠実さを持って生きる――それが、幸せへの道なのかもしれません。

【氣比神宮】祖先を想う…日本とイスラエル(日ユ同祖論)

福井県敦賀市にある越前国一之宮・氣比神宮は、地元では親しみを込めて「けいさん」と呼ばれています。皇族と縁の深い祭神を祀る、全国に24社ある神宮のひとつであり、日本三大鳥居のひとつがあることでも知られています。

「氣比」の「氣」という文字には、日本人の主食である「米」が含まれており、そこからエネルギーが八方に広がるという意味があるそうです。神社の境内に足を踏み入れると、まるで自分の遺伝子が「あなたはどこから来たのか」と問いかけてくるような、不思議な感覚に包まれます。

日本の神社には、よく見ると不思議な共通点がいくつもあります。たとえば、狛犬は犬というよりも、日本にはいないライオンのような姿をしています。また、神社の構造は古代ヘブライの神殿「幕屋」に似ているとされ、鳥居の形も古代ヘブライ建築の玄関口に酷似しているという説があります。鳥居の赤い色は、モーセがヘブライ人に「殺戮の天使」から守るため、玄関の柱に羊の血を塗らせたという旧約聖書の逸話に由来するとも言われています。「トリイ」という言葉も、ヘブライ語のアラム方言で「門」を意味するそうです。

日本三大祭りのひとつである「祗園祭」は、疫病退散を願う祭りですが、ユダヤの「シオン祭」と時期も目的も似ており、どちらも7月に行われます。祗園祭の前祭が行われる7月17日は、旧約聖書でノアの大洪水が終わった日とされているのです。

さらに、モーセが神から授かった十戒の石板を納めた「契約の聖櫃(アーク)」は、日本の神輿に似ているとされ、神輿を担ぐときの掛け声「エッサ!エッサ!」も、ヘブライ語で「運ぶ」という意味があるそうです。神官の衣装も、古代ヘブライの祭司レビ族の服装に酷似しており、「ダビデ王の紋章」とされる六芒星(カゴメ紋)は、多くの神社で見ることができます。

明治初期、スコットランド人ニコラス・マクラウドは、日本人の祖先が2700年前にアッシリアに追放されたイスラエルの「失われた十支族」の一つであるとする「日ユ同祖論」を唱えました。この説を支持する事例は数多く挙げられています。

たとえば、ヘブライ語には日本語に似た単語が3000語以上あるとされ、国歌「君が代」や童謡「かごめかごめ」「さくらさくら」も、ヘブライ語に訳しても意味が通じるという説があります。北海道民謡「ソーラン節」の「ヤーレンソーラン」「ヤサエ・エンヤン」も、ヘブライ語で解釈できるそうです。

また、日本の国技・相撲もイスラエル起源という説があります。相撲という言葉は、ヘブライ語で「ヤコブ」を指す言葉に似ており、旧約聖書にはヤコブが天使と格闘したという記述があります。掛け声の「はっけよい」や「ドスコイ」も、ヘブライ語に類似した意味があるとされています。

今では、唾液から遺伝子を調べることで、自分のルーツを知ることができます。私も「もしかしたらイスラエルの血を引いているのかもしれない」と思い、実際に調べてもらいました。

氣比神宮を訪れたことで、自分の中に眠る記憶が呼び覚まされたような気がしました。神社とは、ただ祈る場所ではなく、私たちの魂の源に触れる場所なのかもしれません。

【富士山】若竹の如く。

標高3776.12メートル、日本最高峰の富士山は、静岡県と山梨県にまたがる活火山です。1707年12月16日(旧暦11月23日)の宝永大噴火以来、300年以上も噴火していませんが、過去5600年間には約180回もの噴火が記録されています。

富士山は「日本のへそ」とも呼ばれ、ただ眺めるだけでも人の心を癒し、元気を与えてくれる霊峰です。日本一のパワースポットとも言われ、強くて清らかな気が満ちている場所です。

富士山を目にすると、いつも「日本一を目指せ」「目標は高く、大きく」「若竹のように伸びよ」と語りかけられているような気がします。

「若竹の如く」という言葉は、子どもの健やかな成長を願うときによく使われますが、その出典は歌人・若山牧水の最後の歌集『黒松』に収められた一首です。

若竹の 伸びゆくごとく 子供等よ
真直ぐにのばせ 身を たましひを

竹は常緑性の多年生植物で、種子が地上に芽を出すまでに約4年かかります。その間、地下茎を広げ、5年目に地上に芽を出すと、わずか6週間で30メートル近くまで成長します。マダケは1日で121センチ、モウソウチクは119センチ伸びたという記録もあります。

地上の竹稈と同じように、地下茎も力強く伸び、土質や気候によっては1年で5メートルも広がることがあります。3〜4年目の地下茎はタケノコを最も多く生み出し、5年目以降は徐々にその数が減っていきます。

竹の茎には「節」があり、中は空洞です。これは竹がイネ科の植物であるためで、イネ科の植物には茎に節があるのが特徴です。竹は「軽さ」と「強さ」を兼ね備えた理想的な構造を、自らの成長の中で自然に形成しているのです。

まさに竹は、子どもの成長や人の生き方にたとえられるにふさわしい植物です。

さて、雄大な富士山には、一生に一度は登ってみたいと思うものです。私も何度か挑戦しましたが、残念ながら登頂には至っていません。初心者の富士登山の成功率は約50%とも言われています。

けれども、実際に登れなくても、富士山を目指す心を持ち続けることが大切だと思います。心の中に、富士山のように高く大きな夢や希望を抱いて生きていきたいのです。

「呑舟の魚は枝流に游がず」という言葉があります。これは、「大きな魚は小さな流れでは泳がない」という意味で、目標はできるだけ大きく持ちなさいという教えです。大きな舞台でこそ、大きな志が育ちます。

富士山のように高く、若竹のように真っすぐに。私たちも、自分の夢に向かって、力強く、しなやかに伸びていきたいものです。

【熱田神宮】悩み多き人に・・・

愛知県名古屋市にある熱田神宮は、三種の神器のひとつ「草薙剣」を祀る神社として知られています。厄除け、開運、勝負運などのご利益があるとされ、皇室の御祖神として、また至高至貴の神として多くの人々に敬われています。

本殿に参拝すると、空から優しく、あたたかい光が差し込んでくるような感覚に包まれます。それはまるで、「人と自然と、調和して生きなさい」と語りかけてくれているようです。

仏教では、人が生きる中で感じる苦しみの原因となる悩みを「煩悩」と呼びます。その数は108あるとされ、大晦日に撞く除夜の鐘の回数と一致します。不思議なことに、硬式野球のボールの縫い目も108。偶然とは思えない、深い意味を感じます。

「四苦八苦」という言葉があります。四苦とは「生・老・病・死」、つまり誰もが避けられない人生の苦しみです。八苦にはさらに、「求めても得られない苦しみ」「愛する人と別れる苦しみ」「嫌いな人と会わなければならない苦しみ」「心と体の不調和による苦しみ」が加わります。これらはすべて、「思い通りにならないこと」から生まれる苦しみです。

そして、数字で表すと、四×九+八×九=108。煩悩の数と一致するのです。

今、世界では5人に1人の子どもが紛争下で暮らし、6人に1人が学校に通えず、10人に1人が児童労働に従事しています。日本の子どもたちの10倍もの数の子どもたちが、働かざるを得ない状況にあります。

先日、「国境なき医師団」から支援のお願いの手紙が届きました。そこには、「この子たちは日本に生まれていれば、こんなことにはならなかったでしょう。そう思うと、胸が締めつけられます」と書かれていました。

私たちは、日本に生まれただけで、すでに多くの幸せを手にしているのかもしれません。自分の悩みを見つめ直し、世界の人々に何ができるかを考えることで、その悩みは半分になるでしょう。

「自分のために周りの人がいるのではなく、自分が周りの人のためにいる」――この言葉を胸に刻みたいものです。

とはいえ、日本に暮らしていても、思い通りにならないことはたくさんあります。そんな時、いちいち腹を立てても仕方ありません。原因を分析し、解決策を探すことも大切ですが、すべてが思い通りになるわけではありません。

そんな時に必要なのが、「忍辱(にんにく)」の心です。これは仏教の修行のひとつで、「我慢」「辛抱」「耐える」ことを意味します。

どれほど文明が進んでも、私たちは自然の力には勝てません。台風や地震などの災害を完全に防ぐことはできません。自然の脅威に対して、人間は「耐える」しかないのです。

同じことは、人間関係にも言えます。自分の力ではどうにもならないことに対しては、受け入れ、耐えるしかありません。

「忍辱」には、他人との関係における「生忍」と、自然環境に対する「法忍」があります。人とも自然とも、上手に付き合っていくことが、穏やかで豊かな人生につながるのです。

【豊川稲荷】「ああ無常」~人生山あり、谷あり~

愛知県名古屋市にある熱田神宮は、三種の神器のひとつ「草薙剣」を祀る神社として知られています。厄除け、開運、勝負運などのご利益があるとされ、皇室の御祖神として、また至高至貴の神として多くの人々に敬われています。

本殿に参拝すると、空から優しく、あたたかい光が差し込んでくるような感覚に包まれます。それはまるで、「人と自然と、調和して生きなさい」と語りかけてくれているようです。

仏教では、人が生きる中で感じる苦しみの原因となる悩みを「煩悩」と呼びます。その数は108あるとされ、大晦日に撞く除夜の鐘の回数と一致します。不思議なことに、硬式野球のボールの縫い目も108。偶然とは思えない、深い意味を感じます。

「四苦八苦」という言葉があります。四苦とは「生・老・病・死」、つまり誰もが避けられない人生の苦しみです。八苦にはさらに、「求めても得られない苦しみ」「愛する人と別れる苦しみ」「嫌いな人と会わなければならない苦しみ」「心と体の不調和による苦しみ」が加わります。これらはすべて、「思い通りにならないこと」から生まれる苦しみです。

そして、数字で表すと、四×九+八×九=108。煩悩の数と一致するのです。

今、世界では5人に1人の子どもが紛争下で暮らし、6人に1人が学校に通えず、10人に1人が児童労働に従事しています。日本の子どもたちの10倍もの数の子どもたちが、働かざるを得ない状況にあります。

先日、「国境なき医師団」から支援のお願いの手紙が届きました。そこには、「この子たちは日本に生まれていれば、こんなことにはならなかったでしょう。そう思うと、胸が締めつけられます」と書かれていました。

私たちは、日本に生まれただけで、すでに多くの幸せを手にしているのかもしれません。自分の悩みを見つめ直し、世界の人々に何ができるかを考えることで、その悩みは半分になるでしょう。

「自分のために周りの人がいるのではなく、自分が周りの人のためにいる」――この言葉を胸に刻みたいものです。

とはいえ、日本に暮らしていても、思い通りにならないことはたくさんあります。そんな時、いちいち腹を立てても仕方ありません。原因を分析し、解決策を探すことも大切ですが、すべてが思い通りになるわけではありません。

そんな時に必要なのが、「忍辱(にんにく)」の心です。これは仏教の修行のひとつで、「我慢」「辛抱」「耐える」ことを意味します。

どれほど文明が進んでも、私たちは自然の力には勝てません。台風や地震などの災害を完全に防ぐことはできません。自然の脅威に対して、人間は「耐える」しかないのです。

同じことは、人間関係にも言えます。自分の力ではどうにもならないことに対しては、受け入れ、耐えるしかありません。

「忍辱」には、他人との関係における「生忍」と、自然環境に対する「法忍」があります。人とも自然とも、上手に付き合っていくことが、穏やかで豊かな人生につながるのです。

【京都伏見稲荷・神寶神社】教育観の変わる国

京都市伏見区にある伏見稲荷大社。その千本鳥居をくぐり抜け、山道を進んだ先の丘に、ひっそりと佇む神寶神社があります。拝殿を守るのは、狛犬ではなく狛龍。左に地龍、右に天龍が並び、金色に輝く如意宝珠を抱えています。この宝珠には、あらゆる願いを叶える力があると伝えられています。

神社の周囲は竹林に囲まれ、「竹取物語」ゆかりの地とも言われています。神寶神社には、かぐや姫の伝説が残されており、死者さえも蘇らせるとされる「十種神宝」が祀られています。病気平癒や健康回復を願う人々が、今も多く訪れる場所です。

この地を訪れると、人生観が変わる――そう語る人もいます。

私自身、文部科学省の教職員海外派遣研修でニュージーランドを訪れた際、まさにそのような体験をしました。ニュージーランド航空のパンフレットには「人生観の変わる国、100% PURE NEW ZEALAND」とありました。最初は誇張された表現だと思いましたが、実際に訪れてみると、私の「教育観」が大きく変わったのです。

人口約440万人のニュージーランドでは、大学進学率は約30%、出生率は2.1人と、先進国の中では特異な数字です。日本でも「三つ子の魂百まで」と言われますが、ニュージーランドでは就学前教育に力を入れており、子どもたちは自然の中でのびのびと育てられています。

世界で初めて女性参政権を得た国でもあり、首相や学校の校長先生にも女性が多く、夫の家事参加も一般的です。夜行性の鳥「キウイ」の雄が卵を温めることから、「Kiwi-husband」という言葉もあるほどです。

温暖な気候、広々とした芝生のグラウンド、裸足でも歩けるほど整った町並み。子どもたちは、先生の話を素直に聞き、意欲的に、創造的に学んでいました。少人数の学級にはアシスタント・ティーチャーやヘルパーが配置され、一人ひとりが大切にされていました。

大学進学率が低い理由は、高校卒業時点で日本の大学4年生と同等の学力が身についているからです。さらに、学校理事会(BOT)という地域の協力体制が整っており、非行や不登校といった問題もほとんど見られません。先住民族マオリとの共生社会も築かれており、「いじめ」という言葉さえ存在しないように感じました。

ニュージーランドでの体験を通じて、私は「この国で子育てをしてみたい」と心から思いました。

それ以来、私は人生の節目に神寶神社を訪れるようになりました。そのたびに、新しい視点で人生を見つめ直すきっかけを得ることができるのです。

神社の静けさと、遠くニュージーランドで感じた温もりが、私の心に深く根を張り、今も人生の道しるべとなっています。

【貴船神社】上善は水の如し

京都市左京区にある貴船神社は、全国に約二千社ある水神の総本宮として知られています。ご祭神の高龗神(タカオカミノカミ)と闇龗神(クラオカミノカミ)は、いずれも雨を降らせ、止める力を持つ龍神様です。奥宮の本殿の真下には、神秘的な「龍穴」が存在すると言われています。

境内には「神水」と書かれた看板があり、そこには「水五訓(水五則)」という教えが記されています。これは、戦国時代に豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛(孝高)の教えでもあります。

一、自ら活動して他を動かしむるは水なり。
一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。
一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。
一、洋々として大洋を充たし、蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し、    凝しては玲瓏たる鏡となり、たえるもその性を失わざるは水なり。

水は、形を変える「柔軟性」、低きに流れる「謙虚さ」、そして時に命を洗い流す「秘めたる力」を持っています。この水の性質を、道教の開祖・老子は「上善は水の如し」と表現しました。「上善」とは、最も善い生き方。つまり、最高の人生とは、水のようにしなやかに、争わず、流れに身を任せながらも本質を失わない生き方なのです。

水は、円い器に入れば円く、四角い器に入れば四角くなる。決して争わず、常に低いところに身を置く。だからこそ、水は「道」に最も近い存在だとされているのです。

ちなみに、黒田官兵衛は剃髪後、自らを「黒田如水」と名乗りました。「如水」とは、水のように生きるという意味を込めた名前です。

私たちの体も、約60〜70%が水分でできています。新鮮で良質な水は、体内の老廃物や毒素を排出し、酵素や腸内細菌を活性化させます。毎日、適切な量の良い水を規則正しく摂ることは、健康を保つために欠かせません。水を変えれば、体質も変わるのです。

英語にも、“Running water is better than standing.”(流れる水は澱まない)ということわざがあります。日本語では「流れる水は腐らない」「淀む水には芥(あくた)溜まる」と言われます。

悩むことは、立ち止まること。水のように、流れ続けましょう。しなやかに、柔らかく、しかし確かに前へと進む――それが、人生を豊かにする秘訣なのかもしれません。

【城南宮】忙中閑あり・死中活あり。

京都市伏見区にある城南宮は、平安遷都の際に都の南に国の守護神として創建された神社です。「方除けの大社」として広く知られ、平安神宮を中心に、北の上賀茂神社、東の八坂神社、西の松尾大社とともに「京都五社巡り」の一社として、多くの参拝者で賑わいます。四神のうち、城南宮には「朱雀」が宿るとされています。

吉方は毎年・毎月・毎日変わるため、私は転勤や旅行の前には必ず城南宮にお参りするようにしています。特に、正月・五月・九月に参る「正五九参り」は縁起が良いとされており、どんなに忙しくても年に三度は欠かさず足を運んでいます。

私たちはよく「時間ができたら〇〇しよう」と考えがちです。しかし、昭和の財政官界の多くのリーダーたちが師と仰いだ陽明学者・安岡正篤氏は、「六中観」という教えを座右の銘としていました。その中のひとつに、深く心に響く言葉があります。

忙中有閑
―ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は、文字通り心を亡ぼす。
真の閑は、忙中にこそある。忙中に閑を見出してこそ、生きる意味がある。

「忙」という字は、「心を亡くす」と書きます。あまりに忙しい日々は、心の健康を損ないます。しかし、「暇ができたら何かしよう」と待っているだけでは、何も始まりません。本当の閑は、忙しさの中にこそ見つけるもの。だからこそ私は、城南宮への参拝を「忙中の閑」として大切にしています。

「六中観」には、他にも心に響く言葉があります。

  • 苦中有楽:どんな苦しみの中にも、必ず喜びがある。貧しさの中にも、貧しさなりの楽しみがある。
  • 死中有活:死地に入ってこそ、活路が開ける。全身全霊を打ち込んでこそ、何かを永遠に残すことができる。
  • 壷中有天:世俗の中にも、自分だけの別天地がある。
  • 意中有人:心の中に尊敬する人物を持ち、必要な時に推薦できる人材を備えておく。
  • 腹中有書:知識を頭で覚えるだけでなく、哲学として腹の中に納めること。

中でも、「死中有活」という言葉には、身が引き締まる思いがします。

人間として生まれてきたことも奇跡、日本人として生まれたことも奇跡、そして今まで生きてこられたことも、奇跡の連続です。もし、何も打ち込んだものがなく、のらりくらりと人生を過ごしてきたとしたら、それは人間として最も恥ずべきことではないでしょうか。

城南宮に参拝するたびに、私は思います。

「今からでもできること、やらなければならないことは、まだたくさんある。」

その気づきが、私の背中をそっと押してくれるのです。

【住吉大社】「月」を見て……心の持ちようで

大阪市にある住吉大社では、「中秋の名月」を鑑賞する観月祭が行われます。名月が昇る夜、反橋(太鼓橋)の上で神職の方が短歌を披講するその光景は、まさに日本の美の極み。ススキや団子を飾ってのお月見は、風情に満ちています。

月を眺めていると、ふと気づかされます。私たち人間は、何かと「ギブ・アンド・テイク」を求めがちですが、月はただ静かに「ギブ・アンド・ギブ」を続けているように感じるのです。

「月を拝むと“ツキ”が来る」とも言われます。荻の箸で茄子に穴をあけ、その穴から月を覗きながら、「月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」と唱えると、目が良くなるという言い伝えもあります。

同じ月を見ても、心のあり方によって感じ方は変わります。心が沈んでいる人は、

月見れば ちぢに物こそ悲しけれ
我身一つの秋にはあらねど

と、物悲しさを感じます。一方、心が晴れている人は、

みせばやな 心のくまも月かげも
すみだ河原の秋のけしきを

と、月の光に喜びを見出します。つまり、私たちは「心の持ちよう」で、幸せにも不幸にもなれるのです。

たとえば、一万円をもらったとしましょう。「すごい!ありがたい!」と感謝する人もいれば、「なんだ、たった一万円か」と不満を感じる人もいます。同じ一万円でも、受け取る心によって幸福感はまったく違います。

その違いは、お金のありがたみを知っているかどうか。努力して得ることの大変さを知っている人ほど、感謝の気持ちを持てるのです。

学校や職場も同じです。心の持ち方次第で、楽しくもなり、苦しくもなります。特に学校は、誰もが「楽しい場所であってほしい」と願う場所です。

しかし、「楽しさ」も一時的なものや、自分だけのものでは意味がありません。本当の楽しさとは、苦しさを経験し、それを乗り越えた先にあるものです。

「厳しさのないところに、本当の優しさはない」と言われるように、「苦しさなくして、本当の楽しさはない」と私は思います。

学校は「勉強」をする場所です。「勉強」という言葉は、もともと「無理をして努力すること」を意味する和製語で、決して楽なものではありません。

けれども、苦労して学びを得たとき、そこには深い喜びがあります。だからこそ私は、こう言いたいのです。

学校は「苦しさ」を体験し、それを乗り越えて「本当の楽しさ」を知る場所であって、単に「楽しい」だけの場所ではない。

月を見上げる夜、私たちは自分の心を見つめ直すことができます。静かな光に包まれながら、感謝と希望を胸に、また一歩前へ進んでいきましょう。

【甲子園球場】奇跡のバックホーム

1996年8月21日、甲子園球場で行われた第78回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦。私は、松山商業高校と熊本工業高校の試合を観戦していました。

試合は終盤、熊本工業が2対3と劣勢のまま、9回裏・二死・走者なし。一年生の澤村選手が打席に立ちました。そこで彼は、起死回生の同点ホームランを放ち、試合は延長戦へと突入します。

10回裏、熊本工業は一死満塁の絶好のサヨナラチャンス。打席には3番・本多選手。松山商業の澤田監督は、渡部投手が第1球を投げようとした瞬間にタイムを取り、ライトの守備を交代。背番号9の矢野勝嗣選手を守備固めとして起用しました。

「代わったところに打球は飛ぶ」――その格言通り、打球はライトへ大きく舞い上がりました。渡部投手は打たれた瞬間にホームランを覚悟し、NHKの高山アナウンサーも「行ったー!これは文句なし!」と叫ぶほどの大飛球。熊本工業の田中監督も「犠牲フライには十分な飛距離だ、勝った」と確信し、松山商業の澤田監督も「あ、終わったな」と感じ、打った本多選手も「犠牲フライだ」と手応えを感じていました。

しかし、甲子園特有の浜風が打球を押し戻し、ボールはスタンドに届かずライトフライに。矢野選手は冷静に捕球し、三塁走者・星子選手がタッチアップしてホームへ突入。矢野選手の返球は浜風に乗り、石丸捕手のミットへダイレクトに届きました。

その瞬間、星子選手の頭部がミットに接触。星子選手は両手を広げて「セーフ」を、石丸捕手はミットを高く掲げて「アウト」を、それぞれ球審にアピール。判定はアウト。ダブルプレーで熊本工業はサヨナラの機会を逃しました。

そして延長11回表、奇跡のバックホームを見せた矢野選手がヒットを放ち、スクイズでホームイン。松山商業は勝ち越しの4点目を奪い、さらに得点を重ねて6対3で優勝を果たしました。

甲子園は、数々の感動と奇跡を生んできた場所ですが、このバックホームは、まさに後世に語り継がれる奇跡の一瞬です。その場に立ち会えたことに、私は深い幸福感を覚えました。

背番号9を背負っていた矢野選手は、真面目な選手でしたが、ミスが多く、周囲から「辞めてくれ」と言われるほどの控え選手だったそうです。そんな彼が、決勝戦で奇跡のプレーを成し遂げた――まさに「苦闘の丘に栄光の花が咲く」という言葉を体現した瞬間でした。

【明石海峡大橋】ライバルの分まで

今から約60年前、土木工学の専門家でもあった原口忠次郎神戸市長は、明石海峡から淡路島、そして鳴門へと橋を架け、本州と四国を陸続きにしようと構想していました。市議会に調査費の予算を提出しましたが、「財源に余裕がない」「市長は白日夢でも見ているのではないか」といった反対意見が相次ぎました。

そのとき、原口市長はこう語ったといいます。

「人生はすべからく、夢なくしてはかないません。」

この言葉に感銘を受け、エンジニアを志したのが、私の小学校から大学までのライバルだったM君でした。

彼は小学校の頃から運動神経抜群で、運動会ではいつもヒーロー。野球でも常に4番バッターを務め、勉強もできるスーパースターでした。私は「彼は別格だ」と思っていましたが、同じ少年野球チームに入ってから、彼に追いつきたいという気持ちが芽生えました。

中学校では校内マラソン大会があり、私は3位、M君は6位。その後、彼は「勉強だけは負けたくない」と言い、試験のたびに「何点取った?」と聞いてくるようになりました。私たちは、いつも互いに競い合っていました。

高校では、私はバレーボール部、彼は野球部。それぞれ主将・副将を務めながら、将来の夢を語り合いました。私は教師を目指して教育学部へ、彼はエンジニアを目指して工学部へ。同じ地元の大学に進学しました。

大学では学部は違えど、彼は硬式野球を続け、私はバレーボールとスキーに熱中。お互いの活躍を、言葉にはせずとも意識し合っていました。

やがて就職。彼は最初の配属先が合わず、異例の部署異動を経験しました。しかし、異動先でも思うような仕事ができず、会うたびにぼやいていました。

ある日、私は彼に言いました。

「ぼやくなんて、お前らしくない。俺はお前の愚痴なんて聞きたくない。」

それから間もなく、25歳のある日、悲しい知らせが届きました。M君が亡くなったのです。淡路島近くの海に浮かんでいたといいます。仕事帰りに酒を浴びるほど飲み、明石近くの海に落ち、3日後に発見されたのでした。

人生は、まだこれからだったのに――。

私は、彼にあまりにも厳しい言葉を投げかけてしまった。スーパースターだった彼も、悩み、苦しむ一人の人間だったのです。どうして、彼の愚痴を受け止めてあげられなかったのか。今でも悔やまれます。

M君と私は、互いに認め合うライバルでした。高校に進んだのも、大学に進んだのも、彼の存在があったからこそ。今の私にできることは、彼の分まで人生を生きること。彼が経験できなかったことを、私が代わりに体験し、いつか冥途の土産話として届けたい――そう思っています。

夢の架け橋は、彼の心にも架かっていた。

そして今、私の心にも、彼の夢が静かに流れ続けています。

【玄武洞】ストレスに対する〝極楽とんぼ〟な「生き方」

兵庫県豊岡市にある玄武洞は、約160万年前の火山活動によって流れ出た溶岩が冷え固まり、六角形の柱状節理という美しい石の柱を形成しています。この玄武岩には磁力を持つ磁鉄鉱が含まれており、現・京都大学の松山基範博士が、地球のN極とS極が過去に逆転していたことを世界で初めて発見した場所としても知られています。

さらに、この玄武岩は「生命力を高め、魔を寄せつけない」と言われ、大地の圧倒的なパワーを感じさせてくれます。合格祈願や恋愛成就を願って訪れる人も絶えません。

この場所に立つと、自然の力に包まれながら、「どうすればストレスに負けず、力強く生きていけるのか」と、自然と自分自身に問いかけるようになります。

一般に、ストレスへの対処法は大きく4つに分けられます。

  1. ストレッサー(ストレスの原因)から逃げる
  2. ストレッサーと闘う
  3. ストレッサーにへつらう
  4. 従ったふりをしながら、逆に従わせる

人の性格は、ざっくり分けるとオプティミスト(楽観的)とペシミスト(悲観的)に分かれます。オプティミストはストレスに強く、健康で行動力があり、人生で成功しやすいと言われています。

歴史上、最もオプティミストだった人物の一人がヘレン・ケラーです。彼女は、どんな小さなことでも成功体験として積み重ね、「明日は今日より美しい。明後日はさらに美しい」と語り、楽天主義の大切さを説きました。

最近の心理学では、性格の約6割は自分の力で変えられると言われています。性格を変えるためには:

  • 脳の可塑性を活かして、ポジティブなことを意識的に考える
  • 野菜や果物をたっぷり摂り、腸内環境を整えることで心の安定を図る
  • 明るい情報を取り入れ、少しだけ勇気のいることに挑戦する

教育哲学者・森信三先生は、「わが身に降りかかる一切のこと、それは自分にとって絶対必然であり、また実に絶対最善である」という「最善観」を提唱しました。

ストレスで張り詰めた心の糸を、「まあいいか」「それがどうした」「人それぞれ」といった柔らかな言葉でゆるめ、感謝の気持ちを持つことが、心の健康につながります。

また、物事の明るい面だけを見つめる「日時計主義」や、ストレスに対する心の抵抗力・回復力である「レジリエンス」を高める方法、困難の中に意味や価値を見出す「ベネフィット・ファインディング」の実践も、心を整えるうえで有効です。

ストレスは、うつ病・不安症・心臓病の原因になるだけでなく、免疫力を低下させ、あらゆる病気の引き金になります。やる気や自信の低下など、精神面にも大きな影響を与えます。

だからこそ、ストレスに強い性格や考え方を育てることが、健康で幸せな人生への第一歩なのです。

玄武洞の静かな力に触れながら、私たちもまた、自分の内なる力を信じて、しなやかに、力強く生きていきたいものです。

【天河大辨財天社(天河神社)】トイレ掃除で学ぶ「下坐行」

奈良県吉野郡天川村にある天河大辨財天社、通称「天河神社」は、「縁がなければ辿り着けない場所」と言われています。

十二月のある平日の朝、どうしても仕事に向かう気持ちになれず、思い切って休みを取り、日本五大弁財天のひとつである天河神社へ向かいました。縁があったのか、天候にも恵まれ、道中は驚くほどスムーズで、無事に到着することができました。

この神社には「ゼロ磁場」が存在すると言われており、訪れると不思議と生きる力が湧いてくるような感覚があります。主祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、どのような神様なのだろうと想いを巡らせながら五十鈴を鳴らした瞬間、心の中に植村花菜さんの「トイレの神様」のメロディが流れてきました。

トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで
だから毎日キレイにしたら 女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで…

カー用品販売「イエローハット」の創業者であり、「掃除の神様」とも称される鍵山秀三郎さんは、こう語っています。

「掃除をすると、心が磨かれる。謙虚な人になれる。気づく人になれる。感動の心が生まれる。感謝の心が芽生える。」

年末の大掃除の時期でもあることから、特にトイレ掃除に力を入れ、心まで洗われるような気持ちで取り組もうと決意しました。

さて、「しつけの三原則」を提唱し、「国民教育の師父」とも称された教育哲学者・森信三先生は、「下坐行(げざぎょう)」を勧めておられます。

「下坐行」とは、自らの身を低く置き、人から顧みられないようなことにも手足を汚すことを厭わずに取り組む行いです。トイレ掃除は、まさにこの「下坐行」の象徴であり、森先生はこの実践を通じて、自分自身と周囲の環境が変わると説かれました。

森先生はさらに、こう述べています。

「人間を鍛える真の土台は『下坐行』である。身は実力以下の地位にありながら、不平不満を言わず、真面目に仕事に精励することで、人間的な光が身についていく。
下坐行を積んだ人でなければ、人間としての本当の確かさの保証はできない。
いかに才知に優れていても、下坐行を経験していなければ、どこか危うさがつきまとう。
下坐行とは、自分を他人よりも一段低い位置に置き、ひたすら自己修養に励むこと。
誰も見ていなくとも、それを五年、十年と続ければ、やがてその人の内面に、まごうことなき人間的な光が備わり始める。」

この「下坐行」を英語で表すなら、“Understand”という言葉が近いかもしれません。「あなたの下に位置することで、私は深く理解することができました」という意味合いでしょうか。

最近、自分に傲慢な心がなかったかを省みながら、「明日からまた仕事を頑張ろう」と心に誓い、帰路につきました。

【室生龍穴神社・吉祥龍穴】過ぎてしまえば、みな美しい。

奈良県宇陀市にある室生龍穴神社は、京都の貴船神社奥宮、岡山の備前龍穴と並び、「日本三大龍穴」のひとつとして知られています。ここには善女龍王が祀られており、神秘的な「吉祥龍穴」は、室生龍穴神社から山道を20分ほど登った先にあります。

ある日、何かに導かれるような感覚に背中を押され、私は吉祥龍穴へと足を運びました。すると、龍穴から不思議な声が聞こえてきたのです。

「過ぎてしまえば、みな美しい。」

その頃の私は、仕事や人間関係に悩み、出口の見えない状況に苦しんでいました。そんな私の心に、その言葉は深く染み入りました。

ドイツの詩人ゲーテはこう語っています。

「苦しみが残していったものを味わえ。苦難も過ぎてしまえば甘美である。」

また、イギリスの劇作家シェイクスピアも「終わりよければすべてよし」という言葉を残しています。

人生の途中で不幸や苦しみに遭った人ほど、晩年には思い出が豊かで、語ることの多い人生になるのかもしれません。今の苦しみも、いつか笑って話せる日が来ると信じて、私は前を向こうと決意しました。

吉祥龍穴に呼ばれるようにして訪れた後、なぜこれほどまでに心が沈んでいたのかを振り返りました。そこには、五つの原因がありました。

  1. 他人の評価を鵜呑みにしていた
  2. 現状維持にこだわっていた
  3. 人と比較して落ち込んでいた
  4. 相手の顔色をうかがうことが習慣になっていた
  5. どうにもならないことで悩んでいた

これらの思考の連鎖が、心を弱らせる悪循環を生んでいたのです。

どんなに苦しいことがあっても、過ぎてしまえば、笑い話になることがあります。すぐに結果を求めて焦るほど、苦しみは増していきます。特に、自分を変えるよりも、他人を変えようとすることに力を注いでいたことに気づかされました。

カナダの精神科医エリック・バーン博士はこう述べています。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。」

セルフマネジメントの観点からも、「感情」「他人」「過去」は変えられません。だからこそ、「行動」「自分」「未来」を変えることが、より良い人生への鍵となるのです。

室生龍穴神社と吉祥龍穴での不思議な体験を通して、私は大切なことを学びました。この気づきを、未来ある子どもたちに伝えていきたいと心から思っています。

【興福寺(山田寺の仏頭)】一番大事なこと

「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている興福寺。その中でも、国宝・阿修羅像は「三面六臂の美少年」と称され、多くの人々を魅了しています。

三つの顔はそれぞれ微妙に異なる表情を持ち、幼少期、思春期、青年期を象徴しているといわれています。どの顔にも共通して感じられるのは、深い憂い。その静かな悲しみが、見る者の心を揺さぶります。

しかし、私の心をさらに強く引きつけたのは、「山田寺の仏頭」でした。その前に立った瞬間、まるで問いかけられるような声が聞こえてきたのです。

「あなたにとって、大事なことは?」

1991年、大事MANブラザーズバンドのボーカル・立川俊之さんが作詞・作曲した「それが大事」は、160万枚を超える大ヒットとなりました。その歌詞は、当時の私にとって衝撃的でした。

♪ 負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じ抜くこと
駄目になりそうな時 それが一番大事
涙見せてもいいよ それを忘れなければ…

時が流れ、2016年。立川さんはこう語りました。

「『それが大事』という曲を24年間歌ってきました。そうしたら、何が大事かわからなくなってしまった。」

そして、アンサーソング「神様は手を抜かない」を発表します。

♪ だから 負けてもいい 投げ出してもいい 信じ抜けないこともあるだろう
全力で自分を援護しろ!
泣いてもいい 逃げ出してもいい どうせ神様は手を抜かない…

この世には、大事なことがたくさんあります。命も大事、「かたち」も大事。「学は一生の大事」「兵は国の大事」とも言われます。そして、「大事は小事の積み重ね」でもあります。

武者小路実篤は、ロシアの文豪トルストイの思想に感銘を受け、志賀直哉とともに雑誌『白樺』を創刊し、「新しき村」を宮崎に建設しました。彼は多くの著作を通じて、人生の意味を問い続けました。

彼は常にこう語っていたといいます。

「今が一番大事な時だ。もう一歩。」

その言葉には、自分自身を、そして他者を励ます力が込められています。彼の名著『友情』には、人間への深い賛歌が込められていると感じます。

詩人・相田みつを氏は、山田寺の仏頭に寄せて「こんな顔で」という詩を残しました。

「息子よ、こんな顔で生きてほしい。
娘よ、こんな顔の若者とめぐり逢ってほしい。」

私も、まったく同じ思いです。

【春日大社】人を動かす「春風秋霜」

近畿地方には、日本神話と深く関わる五つの聖地があります。伊吹山、伊勢神宮、熊野本宮大社、伊弉諾神宮、そして大江山元伊勢。この五つを地図上で結ぶと、美しい五芒星が浮かび上がります。これは「レイライン」と呼ばれ、神秘的な力が宿るとされています。

その中心に位置するのが、奈良の平城京。そして、平城京の守護と国民の繁栄を祈願して創建されたのが、奈良市春日野町にある春日大社です。全国約三千社の春日神社の総本山であり、京都の賀茂祭(葵祭)、石清水祭と並ぶ「日本三大勅祭」が行われることでも知られています。

毎年三月十三日に行われる春日祭に足を運ぶと、私はいつも爽やかな春風を感じます。そして、心に響いてくる言葉があります。

「春風秋霜(しゅんぷうしゅうそう)」

この言葉は、江戸時代の儒学者・佐藤一斎の著書『言志四録』の一節「春風接童 秋霜自粛」に由来します。「他人には春風のような温かさで接し、自分には秋霜のような厳しさで律する」という意味です。現代風に言えば、「人には優しく、自分には厳しく」。人間関係の本質を突いた、まさに究極の言葉ではないでしょうか。

人と人との交わりは、異なる個性同士のぶつかり合いです。そこには摩擦が生じ、心が緊張し、集中力が求められます。その過程で、自分自身の性質や特徴が明確になっていくのです。人に何かを求める前に、まず自分から相手に尽くすこと。それができれば、自然と人が集まり、思いやりが循環していくでしょう。まずは、春風のような心で人に接することが大切です。

キリストの言葉にも、こんな名言があります。

「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、それくらいのことはしている。
また、返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。」

経営の神様・松下幸之助氏は、人を生かすために最も大切なことは「配慮」だと語っています。人に対する「思いやり」「共感」「気づき」がなければ、人を動かすことはできません。

彼には三つの財産がありました。

  1. 学校へ行けなかったこと
  2. 健康に恵まれなかったこと
  3. 決断力に自信がなかったこと

大きな失敗をしたとき、重い病気をしたとき、大切なものを不意に失ったとき――そんな苦しみや悲しみの中にこそ、人間として大きく成長するチャンスがあるのだと、彼は信じていました。

そのような人こそが、最後に本当の成功を手にするのだと思います。

【鳴門の渦潮】人生の考え方・生き方がその人の顔を作る。

徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市の間に広がる鳴門海峡では、世界最大級とも言われる渦潮が発生します。その直径は最大で30メートルにも達し、渦はあちこちで生まれては消え、また現れては消えていきます。

渦潮のすぐそばまで船で近づくことができるのですが、私はその渦の姿が、まるでさまざまな表情を持つ人の顔のように見えてきました。怒り、悲しみ、喜び、迷い――自然の力が人間の感情と重なって感じられたのです。

その近くにある大塚国際美術館には、世界の名画が千点以上展示されており、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』もその一つです。本物は縦420cm、横910cmという巨大な壁画で、長年の損傷を経て、近年修復され、その姿が再び明らかになりました。

2003年、ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』では、この絵に描かれたイエスの右側の三人の弟子が話題となりました。イエスの右隣に座る人物は、従来ヨハネとされていましたが、実はマグダラのマリアではないかという説が登場します。ナイフを握るペトロ、銀貨の袋を持つユダ――それぞれの姿に、深い物語が込められています。

ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』を完成させるまでには、なんと20年もの歳月がかかったといわれています。最初に描いたのはキリストでした。ある日、公園を歩いていたダ・ヴィンチは、澄んだ瞳と清らかな肌を持つ好青年に出会い、彼をキリストのモデルに選びました。

その後、12人の弟子を描いていきましたが、最後まで描けなかったのが裏切り者のユダでした。10年以上も苦しんだ末、ある日、酒場の片隅で、人生の悲哀、裏切り、憎しみ、妬みを全身に背負ったような男に出会い、彼をユダのモデルに選びました。

絵が完成し、ダ・ヴィンチが安堵の息を吐いたその時、モデルの男の目から涙がこぼれました。

「どうされたのですか?」と尋ねると、男はこう答えました。

「あなたは私を忘れたのですか。20年前、私はキリストのモデルでした。そして今、私はユダのモデルになったのです。」

その男は、長年にわたり不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句ばかりを口にして生きてきた結果、顔に人生の敵意と憎しみを刻み込んでしまったのです。

アメリカ第16代大統領リンカーンはこう語っています。

「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持て。」

人間は、日々考えていることが、やがて顔に表れるのです。

毎日「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と考えている人は、自然と笑顔になり、人から頼られる存在になります。反対に、不平不満や愚痴ばかりを口にしている人は、知らず知らずのうちに人を遠ざける顔になってしまいます。

「笑う門には福来たる」「笑いは百薬の長」と言われるように、ストレス学説の権威ハンス・セリエも「無理してでも笑うこと」を勧めています。

どうか、じっくりと鏡に映る自分の顔を見てみてください。そこには、あなたの心のあり方が映し出されているかもしれません。

【仙酔島】〝新しい自分〟に生まれ変わろう!

広島県福山市の鞆の浦——宮崎駿監督のジブリ作品『崖の上のポニョ』の舞台にもなったこの美しい港町から、船でわずか5分の海上に浮かぶ島があります。その名も「仙酔島」。その名の通り、「仙人も酔ってしまうほど美しい」と称されるほどの絶景が広がる場所です。

島は一周わずか数キロの小さな楽園。ここには、日本で唯一とされる「五色岩」があり、自然の神秘を肌で感じることができます。島内にある宿「人生感が変わる宿 ここから」に滞在し、丸一日をこの島で過ごすと、心と体がじんわりと癒され、まるで生まれ変わったような感覚に包まれます。

さて、毎年6月1日と10月1日は「衣替え」の日。昔から「馬子にも衣装」と言われるように、服装は人柄を映す鏡であり、新たな自分へと心機一転するための、最も手軽な“変身スーツ”とも言えるでしょう。

社会教育者・田中真澄氏は、「人間の能力は『知識』『技術』『心構え』の三辺で構成される」と説いています。そして、良き「心構え」は「積極性 × 明朗性」で表されるとも。中でも「心構え」は、どんなに磨いても毎日ゼロに戻る能力。だからこそ、毎朝歯を磨くように、心構えも磨き直す必要があるのです。

田中氏は、人生を成功に導くための三つの習慣を挙げています。

1.早寝早起きをして、準備を周到にする
2.速く歩く
3.挨拶・返事・後始末を徹底する

「考え方を変える」とは、無意識に繰り返してしまう偏った思考を修正すること。そのためには、まず自分がどのような考え方をしているのかを見つめ直すことが大切です。

明治大学で「明治一受けたい授業」に選ばれた堀田秀吾先生は、著書『最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方』の中で、「考えすぎない方法」として45のアクションを紹介しています。考え方を変えるには、まずネガティブな思考の癖を改善することが重要です。

マイナスの考え方をプラスに変えるためのポイントは、次の3つです。

  • 考えすぎない
  • 成功体験を少しずつ積み重ねる
  • 短所を長所に置き換える

「他人と過去は変えられない」とよく言われます。しかし、「自分と未来と行動」は変えることができます。

毎朝、身だしなみを整え、心構えをリセットし、前向きな考え方を持つ——そんなルーティンを習慣にして、元気に出勤・登校してみませんか?

【讚岐國一之宮 田村神社】晴れる日を喜び、雨の日を愛する。

讃岐國一之宮・田村神社は、龍神伝説が語り継がれる四国屈指の聖地として知られています。水の乏しい讃岐地方にあって、「田村の神は水の大神、御神体は龍神なり」と詠われてきたこの地には、豊かな伏流水が湧き出ており、神社の境内には高さ約6メートルにも及ぶ壮麗な龍神像が祀られています。

御祭神である田村大神は、五柱の神々の総称であり、特に女性や子どもを守る神として親しまれています。安産、病気平癒、身体健康、厄除けなど、さまざまなご利益があるとされています。

私は四国を訪れるたびに、この神社に足を運びます。毎回、なぜか雨に見舞われるのです。晴天の予報でも、到着すると雨が降り出す。最初は「運が悪いな」と思っていましたが、やがて気づきました。龍神様は水の神。雨は、歓迎のしるしなのかもしれないと。そう思うようになってからは、「雨もまた楽し」と心から感じられるようになりました。

中国・唐の禅僧、雲門文偃の言葉に「日日是好日」があります。これは、毎日がただ良い日という意味ではなく、どんな出来事があっても、その日を「好日」として受け止め、前向きに生きるという深い教えです。

子育てや教育においても、順調に進む日もあれば、思うようにいかない日もあります。教育アドバイザーの坪田陽子さんは、家庭教育の要として「喜び上手なお母さんになること」を提案しています。明るく幸せな家庭で育った子どもは、たとえ一時的に道を外れても、必ず立ち直る力を持っています。

一方で、いつも不平不満を口にし、叱ってばかりの家庭では、子どもが素直に育つことは難しいでしょう。かといって、褒めすぎても意欲的な子どもには育ちません。オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは「叱ってはいけない、褒めてもいけない」と述べ、アメリカの心理学者キャロル・ドゥエックは「子どもの能力ではなく、努力を褒めよ」と説いています。

人生には、晴れの日もあれば、雨の日もあります。順風満帆な日ばかりではありません。しかし、雨の日こそ、楽しみながら乗り越えることが大切です。すべては「考え方」次第なのです。

谷間にいる時、雨の日を乗り越えるための考え方のコツを、三つご紹介します。

1.「失敗は成功の第一歩」「為せば成る」と信じ、困難を乗り越える
2.何事にも集中し、その瞬間に全力を尽くす
3.「情けは人の為ならず」の心で、人に優しく接する

どんな日も、心の持ちようで「好日」に変えることができます。雨の日も、曇りの日も、晴れの日も、すべてが人生の大切な一日。そう思える心を育てていきたいものです。

【金刀比羅宮】ポジティブ&クリティカルシンキング

香川県西部、琴平町に鎮座する金刀比羅宮(ことひらぐう)は、全国に約600社ある金刀比羅神社(または琴平神社)の総本宮です。地元では親しみを込めて「こんぴらさん」と呼ばれ、多くの参拝者に愛されています。

「幸福の黄色いお守り」を手にするには、まず785段の石段を登らなければなりません。さらに奥社・厳魂神社(いづたまじんじゃ)へ向かうには、さらに583段、約1,200メートルの道のりを進む必要があります。合計1,368段の石段を登り切った先には、「長い苦労が報われ、果実を収穫する機会が授けられる」と言い伝えられています。そして実際に奥社にたどり着くと、不思議と心の中で何かが変わるのを感じるのです。

さて、京セラの創業者であり、経営破綻した日本航空の再建にも尽力した稲盛和夫氏は、中村天風の「信念で寝て、信念で起き、信念で一日中を生きよ」という言葉を実践し、数々の奇跡を起こした人物です。彼は人生の結果を次のような式で表しています。

人生の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力

この式の中で最も重要なのは「考え方」だと稲盛氏は説きます。プラス思考かマイナス思考かによって、人生の方向性は大きく変わるのです。

ベクトルで例えるなら、「考え方」は方向、「熱意」は長さ、「能力」は太さ。どれほど能力や熱意があっても、方向が間違っていれば、成果は得られません。個々のベクトルが揃ってこそ、集団としての力が発揮されるのです。

また、同じ出来事でも、楽天的に捉えるか悲観的に捉えるかで、心の持ちようは大きく変わります。ポジティブシンキング(前向きな思考)で物事を肯定的に捉えるか、ネガティブシンキング(後ろ向きな思考)で否定的に捉えるかによって、人生の質も変わってきます。

さらに、クリティカルシンキング(批判的思考)、ラテラルシンキング(水平思考)、ロジカルシンキング(論理的思考)という「トリプルシンキング」をどう使うかによっても、物事の見え方や判断は大きく変わります。

どれほど能力や熱意があっても、考え方を誤れば、漫画『アンパンマン』に登場するばいきんまんのように、周囲に迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。

だからこそ、できる範囲でプラス思考を心がけ、楽天的に物事を捉え、ポジティブシンキングとクリティカルシンキングを活用して、物事の本質を見極める努力が大切です。クリティカルシンキングの第一人者アレック・フィッシャー氏が語るように、「社会のこと、相手のこと、自分のことをもっとよく理解したい」という思いやりの心こそが、真の思考力を育てるのです。

【宗像大社】ほほ笑みは最高の化粧

人生の進むべき道に迷ったとき、ぜひ訪れてみたい場所があります。それが、あらゆる「道」を司り、海や航海の安全を守ってきた三女神を祀る宗像神社です。

三女神は、天照大神の御子神とされ、それぞれ異なる地に祀られています。

  • 長女・田心姫神は沖ノ島の沖津宮に
  • 次女・湍津姫神は大島の中津宮に
  • 三女・市杵島姫神は本土の辺津宮に

沖津宮のある沖ノ島は、女人禁制の神聖な島で、神職以外は立ち入ることができません。中津宮のある大島は、福岡県最大の島で、本土から約7キロ離れています。大島の北側には、沖津宮を遥拝できる拝殿所もあります。

本土の辺津宮では、交通安全のお守りが有名で、車内に飾るお守りの発祥地とも言われています。

市杵島姫神が降臨したとされる高宮祭場に立つと、心地よい風が頬を撫で、まるで三女神が微笑んでいるかのような感覚に包まれます。

「笑う門には福来たる」「笑いは百薬の長」「一笑一若」——笑いの効能は、誰もが経験的に感じていることでしょう。

人間の笑いは、大きく分けて本能の笑い社交上の笑いに分類されます。
本能の笑いは、脳の視床下部に関係する快楽の笑いや、大脳辺縁系に関係する驚きや発見の笑いで、涙の分泌や呼吸の変化、血管の収縮・拡張などを引き起こします。これは副交感神経が優位に働くため、体をリラックスさせ、緊張を和らげる効果があります。

一方、社交上の笑いは、現代人が最も多く使う笑いで、いわゆる「愛想笑い」や「相手の顔色を伺う笑い」です。これは人間関係を円滑にする一方で、心からの笑いではないため、時にストレスの原因にもなりかねません。

ストレス学説の権威、ハンス・セリエは「無理してでも笑うこと」を勧めています。笑いは「体のジョギング」とも言われ、幸福だから笑うのではなく、笑うから幸福になれるのです。

反対に、「一怒一老」と言われるように、怒りは脳内にノルアドレナリンなどのホルモンを分泌させ、体を老化させる原因になります。

人の感情は、脳内物質によって左右されています。その仕組みを理解し、適切に対応することで、心の状態を安定させることができるかもしれません。

そして、その脳内ホルモンを変えるスイッチは、実は「顔」にあります。どんな顔が良いか?———もちろん、笑顔です。

笑顔のコツは「口の形」。日々、口角を上げてほほ笑みをたたえるよう心がけると、心も軽やかになり、精神衛生にも良い影響を与えます。

同じ一日を過ごすなら、笑顔でニコニコと過ごしましょう。
「ほほ笑みは最高の化粧」なのです。

【大浦天主堂】「朝の来ない夜はない」

長崎市にある世界文化遺産・大浦天主堂。正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」、別名「ふらんす寺」とも呼ばれています。日本に現存する最古のカトリック教会であり、250年以上続いた禁教の時代にも、信仰が密かに守られてきた場所です。

長く続いた迫害、そして原爆による損傷を乗り越え、今もなおその姿を保ち続ける大浦天主堂は、歴史的にも建築学的にも非常に価値の高い建造物です。

1991年、私はまもなく出産を迎える身重の妻を家に残し、仕事で長崎を訪れました。心霊写真が撮れるなど、心霊スポットとしても知られていたこの場所に足を踏み入れる前、ふと心に浮かんだ言葉がありました。

「朝が来る、朝が来る」

妻は結婚後、二度の流産を経験し、なかなか子宝に恵まれませんでした。しかしその時、ようやく新しい命が誕生しようとしていたのです。私はその瞬間、無事な出産を確信しました。

長崎が生んだミュージシャンといえば、さだまさしさん。その1991年にリリースされたアルバム『家族の肖像』には、「奇跡~大きな愛のように~」という楽曲が収録されています。

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道登るのは あなた独りじゃない
僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない
ああ 大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

この歌詞に触れたとき、私は心の奥底から「愛する人を守りたい。家族のためなら、子どものためなら、犠牲になってもいい」と思いました。

しかし、人間は弱いものです。愛する気持ちを常に持ち続けることは、簡単ではありません。理解されず、報われなければ、心は揺らぎます。愛を貫くには、覚悟と努力が必要なのです。

それでも、日常は「奇跡の連続」です。今の自分があるのは、そんな奇跡のような愛に包まれて生きてきたからなのだと、改めて感じます。

「朝の来ない夜はない」——この言葉は、国民文学作家・吉川英治の言葉です。

彼は幼少期から貧しい家庭に育ち、小学校を卒業するとすぐに働きに出ました。船のペンキ塗り替え中にドックの底に墜落して仮死状態になったり、関東大震災で仕事も家も失ったりと、数々の困難に見舞われながらも、「朝の来ない夜はない」と信じて乗り越え、名作を次々と生み出しました。

人生を24時間に例える「人生三分の一説」という考え方があります。1時間を3年とすると、義務教育を終える15歳はまだ太陽も昇らない午前5時。還暦の60歳は午後8時。ここからが人生のゴールデンタイムです。そして72歳で午前0時の振り出し。「朝の来ない夜はない」のですから、どんな困難も、必ず光が差す時が来るのです。

【屋久島】やらぬ後悔よりやる後悔

屋久島は、鹿児島市から南へ約130キロの位置にある離島です。鹿児島空港から飛行機で約40分、船を使えば鹿児島本港から約4時間かかります。日本で初めて世界自然遺産に登録されたこの島は、豊かな自然に包まれた神秘の地です。

中でも圧倒的な存在感を放つのが、樹齢2,000年から7,000年とも言われる縄文杉をはじめとする屋久杉たち。その生命力の強さに、誰もが言葉を失います。

縄文杉に会いに行くには、ガイドの案内のもと、20キロ以上の山道を約10時間かけて往復する必要があります。「死ぬまでに一度は見るべきだ」という友人の言葉を信じ、真夏の照りつける太陽の下、「これが道なのか」と思うほどの森の中を、私たちは黙々と歩き続けました。

片道10キロ。歩いても歩いても、縄文杉にはたどり着かず、私は古傷の痛みに耐えながら、「無理をして来るべきではなかったか」と後悔し始めていました。

しかし、ついに縄文杉と対面した瞬間、心に浮かんだのは、イタリアの思想家ニッコロ・マキャヴェッリの言葉——
「やらぬ後悔より、やる後悔」

まさにその通りでした。

「後悔先に立たず」と言われるように、人生は選択の連続です。選択には決断が必要であり、後悔には2種類あると言われています。

  • 「あの時、ああしなければよかった」というしてしまったことへの後悔
  • 「あの時、ああしておけばよかった」というしなかったことへの後悔

決断とは、迷いを断ち切ること。後悔のない選択をするには、勇気と覚悟が必要です。

心理カウンセラーのラッキーさんは、YouTubeで「後悔しない生き方の秘訣」を語っています。良い人生とは、亡くなる前に後悔しない人生のこと。

人生で後悔しやすいこととして、次の4つが挙げられています。

1.働きすぎた
2.愛や感謝を伝えなかった
3.感謝のない生活を送ってしまった
4.人の目を気にしすぎた

そして、後悔のない人生にするための行動は、次の4つです。

1.家族や友人との時間を大切にする
2.家族や恩人が生きているうちに、愛や感謝を伝える
3.日常の中にある「素晴らしいこと」を見つける
4.自分の気持ちに従って生きる勇気を持つ

後悔しない生き方の最大の秘訣は、死を本気で意識することです。死を意識したとき、人は「生き方」を変えます。死を意識すれば、「志」を持てるようになります。

なぜなら、人は「終わり」を意識しないと、本当の力を発揮できないからです。

自分の命をどう使うか——それが使命であり、なのです。