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勉強・仕事について PR

パワースポットが語ってくれた人生の生き方(3)

タイトル 勉強・仕事
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【金華山 黄金山神社】ATTで働く(傍楽)

宮城県石巻市の牡鹿半島沖に浮かぶ金華山は、島全体が神聖な聖域とされ、黄金山神社が鎮座しています。ここは、日本で初めて金が産出された地と伝えられ、日本五大弁財天の一つが祀られています。

「三年続けて参拝すれば、金に困らない」と言われていることから、私は三年計画でこの神社に通いました。そして、ちょうど三年目の参拝を終えたその時、転勤が決まりました。新しい職場での収入は決して多くはありませんでしたが、不思議と金銭面で困ることはなく、「願いが届いたのだ」と感じました。

新しい職場に移るとき、誰もが「うまくやっていけるだろうか」と不安を抱くものです。人間関係が良好であることは、仕事を円滑に進めるうえで何よりも大切です。

山本有三の小説『路傍の石』には、こんな言葉があります。

「働くというのは、はたを楽にしてやることだ」

それぞれが自分の持ち場で責任を果たし、周囲を楽にすることで、全体が楽になり、効率も上がり、人間関係も円滑になります。

働くことは、社会の役に立つこと。つまり、自分が世の中に必要とされていることを実感できる場面でもあります。だからこそ、「働く」は「傍楽」「端楽」とも書けるのです。周囲の人から「あの人がいないと困る」と思われるようになって、初めて本当に「働いている」と言えるのではないでしょうか。

「はたの人を楽にさせる」仕事には、厳しさも伴います。人を喜ばせ、助けるためには、専門的な知識や技術も必要です。

英語で「仕事」は BUSINESS と言いますが、その中の「U」の音は「YOU」を表しているとも言われます。つまり、仕事とは「自分のことよりも、まず相手のことを考える」ことが大切なのです。

また、「企業」の「企」は「くわだてる」という意味があります。これは「人が立ち止まって考える」ことを表しており、農夫がクワを立てて、その上に顎を乗せて思案する姿から生まれた言葉だそうです。

「業」は、ギザギザした木に楽器を立てかけた形を表し、「困難なこと」「手間のかかる仕事」を意味します。つまり、「企業」とは「困難なことに挑み、計画を立てて取り組むこと」。楽をして儲けることが企業の本質ではないのです。

日本大学の佐藤綾子先生は、「仕事も人生の充実も、最終的には良好な人間関係を築ける自己表現力があるかどうかで決まる」と述べています。そして、その自己表現の原則は「ATT」にあるといいます。

「ATT」とは、「明るく」「楽しく」「(人の)ためになる」の頭文字です。

この「ATT」を心がけて自己表現をする人は、周囲との関係も良好になり、心も豊かになっていくでしょう。

【珠洲岬(金剛崎)】ながら族の不幸

石川県珠洲市、能登半島の先端に位置する「聖域の岬」――珠洲岬は、静岡県の富士山、長野県の分杭峠と並び、日本三大パワースポットの一つに数えられています。

この岬は、南からの暖流(対馬海流)と北からの寒流(リマン海流)の一部が交わる場所にあり、地球のエネルギーが集まる特別な地とされています。実際にこの地に立つと、過去・現在・未来の情報が一気に押し寄せてくるような感覚に包まれ、「あれもやらなければ…」「これもやらなければ…」と、心がざわついてしまいます。私にとっては、決して落ち着ける場所ではありませんでした。

そんな折、大脳生理学者の友人から興味深い話を聞きました。

「これまで学校も会社も、同時に多くのことをこなす“マルチ人間”を育てようとしてきた。でもその結果、神経内科に通う人が増えてしまっているんだ」と。

テレビを見ながら勉強しても身につかないことは、誰もが経験的に知っているはずです。しかし、朝食を食べながら新聞を読んだり、歩きながらスマホを操作したりと、私たちは日常的に「マルチタスク」を行っています。

一見、効率的に思えるこのマルチタスクですが、実は集中力を約40%も低下させ、ミスは1.5倍に増え、作業スピードも40%落ちると言われています。

さらに、マルチタスクが習慣化すると、脳に過度な負担がかかり、オーバーヒート状態に陥ります。これを「モンキーマインド」と呼び、ストレスホルモン「コルチゾール」が分泌されることで、自律神経の乱れや脳細胞の萎縮、神経過敏など、心の健康を損なうリスクが高まるのです。

そもそも、脳は一度に一つのことしか処理できません。だからこそ、「シングルタスク脳」を意識して生活することが、心の安定と生産性の向上につながるのです。

「今、目の前のことに集中する」――それが、最も健やかな脳の使い方です。

シングルタスク脳になるためには、明らかなマルチタスクを避け、目の前の作業と頭の思考を一致させることが大切です。そして、脳をシンプルに保つためには「マインドフルネス瞑想」が効果的です。

理想はお寺での禅修行ですが、日常生活の中でも実践できます。たとえば、食事の際には、食べ物をしっかり見てから口に運び、美味しさを感じながら噛み、胃に届ける「食事瞑想」。歩くときには、目線を意識し、足の裏で地面を感じながら歩く「歩行瞑想」。そのほかにも、「トイレ瞑想」「お風呂瞑想」「勉強瞑想」「ラジオ体操瞑想」「皿洗い瞑想」など、日常のあらゆる場面で、今この瞬間に意識を向けることができます。

脳は「好きだから没頭する」のではなく、「没頭するから好きになる」性質を持っています。

だからこそ、今この瞬間に心を込めて向き合うことが、人生を豊かにする第一歩なのです。

【百間滝】「やる気」スイッチON

愛知県新城市、大島川の上流に位置する百間滝(ひゃっけんだき)は、「運気が上昇するゼロ磁場」として知られています。中央構造線上にあり、滝つぼにはっきりとした断層が見られることから、地球のエネルギーが集まる特別な場所とされています。

滝の波動によって生じる「1/fノイズ」は、「ピンクノイズ」とも呼ばれ、同じ周波数を持つ光はピンク色に見えることがあるそうです。さらに、土の香り「ゲオスミン」と木の香り「フィトンチッド」によって、「マイナスイオン」が発生し、心身を癒してくれるといわれています。

百間滝を訪れると、自然の力に包まれて心が軽くなり、ネガティブなエネルギーが浄化されて、前向きな気持ちが湧いてくる――そんな話を聞いて、私も足を運んでみました。

すぐに「やる気」がみなぎったわけではありませんが、訪れることで「やる気を引き出す方法」や「考え方のヒント」を得ることができました。

日本電産の創業者・永守重信氏はこう語っています。

「人間の能力の差は通常二倍程度。しかし、やる気の差は十倍にもなる」

たとえば筋トレにおいても、①意識性(自覚・意欲)、②全面性・多角性、③漸進性、④個別性、⑤継続性・反復性という五大原則がありますが、最も重要なのは①意識性です。つまり、「やる気」がすべての原動力なのです。

やる気スイッチの入れ方には、マインドフルネス、自己効力感、テストステロン、目標設定、アファメーションなど、さまざまな方法があります。しかしまずは、「なぜやる気が出ないのか」という原因を知り、それに合った対処法を見つけることが大切です。

オーストリアの心理学者アドラーはこう言いました。

「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ」

誰でも、朝起きたときにネガティブな感情が浮かぶことがあります。そんな時こそ、心をポジティブに保つために、よき言葉やよき教えに触れることが、最も簡単で効果的な方法です。

また、子どもの「やる気」を引き出すには、自己暗示が重要だとされています。親や教師が子どもにプラスの言葉をかけることで、それが自己暗示に変わり、やる気につながっていくのです。つまり、「しっかり褒めること」が何よりも大切なのです。

そして、仕事を好きになる唯一の方法は、「楽しくなるまで一生懸命にやること」です。遊びはやればやるほど飽きてきますが、仕事はやればやるほど楽しくなる――これは、人生の真理かもしれません。

最後に、アメリカの作家マーク・トウェインの言葉をご紹介します。

「自分にやる気を出させる最善の方法は、誰か他の人にやる気を与えることだ」

百間滝を訪れて、自然の力に触れたことで、やる気を引き出すヒントを得ることができました。とりあえず、私が実践しているのは「早寝・早起き・朝ごはん」。これこそが、「やる気・元気・根気・本気」の源だと思います。

【鞍馬寺】「未来」と「自分」と「行動」は変えられる。

京都北部に佇む鞍馬寺は、源義経が幼少期に「牛若丸」と呼ばれていた頃、鞍馬天狗と修行を重ねた場所として広く知られています。本殿金堂の前にある「金剛床」には六芒星が描かれており、そこに立って両手を広げ、空を仰いで祈ると、宇宙のエネルギーと一体化し、願いが叶うと伝えられています。

御本尊は、千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊の三尊が一体となった秘仏であり、六十年に一度、丙寅の年にのみ開扉されます。そこには「月のように美しく、太陽のように温かく、大地のように力強く」という教えが記されています。

私が初めて鞍馬寺を訪れたのは、仕事で管理職に就き、部下の指導に悩んでいた時でした。金剛床に立ち、目を閉じた瞬間、カナダの精神科医エリック・バーン博士の言葉が、雷鳴のように頭に響きました。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。」

その言葉に、私は深く頷きました。過去も他人も、そして人の感情も、簡単には変えられません。特に大人を変えることは、私の力では到底できないと悟ったのです。では、どうすればよいのか——それは、自分の未来と行動は、自分の意志で変えられるということです。

私は決意しました。「月のように美しく、太陽のように温かく、大地のように力強い」リーダーになろうと。

光に向かって

たとえ空を覆う雲が厚くとも、太陽は常に大空に在ります。
風が雲を払いのければ、黄金の光が燦然と輝きます。

人の心に吹きすさぶ八風も、苦悩の雲を吹き払う風となり、
真実を見つめる智慧の光を迎えることができるのです。

その光が輝くとき、私たちは宇宙生命(尊天)に生かされている万象の姿を見出します。
あなたも私も、花も鳥も、すべてが共に生かされているこの世界。

万象が織りなす命の姿、宇宙に懸かる金色の命の網、
遠い昔から受け継がれてきた命の絆——私もその一つ。

互いに手を取り、響き合う命。
あなたも私も、樹も水も、すべてが厳然と生かされている。

慈愛の温もりに抱かれ、智慧の光に照らされ、
豊かな活力に満たされて、
今ここに生かされていることの嬉しさと有り難さを感じながら、
この歓びと感謝の輪を広げていきましょう。

あなたも私も、あの人もこの人も、互いに光り合い、照らし合う。
明るい未来を信じ、願いながら、
一日一日を宝石のように大切に生きていきましょう。

【京都・愛宕神社】心に火をつける。

京都市の最高峰、標高924メートルの霊山・愛宕山。その山頂に鎮座する愛宕神社(旧・白雲寺)は、京都市右京区にあり、東京都港区、福岡市の愛宕神社と並び「日本三大愛宕」の一つに数えられています。全国に900社以上ある愛宕神社の総本宮であり、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札は、火伏せや縁結びに霊験あらたかとされています。

かつては「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、愛宕まいりは月まいり」と言われるほど、修験道の聖地として栄えました。今でも「三歳までにお参りすれば、一生火難に遭わない」と伝えられ、子どもを連れた参拝者の姿が絶えません。

愛宕神社への道のりは険しく、表参道から約4キロ、登りに2時間半ほどかかる登山が必要です。私はある年の秋、日頃からのウォーキングや筋トレで体を整え、ついに初めての参拝に挑みました。登りは休まず歩き、1時間半で山頂に到着。しかし、下山途中で膝に痛みが走り、下りには2時間半もかかってしまいました。まさに「行きはよいよい、帰りはこわい」を実感する旅となりました。

人類は火を使うことで文明を築いてきました。火は小さなうちは人の手で制御できますが、ひとたび暴れ出せば、すべてを焼き尽くし、命さえも奪います。かつて「地震・雷・火事・親父」と言われたように、火は恐れられる存在でした。近年では地球温暖化の影響で、世界各地で山火事が頻発しています。

しかし、火は恐ろしいだけの存在ではありません。人の心に灯る「やる気」という火は、むしろ燃やし続けなければなりません。

人は「自分は大切な存在だ」「自分は誰かの役に立っている」と実感できたとき、内なる火が燃え上がり、驚くほどの力を発揮します。そのやる気を育てるには、次の三つが大切だと言われています。

  1. 話をよく聞くこと
  2. 信じて任せること
  3. 努力や成果をきちんと伝えること

人は、期待されると、それに応えようと努力するものです。

アメリカの牧師で教育哲学者のウィリアム・アーサー・ウォードは、こんな言葉を残しています。

平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし、最高の教師は子どもの心に火をつける。

また、教育者・石田勝紀氏は、子どものやる気に「着火」する方法として、次の二つを挙げています。

  • 好奇心の歯車を動かしてくれる存在に出会わせること
  • 子どもを取り巻く環境を見直し、雰囲気を変えること

子育てや教育の現場において、私たち大人が果たすべき役割は、まさに「心に火を灯す存在」であることではないでしょうか。

火を恐れるだけでなく、火の力を正しく使い、心の火を育てる。
愛宕の教えは、現代を生きる私たちに、そんな大切な気づきを与えてくれます。

【星田妙見宮】すべて忘れてしまって残ったもの

大阪府交野市にある星田妙見宮——正式には小松神社といいます。ここは、日本に残る文献の中で、二番目に古い隕石の落下地点として知られています。

西暦816年7月23日、弘法大師が交野の地を訪れ、秘法を唱えた際、七曜の星——北斗七星が天から降り、ご神体となったと伝えられています。北斗七星は、古来より方角を示す星として知られ、道を開く象徴でもあります。ゆえに、小松神社の神様は「道開きの神」として崇敬されています。

隕石の衝突は、星田妙見宮がある山の地形を大きく変えました。妙見山は馬蹄型をしており、その形状は、かつての衝撃のすさまじさを物語っています。

星が落ちたとされる「登龍の滝」に立つと、自然の力の前に人間の営みがいかに儚いかを思い知らされます。そして、こう問いかけたくなるのです。

「すべてが破壊されたとき、なお残るものは何か?」
「物事の芯にあるものとは?」
「本当に大切にすべき“核心”とは何か?」

アメリカの思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、こう語っています。

「すべて忘れてしまって、なお残るものが教育である。」

私たちは、義務教育で9年間、さらに高校や大学を含めると十数年もの間、学び続けます。しかし、すべてを記憶しているわけではなく、復習しなければ忘れてしまうことも多いものです。それでも、忘れてしまった後に残るもの——それこそが、本物の教養なのです。

教師や親は、そうした“残るもの”を教える責任があるのではないでしょうか。

同じような言葉を、ドイツの理論物理学者アルベルト・アインシュタインも残しています。

「学校で学んだことをすべて忘れてしまったときに、なお残っているもの——それが教育だ。」

また、日本の小説家・太宰治は、小説『正義と微笑』の中でこう記しています。

「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。」

教育とは、単に知識を詰め込むことではありません。子どもを育てるということは、ただ学校に通わせるだけではなく、心に残る“砂金”を授けることなのです。

東洋思想家であり、「昭和の宰相の知恵袋」とも称された安岡正篤は、こう述べています。

「新しい時代を創造するような人物は、知識の学問や技術の学問からは生まれない。」

本質を見抜く力、道を切り開く勇気、そして心に残る教養——それらは、星が落ちた地で私たちに問いかけてくる、教育の真の意味なのかもしれません。

【神戸港】遠くで汽笛を聞きながら・・・

長崎港、清水港と並び「日本三大美港」と称される神戸港。
その美しい景観を前に、大学卒業を間近に控えた私と親友のS君は、潮風に吹かれながら語り合っていました。
「これから就職して教師になるけれど、どんな教育者になりたい?」——ーそんな問いかけを受けたのです。

正直なところ、私は明確な答えを持っていませんでした。
「勤めた場所で、なんとかやっていければいいさ」——ーそんな漠然とした思いしかなかったのです。

しかし、大阪出身のS君は違いました。
「この神戸で過ごした4年間、正直、いいことなんてなかった。騙されたことも、裏切られたこともあった。でも、大阪に帰って教師になったら、自分に正直に生きていくつもりだ。」
その言葉は、まるで谷村新司さんが作詞した『遠くで汽笛を聞きながら』のようでした。

そして彼は、自分なりの教育論を熱く語り始めました。

  • 「教育者の原点は『大きな耳・小さな口・優しい目』だ」
  • 「教育者はフェミニストではなく、『ヴァナキュラー的なジェンダー』であるべきだ」
  • 「教育はゲームだ」
  • 「俺たちは“働く”んじゃない、“傍楽(はたらく)”んだ」

その時は、「そんな考え方もあるんだな」と思って聞いていましたが、今振り返ると、彼の言葉には深い洞察と先見の明があったと、日々感心しています。

しかし、あまりにも早く、彼はこの世を去りました。
教師になって3年目の夏、教員ラグビー大会に出場した後、急性の脳梗塞で亡くなったのです。
筋肉をつけるために大量のプロテインを摂取していたこと、運動後の水分補給が不足していたことが原因でした。

それ以来、私は「S君が生きていたら、今の教育をどう語るだろう」と思いながら、教育の現場に立ち続けています。
彼の言葉は、私の教育観に大きな影響を与えました。
そして、真の教育者としての在り方を示すために、私は「遊ぶように傍楽」——ープロの教育者としての十の心得を掲げています。

【ハチ高原スキー場】スキーの教育効果

1990年頃、日本のスキー人口は約1,800万人に達していました。しかし、2020年には記録的な雪不足やコロナ禍の影響もあり、その数は約4分の1にまで減少しました。それでも、全国12の都府県にはスキー・スノーボード場が存在しないにもかかわらず、根強い愛好者たちがいます。私もその一人です。

兵庫県北部にあるハチ高原スキー場をはじめ、スキー場は私にとって“元気の出るパワースポット”です。

これまで勤めてきた多くの中学校で、私は野外活動の一環としてスキー実習を計画してきました。生徒たちは、たった3日間で驚くほど上達します。実習を終えたとき、ほとんどの生徒が「スキー、楽しかった!」と満足そうに言ってくれます。

そんな時、いつもお世話になっているハチ高原の民宿「青い鳥」のご主人が、生徒たちにこう問いかけます。

「なぜ、楽しかったのか、わかりますか?」

生徒たちはきょとんとしますが、ご主人はこう答えます。

「インストラクターの指導に素直に従い、スキーがうまくなったからです。技術が伸びているとき、人は『楽しい』と感じるものです。これはスポーツだけでなく、勉強も同じです。伸びているとき、人は楽しいと感じる。だから、学校に戻ったら、先生の話を素直に聞いて、勉強にも部活動にも一生懸命取り組んでください。」

この言葉は、生徒たちの心に深く響きます。実習後、生徒たちは先生の話を素直に聞くようになり、勉強にも部活動にも真剣に取り組むようになります。まさに、教育的効果は絶大です。

スキー実習の成功には、天候やインストラクターの質が大きく影響します。私は必ず、春スキー日和となる2月15日以降に実施するようにしています。吹雪や交通渋滞の心配も少なく、雪不足のリスクも減ります。

また、国際理解教育の一環として、ニュージーランド出身の陽気なインストラクターを招いています。英語学習を兼ねたスキー実習ができるだけでなく、夜の宿舎では「ハカ」を披露してもらえることもあり、生徒たちにとって貴重な体験となります。

スキー実習の実施には賛否両論ありますが、私は費用をかけるだけの教育的価値が十二分にあると確信しています。たった3日間で「うまくなった!」と実感できるスポーツは、スキー以外にそう多くはありません。

さらに、スキーは意外にも安全なスポーツです。私は学生時代、スキー場のパトロール隊に所属していました。隊の制服は赤地に白の十字——スイス国旗と同じデザインです。隊長からは、「赤十字のマークなら攻撃されないが、パトロール隊は熊や野犬に襲われることもあるから注意するように」と言われたこともあります。

それでも、スキーで骨折するような事故は滅多に起こりません。ただし、初心者にはスノーボードはおすすめしません。スキーの方が安全で、上達も早いからです。


スキーは、自然とふれあいながら、心と体を育てる素晴らしい教育の場です。雪の中で得られる「楽しい」という感覚は、生徒たちの学びへの意欲を引き出し、人生の大切な一歩を踏み出す力になります。

【華厳寺(鈴虫寺)】努力は報われる

京都市西京区に、通称「鈴虫寺」と呼ばれるお寺があります。
一年を通して鈴虫の音色が響き、お茶菓子をいただきながら、住職の説法を聞くことができる、心安らぐ場所です。

先日訪れた際、住職が語られたテーマは「即今只今(そっこんただいま)」でした。

「即今只今」とは、過去を悔やみ、未来を不安に思うよりも、今この瞬間に、自分が何をすべきか、何が大切かを見つめることが最も重要であるという教えです。

ちょうどその頃、私は「努力か才能か」で悩み、進むべき道を決めかねていました。
しかし、この言葉に触れ、「努力は報われる」と信じて進もうと心に決めました。

剣豪・宮本武蔵は『五輪書』の中でこう記しています。

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。」

三年続ければ習慣となり、三十年続ければ本物になる——この言葉から「鍛錬」という言葉が生まれたといいます。

また、「夢は100回唱えると叶う」とも言われます。
人の成長は、努力に比例して直線的に伸びるものではなく、ある時点で急激に加速する「成長曲線」を描きます。
そのブレイクスルーの目安が「100回」あるいは「100日×100回」なのです。

絵を描くなら「100回描け」、事件を追う刑事なら「100回現場に行け」と言われるように、繰り返しの中にこそ、力が宿るのです。

少年院で「命の授業」を行っているゴルゴ松本さんは、こんな話をされています。

「夢を持ち、夢に向かって頑張ろう。
でも、思うようにいかないと、弱音や愚痴を『吐』く。
それは口に出してもいい。
ただ、そのマイナスを少しずつ取り除いていけば、夢は『叶』う。
そして、今度は、良い言葉を口に出して『叫』ぶと、夢は叶う。」

言葉には力があります。
ナチス・ドイツの宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスが「嘘を100回繰り返せば真実になる」と言ったとされますが、これは「嘘をついていい」という意味ではありません。
今は信じてもらえないようなことでも、信念を持って100回言い続ければ、いつか現実になる——そういう意味で捉えるべきでしょう。

良いことを続けるには、何度も口に出し、周囲に宣言することが大切です。

「継続は力なり」と言われます。
毎日、昨日より1%だけ頑張るという考え方を1年間続けると、「1.01の365乗」で約37.78倍になります。
逆に、毎日1%ずつサボると、「0.99の365乗」で約0.0255——ほぼゼロになってしまいます。
1日の1%は、わずか15分です。

なお、鈴虫寺には、わらじを履いた「幸福地蔵」様がいらっしゃいます。
どんな願い事でも一つだけ叶えに来てくださるとされており、私は「継続する力をください」とお願いしました。

今この瞬間に、心を込めて生きる。
それが「即今只今」の教えであり、努力を続ける者への仏の導きなのかもしれません。

【車折神社】功を以て人に勝つこと勿れ。

京都市右京区・嵐山にある車折神社は、多くの著名人が訪れることで知られ、願いが叶う“パワースポット”として人気を集めています。
悪運浄化・厄除けに絶大なご利益がある「清めの社」、願いを込めて持ち帰る「祈念神石」なども有名です。

境内には、出会いや金運に恵まれる「辰巳稲荷神社」、金運上昇の「大国主神社」、人脈拡大の「八百万神社」、龍神の神力で開運する「水神社」、才色兼備の「清少納言社」、豊かさと美を授ける「弁天神社」、そして芸能・芸術・技芸上達のご利益がある「芸能神社」など、数多くの末社が並びます。

境内を歩いていると、芸能人の名前が刻まれた玉垣がずらりと並び、成功者たちの願いが静かに語りかけてくるようです。
その時、ふと中国戦国時代の思想家・荘子の言葉が心に響いてきました。

功を以て人に勝つこと勿れ。
謀を以て人に勝つこと勿れ。
戦を以て人に勝つこと勿れ。

ちょうどその頃、私は中学生のバレーボール指導者として、勝利に強くこだわっていました。
県大会を制し、近畿代表として全国大会に出場。県選抜チームの監督も務め、まさに「勝つこと」に執着していたのです。

そんな私に転機が訪れたのは、1995年1月17日——阪神・淡路大震災でした。
当然、バレーボールどころではありません。しかし、こんな時こそ元気を出そうと、1月29日、避難所となっていた育英高校の体育館で、住民対抗のバレーボール大会が開催されたのです。

その時、私は気づきました。
バレーボールを通して、勝つことばかり教えていてはいけない。

同年、バレーボール発祥の地・アメリカのマサチューセッツ州ホーリヨーク市で、生誕100年祭が開催され、私は参加する機会を得ました。
バレーボールの考案者・モルガンは、バスケットボールの反省から、老若男女が楽しめるスポーツとしてバレーボール(当時は「ミントネット」と呼ばれていた)を生み出しました。
彼は、勝利を目的としてこの競技を作ったのではなかったのです。

人生も、勝つことばかりを追い求めてはいけない。
勝者がいれば、必ず敗者が生まれます。敗者は、勝者を憎み、恨み、いつかは倒そうとするかもしれません。争いは終わりません。

だからこそ、互いに“win-win”の関係を築くことが大切なのです。
心理学者アドラーが説いた「共同体感覚」——それを育む指導こそが、真の教育者の姿だと、私は思うようになりました。

勝利の先にあるもの。
それは、共に生き、共に育ち、共に喜びを分かち合う心です。
車折神社での気づきは、私の教育観を根底から変えてくれました。

【高野山・金剛峯寺】遊ぶように傍楽(はたらく)

和歌山県伊都郡高野町に位置する高野山は、約1200年前、弘法大師・空海によって開かれた真言密教の聖地です。
山内には117もの寺院が点在し、神秘的な景観と異次元のようなパワーに圧倒される場所です。

中でも壇上伽藍、金剛峯寺、そして今も空海が瞑想を続けているとされる奥之院は、訪れる人々に強いエネルギーを感じさせます。

真言宗の総本山である金剛峯寺には、日本最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」があります。
雌龍と雄龍が雲海の中で向き合う姿が石で表現されており、その静寂の中に、深い対話があるように感じられます。

ぼんやりと庭を眺めていたとき、ふと心の中に声が響きました。

「仕事を“頑張っている”なんて言ってちゃダメ。仕事のプロであれ。」

当時、私は中間管理職として「忙しい、忙しい」と口にしながら、仕事に打ち込む自分を誇っていました。
しかし、よく考えてみると、プロであれば“頑張る”のは当然のこと。
「頑張っている」と言ってしまうのは、仕事しか見えていない証なのかもしれません。

本物の仕事をするには、人としての深みや魅力が必要です。
そのためには、仕事以外にも語れる柱を生活の中に持つことが大切だと感じました。

書家・相田みつを氏は、こう語っています。

「プロというのは、寝ても覚めても仕事のことを考えている。
生活すべてが仕事。そこがアマチュアとの絶対差だ。」

また、仏教の教え「仏説遺教経」には、こう記されています。

「一切の苦の因は我より生ると知るとき、世界の意味が変わる。
世界は元のままでも、考え方の転換によって、我を強く深く生かし直す力となる。」

自分中心に物事を考えすぎると、苦しみの原因を自ら作り出してしまいます。
その苦しみから逃れるには、「無我」の境地を目指すしかありません。
自分のためだけに働く人は、常に不平不満を抱えてしまうのです。

現代は、何でも機械化・デジタル化が進んでいます。
しかし、「清濁併せ呑む」という柔軟な思考を持つ日本人は、むしろアナログ的な感性を大切にしています。
仕事か家庭か、仕事か趣味か、オンかオフか——そんな二者択一の“デジタル思考”では、かえってストレスが溜まってしまいます。

実際の生活は、オンとオフが混ざり合った“混沌”の中にあります。
その混沌を楽しむことこそが、心のゆとりにつながるのです。

仕事とプライベートを厳密に分けたがる人の根底には、「仕事は苦しいもの、嫌なもの」という思い込みがあるように感じます。
そうした人は、オンの時間が長くなり、オフがしっかり取れないことで、ストレスを抱え込んでしまうのです。

だからこそ、「ゆとりある公私混同」を意識し、
“遊ぶように傍楽(はたらく)”ーーー傍を楽にするプロでありたいと思います。

【太宰府天満宮】呉下の阿蒙に非ず

福岡県太宰府市にある太宰府天満宮は、「学問の神様」として知られる菅原道真公を祭神として祀る神社です。

道真公は、藤原時平の策略によって京の都から遠く離れた大宰府へ左遷され、失意のうちにこの地で亡くなりました。その後、京都には道真公の怨霊を鎮めるために北野天満宮が建立されましたが、太宰府天満宮は、道真公の学問への情熱と誠実さを讃える場所として、今も多くの人々の信仰を集めています。

さて、「勉強」という言葉は、「強(し)いて勉(つと)める」と書くように、もともとは「無理をして努力すること」「困難なことをあえて行うこと」を意味していました。明治時代以降に広まった言葉であり、嫌われがちな響きがあるのも無理はありません。

一方、「学ぶ」という言葉には、「真を習う」「慎み深くある(modesty)」という意味が込められています。さらに「学習」とは、「真似して慣れること」であり、これは人間だけでなく動物にも使える言葉だといいます。

学業成績は、決してIQ(知能指数)だけで決まるものではありません。
それは、次のような掛け算で表されます。

学業成績 = 学習意欲 × 質 × 量

「質」は学習の効率や方法、「量」は学習時間です。そして、最も重要なのは「量」——つまり、どれだけ時間をかけて取り組んだかです。

一日は限られた24時間。だからこそ、効率的な学習法を見つけることが大切です。自分に合った勉強法を見つけることは、今後の人生に大きな影響を与えるでしょう。

しかし、質の高い勉強法を身につけるには、まず「量」をこなす経験が必要です。空手家・南郷継正氏は「量質転化」という言葉を残しています。

「質的な変化を起こすには、量的な蓄積が必要だ。」

三国志に登場する将軍・呂蒙は、少年時代に貧しさゆえに学ぶ機会がありませんでした。武芸には秀でていたものの、教養がないと見なされ、周囲から軽んじられていました。
しかし、ある日彼は一念発起し、猛勉強を始めます。そして、ついには戦略や戦術を語り合えるほどの知識を身につけ、先輩将軍を驚かせました。

その時、先輩がもらした言葉が、

「呉下の阿蒙に非ず」
——「昔の呉の阿呆の蒙君ではない」

人は、学びによって変わることができるのです。

勉強に向かう心構えには、次の三つの段階があると言われています。

  • Must(義務感)
  • Can(得意)
  • Will(やりたい)

最初は「やらなければならない」から始まっても、やがて「できる」に変わり、最終的には「やりたい」と思えるようになる。
この成長のプロセスこそが、学びの本質なのではないでしょうか。

太宰府天満宮に手を合わせながら、私は「学び続けることの尊さ」を改めて胸に刻みました。
努力は、必ず人を変える力を持っています。
そしてその力は、誰の中にも眠っているのです。