人生はドラマ。ドラマの「主人公」は私です!
皆さん、おはようございます。
「自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分を創っていく責任者」
「自分の人生の中では、誰もがみな、主人公だ」
ドラマの授業(in ニュージーランド)
ニュージーランドの小学校は5歳になった日に入学します。バラバラに入学するので、入学式というものはありません。したがって、小学1年生をほぼ1年間やる生徒と、1日しかしない生徒もいるわけです。
小学校(Primary School)は6年間、最初の2年間(生徒によっては1年間と少し)は年少級とよばれる準備期間とされ、3年生から学年が編成・組織されています。
中等教育は7年間で、最初の2年間(Year7-8)は、Intermediate Schoolと呼ばれる中間学校で行われることが多く、後半5年間(Year9-13)は、High Schoolと呼ばれる5年生中等学校で行われています。
Primary School2年生(Year2)からHigh School4年生(Year12)までの11年間が義務教育です。大学進学率は30%程度で、教育レベルが低いのかと思いきや、その反対で、High Schoolを卒業した段階で、日本の大学卒業と同じくらいの学力を身につけているので、大学に行く必要がないのです。
初等学校の6年目までは、English(英語),Math(数学),Science(科学),Social-studies(社会),Technics(技術),PE(保健体育),Atrs(芸術)が教えられています。そして、中等学校以上では、文化的な授業がさらに重要視されるようになり、Atrsは、Drama(演劇),Dance(ダンス),Music(音楽),The Visual Arts(美術)へと発展します。その殆どが必修です。
中でも、一番驚いたのが、日本の学校にはない、Drama(演劇)の授業です。自分たちで脚本を作り、演じ、撮影・編集までするのです。

人生は、筋書きのないドラマです。しかも、撮り直しができないドラマです。このドラマをどう演じるかで、人生が変わってくるでしょう。ニュージーランドでは、それを学生時代に、授業としてシミレーションさせているのです。
あるベテラン脚本家が、ドラマの主人公には共通する2つの条件があると述べています。
一つは、「ドラマは揉め事から成り立っているので、トラブルを解決する能力のない者は主人公にはなれない」ということです。人間関係や仕事でも、うまくいっている間は、能力や人間性はあまり関係ありません。しかし、トラブルが起きたり、失敗したりした時に、どう対応し解決していくかで、その人の本性が試されるわけです。逃げずに、問題解決に取り組まなければなりません。
もう一つの条件は、「ドラマの主人公は個性を生かしているからこそ魅力的であって、独自の人生観を持っていないとドラマの主人公にはなれない」ということです。
実社会は差別化の時代です。自分しかできない能力や自分が生まれてきた役割を見極め、それを磨いていかなければ生きていけません。
ドラマ『水戸黄門』
江戸時代、日本を統治していたのは徳川家の将軍は家康の直系から選ばれていました。そして、それに次ぐ地位が、尾張、紀州、水戸の徳川御三家でした。
水戸藩の初代藩主は徳川家康の11男、徳川頼房です。頼房には正室がおらず、側室が9名いました。ある日、正式な側室ではなかった久子が身籠りました。しかし、嫉妬深い側室が久子の堕胎を懇願し、頼房は仕方なく、家臣の三木之次に堕胎を命じたのでした。
しかし、あまりにも久子を不憫に思った三木之次は、三木家に久子をかくまい、密かに出産させました。その子は、幼い時から非凡な才能を発揮し、めきめき頭角を現して、立派に成人しました。そして、頼房が嫡子と、ついには後継ぎと認めるまでになります。この子が、徳川光圀、のちに水戸黄門と呼ばれる人です。三木之次がいなければ、水戸黄門は、この世に誕生しなかったことになります。
さて、時は300年ほど流れて、大正7年。三木之次の子孫、三木啓次郎は、幕末の桜田門外の変で亡くなった水戸浪士のお墓参りに、大阪の四天王寺を訪れます。そして、寺の前でアイデア商品を売っている青年に出会いました。三木啓次郎は、その商品を見た時に、これは100%売れると確信し、自らの田畑を売って、資金を青年に投資しました。そのお金で、その青年はアイデア商品を大量生産し、販売したところ、瞬く間にヒットし、大企業の社長となります。そのアイデア商品こそ、二股ソケット、そして、その青年こそが、松下電器の創業者、松下幸之助氏でした。
松下幸之助は、三木啓次郎に恩義を感じ、何とか恩返しをしたいと考えに考え抜いて、松下電器1社提供のナショナル劇場ドラマに、「水戸黄門」を放送したのです。
1969年8月4日、松下電器産業1社のみがスポンサーをするナショナル劇場ドラマ『水戸黄門』」が放送されました。2003年12月15日には放送1000回を迎え、世界でも類を見ない長編テレビ番組となりました。2008年10月から松下電器産業がパナソニックへ社名変更したことに伴い、放送枠の名称は『パナソニック ドラマシアター』へ変更されましたが、2011年12月19日まで、ゴールデンタイムの『水戸黄門』は、42年間も続いたのでした。全1227回の平均視聴率は22.2%、最高視聴率は1979年2月5日に記録した43.7%で、積木くずし最終回の45.3%に次ぐ民放ドラマ史上2番目の高さでした。
「水戸黄門」ストーリーはワンパターンで、水戸光圀(御老公)が家臣の助さん、格さんらとともに諸国漫遊の旅先で世直しをするというものでした。

1.旅の途中で悪漢に絡まれた庶民を見つけ助ける。
2.助けた庶民と仲良くなり、悪漢に絡まれる事情を教えてもらう。
3.困った人を見捨てられないご隠居が協力を申し出る。
4.予め誰かが悪者共の一味に探りを入れた上でご隠居様一行が乗り込む。
5.怒って襲い掛かってくる一味を撃退してから印籠を見せ付ける。
6.悪者共は手下含め一同ひれ伏し、万事解決。ご隠居様一行は次の目的地へ旅立つ。
しかし、実際には、水戸光圀が諸国を漫遊したことはなかったようです。ただ、側近の佐々宗淳(『水戸黄門』に登場する佐々木助三郎のモデル)に命じて各地を歴訪して古典・文書を探索させ、日本の歴史書『大日本史』の創作をしました。その一つは、佐々を楠木正成が自刃したとされる摂津国、湊川に派遣し、楠木正成を讃える墓を建造させたことです。その墓石には、光圀の筆「嗚呼忠臣楠氏之墓」が刻まれ、今も残っています。
『大日本史』は、光圀死後も水戸藩の事業として200年以上も継続され、明治時代に完成しました。ただ、『大日本史』の編纂に水戸藩は一説では藩の収入の3分の1近くを注ぎ込むなど、多大な費用を掛けたため、財政難に苦しみ、多くの農民たちが逃避したともいわれています。
また、『大日本史』の編纂の中で育まれた「水戸学」は光圀の意図を越え、その後、幕府の存立基盤を大きく揺るがす学問ともなってしまいました。
ただ、水戸光圀自身は名君として知られ、本当に多くの庶民から慕われたお殿様であったようです。
経営は傘(からかさ)の如く。
さて、「経営の神様」と言われた松下電器創業者の松下幸之助氏が「企業経営のコツを一言で教えてください」と尋ねられ、「きみ、雨が降ったらどうする?」と逆に聞き返しました。
そして、「傘をさします。」と答えると、
「そうでんな、それでよろしい。それが企業経営のコツです。」と返事をされたそうです。
松下氏をインタビューすると、こんなふうに逆に質問されることが多かったそうですが、雨が降って傘をさすには、前もって傘の準備がいります。どんな時代の変化にも即応し得る企業体制づくりを先取りして行うことの大切さを、雨と傘の関係で譬えられたのでしょう。
岩垣光定の「商人生業鑑(あきんどすぎわいかがみ)」という本に、
「時節を知りて、進むべき時に進み、退くべき時に退くを賢き人というなり。世渡りは傘(からかさ)の如くすべし。運よき時は開き、運よからぬ時はしぼめるがよし」
という言葉が書いてあります。
江戸時代、享保のゼロ成長経済の中で台頭し、生き残った商人たちは、合理的で、常に地道な商売を重ねながら安定した繁栄を目指しました。その商売の基本においたのが、この「傘商法」だったのだそうです。松下さんは、この話を引用したのではないでしょうか。経営においては、どんな変化にも対応できるような体制づくりを普段からしておくことが大切だと思います。
さて、「人生は筋書きのないドラマだ」といわれますが、どんな集団にも様々なドラマがあります。ドラマというものは揉め事から成り立っているもので、トラブルが起きます。人間関係や仕事でも、うまくいっている間は能力や人間性はあまり関係ありませんが、トラブルが起きたり、失敗したりした時にどう対応し解決していくかで、リーダーの力量が試されるわけです。逃げずに、問題解決に取り組まなければいけません。そして、ハッピーエンドのドラマのシナリオを作り上げましょう。
主人公意識を持て!
志ネットワーク代表で松下政経塾元塾頭・青年塾代表の上甲晃(じょうこうあきら)氏は、人材育成のスペシャリストです。「人間力を高める70の秘伝」で、次のような話をされています。
「やらされてやることは、苦痛。
同じことでも、自分の意志でやりたいと思ってやることは、喜びになる。」
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松下政経塾青年塾の講座で、バーベキューパーティーをした時のことだ。
肉屋を営む先輩が、大量のお肉を差し入れてくれた。私は肉の入った箱を持ってみた。
大変重たい。
目の前にいる塾生の一人に持ってもらったら、やはり「すごい重たい」と言う。
私は、「そのまま一時間持っていてほしい」と言った。
塾生は、「こんな重いものを一時間も持たせるのは、虐待ですよ」と言う。
私は、「じゃあ聞くけれども、これを全部君にやると言ったらどうする」と聞いた。
「こんなにもらえるのですか」と塾生は言う。
持っているものは同じであっても、考え方が変わると、重荷が喜びになる。
人生も同じだ。
「やらされてやることは重荷、やりたいと思ってやることは、喜びになる」と教えた。
『青年塾』はすべての研修の準備と運営を、受講する塾生諸君が主体的に行うことを義務づけている。〝与える教育〟ではなく、〝求める教育〟だ。 研修一つでも、膳立てすればするほど、受講生は、「研修を受けさせられた」と負担感を覚えるものだ。
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まとめ
ドラマの「主人公」は私です!
のちに水戸黄門と呼ばれる徳川光圀の成長を助けた三木之次の子孫、三木啓次郎は、自らの田畑を売って、松下幸之助のアイデア商品「二股ソケット」の大量生産を実現させました。そこで、松下幸之助は、三木啓次郎に恩義を感じ、松下電器1社提供のナショナル劇場ドラマに、「水戸黄門」を放送したのでした。
松下幸之助氏の企業経営のコツは、傘(からかさ)の如くだったそうです。
人生は、筋書きのないドラマです。しかも、撮り直しができないドラマです。このドラマをどう演じるかで、人生が変わってくるでしょう。また、どんな集団にも様々なドラマがあります。ドラマというものは揉め事から成り立っているもので、トラブルが起きます。人間関係や仕事でも、うまくいっている間は能力や人間性はあまり関係ありませんが、トラブルが起きたり、失敗したりした時にどう対応し解決していくかで、リーダーの力量が試されるわけです。自分の人生においては,]主人公意識を持ち、逃げずに、問題解決に取り組まなければいけません。そして、必ず、ハッピーエンドのドラマのシナリオを作り上げましょう。
