ルールを守る人は幸せになれない !?
携帯を授業に持って行ったら「処分」?
皆さん、おはようございます。
近隣の学校で、教師による盗撮事件がありました。教室で更衣をしている女子児童の様子を、携帯カメラで撮影したというものでした。
そのニュースが出た途端、全市で「教師が校内で携帯電話を保持することを禁止する」という通達がなされました。
それから暫くして、その市にある特別支援学校の水泳の授業を見学に行ったら、若い先生が危険な補助をしながら、水泳指導を行っていました。こそっとその様子を携帯カメラで撮影し、あとで、その先生に見せて指導しようとしたら、「携帯を授業見学に持っていた」ということで、教育委員会に呼ばれ、携帯を提出させられ、処分を受けました。
「教師が携帯電話を授業に持っていってはいけない」というルールは、いかがなものでしょうか?
特別支援学校では、緊急時に携帯電話を使うことが幾度かあります。特に校外で授業をする時には、携帯電話は必要だと思います。また、小学校や特別支援学校では、教師は一日中、空き時間は殆どなく、児童生徒と共に生活していており、家族からの緊急連絡に携帯電話が必要な時もあるでしょう。また、授業中にもちょっと調べ事をしたい時も、携帯を持っていると大変便利です。
盗撮を目的とした携帯利用が言語道断でしょうが、盗撮があったからと言って、一律に携帯所持を禁止するというルールを作ることに、疑問を感じるのは私だけでしょうか?
ブラック校則
今も、学校現場には、時代の変化や合理的な理由に合わない、いわゆる「ブラック校則」や「形骸化したルール」が数多く存在します。
一例をあげてみましょう。
▼髪型の強制
:パーマ(ストレートパーマも勿論)禁止、ツーブロック禁止、耳にかかってはいけないなど長さの指定、生まれつきの茶髪の者には「地毛証明書」の提出を要求、ポニーテール禁止、丸刈りの強要
▼下着の色の指定
:下着は白のみに限定、黒タイツ禁止
▼持ち物
:携帯電話や高価な腕時計の校内持ち込み禁止
▼アピアランス
:日焼け止めクリームやリップクリームの使用禁止、眉毛;修眉禁止
▼防寒着の制限
:指定のコート以外は禁止、マフラーや手袋の着用時期は日付で固定
▼靴下の長さ・色
:くるぶしが隠れる白ソックスのみ、折り返しの回数指定。
▼置き勉の禁止
:教科書をすべて持ち帰る。
▼シャープペンシルの禁止
:筆圧の育成などを理由に、鉛筆のみ使用可。
▼水分補給の制限
:スポーツドリンク禁止で、水・麦茶のみ。または、授業中の飲水は禁止。
▼あだ名の禁止
:いじめ防止の名目で、一律「さん」付けを義務付け
▼部活動の強制加入
:全員がいずれかの部活に入らなければならない。
▼交友関係
:他校生交友の禁止、男女交際の制限、SNSの利用時間や内容を管理、連絡先交換の禁止
▼連帯責任
:一人の遅刻や忘れ物で、クラス全員が居残りや反省文
▼理不尽な精神論
:真夏の体育祭練習でのハチマキ着用義務や日傘・日焼け止めの禁止
これまでにも、学校のきまり=校則について、様々な議論が飛び交ってきました。
「ブラック校則」という言葉も、何も今頃になって出てきた言葉ではなく、もう50年以上も前に、はやしたけしという高校生が「ふざけるな!校則―負けるな!全国の中学・高校生へ! 〈パート1〉〈パート2〉〈パート3〉」という本で紹介しています。
2025年、ブラック校則を防ぐため、生徒や保護者の意見を聞く仕組みを法律で求めるべきという法案が国会に提出され、現在、髪型・服装・下着・防寒・水分補給など、生徒の身体や個性に関わる校則が特に問題視されており、全国的に見直しが進んでいます。
スポーツのルール
さて、スポーツにもルールがありますが、なぜ、ルールはあるのでしょうか? もし、ルールを守らなかったらどうなるでしょう?
サッカーでボールを手で運んだらラグビーになってしまったということもあります。
スポーツのルールは、ゲームをする側と見る側の「快」の追求にあります。すなわち、ゲームをする者にも、ゲームを見る者にも、無用なトラブルをなくし、ゲームをよりよく楽しむために設定されてきたものです。
どんなスポーツにおいても、ルールは、毎年、より楽しめるように改変されています。
体育の学力:「スポーツを変える力」
学習指導要領が目指す体育の目的は、心と体を一体として捉え、生涯にわたって心身の健康を保持増進し、豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力を育成することとされています。「生涯体育・スポーツ」に向けて、体育の学力をつけることが示されています。
体育の学力を論じるときには、「スポーツの継承のための学力」と「スポーツの変革・創造のための学力」の2つの立場があります。そして、スポーツ変革・創造の学力は、①スポーツの技能習熟,②スポーツの技術的認識,③スポーツの文化的認識,の3つで構成されると考えられています。
すなわち、体育の学力は、「スポーツをする力(スポーツ実践の学力)」,「スポーツを見る力(スポーツ批評の学力)」,「スポーツを変える力(スポーツ改革の学力)」,の3つの視点から捉えられます。
義務教育段階で全ての子どもたちに保障しなければならないのは、これらのうち、「スポーツをする力」でしょう。「わかる」ことを土台にし、技能の習熟がなされなければいけません。確かな技能の習熟(できる)と技術認識(わかる)は、スポーツ文化継承の基本的な土台です。しかしながら、これだけでは不十分で、技術が「わかる」「できる」に加えて、スポーツの文化的認識も欠かせません。なぜなら、教育は未来を作り変える仕事であり、子どもたちは現在の文化を発展させなければならないからである。
スポーツを変革し創造する主体者を育成するという使命感に応えようとするならば、スポーツがこれまで継承・発展されてきた過程を学び、自らがその担い手としての自覚と力量を形成する機会を子どもたちに提供しなければなりません。したがって、「スポーツを変える力」は、体育科が最も大切にしなければならないと考えられます。

「ルールを守る人は幸せになれない」
さて、「ルールを守る人は幸せになれない」と言ったのは、伝説の政治家、田中角栄です。
世の中は、ルールで回っているように見えて、実際は人で動いていると言います。ルールを破ってはいけません。しかし、「ただ超えろ」と述べています。
そして、いつも、「正しいことを言うやつは大体嫌われる。正しいことを言う奴は馬鹿だよ」と持論を展開しています。人間というのは、正しさよりも温かさで動くものです。人を動かすのは正義じゃなく「情」だからです。
ルールを守らせることだけがリーダーではありません。そのルールをよく吟味し、本当に必要なルールなのか、実態に応じて変えていくことが、リーダーである者の仕事ではないでしょうか。
【田中角栄】伝説の政治家が語る「常識」破りな格言
「ルールを守る人は幸せになれない」
ルールを守る人ってのはいい人だと言われる。でもなあ、俺はずっと思ってる。いい人で終わるやつは、幸せになれねえんだよ。
世の中ってのは、ルールで回ってるように見えて、実際は人で動いてる。どんな立派な法律より、どんな分厚いマニュアルより、現場の一声の方が強えことなんて腐るほどある。
俺は若い頃、建築現場で汗まみれになって働いていた。現場の親方が言ったんだ。「紙の上のルールでは仕事は進まねえ。人の顔見て、腹で決めろ」ってな。その言葉が俺の原点だ。
ルールは守るためじゃねえ。使うためにある。「そんなことしたら、怒られます」そう言って何もしねえやつが、一番社会を止めてるんだよ。正しさだけで動くやつは、いつか自分を縛る。世の中ってのは、ずるくて汚くて、でも、人情で回ってるんだ。ルールに縛られてるうちは、人の心なんて動かせねえ。
だから、俺は言う。「ルールを破るな。ただ超えろ」とな。俺はな、若い頃から、前例がないって言葉が大嫌いだった。あの言葉ほど人を止める呪文はねえ、何か新しいことをしようとすると、必ず誰かが言うんだよ。「そんなの聞いたことがない」とか、「ルールにない」とかだ。けどな、ルールってのは最初に動いたやつが作るもんだ。動かなきゃ、何も変わらねえ。決まり事ばかり気にしてるうちは、一生、人の下だ。
昔、俺が役所で働いていた頃、道路の工事を早く進めたくて書類の順番をすっ飛ばしたことがある。「それは、規則違反だ」って怒鳴られたさ。だがな、予定より1ヶ月早く道路が通って、地元の爺さんが泣いて喜んでいた。その時、はっきり思った。ルールなんて使い方次第で、正義にも悪にもなるんだ。人の暮らしが良くなるなら、決まりを壊してでもやる価値がある。それが俺のやり方だった。紙の上の正しさより、現場の汗の方が真実を語ってる。ルールを守って満足してる奴には、一生わからねえ世界があるんだよ。
「角栄、お前は危なっかしい」とよく言われた。でもな、安全な場所にいるやつが世の中を動かしたことなんて一度もねえ。ルールを守っていると安心はできるけれど、それ以上のもんは何も手に入らねえ。出世もねえ、信頼もねえ。ただ言われた通りにやった人で終わるんだ。
俺は若い頃、失敗ばかりしてきた。きまりを破って叱られて、それでも、また動いた。それでも、俺を許してくれる人がいた。なぜかって、責任を取る覚悟があったからだ。
ルールを破るってのはな、覚悟の証なんだよ。ただの反抗じゃねえ。俺が全部被るっていう決意だ。だからこそ、人はついてくる。角栄がそう言うならってな。人はな、正しいやより、信じられるやつに心を預けるんだ。
ルールを守るより、信頼を守れ。それが人を動かす唯一の道だ。ルールを信じ過ぎるやつってのは、大体人を疑っている。きまりがないと信用できねえって顔してな。そういうやつほど、実際は自分を信じてねえんだよ。俺はな、昔から人を信じた。裏切られたこともある。でも、信じることをやめたら何も生まれねえんだ。ルールは人を縛るためにあるんじゃねえ。信頼が足りねえから作られた補助林みたいなもんだ。信頼があれば、そんなもんいらねえんだよ。
昔、部下が書類を間違えて大きな損を出したことがある。普通なら首だ。でも、俺は責めなかった。「いいか、次は俺の分までやれ」って言った。そしたら、そいつはその後、命かけて働いたよ。
ルールで人は変わらねえ。信用でしか人は育たねえんだ。世の中は、紙より心で動く。信じるってのは、ルールを超える一番の勇気なんだよ。世の中にはな、正しいことを言うのが仕事だと思ってるやつが多い。でも、正しいことばっかり言っていたら、人は離れていくんだよ。
昔、正論ばかり吐く上司がいた。間違っちゃいねえけどな。誰もついていかなかった。なぜかって、人間は正しい言葉より、温かい言葉に動かされるからだ。正しさだけじゃ、人の心はつめねえ。たとえ理屈で勝っても、相手の気持ちを折ったら負けなんだよ。
ある時、部下が大失敗した。上からは「叱れ」と言われたが、俺は叱らなかった。「失敗を責める時間があるなら、どう立て直すか考えろ」って言った。そいつ、次の日、目の色変えて働いたよ。ルールと正論で人を押えつけるのは、ただの支配だ。人を動かしたけりゃ、心を立て直せ。それが本当の力ってやつだ。正しいやつは嫌われる。だが、温かいやつは信じられる。この違いが分かるかどうかで、人生はまるで変わるんだ。
俺はな、若い頃から空気を読めない正義が一番苦手だった。会議でみんなが頷いている時に、「それは間違ってます」なんて言うやつがいる。言っていることは正しい。でもな、
空気を凍らせて、何の得がある? 世の中には、言わなきゃならねえ時と黙る時がある。それが分からねえやつは、どんなに頭が良くても人の上には立てねえ。俺は現場でも政治でも、まず相手の気持ちを見てた。怒ってるか迷ってるか、困ってるか、人の心の状態が見えりゃ、言葉のタイミングも分かる。
ルールや正義を盾にして人を殴るやつは、結局、自分が気持ちよくなりたいだけだ。本当の正しさってのは、相手が前を向ける形で伝えることだ。
ある若い議員が俺に聞いた。「角栄さん、どうすれば人に信頼されますか?」てな。俺は言ったよ。「正論を言うな。相手を守れ」と。正義より情、理屈より信頼、それを理解できるやつだけが人の上に立つ資格があるんだ。ルールを守っているやつほど、自分の頭で考えなくなる。言われたからやる。きまりだからやる。それじゃ、機械と変わらねえんだよ。
俺はな、昔から考える力を何より大事にしてきた。頭の善し悪しじゃねえ。自分で判断して責任を取る覚悟のことだ。
ある若い人が俺にこう言った。「角栄さん、これマニュアルに載っていません。」
俺は笑っていったよ。「マニュアルにないから面白いんだろう」てな、ルールに書かれてない部分こそ、人間の出番なんだ。もし全部きまり通りに進むなら、政治家も職人も誰もいらねえ。ルールを守るのは楽だ。でも考えなくなる。考えなくなった瞬間、人間は止まる。止まった人間には未来はねえ。時代は常に動くやつの味方をするんだよ。だから、俺は言う。「考えろ。ルールの外で何が正しいかを。」それが生きるってことなんだ。ルールを破るってのはな、ただの反抗じゃねえ。責任を自分で引き受けるってことなんだ。責任を取る覚悟のねえやつは、きまりが、制度が、って言い訳を並べる。そういうやつは、いつまでたっても、自分の足で立てねえ。俺はな、政治でも仕事でも、「やり過ぎだ」って言われるくらいがちょうどいいと思ってた。誰も責任を取らねえ社会なんて、息が詰まるだろ。間違えてもいい、叩かれてもいい。でも、自分で決めて自分で引き受ける。その姿勢こそが人を引きつけるんだ。
人はな、完璧なやつに惚れるんじゃねえ。責任を背負って立つやつに惚れるんだよ。ルールを盾にして逃げるやつより、ルールを超えて人を守るやつの方がよっぽど人間らしい。俺はそういう人間を見てきたし、そうありてえと思って生きてきた。ルールに守られてるうちは力はつかねえ。守られる側にいるってことは、まだ信頼されてねえってことなんだよ。
俺が土方の親方だった頃、若い週にこう言った。「きまり通りやってるうちは、まだ半人前だ」ってな。最初はみんなピンとこねえ顔をしていた。でも、仕事ってのは、現場に出りゃ分かる。天気が変わる。地面が崩れる。人が転ぶ、その度にルールなんて意味を失う。結局最後に物を言うのは、その場で考える力と責任の重さだ。
ある時、機材が届かなくて現場が止まった。書類の手順通りなら何もできねえ。俺はトラックを借りて、自分で取りに行った。後で怒られたさ。でも、工事は間に合った。誰も困らなかった。それを見た親方が一言、「角栄、お前はもう守られる側じゃねえ」って言ったんだ。あの瞬間、俺は気づいた。ルールに守られるより、人に頼られる生き方を選べ、そっちの方がずっと価値がある。ルールってのは便利な逃げ道にもなる。やらなかった理由を作るためのな。俺は役所にいた頃、そういうやつを山ほど見てきた。ミスを恐れて何もしねえ。前に出る勇気もなくて、「規定では」とか「前例では」なんて言葉で自分を守る。でもな、それじゃ、国も会社も動かねえんだよ。動くやつは叩かれる。叩かれても立つやが、結局、上に行く。それが世の中の仕組みだ。
俺だって叩かれたさ。新聞に書かれ、噂され、裏で笑われたけどな、俺は逃げなかった。なぜか。それは、正しいことより必要なことをやっていたからだ。ルールを守って失敗を避けたやつより、ルールを超えて人を救ったやの方が何倍も価値がある。やらない正義より動く不器用の方がよっぽど美しい。世の中を変えるのは正しさじゃねえ。覚悟を持って泥を被るやつなんだよ。
真面目なやつほど幸せを遠ざける。これが俺が長い人生で学んだ現実だ。真面目に働いて、真面目に貯めて、真面目に生きて、それで報われるならこの国に貧乏人なんていねえよ。
真面目ってのはな、悪いことじゃねえ。だが、考えずに従うだけになった瞬間、それは鎖になる。「言われた通りにやっています。」そんな言葉で自分の人生を他人に預けるんじゃねえ。俺はいつも言ってた。真面目にやるな。誠実にやれってな。真面目ってのは形の話だ。誠実ってのは心の話だ。ルールを守る真面目な人間より、人を守る誠実な人間の方が何倍も信用される。でも、それをやろうとするやつが人間の上に立つ。真面目なだけじゃ誰の心も動かせねえ。心を使え。それがルールよりも強い人の道なんだ。
世の中の常識ってのはな、大体誰かの都合でできてる。それを疑わずに信じてるうちは一生誰かの下だ。例えば、「安定した仕事につけ」って言葉。あれを信じた結果、どうなった? 安定した給料、安定した生活、安定した退屈。夢も情熱も全部その安定に殺されてるんだよ。俺は昔から言ってきた。「人と同じ道を歩いて安心するな。人が怖がる道を選べ」ってな。人と違うことをやると必ず叩かれる。だけど、その道の先にしか自由はねえ。
ルールや常識は時代が変わればすぐ古くなる。だけど、信念は錆びねえ。叩かれても、笑われても、自分が正しいと思うことをやれ。俺が政治で学んだのはな、正しいことをやるより、時代に必要なことをやるやつが本物のリーダーだってことだ。常識は守るもんじゃねえ。超えて新しい当たり前を作るもんなんだよ。ルールや常識に縛られて生きると人は挑戦を忘れる。そして、挑戦を忘れた瞬間、心が老けるんだよ。
若い頃の俺は、怖いもの知らずだった。失敗も恥も全部、上等だと思ってきた。でもな、年を取ると人は臆病になる。守るもんが増える。立場もできる。だからこそ、そこで試されるんだ。
俺が総理になった時、誰もやらなかった政策をやった。反対も多かった。叩かれもした。でも、誰かが最初の一歩を踏み出さなきゃ何も変わらねえ。ルールは安心をくれる。だが挑戦は生きてる実感をくれる。俺は後者の方を選んだ。生きてるうちにどれだけ笑われてもいい。やりきったと思える人生の方が正しく生きた人生より、ずっと価値がある。
挑戦して転んだやつを笑うな。そいつはもうルールの外に出た勝者なんだよ。これを聞いてる若いやつらに俺は言いたい。ルールを守ることが悪いとは言わねえ。だが、名だけの人生で終わるな。ルールの外に出た瞬間から、本当の人生が始まるんだ。世の中は正しいやつより、動くやつを求めている。ミスを恐れるな。笑われてもいい。挑戦して転ぶことが何よりの勲章だ。
お前が心の中でおかしいと感じたことは、多分、本当におかしい。その感覚を大事にしろ。正しい人間になるより、人の痛みが分かる人間になれ。俺が一番大事にしてきたのは正論でも数字でもねえ。人の涙を止めることだった。そのためなら、どんなルールも超えてやる。だからこそ言う。ルールは壊してもいい。ただし、心だけは壊すな。時代が変わろうが、人の心は変わらねえ。情の通じるやつが最後には笑う。 お前らも自分の信じた道を行け。正しさより温かさを持て。そして、ルールの外で人を幸せにできるやつになれ。
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まとめ
伝説の政治家、田中角栄は、「ルールを守る人は幸せになれない」と言っています。
世の中は、ルールで回っているように見えて、実際は人で動いていると言います。ルールを破ってはいけません。しかし、「ただ超えろ」と述べています。
そして、いつも、「正しいことを言うやつは大体嫌われる。正しいことを言う奴は馬鹿だよ」と持論を展開しています。人間というのは、正しさよりも温かさで動くものです。人を動かすのは正義じゃなく「情」だからです。
今も、学校現場には、時代の変化や合理的な理由に合わない、いわゆる「ブラック校則」や「形骸化したルール」が数多く存在します。現在、髪型・服装・下着・防寒・水分補給など、生徒の身体や個性に関わる校則が特に問題視されており、全国的に見直しが進んでいます。
スポーツにもルールがありますが、「快」の追求のため、毎年、ルールは改変されています。今、児童生徒たちには、生涯体育・スポーツの観点から、「スポーツを変える力」が重視されています。
ルールを守らせることだけがリーダーではありません。そのルールをよく吟味し、本当に必要なルールなのか、実態に応じて変えていくことが、リーダーである者の仕事でしょう。
